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6年生へのエール~一隅を照らす~

川岸小学校のふれあい参観にて、「教えてお父さんお母さんのお仕事」という

テーマのもと、6年生担当の講師としてお呼びいただき、

お寺の仕事紹介をする機会がございました。

昨年は1年生にむけてお話しましたが、今年は卒業を控えた6年生ということで、

伝え方の内容を見直してお話したつもりです。

 

自分が30年前にお世話になった小学校の教室で、

4ヶ月後に学び舎を巣立とうとしている6年生を前にして、

とても感慨深く、懐かしい想いが致しました。

 

あの頃の自分を探すように、6年生にエールを送りたい。

そんな特別な感情で時間を過ごしたように思います。

 

天台宗の宗祖最澄のお言葉に『一隅を照らす』というものがあります。

私の好きな言葉です。

「自分の居場所で精一杯に尽くしなさい」

そんな意味の言葉と捉え、大切にしております。

 

参観日の日、6年生にはお伝え出来ませんでしたが、

この最澄上人のお言葉を桜に例え、自分からの応援メッセージとして

ここに残します。

 

―花からのメッセージ―

遠くの山上にポツンと寂しく一本の桜が咲いている

誰も近づくことのないその場所で―

誰の為に咲くのでも 誰に喜ばれるから咲くのでもない

花は自分の時が来て精一杯に咲く 

人にも「自分の時」があるだろう 

 

最澄上人は、一隅に尽くす人のことを「国宝」とまで言って下さっています。

人と比べることなく、自分を信じて咲いてほしい。

あなたが一生懸命に咲かした花は、何処にいても尊い。

 

卒業を迎える頃、諏訪の平の桜のつぼみ達はまだまだ寒さに耐え、

暖かい春の陽を浴びる時をじっと忍んで待っています。

その頃に、この花のメッセージが心に届いたら嬉しいです。

頑張れ6年生!!

               合掌

水瓶

人を育てる職に就く大人同士、その職場において起きていたいじめが

発覚し、大きくニュースされたのは最近のこと。

こどもに教える立場にある大人の日常行為であったことが衝撃となりました。

衝撃の中身は、漠然と教育者に抱いていた理想を覆されたような

感情であったと思います。

 

この事案を他人事、教育者視点のみ捉えて議論して済ますのではなく、

広く大人社会のその陰にある問題として考える必要があるように思います。

多くの大人は、自分のこととして、また自分の置かれている環境に照らして考え、

普段、看過されている問題はないか見直す機会にできないでしょうか。

 

大人はこどもにこう教えます。

『悪いことをしてはいけません。悪いことをすると○○になります。』

『善いことをしましょう。善いことをすると○○になります。』

善悪の行為に因果の報いで例えて説明しているのではないでしょうか。

 

きっとこども達は、善い行いをすると大人に褒められることを知っています。

善い行いの先には、成長や嬉しいご褒美があるのだと期待しています。

 

『偽善』という行為を批判的に捉えてしまう大人もいると思います。

しかし、こどもの善の行いは、褒められることを期待してのことが多く、

最初はみんな偽善なんです。

 

それでも、大人がその行為と気持ちを見逃さずに認めてあげて、

大人自身、反省も含めて「模範たる姿勢」を常に示してあげられたのなら、

こどもは自分の善を信じられるようになるのではないしょうか。

 

やがて自然とした善の行為が身につくようになり、

いつか、偽善は本当の善に変わっていくのだと思います。

 

それは大人だって、いくつになったって一緒だと思うのです。

もう大人だから、と考えず、

恥ずかしいとかも考えず、

こどもに教えたことを大人が信じて、

そしてやり直しを信じていいのだと思います。

「自分はまだ未熟なのだ」と。

 

お釈迦さまはこのようにおっしゃったそうです。

『一滴でも水が滴り落ちるならば、やがて水瓶を満たす。

善をなすのを急ぎなさい。のろのろしていると心は悪を楽しむようになる。』

 

人は、職場は、社会は、誰でも何処でも善悪をあわせ持っています。

水瓶を満たし、気づかずに溢れ出てしまったのは、

善であったのか、それとも悪であったのか。

 

外野から一方的に責めることはできません。

                           合掌

マンパワー

このたびの台風19号の被害に遭われた皆様には、

心よりお見舞い申し上げます。

三日間、県内中野市の災害現地ボランティアに加わり、

生活復旧に向けた作業支援をさせていただきました。

 

すでに報道により広域にわたる甚大な災害状況につき周知されておりますが、

まだ知られていない被害地域も多くあります。

千曲川決壊による家屋の床上浸水や農作物の被害は誠に深刻であり、

家の電気が通らず、体を休める場所さえも確保できない方が多くおられます。

自宅での安心を取り戻すまでには、まだ相当の作業がかかるものと思われます。

 

私の作業はたったの三日間でしたが、現地の皆様の心労と疲労は今後も続きます。

お困りの皆様からの様々なニーズは変化もしながら増え続くと思います。

今後も多くの励ましと「マンパワー」が被災地支援に集まることを願い、

一日でも早く穏やかな日常が戻りますことを心より祈念申し上げます。

                                   合掌

140

10月に入りました。

朝方肌寒くなり、キンモクセイが香る境内には桜の葉が落ち始め、

これから秋深まっていくことを感じております。

時期遅れて境内の彼岸花が咲いております。

彼岸花

 

このたび、群馬磯部温泉で、京都本山の僧堂生活時代の仲間との同窓会がありました。

卒業してから18年、ほぼ毎年一度、各地で開催して集っております。

みなさん研鑽努力を続けて力を発揮し、それぞれにお寺を守りご活躍の様子です。

いまでは宗派や地域などの要職につく人もいて励みになります。

大変お世話なった生徒監さんも愛知からお越し下さり、とても嬉しく思いました。

夜が更けるまで楽しいお酒を酌み交わし、美味しい食事をいただき、

近況を語り合いながら旧交を温めることができました。

 

