心の時間
七回忌にお訪ねしたお檀家様の家には部屋の長押に
ご先祖様の遺影が並んで飾られていました。
七回忌を迎えるお母様の遺影はそこに飾りたくないとおっしゃるので、
どうしてかとお尋ねすると、いまだに母が亡くなったことが悲しくて、
それを受け入れられていないからだとお答えになりました。
いまだに死を受け入れ切れていない。
時が経ってもそういうものなのか、と考えてしまう自分がいました。
それからほどなくしてお寺で行われた、お檀家様の33回忌法要。
他界されたお父様は、ご存命であれば今年100歳を迎えていたとのこと。
法要後、娘さんがわたしにしみじみとこう話すのです。
「生きていてほしかった。これだけ経ったのに、いまだに寂しいままなんです。」
「今日の法事を機に、わたしも変わらないといけませんね。」
時間とともに死別の悲しみは癒えて、その記憶は薄れていくものと
思っていました。それはどなたにも共通することであろうとも。
わたしはとても大きな思い違いをしていたようです。
大切な人と過ごしてきた時間、永遠のお別れのかたち、
そしてそのあとに流れていた時間は、人それぞれ。
であれば、いまの心の状態も人それぞれであるのですね。
皆がみな、時間とともに心が元気に回復しているとは限らない。
多くの法事を経験してきたのに、いまごろ気づきました。
ご葬儀、四十九日から随分と年月が過ぎ去り、
いま元気になさっているご様子にこちらも気に留めず、どこか配慮を欠いていたのです。
見えない心の様子は、どなたも表向きの姿と一致しているわけではないのですね。
慣れというものは、仕事を良くもしますが、雑にもしますね。
時計の時間は一定。しかし心の時間は、流れ方が人それぞれに異なる。
33回忌に飾られた白い花は、わたしの心も浄化してくれました。
合掌
お寺での演奏
今年も境内のしだれ桜が開き始めました。
しだれ梅はいまが満開です。
お釈迦様のお生まれになった4月(8日)~5月にかけて、
全国寺院では花まつりが行われます。
真福寺では今年は4月11日(土)から12日(日)に開催。
11日・12日両日は午後1時から5時まで、岡谷市川岸在住の
藤森真弓さんによる曼荼羅アート展が客殿にて開催されます。
12日は、午後3時から4時まで花まつりコンサートが本堂で開催されます。
ご来場のみなさんとの読経やお釈迦様への灌仏作法につづき、
ご法話「犀の角」をさせていただきます。
そのあと、諏訪市在住の内田歌穂さんによるサックスミニコンサート。
さて、お寺で音楽を聴くことは、いつもより少しだけ特別のことと思いませんか。
世間一般的にですが、よく歌手の方や演奏者がステージで話す、
「みなさんに元気を届けたい。」
という言葉を耳にすることがあります。
聴く側の心を明るく前向きにしてもらえる、演者からの勇気あるメッセージです。
私はお寺でのコンサートを考える際、いつも感じていることがあります。
私は音楽のプロでも愛好者でもありませんが、
お寺で音楽を聴くならば、元気になることがすべてではないと。
歌う人に悲しみがあるから、悲しみある人に伝わる。
奏でる人に悩み迷いがあるから、聴く人が寄り添える。
音楽の時間のなかで、互いに気持ち救われることがある。
もちろん、励ましの想いがこもって響く音楽は、聴く人を元気にしてくれるでしょう。
そう、ステージに立つ人にも、聴く人それぞれにも、ストーリーがあるはずです。
共感、そして共鳴。
これこそがお寺という特殊な場所での演奏会ではないでしょうか。
生きる人の力にもなれば、亡き人へのあたたかな供養にもなる。
そして本堂の荘厳や仏様のご加護と相まって祈りの力にもなるでしょう。
雨の日のしだれ梅
今年もご来場の方々が、それぞれのお気持ちで音楽に親しみ、楽しみ、
そして心の潤いを喜ぶひとときとなれば嬉しく思います。
お釈迦さまのもとで会いましょうね。
合掌
2026年4月の「言葉の力」

脱力することを恐れない
体と気持ちが軽くなれば
大抵の事は進んでゆく







