心の時間
七回忌にお訪ねしたお檀家様の家には部屋の長押に
ご先祖様の遺影が並んで飾られていました。
七回忌を迎えるお母様の遺影はそこに飾りたくないとおっしゃるので、
どうしてかとお尋ねすると、いまだに母が亡くなったことが悲しくて、
それを受け入れられていないからだとお答えになりました。
いまだに死を受け入れ切れていない。
時が経ってもそういうものなのか、と考えてしまう自分がいました。
それからほどなくしてお寺で行われた、お檀家様の33回忌法要。
他界されたお父様は、ご存命であれば今年100歳を迎えていたとのこと。
法要後、娘さんがわたしにしみじみとこう話すのです。
「生きていてほしかった。これだけ経ったのに、いまだに寂しいままなんです。」
「今日の法事を機に、わたしも変わらないといけませんね。」
時間とともに死別の悲しみは癒えて、その記憶は薄れていくものと
思っていました。それはどなたにも共通することであろうとも。
わたしはとても大きな思い違いをしていたようです。
大切な人と過ごしてきた時間、永遠のお別れのかたち、
そしてそのあとに流れていた時間は、人それぞれ。
であれば、いまの心の状態も人それぞれであるのですね。
皆がみな、時間とともに心が元気に回復しているとは限らない。
多くの法事を経験してきたのに、いまごろ気づきました。
ご葬儀、四十九日から随分と年月が過ぎ去り、
いま元気になさっているご様子にこちらも気に留めず、どこか配慮を欠いていたのです。
見えない心の様子は、どなたも表向きの姿と一致しているわけではないのですね。
慣れというものは、仕事を良くもしますが、雑にもしますね。
時計の時間は一定。しかし心の時間は、流れ方が人それぞれに異なる。
33回忌に飾られた白い花は、わたしの心も浄化してくれました。
合掌