今年は初めて同窓会ゴルフにも参加させていただきました。

人生初のゴルフ。場所は太平洋クラブ高崎コース。

新しいことを始めようと心に決めてはみたものの、練習を始めて一カ月にも満たず、

まともにクラブも振れないままこの日を迎えました。

 

コース上の何もかもが初づくし。

一緒にまわった仲間の親切に甘えさせていただき、終始イロハを教わりながら、

楽しく無事に初ラウンドを終えることができました。

初めて見たゴルフ場全ホールの壮大な景色がすごく美しくて感動。

あっちこっち、とっちらかるボールに向かって走ることも気持ちのよい運動になり、

また、そんな風景のなか仲間と談笑しながら、のんびり過ぎていく時間が贅沢に思え、

これこそが醍醐味だろうと思いました。

(初スコアは↑のとおり)

 

満喫した群馬での二日間。

車を走らせる道中にも、たくさんの彼岸花が咲いていたのが印象的でした。

彼岸花の花言葉のひとつ。

『また会う日を楽しみに』

                       合掌

樹の根

日本でラグビーワールドカップが開催されています。

ラグビーのルールはわかりませんが、各国代表選手の大きな体が激しくぶつかり合い、

一丸となり敵陣に進む勇姿に感心をもって、テレビ観戦しています。

少し前、企業のラグビーチームの成長を描いたドラマが最終回を迎えました。

そのなかでこんな言葉がありました。

 

『いま一輪の花が咲いたとしても、その根が腐っていれば、

やがてすべて枯れてしまう。』

 

私たちの日常は、手にするもの、目に映るものに価値をつけて生活しがちですが、

実は目に映ることのない多くにも因や影響を受けいて、

支えとなる大切な部分は、姿を見せていないのです。

建築物の柱なんかはその一例。

人生に巡るご縁もそう。

 

仏教で捉えると、それは拠り所としている「法」であったり、

「彼岸」であったりするわけです。

幹が成長し、枝葉が茂り、実をつけて花咲かせる多くの樹々。

その樹の根は見えませんが、根を「ご先祖さま」に例えることもできます。

たくさんの花も実も、雨風にさらされて倒れることのない幹も、

その陰にあるのは、土のなかに張っている根。

 

ご先祖さまへの供養の心は、目に映らない世界に向けるのみではなく、

いま生きている私たちの栄養にもなり、慈悲の芽となり、長い時間をかけて

成長してつながっていくものであります。

 

いまは秋のお彼岸。

お彼岸は、此岸から彼岸への心のバトン。

 

ラグビーのルールをひとつ知りました。

前へ進むには、自分より後ろにしかパスが出せないんですね。

心のバトンも、私たちの後に続く人達へつなごう。

                                       合掌

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六大の響き

このたび、諏訪市博物館にて、高野山真言宗、真言宗智山派、

それぞれの若手僧侶による声明、そして御諏訪太鼓伝承者である

山本麻琴さんとの共演コンサートを行いました。

 

『六大の響き』という名のもとに開かれたコンサート。

高野山金剛峯寺を総本山とする、高野山真言宗『六大』の皆さまによる

南山進流の声明。

京都東山の智積院を総本山とする、真言宗智山派『谷響』による智山声明。

そして、宗家小口大八氏が復元し新たに築かれた御諏訪太鼓は、時代を超えてなお

諏訪の平に響き続け、伝承者山本さんの情熱により全国各地さらには海外に届き、

皆に愛され守られている「諏訪の響き」です。

これら3つの共演が、会場に足を運んで下さった多くのお客様を前に実現しました。

 

同じ真言宗といえども、長い歴史に分派されていくなかで、現在に伝わる諸作法、

身に着ける法衣、そしてお経の唱え方など異なる点がいくつもあります。

ご来場のみなさまに各宗派が唱える声明の違いを見聴きし楽しんでいただくこと、

御諏訪太鼓の響きと共に会場が一体となることがテーマであったように思います。

 

六大の代表者、諏訪の古刹仏法紹隆寺の岩崎宥全御住職にお誘いをいただき、

私たち智山派の若手僧侶にも貴重な経験の場を用意して下さいました。

長野県内の高野山真言宗若手僧侶で構成される六大の皆さまは、

毎年声明コンサートの演出を重ねており、そんな先輩方と共演させていただけることは、

自身とても楽しみでありましたし、智山派の私たちにとって良い刺激となり、

成長の機会となりました。ありがとうございました。

 

このたび感じたことは、声明コンサートは声明を手法とした「布教」だということです。

若手僧侶に課せられた担いのひとつ、布教活動。

様々な手法があるかと思いますが、声明を聴いていただくなかでお客様に語りかけ、

お客様と心通わせながら、仏教や僧侶を身近な存在として感じてもらう。

これからもそんな布教活動を大切に考えていきたいと思います。

 

六大のみなさん、山本麻琴さん、諏訪市博のみなさん、ご来場のみなさん、

また会いましょうね。

                                  合掌

共演の一会~声明コンサート~

諏訪市に在ります仏法紹隆寺(高野山真言宗)の岩崎御住職にお声掛けをいただき、

声明公演の貴重な機会を得ました。

諏訪市博物舘が名刹仏法紹隆寺を大きく特集する企画展のなかで、

関連して開催される声明コンサートです。

長野県内の高野山真言宗僧侶で構成する声明グループ『六大』は、かねてより声明演出の

機会を重ねられております。六大の皆さん、そして共演される御諏訪太鼓山本麻琴さんと

同じステージで、私たち真言宗智山派の青年僧も声明をお唱えさせていただきます。

 

