明治41年建立。山門に掛けられた山号額には「青龍山(せいりゅうざん)」とありますが、当山の山号の由来は定かではありません。
青龍即ちインド神話に登場する八大竜王のひとつ清瀧権現のことでしょうか。
また、この山号がついたのは現在地に至ってからであり、熊野神社が隣接するが、その本社である那智熊野三社権現の青龍、赤龍、黒龍の一つからとの説もあります。
まずはお寺周辺の様子を動画にてご覧ください。※お檀家さまより頂戴した映像です。
三沢の中心である熊野神社より隣接する神社仏閣と辺りを望む、短くも貴重な空からの映像です。
参道をまっすぐに進み山門に至る手前に、仏足石とお釈迦さまのことばが刻まれた石碑があります。立ち止まりこの言葉を読むことで、清らかな気持ちをもって山門をくぐることができるのではという思いもあります。
明治41年建立。山門に掛けられた山号額には「青龍山(せいりゅうざん)」とありますが、当山の山号の由来は定かではありません。
青龍即ちインド神話に登場する八大竜王のひとつ清瀧権現のことでしょうか。
また、この山号がついたのは現在地に至ってからであり、熊野神社が隣接するが、その本社である那智熊野三社権現の青龍、赤龍、黒龍の一つからとの説もあります。
『醍醐乳味鈔十八道』には、
「清瀧大唐青龍寺の鎮守なり、大師御在唐の日密教擁護の誓約あり」、
「青龍は南伝密教の守護神にして即ち裟掲羅龍王第三の皇女なり、而して此れを青龍寺の鎮守と為す」
とあります。
裟掲羅龍王第三の皇女である善女龍王は密教を守護していた中国の青龍寺(真言密教第七祖恵果和上の住した寺)に飛来し、その寺の鎮守清龍となり、やがて日本よりその寺を訪れた弘法大師に密教を守護することを誓ったと伝えられています。
清龍はさらに海を渡り日本に飛来すると、日本では龍の字にさんずいを加え、清瀧権現と敬称するようになりました。清瀧権現は複数の寺を巡った後、京都醍醐寺の山頂に降臨し留まり、以後真言密教の女神となったと伝えられています。
※山号額揮毫:総本山智積院化主第47世瑜伽教如大僧正猊下(1847~1928年)
長野県内随一の大きさとされる梵鐘は、毎朝5時30分に六つ打鐘されます。他、毎年8月6日、9日、15日は平和の鐘が鳴らされ、12月31日から年明けの午前1時過ぎまでは、二年まいりの参拝者によって除夜の鐘が突かれ、希望の鐘の音が響き続けます。
ご参拝の際は随時打鐘することができます。
毎年の見ごろは4月下旬。開花の時期になると境内でのイベントが開かれます。
本堂正面には桔梗紋と梶の葉紋。伽藍各所、法衣等にこの紋が使われています。
(左)旧本堂 (右)現在の本堂
平成9年、念願の伽藍大改築が落成されました。一座280人のお参りが可能の大本堂であります。
ご本尊は印相を上品上生に結んだ阿弥陀如来座像。中国宋代の仏像様式である宋朝様式を取り入れた室町時代中期の作。
裳先が前に迫り出し、螺髪もよく彫り出され、神秘的で調和のとれた優美な形態を見せています。
(岡谷市文化財指定)
平成31年4月25日。
本堂の須弥壇に祀られるご本尊阿弥陀如来を主尊とした三尊が開眼された。
【阿弥陀如来座像】
<光背>
既存の円光背を密教様式本来の形である舟形光背に一新。
<台座>
台座は過去の火災による傷みが激しく、また略式のものであることがわかり蓮華台座を一新。
【金剛界大日如来像】
本尊右脇に金剛界大日如来像を造顕し安置。
真言宗である当山に教主大日如来を勧請したいという住職(第二十二世)の誓願により、京都の大仏師今村九十九師に依頼。
阿弥陀如来の光背、台座の修復も併せて依頼し、歴史上の一大聖業となる。
【不動明王立像】
昭和61年、住職(第二十二世)が将来御本尊の脇にお祀りすることを誓い、制作を当時の大仏師松久宗琳師に依頼。
完成後は開眼されることなく収めており、その後三十数年の歳月を経て、本尊阿弥陀如来の修復、大日如来の造顕と併せてご開帳を迎える。
亡き松久宗琳師は今村九十九仏師の師匠にあたり、偶然にも本尊の両脇に師弟関係にある両師による尊像が並ぶこととなった。
四年の歳月を経て行われた阿弥陀如来の光背、台座の修復と大日如来像の造顕。
多くの檀信徒に見守られて、住職が開眼の導師を勤め、近隣昌福寺御住職の出仕も賜るなか開眼法要を無魔厳修、荘厳な聖域が整う。
令和元年奉安の三尊として公開され、当山に新たな歴史が刻まれた。
さらに内陣両脇に安置される両祖大師も一年かけて修復され、大変美しいお姿にてお戻りになり同時に開眼を迎えた。
回廊には諏訪の伝説本『諏訪のむかし話』の第14話「黄金の鐘」に登場しているとされる半鐘が吊られています。
そのお姿は慈悲に満ちた菩薩の表情だけでなく、近くで拝した際に目に飛び込む彫りの豪快さに木に宿った命が感じられ、開眼より900年に迫る時が過ぎた今でも、仏師の発願の深さと情熱がひしひしと伝わる仏像であります。
毎年1月初旬に新春大護摩祈祷法要を厳修。
毎月、観音様の縁日である18日には護摩祈祷が修されています。
また、こちらで家族葬、密葬が行われることもございます。
104畳の大広間は法事後のお斎食の他、通夜、写経会、御詠歌の会、講演会、また寄席などのイベントにも使用されています。
客殿奥には、中央高速道と、その背景の山々の見晴らしが良い14畳の和室2部屋もございます。客殿内には椅子100脚の用意が可能であり、また大きな厨房もあることで、仏事、寺行事など多目的に利用しています。