なぜ咲いたのか
朝晩は随分と寒くなりました。
車の助手席に乗る長女が暑い暑いとつぶやくので、外気温を確認すると20℃。
35℃を超える日々に異常を感じた夏。
ひと月ほど前に過ぎ去ったばかりの暑さを、わたしたちはもう忘れている。
なんでも忘れてゆくのものだなあ、そうぼんやり考えてハンドルを握っていた。
秋深まり、花の季節を終え木々が葉を落としはじめたころ、
境内最後の花、ツワブキが咲きはじめました。
肌に冷たさを感じる季節に咲いてくれる黄色の花が、暖かなお日様のよう。
この花をくださったお檀家様がおっしゃってました。
「冬が迫る時期に咲く、強い花。」
ツワブキを植えて3度目の秋。今年も寒さとともにに咲いてくれました。
昨年は12月の雪のなかにも咲いていたことに驚かされました。
黄色い花といえば、
今年はユウスゲが4年目にして初めて花を咲かせてくれました。
ご縁の方から頂戴して植えたものの、葉は育つのになかなか花がつかず。
今年もほぼあきらめていた矢先のことでした。
夏の夕暮れ時に咲き、翌朝日が昇り暑くなるころに閉じてしまう花は、
とても涼しげなレモンイエロー。
なぜ、今年になって咲いたのだろうか不思議でした。
場所を移したわけでも、目に見えて環境が変わったようにも思えない。
今年の夏、あるお檀家様宅にご新盆供養に伺った際、ナスときゅうりで作る
精霊馬の足が緑色をしていて、(割りばしなどを使う家が多いことから)
この足にしているものは何ですか、とお尋ねしたところ、
「庭のユウスゲなの。すごく丈夫だからいいかな、と思って。」
と微笑んでお答えになられました。
花ばかりで、茎を見なかったわたしは、お寺に戻るとさっそくユウスゲの
細い茎に触れて確かめたところ、その硬さに驚くとともに、
「丈夫な足を」
という、亡くなられたご主人様への愛あるお供えを知り感動しました。
なぜ今年はユウスゲが咲いたのだろうかと、答えが出ないまま、
花に聞けば 葉に聞けといい
葉に聞けば 根に聞けといい
根に聞けば 土に聞けといい
土に聞けば 水に聞けといい
水に聞けば 雲や風に聞けといい
雲や風に聞けば お日様に聞けという
お日様に聞くと 仏菩薩に聞けと言った
この夏のユウスゲとの出会いの記憶です。
夏の境内を賑わせてくれたお寺の蓮たちはすっかり葉が枯れ、
来月には冬越しの支度をします。
今年は蓮の種の成長を観察してみたいと思い、種に傷を入れて水に沈めました。
なんと、3日もすると発芽が確認でき、日を追うごとに茎を伸ばし葉が広がり、
10日後には根も伸びて、驚くほどの強い生命力に気づかされました。
バケツに今年の蓮を育てた土を分け入れた中に植え、水を張ったところ、
いまも葉が成長し続けております。
秋は葉を十分陽にあて、冬を越し、土の中に蓮根が育つことを期待します。
蓮の実は、とても頑丈な殻に覆われています。
それを水に沈めただけでは、実は水を吸収できず発芽しません。
丸い種のお尻をヤスリなどで削って傷をつけてあげるのです。
そして、なかの実が水にふれることで発芽スイッチが入ります。
蓮は傷がつき、水のご縁によってはじめて目覚めるのです。
どこか人に重ね、学べることがあるように思います。
傷から何を吸収したのかな。
けしてネガティブなことばかりではないことを知っています。
辛い体験、悲しみや寂しさ、心に残る痛み、
そこから優しさやしなやかさを学んだ人を知っています。
愛別離苦の悲しみに涙を流し、同じように涙流される人たちの言葉や
慈しみに救われ、供養の心が芽生える人がどれだけ多いことでしょう。
蓮の種
花が咲くには、もとには傷があるのかもしれません。
季節の象徴ともされるような、人を惹きつける花も。
目立たぬ場所に、気づかれず咲く小さな花も。
どんなに強そうにみえる人もきっとそうでしょう。
傷から学んだことがあるということ。
再生や成長には、「縁が必要だった」という答えを等しくもたれている。
花咲かす人は、苦しい時に授かった絆をけして忘れない。
合掌