9月14日(土) 19時~20時 

場所 諏訪市博物館エントランスホール

主催 諏訪市博物館

出演 高野山真言宗『六大』-ろくだい

    真言宗智山派『谷響』‐こっきょう

    御諏訪太鼓太鼓打師 山本麻琴氏

いくつかの流派をもつ真言声明。

その唱え方、節博士の違いは聴いて明らかな部分が多くございます。

南山進流として伝わる高野山の声明、そして京都東山に総本山を構える

真言宗智山派の声明。

この違いを荘厳な響きのなかに感じ取りいただけると思います。

高野山真言宗、真言宗智山派それぞれの声明、御諏訪太鼓の共演の一会に

ぜひ足をお運び下さいませ。

                         合掌

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雨男

8月20日(火・友引)、天気曇り。

こどもの夏休み、ゆっくりと時間をとって遊びに連れていってあげられなかったので、

最終日となったこの日朝早く、白馬にある遊具付キャンプ場でのBBQに出発。

(スマホで天気確認:午前10時頃まで傘マーク有り)

 

午前9時頃、白馬到着と同時に雨が降り出しました。

炭に火がまわりBBQの準備が整った頃には大雨になり、遠くでは雷が聞こえ、

こどもは屋根下から一歩も出られず、誰が雨男で誰が雨女かと言い出し・・・。

 

せっかくの一日、どしゃ降りのなかでのBBQは可哀想だと思いながらも、

これも夏休みの記憶の一頁かと、白馬ひとつ屋根の下雨止むことを待ち望み、

カレーを作り、肉野菜などを焼きくつろぐことにしました。

(スマホで天気確認:えっ!午後5時頃まで傘マーク!?)

 

昼は午後1時を過ぎ、強い雨のまま。

食事を済ませた後は雨が止むことの希望を捨て、外で遊ぶ楽しみを諦めました。

わざわざここまで来たのになあと心のなかでつぶやき、雨に体を濡らしながら

車にBBQ道具を運び撤収。

 

午後2時前、予定より早くキャンプ場を出て、近くの温泉に入り着替えることに。

 

そこで目を疑うことが――

 

これで一日終わりかなと残念に思いながら、風呂で雨に濡れた体を洗い流し、

その後露天風呂に出ると、いままでの雨がすっかりと止んでいたのです。

空が明るくなってきている・・・天気とは天の気分か・・・。

 

順番は違いますが、

風呂を出て綺麗さっぱり着替えた後からキャンプ場に戻り遊ぶことにしました。

午後3時を過ぎ、やっと外に出られたこども達は水を得た魚の如く走り回り、

汗をかき、服を汚して遊ぶ様を見て、明らかに順番違うよなと思いながらも、

こどもはそんなこと気にしてないだろうと納得することにしました。

 

 

先々の楽しみ、行事やイベントがあると人は天気予報に一喜一憂。

しかしながら天気はその日になってみないとわからないもの。

その日のうちにも急に様子を変えるもの。

大いなる天の気まぐれ。

森羅万象は人に都合よく働いてくれるものではないのです。

上映中の映画『天気の子』のように、個人が意のままに日々の天候を操れたら、

きっと世界は欲求や生活バランスを大きく崩し、大変な事態が起こりますね。

 

不如意と知りながら、人は天に一喜一憂するのでしょう。

それはまだ「元気の子」な証拠。

             雨男合掌

お盆を迎え

早朝、辰野町の童謡公園に足を運びました。

池の蓮が綺麗に咲いています。

腰を下ろしてじっとこの一点を見つめていると、

浄土の世界を感じることができます。

 

今年もお盆がやってまいりました。

ご先祖様、亡き人を偲ぶひとときを大切にしてください。

お盆の始まりを思い、気持ち良く晴れた日の朝、まだ涼しいうちに出掛け、

蓮の花に有縁無縁のへだてなく供養を心を向けました。

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盆に向けての支度と心得

ご家庭にてお盆の準備がすすめらていると思います。

盆前にあわてることなく、今から少しずつ家内、お墓などを清め整えていただき、

安心してご先祖さまをお迎え下さい。

盆の準備にお迷いの方は次を参考までにご覧ください。

 

ご自宅での迎え盆とご供養

◆精霊棚
 お盆の飾り付けには精霊棚と盆提灯などがあります。

 ※丁寧にはお仏壇から位牌を取り出し、お仏壇前に改めて精霊棚を設けて飾りつけ、

  そこに位牌をおいて供養する形、地域によりしきたりがあります。

  しかし「絶対のカタチ」ではございません。 多少負担ともなりますので、

  常日頃の通りにお仏壇にて礼拝し供養差し上げることでも充分なのです。

 

◆盆供
 お盆のお供え物、供物のことを「盆供」と言います。

 お盆に行う供養のことも同じく盆供と呼びます。

 

◆迎え火と送り火
 お盆の入り(8月13日 ※異なる地域有り)には、

「ご先祖様が迷わずに帰って来られるように」という気持ちをもって、

玄関前を照らすよう迎え火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでおいでなしておいでなして♪

 お盆明け(8月16日 ※異なる地域有り)には、

ご先祖様を丁寧に送り出すために玄関前で送り火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでお帰りなしてお帰りなして♪

(諏訪地方は白樺の皮を焚いているご家庭が多いです。)

 

◆飾りつけとお供えもの

◎精霊棚

 お盆に用いられる祭壇 

(前述のとおり、お仏壇を丁寧に整えていただければ充分ですよ。)

