夏に攻める 守る
梅雨が明け、暑い日が続いてます。
疲労がたまる時期、体調管理に留意し、体力と気力ともに欠くことなく
事にあたりたいと思うこの頃です。
今年も夏休みこども寺子屋が近づいてまいりました。
8月1日朝9時より、中学生8名、小学生37名が参加予定です。
今回、こども寺子屋のオリジナルTシャツを作りました。
昨年6月、お寺で講演をしてくださった、運動指導者 百瀬圭さんに相談し、
運営されるトランポリン教室TORA JAMのロゴをモデルにするお許しをいただき、
寺子屋にむけたロゴをオリジナルデザインしていただきました。
期待していたイメージが十分に満たされた、さすが百瀬さんと言える、
TORA JAMと真福寺こども寺子屋のコラボシャツの誕生です。
百瀬圭さんが年明けお越しになった際、初観音縁日護摩に願いをこめた
添え護摩木には、
「攻める 守る」と一年の抱負が書かれていました。
百瀬さんは、常に一定の熱量を保って行動される方という印象です。
私が毎年この暑い時期に大切にしていることは、気を抜かないこと。
気を抜くと、体はすぐに疲労を覚え、同時に気力も欠けていくからです。
無理をしないけど、気は抜かない。
そして、弱音を吐かない。言い訳はしない。
積極的に挑戦し努めていると、「楽しい」が見えてくる。
まさに百瀬さんの言う、攻める、守る、です。
TORA JAM代表 百瀬圭氏
寺子屋を迎えるまでにシミュレーションを重ね、出来る限り万全の準備をします。
自分自身の体調面、精神面も十分にととのえて臨みます。
多くのこどもをお寺に預かり、安全に過ごし楽しんでもらうために、
指導者である私の姿勢が問われ、それがこどもたちに影響します。
寺子屋のこどもたちに失礼のないよう誠心誠意おつとめします。
毎年の寺子屋は、私にとっても学びと成長の機会です。
多くのこどもたちに向き合うことで、こどもたちから得られる学びが大変多く、
3,500人の指導経験のある百瀬さんは、これを「共育」という言葉で表現されました。
こどもとおとながともに学ぶ場所、という意味でしょう。
寺子屋シャツのロゴ
TERA JAM NAMU(テラ ジャム ナム)
・TERA お寺
・JAM 交わる空間
・NAMU 尊敬
今年は、寺子屋が終わった翌日から、岡谷と静岡のサッカーチームの
小学生30名が真福寺で一泊の合宿をします。
お寺でこどもたちを守るために、しっかり攻めていこうと思う。
夏の暑い日、お寺に咲く蓮たちが元気と勇気、心に癒しをくれます。
合掌
お寺のあたたかい活用
7月の日曜仏教会は「禅の寺カフェ」と銘打って開催しました。
夏の寺カフェ、その内容は瞑想体験とスイーツを味わう茶話会。
大賀蓮
毎月熱心にお寺に通われている方より、禅の体験がしたいとお声をかけていただき、
普段の写経も禅なんだけどな、と思いながらも、求めていることがわかりましたので、
今回は数息観という瞑想を実施しました。
お寺は涼しいですねと言われますが、いえいえ、近年はこの時期どこに居ても暑いです。
そのなかでもここは涼しい、と体感できる場所がありますので、そこを道場としました。
(脱線→実はこのお寺にはもっと涼しい処があります。すでに他界された総代様が、
以前、「副住職!ここでサロンやったらどうよ!」とおっしゃったことがあります。
そこは物置として使用している場所なので、「いまは・・・」利用できませんが。)
さて、みなさん、瞑想の体験によって気分がすっきりしたそうです。
あたりまえの感想のようで、実はこの実感こそ重要な点です。
しだいに体も変わり、見るもの聞くものが変わり、香るもの味わうものが変わり、
思考さえも変わります。そのすべては、心から始まっています。
瞑想のあとは和室に移りゆったりと茶話会。
昨年の7月に点描曼荼羅WSの指導をしてくださった藤森真弓さんお手製の
スイーツをいただきました。
・梅酒のサイダーかん 青じそ入り
・米粉とアーモンドミルクのマンゴーババロア
・米粉と豆乳の春菊のシフォン オイルなし
・ブルーベリーあんの紫陽花
・ハリハリ漬け
どちらも絶品でした。
皆さんを思う気持ちが繊細に注がれていることが伝わってきて、
さらに藤森さんのお人柄まで感じる、心あたたまるお料理でした。
本当にありがとうございました。
瞑想体験と美味しいスイーツ、異なるものをひとつとして味わい、
身も心もほぐれ、幸福を感じ得るよいひとときであったと思います。
お寺で行えることへ皆さんの希望があれば、出来るかぎりこの環境を活かして
応えたいとは思いますが、何分私が凡才でありまして、もし期待をされても
至らないことばかりなのです。
ですから、これからも皆さんの助けを借りることが多々あると思いますので、
ご理解をいただけると嬉しいです。
お寺には、お檀家様に限らず通っていただけるようになりました。
お寺の長所も、そして短所さえも活かし、お寺「らしさ」を発揮させていく
ためには、この点はよいことです。
開かれたお寺という表現。この定義するところはいまだわかりませんが、
少なくとも、先に述べたことは含まれるであろうと思っております。
お寺を重要な役割である先祖供養、ご葬儀や法事全般の角度から考えてみると、
お檀家様とは菩提寺という視点があり、長い時間を紡いだ深い関係性がございます。
では、いまを生きる人にとってのお寺の存在を見るとどうでしょうか。
たとえば、楽しみ、癒しや励みなど、心のよりどころとして見るとどうでしょう。
それはお檀家様はもちろんのこと、そして、そうではない人にとってみても、
「心の選択は自由」であって、またひとつに限らなくてもよいものなのです。
どういうことかと言いますと、ご自分の安心や喜びにつながると思えるならば、
求めるところがあれば、いくつだろうと足を運んでみてほしいと思っています。
多くのお寺様がいま、この考えを共通してお持ちで事業設計をしています。
それが、お寺の潜在価値を機能させるうえで大切だと感じているからなのです。
開かれたお寺づくり、という言葉を聞くようになって、もう何年が経つでしょう。
同時にお寺離れ、檀家離れ、という言葉もどれほど聞いたでしょう。
これから、寺院運営は一層厳しさを増します。
凡才な自分は、みなさんの声に耳を傾け、視野も広めないといけませんね。
敷居の向こうにはいのりがあり、笑顔とまなびがあり、そして怒りも涙も許される。
敷居から出るときには、よろこびを胸に持ち帰る。
それがお寺なら、どこへでも行きたい。
今年もお寺の蓮が見事に咲いてくれました。
合掌
小舞妃
2025年7月の「言葉の力」
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~ある先生の言葉~
人を育てるには
人を悪く言ってはいけない
叱りながらも励まし続ける
それで間違いないそうだ







