目覚め
僧侶をモデルにした生成AIロボットが公開されました。
10年前、東京ビックサイトでお経を唱えるロボットを目の当たりにし、
いつかは対話さえも可能にする、僧侶を模したロボットが現れるだろうことを
想像してはいました。
生成AIの進化、浸透度は凄まじいですね。
このたび発表されたロボットは、原始仏教経典を学習しているといいます。
つまり、お釈迦様の言葉を「対話のなかで」聞くことができるということです。
所作もこなすそうですから、僧侶の使命ともいえる範囲を身につけていると
いえます。
人間の僧侶に変わって、ロボットが人々の思いに応じて対話や作法をこなし、
僧侶の役割を果たすのです。
今後は研究者によって一層その精度が高まっていくことが予測でき、
仏教界のみならず社会への影響(貢献度を含め)はどうなるか。
近くにいた妻に話し、どう思うか尋ねてみました。
すると、たった一言、思いがけない返事が返ってきました。
「僧侶が話しにくければ、ロボットに頼る人はいくらでもいるだろうね。」
なるほど。そのとおりだ。
話しにくい僧侶―。
膨大な学習量。今後の経験値と信用度が相まって、増していく需要。
正しい答えが期待でき頼れる存在。
AIロボットの実働をそんなふうに想像していた自分は、いくらか的が外れていたようで、
そのまえに大切なことを妻から指摘された気がします。
もっとも大切なことは完璧な回答ではなく、まずは人としての誠実な対話、対応。
つまり、自分が相手様にとって、安心できる人間であるかどうか。
以前、遠くにいる後輩に、いま大切に考えていることってなに?と聞いたとき、
こんな回答が。
何をするかよりも、誰がするかが求められている。
誰が―。
そう、人が磨かれていなければ、
表情、感情のないロボットに役目を取って代わられてしまいます。
いまのわたしの信用度など、とても脆弱なものでしょう。
弘法大師は、物の興廃は必ず人による、と仰られました。
よくよく考えてみれば、ロボットが人を凌駕しているのではなくて、
もとはその道の学習を重ね、開発する研究者の絶え間ない努力と「志」が
人に勝っているのです。
辺りではもう春を告げるふきのとうが姿を見せ、さっそくいただきました。
この苦味が冬から体を目覚めさせてくれるといいます。
近頃、ぽかぽか陽気で心地よく、どこかぼんやりしている気がします。
志をもち、自ら目覚めねば。
春が到来すると、無心に開く花たちがそう教えてくれる。
合掌