◎盆花

●精霊棚の網に逆さに吊るす花  代表的なもの:ほおずき

(花瓶で綺麗な仏花を供えることで充分ですよ) 

●禊萩(みそはぎ)の葉を束ねてお供えする 代表的な盆花のひとつです。

  盆供、飾りの清めに使われていたことから、ミソギハギとも呼ばれていた。

  実際に萩に綺麗な水をつけて祭壇、仏壇、盆供のお清めに使っております。

  ※丁寧には、蓮の葉に水を注ぎ、ナスやキュウリを細かく刻んだもの

   (精霊および餓鬼への施食)を添え、そこに禊萩を供えます。

   (綺麗な器にお水を注ぎ、そこに萩を供えていただくことでも充分ですよ)

◎馬と牛

 お位牌の前に供えます。

 馬はきゅうりで作ります。早くお家に帰ってきて下さいとの気持ちをもって供えます。

 牛はナスで作ります。ゆっくり過ごして下さいとの気持ちをもって供えます。

 (それぞれの足は割り箸を用いていただけたら充分ですよ)

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◎盆提灯

 お盆のみに飾られます。※新盆は白提灯が主です。

 ご先祖様を迷わす迎えるための灯りです。

 

毎日暑いなかですので、みなさんがお体を悪くせず元気であることにより、

ご先祖さまに安心していただくことが第一です。

体調、健康に気をつけてお過ごし下さい。

ご心配なことなどお有りでしたら、遠慮なくお寺にご相談下さい。

                                 合掌

希望の樹~寺子屋にて~

地域のこども達が夏休みに入り、今年も寺子屋を開催しました。

昨年までは午後からの半日開催であった内容を朝からの一日開催に改め、

小学生40名、サポーターの中学生2名を迎えました。

 

今年は『令和希望の樹』を制作。

こども達が大樹の周りに好きな色を選んで手形を押し、花開かせ、

葉形の紙にこども達が未来への願いを書き、生まれ年守り本尊の梵字を筆入れし、

それぞれの手形花に葉を添えました。

今年1年生の子たちが6年生になるまで客殿の大広間に飾ります。

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仏教は、生きていく為の拠り所となる教えだと私は考えます。

こどもの頃からその教えに触れることが心健やかな成長を助け、

導いてくれるものなのだと信じ、毎回の寺子屋において、

ほんの少しずつですが仏教のお話をします。

 

多くのお子様をお寺にお預かりし、寺子屋を営む者として、

こども達の希望を集めた樹をお寺に飾ることで、自分も一緒に成長させてもらおうと

励みとし、同じくお寺を訪れる方々の励みともなれば幸いです。

                                  合掌

夏のはじまりに

7月の東京盆、毎年お手伝いさせてもらっているお寺の棚経。

毎年この時期の東京は蒸し暑く、汗をかきながらのお勤めとなるのですが、

今年は陽射しが少なくとても涼しかった印象。

この夏は冷夏予想であり、ここ諏訪も夏らしさには遠い毎日ですね。

 

とはいえ、7月海の日には諏訪の風物詩、湖上花火が数千発打ち上げられ、

地元民、観光で訪れた方々にこれから夏本番を迎えることを知らせてくれました。

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さて、今年もお盆がやってまいります。

これからお盆に向け準備を進めていき、まずは墓地の草刈りを行いました。

辺りでは同じようにお墓の草刈り、手入れに訪れる方をお見かけします。

綺麗に整えられたお墓がある一方で、草が石塔を隠すほどにまで伸び茂り、

しばらく人の来訪を感じ取ることの出来ないお墓もあります。

お寂しいことですが、致し方ない事情も含まれるのが現状です。

 

そういえば、どこかのふるさと納税の返礼で、お墓の清掃サービスがありましたね。

これには今の時代背景を知るものとして、不思議と納得させられたものです。

 

地元の者として思うのは、これからの田舎墓地は合葬のみを選択手段とするのではなく、

有縁無縁のへだてなく時に手を差し伸べ、手をつなぐ慈悲と支え合い精神が、

将来のこども達と健康なふるさとを守ることにもつながるということです。

実際、そのようになることは簡単に望めるものではありません。

それが叶うよう、日頃から地域互いに「頼る・助ける」とか「世話になる」とか、

互助解決のきっかけになることを重んじておく必要があります。

 

これより梅雨が明ければ、きっと諏訪地方にも夏の暑さがやってきます。

お墓の手入れなどは、今頃の涼しい日、時間を選んで行うとよいでしょう。

出来ることなら家族連れで行い、墓地で顔合わせする人とは挨拶を交わし、

安心してお盆を迎える感覚を得たいものです。

 

打ち上げ花火は、その昔、ご先祖さまの供養、「鎮魂」の為に行ったのが始まりです。

この地域においても今もなお、その意味、その心を失ってはおりません。

お盆に墓を参り、心静かに御霊に向き合うという「つなぎ」の勤めにより、

夜空に見上げる花火は、儚くもひと際美しく心に響くものとなるでしょう。

また、美しい花火に、遠い地に眠る先祖を偲ぶことが出来ます。

 

有縁無縁のへだてなく合掌を—。

葬送を考える

賑やかで期待に満ちていた令和時代の幕開け。

ここにきてそのムードも落ち着きつつあります。

早いもので今年も半年が過ぎました。

 

このたび、本宗各寺院が集い、葬送について学ぶ機会がもたれました。

枕経、通夜、葬儀について講師の御住職様よりお話をお聴きし、

さらに納棺の作法と意味を御住職様の実演によって学びました。

情報と意見交換を含め、通して「心得」を教わることが出来たように思います。

 

さて、昨今の葬送の在り方については、常々話題になり考える機会があります。

世の中の葬儀形式やニーズ、受け入れの間口が急速に変化しているからです。

これから先、もっと広い視野より情報を集めて学び、地域にも照らし考えを深め、

見極めていかなくてはならないと感じています。

 

ひと言でいうと葬儀には地域差があります。

寺院そのものの意義も地域により異なるのかもしれません。

地域や世代間の課題を考える点において寺院の責任は小さくはありません。

葬儀には、世間の意識や基準があり、葬儀社の立場があり、

寺の歴史的立場があり、多くの価値観が混在しております。

そして、現代は多様化に伴う「取捨選択」の時代であり、

葬儀の意義そのものがその対象となっており、

葬儀の在り方が縮小化されていることは否めません。

 

講師の御住職様が、誰のための葬送作法なのかということを強く仰っておりました。

一番は亡き人、次には遺族親族であることです。

深い悲しみにある遺族が支え合い、故人と遺族のご縁の方々にも支えられながら、

なんとか故人とのお別れをしなくてはなりません。

故人の御旅立ちを見送ったあとから迫る寂しさのなかに、

『これで良かったのだ』

と、『安心』を与えることができるのは僧侶の大切な務めです。

 

そのために、いまいちどその意義を遺族の心に灯すため、

「柔軟に伝えていく手法」の必要性を感じております。

葬儀に関わる方、それぞれのお立場をわきまえつつ実践していき、

ひとりでも多くの方に『安心』してもらえるように尽くさなくてはいけません。

このたびの講習会はその点において大変勉強になり、

あらためて考える機会をいただきました。

 

寺院、僧侶に対する厳しい意見は多く、それを真摯に受け止めつつ、

何が欠けているのかを見直していくことは必然的な作業であることのひとつ。

同時に、寺院、僧侶だからこそ出来きることや求められていることを知ることも

大いに必要であり前向きな作業となります。

                          合掌

言葉の力~いただきます~

京都本山での修行時代、日々食前に作法としてお唱えした偈文。

『五観の偈』

一には  功の多少を計り 彼の来処を量るべし

二つには 己が徳行の全か欠か 多か減かを忖れ

三つには 心を防ぎ過を表すは 三毒には過ぎず

四つには 正しく良薬を事とし 形苦を救わんことを取れ

五つには 道業を成ぜんが為なり 世報は意に非ず

 

今月のホームページ「言葉の力」では、その一(はじめ)に唱える偈文を

お伝えしています。

 

『功の多少を計り 彼の来処を量るべし』

日々の食事は、それを美味しく作ってくれる人がいる。

材料ひとつにまで思いを馳せば、まず私たちを生かしてくれる自然の恵みが有り、

それらがどれほど多くの人の手にかかってここに食事として届いたのか、

想像を巡らせることができます。

 

「いただきます」という言葉には、二つの気持ちの柱があります。

ひとつは私たちが食事としていただく尊い「生命」に対するもの。

もうひとつは食事を作る人、食材を作る人、運びつなぐ人など、

それぞれに込められた「想い」に対するもの。

ここに寄せる気持ちがいただきますという言葉、合掌の姿勢に通じます。

 

気持ちが先か、姿勢が先か、というとその答えはわかりませんが、

私は姿勢をつくることから教わりました。

まずは姿勢をつくることから、想像力や思いやる心を養っていくものと

いまは考えています。

食事を正しくいただくことは、「心の栄養」ともなっていくのでしょう。

 

先日、新潟佐渡まで過疎課題に向き合う研修機会として行ってきました。

道を歩いていると、自転車ですれ違う地元の小学生から、

大きな声で、「こんにちはー!」と挨拶をいただきました。

船に乗ると、居合わしたこども達から同じように挨拶されました。

それは自発的なものであり、こども達に自然と身についている姿勢と感じたのです。

とても嬉しかったし、正直、驚きました。

地元の大人が、関心をもってこども達に接する様子が目に浮かびます。

 

こどもに挨拶の大切さを伝えたければ、挨拶を日常的に実践している

大人の存在が必要です。

合掌の姿勢を伝えたければ、同じく手を合わせることが身についている

大人の存在が必要です。

大人の姿を見て、こども達は良きも悪しきも吸収していきます。

 

先に健やかな気持ちをつくること、育てることは難しいですが、

健やかな姿勢が身についていくことで、その先に徐々に心が潤っていくものと思います。

家庭では、日頃から『いただきます』の声の響きを大切にしたいものです。

                              合掌

 

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『五観の偈』 意味

一には  功の多少を計り 彼の来処を量るべし

 食事に含まれた恵み、多くの想いと労が加わり届いていることを思いましょう。

二つには 己が徳行の全か欠か 多か減かを忖れ

 食事をいただく前に、自分の行いを振り返り反省するゆとりを持ちましょう。

三つには 心を防ぎ過を表すは 三毒には過ぎず

 食事は心を整えて、好き嫌いや不満を離れる努力をしましょう。

四つには 正しく良薬を事とし 形苦を救わんことを取れ

 食事は命の糧。 自身の健やかな体と心を保つものと考えましょう。

五つには 道業を成ぜんが為なり 世報は意に非ず

 食事で得た力で仏道を歩み、よく働き、自他の身心向上に生かしましょう。

この先に

今年度一回目となる寺の所有地一斉草刈りの日、現地視察に行くと、

なんと、一帯の草すべてが刈り終えていました。

毎度人手と時間を要するその作業を、いつ、どなたがして下さったのか?

 

周辺でお尋ねしたところ、すぐにお答えをいただけました。

近所にお住まいの方が、なんとお一人で連日朝早くに刈って下さっていたようです。

このことには大変驚き、恐縮いたしております。

本当にありがとうございました。

 

毎年、夏秋3回、総代様、有志のお檀家さまのお力添えのもと一斉作業を行います。

広い複数の管理地での作業は重労働ながら生産性はなく、

みなさんに重なる苦労を感じております。

それにもかかわらず、毎回総代みなさんがまとまり時間を割いて下さり、

渾身的なご奉仕をいただけていることは誠に有り難いことです。

 

一方で、この先の不安も感じております。

以前はこれらの土地を借り、田畑として耕作をしてくださった方々がいました。

地域内の高齢化が進むなかで、そのような方は居られなくなり、

利用のない土地を多く抱えているのが現状です。

そこはしばらく有効な活用がなく草だけが延々伸び続け、荒地にならないよう

定期的に人の手によって整備、浄化作業のみを続けているのです。

 

地域全体としても同じことがいえます。

高齢化、人口減、若年層の流出が顕著に進み、空き家、空き地が増えていく状況。

こどもが通う校舎は生徒が減り、空き教室が多く存在したまま老朽が進んでいく。

地方寺院に関していうなら「墓じまい」や「お墓のおはか」という話題にわかるように、

檀家が家墓の継承を断ち、石塔の処理による聖地返還の事例が少しずつ増えはじめ、

ここにも空き地化が進んでいくのです。

 

これからもなお進むであろう地域の人口減は様々なところに空虚を生み、

そのうえで労力と負担は増していくため、この先々はより支え合い、

「つくしあいの心」が必要になるのではないでしょうか。

 

仏教の説く諸行無常。

ものごとに実体はなく、すべてのものごとは移り変わってゆくという教え。

唯一変わらないのは、仏法という『本質』だとしています。

本質を観る鍵なるものは、「人の心」だそうです。

 

「すべてのことは心から始まる」

自身、ものごとの上っ面ばかりを見ているような気がしています。

未熟なリにもまわりの人達からの大切なご意見、助言をいただきながら、

お寺を柔軟に活かして開けるような努めをしたいと考えています。

                                  合掌

クローバー

辺りではたくさんの花が彩鮮やかにして咲き誇り、木々の若葉が青々と茂り、

自然の息吹を力強く感じる季節を迎えております。

 

先日、こどもに四葉のクローバーを探してほしいと頼まれ、

境内のたくさん生えている場所に向かい一緒になって探しました。

しばらく探してみましたが、なかなか見つからないものですね。

父の力、まったく及ばず、早々にあきらめました・・・。

しかしこどもは翌日もあきらめることなく探し、やっと見つけて喜んでいました。

 

こどもの純粋な探求心は根気につながり、あきらめない心を養ってもくれている。

そんなことを大人目線で思ったりもしましたが、一方で境内のその場所に何気なく

再度足を運び感じたことがあります。

 

『四葉のクローバーを探すために多くの三つ葉が踏まれている』

 

話が逸れますが、5月30日、当山で宗派の布教師による講演会が開かれます。

講師は青少年育成を理念として長きにわたり尽力する数々の活動が評価され、

正力松太郎賞を受賞されております。

 

その先生の言葉に、はっとさせられるものがございます。

学校では、「人に迷惑をかけてはいけない」と道徳で教えてくれる。

仏教では、「自分が迷惑をかけて生きていることを自覚しなさい」と教わる。

 

やはり仏教は寛容であり、自分は如何にして生きているのかを突き詰めて

いくものなのだなと、この言葉に感じるのです。

 

人が社会を生きるには、人に迷惑をかけないようにと心掛けなくてなならない。

その前に、人は多くの人に世話になり、姿かたちに表れないものも含めて

多くの迷惑をかけないと生きていけないという事実があります。

人の生老病死はそれを避けて通れないのです。

 

日頃お檀家さまとお唱えするお経『智山勤行式』も、経本をめくり最初に読むのは

『懺悔の文(さんげのもん)』です。

私が行ってきた数々の悪業は

すべて 人のもつ三毒(貪瞋痴)による身体・言葉・心より生じています

一切をいま反省いたします

このように自己の反省を行った後から仏さまの教えを読み進めていくのです。

 

人が操作して創った価値に魅せられたり、あるいはそれに惑わされたりすることで、

本来の価値が粗末に扱われてしまうこと、それは私たちの日常に多々あることです。

 

こども達は純粋に価値を探し求め、その行動だけで心も体も成長していく。

大人はそんなこどもの傍で何かに気づかされ、わが身を振り返る脚下照顧の機会となる。

これから先も、「喜びと反省」は葉の表裏のように有り続けていくのだと知るのです。

                                      合掌

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5月30日(木) 記念講演会についてはこちら

http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20190430post-292.html

 

5月18日、境内はクマガイソウ、つつじが綺麗に咲いています

クマガイソウ

ツツジ2

花からのメッセージ

新しい時代、令和を迎えました。

令和

beautiful harmony 美しい調和 

素敵な響きですよね。

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昭和の時代は64年と大変長く、続く平成の時代も31年の時を経ました。

私は昭和51年の生まれ。

生まれてから十数年の昭和の記憶に比べると、

30年過ごした平成の時代は深く記憶に残っております。

 

夢中になり打ち込むことのある毎日のなかに悩みもあった思春期。

ひたすらに仲間と楽しみや刺激を追い求めた学生時代。

僧侶の道を進むことを決意してから得た多くの経験と変化。

一成人、一社会人として関わらせていただいた方々から授かった学びとご縁。

言葉で表し切れないほど迷い、葛藤し、そして芽生えや感動があった平成の記憶。

あらためて「感謝」しなくてはならないことばかりであります。

 

令和はどのような日々を重ねていけるのでしょうか。

世の中はどのように変わっていくのでしょうか。

やがて平成の記憶が色褪せていくなかにおいても、多くの人が時代の節目に

抱いた祈りや期待を、自身の心と行動に留めていけると素晴らしいと思います。

 

あきらめることなく失望することなく「希望」が生まれることを信じ、

この時代に精進を重ね、そしてなお楽しみを追って過ごしたいと願うのです。

争いをせず、争いの種を広げず、慈しみ分かち合いを重んじていけますように。

 

心に素敵な時代として刻まれる令和と成ることを祈念致します。

                                 合掌

 

   ―花からのメッセージ―

遠くの山上にポツンと寂しく一本の桜が咲いている

誰も近づくことのないその場所で―

誰の為に咲くのでも 誰に喜ばれるから咲くのでもない

花は自分の時が来て精一杯に咲く 

人にも「自分の時」があるだろう 

 

吉兆

4月28日のお昼頃お参りくださったお檀家様から

いただいた一枚の写真です。

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ふだん目にする虹とは違う。なんでしょうかこの空の現象は。

恵みを感じる素敵な風景写真です。

枝垂れ桜の下には何かが置かれています。

なんでしょうか。

 

 

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花御堂です。

誕生仏が祀られています。

 

この日の午後、お寺ではGW親子てらこやが開かれました。

腕輪念珠づくりや真言密教の瞑想(月輪観)体験など。

親子一緒に過ごす寺子屋のなかで満開のお花見を楽しみ、

お釈迦さまへの甘茶がけ作法をしました。

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お母さん方の親睦の時間。

親子でとりくむ共同作業の時間。

生活に活きていくお釈迦さまの教えを伝える時間。

そんな時間を楽しく過ごさせていただきました。

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同じ日にこんな空の様子があったんですね。

私は気づきませんでしたが。

長い連休に多くのこども達、多くのご家族に幸せな時間が訪れることを

期待させるものであります。

                      合掌

 

石彫りの業者様からいただいた写真です。

作業中墓石に映り込んだ色に気付き、空を見上げて収めたそうです。

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桜の開花ー琴と野点ー

4月22日、境内の枝垂れ桜が開花し見頃を迎えました。

この日は朝から暖かな陽気となり、午前境内では枝垂れ桜の下で

琴が演奏され、お抹茶と季節の茶菓子が振る舞われました。

枝垂れ桜のもとでというより、澄み切った青空のもとでと表現した方が

よいくらいの春の快晴に恵まれ、季節に趣ある野点となりました。

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22日はまだ五分咲に満たないほどであります。

今後一週間が見頃となり、5月始めまで満開の枝垂れ桜が楽しめると思います。

 

25日(木)には10時から金剛界大日如来・不動明王の造顕と

本尊阿弥陀如来の光背、台座ならびに両祖大師修復満了にともなう

開眼法要を迎えます。

当山に刻まれる「新たな歴史の始点」と捉えてよいと思います。

光明を放つ有り難い仏さまと満開の桜がみなさんをお迎え致します。

ぜひお参りにお越しいただき、ともにお祈り下さい。

                           合掌

幻想美

このたび4月14日夜に本堂で行われる御諏訪太鼓と仏教音楽声明の

共演に向け、境内の特別ライトアップを致しました。

毎日見ている伽藍にお化粧をして幻想的な美を創造しました。

本堂は青龍山真福寺の山号にちなんで龍をイメージしております。

隣の観音堂は聖観音の慈悲深さを明るく温かな黄色に表現しております。

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暖冬であったことから桜の開花は早いものと予想しておりましたが、

4月になると思うほど気温があがらないばかりか、寒が戻り雪まで降るお天気。

コンサート当日のライトアップでもっとも見応えを期待していた境内の枝垂れ桜は、

残念ながら開花が遠く、あきらめることとなりました。

 

22日午前10時からは琴の演奏と花見を楽しみながらのお茶会、

28日午後のGW親子てらこやにおいても花見を致しますが、

この頃には満開の桜が楽しめると思います。

                          合掌

相互合掌の心

この春、息子が卒園を迎えました。

3年間同じ担任先生にお世話になることが出来ました。

こどもの迎えの時間、先生が私たちに伝えて下さる一日の様子やご指摘、

そして時折いただけるアドバイスに私たちも励まされました。

 

こどもの心のなかは計り知れないところがあります。

何処で成長のきっかけを得ているかは、大人にはすべて掴みきれないものです。

長い時間を保育園で過ごし、親の知らないところで先生方から育てていただいた部分、

その恩恵がたくさんあったのだと思います。

先生、ありがとうございました。

 

 

さて、テレビをつけると、いま学校で起きている問題が多く取り上げられています。

その中には、教師と生徒間に起きる問題も少なくありません。

なんとなく息苦しさが伝わる教育現場、そして社会構図。

何故でしょう。

いつも何故なんだと考えさせられます。

 

家庭でこどもにとって親が健康であることが大切なように、

学校でのこども達の成長には、先生方の心と体の健康が

極めて重要なことなのです。

 

希望のもてる未来でありたい。

家庭のなかにそのヒントがある気がしております。

大人が感謝を伝えているか。

大人が目標に向けて過ごせているか。

大人に反省の姿があるか。

親として大切なことではないでしょうか。

 

こどもは幼い頃から親をよく見ており、親をよく知っています。

大人は不都合をこどものせいにせず、学校のせいにせず、

家庭でこどもと話し合う機会を失わずに、こどもと一緒に成長するのだという

謙虚で前向きな姿勢でいたいものです。

 

新たな時代には多くの人が希望を抱いています。

「ありがとう」と「ごめんね」に気付き、伝える価値をいまいちど膨らまそう。

『相互合掌の心』から活力を育もう。

 

多くの人にとって、良き春の到来、新たなスタートとなることをご祈念申し上げます。

                                   合掌

お知らせ

親御さんとも交流し、情報交換できる場がほしいと考え、

GW4月28日に『親子てらこや』を開催します。

FAXでお申し込み下さい。

0266-24-2887

(詳細はこちら)

http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20190309gw.html

諏訪の昇陽

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3月の諏訪。

とても空気の澄んだ朝です。

昇陽が美しいですね。

2月、インドのガンジス川から拝んだ日の出はとても感動しました。

 

あたりまえのことなんですが、不思議だなあと思うことがあります。

同じ太陽を見てるってことです。

角度、見方、環境が変われば、心変われば、違って見えるものです。

 

夜書いた手紙を朝読んでみて、書き直した経験ってありませんか。

 

自分の意見と違う人と接してみるといい。

その理由は、自分の欠点や見えてなかった部分に気づかせてもらえるからです。

 

習慣が変わるといい。

凝り固まった心に動きが生まれるからです。

 

人は同じところに留まらないほうがいいのかもしれません。

 

さて、もうすぐ暖かな春ですね。

お寺の行事が始まります。

毎月の写経会、念珠の会、御詠歌の会、朝まいり会、寺カフェ。

 

この他にも行事がございますので是非お越し下さい。

4月14日(日)御諏訪太鼓と声明のコラボコンサート。

http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20190130post-279.html

4月22日(月)琴と野点~お花見茶会~

http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20190316post-285.html

4月28日(日)GW親子てらこや。

http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20190309gw.html

 

お寺の行事はどなたもご参加いただけますので、

お気軽にお越し下さいませ。

 

美しい自然に囲まれた諏訪は、ノープランでお出掛けしても

私たちを楽しませ、癒し、恵みを感じさせてくれます。

ふらっとお出掛けして、春と希望を見つけましょう。

                           合掌

インド仏跡巡拝

このたびインドを旅してまいりました。

バラナシから始まり、聖なる川と呼ばれるガンジス川にて沐浴礼拝を体験。

ガンジス川から望む日の出がなんとも美しく、感動。

感謝を込めて手を合わすことができ、良い旅の始まりとなりました。

ガンジス川

 

 

ーーーーお釈迦さまの聖地ーーーー

 

【ルンビニ ー御生誕の地】

お釈迦さまがお生まれになった場所にて

※現在のネパール

お釈迦さまがお生まれになった聖地として、

ルンビニー園は1997年に世界遺産に登録される。

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『天上天下唯我独尊』

人として生まれた尊い命 たったひとつしかない尊い命

 

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アショーカ王は即位20年の節目にこの地を訪れ、お釈迦さま御生誕の地である

ルンビニー村の税金を8分の1に減税した。

 

 

【ブッダガヤ ー成道の地】

お釈迦さまがお悟りになった場所にて

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大塔

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菩提樹  お釈迦さまが瞑想しお悟りになったとされる場所

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金剛宝座

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菩提樹を前にして勤行

 

 

【サールナート ー初転法輪の地】

お悟りになったお釈迦さまが初めて説法を行った場所にて

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僧院跡

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ダメークストゥーパ  

ストゥーパ:お釈迦さま入滅後、真身舎利が祀られた。

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釈迦転法輪像

 

 

 

【ラージギル -説法の地】

お釈迦さまが多くの説法を重ねた場所にて

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霊鷲山  お釈迦さまが法華経を説いたとされる山にて勤行

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霊鷲山から望む夕日 

 

 

【バイシャリ】

お釈迦さまが何度も訪れ好んだ場所であり、最後の旅の出発点でもあります。

バイシャリ王宮はリッチャビ族が治めていた初の共和の国ともされる。

アショーカ王柱が綺麗に1本残る。

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レリックストゥーパ発掘跡  

リッチャビ族が持ち帰ったお釈迦さまの舎利が収められていた

現在は屋根が設けられている

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お釈迦さまも最後の旅にこちらを発つ際には名残を惜しんだといいます。

立ち止まり、後ろを振り返りこの街を眺めて言ったそうです。 

『バイシャリは美しい。 これが最後の眺めになるだろう。』

この頃には自身の死が近いことを悟っていたようです。

 

 

 

【クシナガラ -涅槃の地】

お釈迦さまが入滅された場所にて

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沙羅の樹  お釈迦さまはこの樹の下で涅槃に入られた(80歳)

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釈迦涅槃像

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大涅槃堂と沙羅双樹

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荼毘塚

お釈迦さまを荼毘に付した場所

 

 

 

ーーーー旅の風景ーーーー

ガンジス川沐浴と火葬の風景

ガンジス河風景

 沐浴風景

ガンジス河火葬

3~4時間かけて灰になるまで火葬され、聖なる川とされるガンジス川に流されます。

 

正覚山

遠くに見えるのが、お釈迦さまが苦行を積んだとされる山

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印度山日本寺

現在は真言宗智山派の青年僧(飯田市)が常在して日本寺を守り、

御本尊様に仕え、日々参拝客を迎えております。

この機会に表敬訪問を致し、朝勤行、瞑想に参加させていただきました。

日本寺付属の菩提樹学園に通うこども達には、日本寺僧侶を通じて希望を聞き、

クレヨン105箱と自動鉛筆削り2台をお届けさせていただきました。

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こども達がクレヨンで描いた絵

 

 

ニームの木

路上では殺菌、薬用効果のあるニームの木が売られています。

インド人はこれを歯ブラシとして使うそうです。

実際に朝のガンジス川では、この木で歯を磨くインド人を見かけました。

噛んでみると、なるほど苦い。

ニーム

ニームの木

 

 

チャイ

本場のチャイはとても美味しい。

ほぼ毎日飲みました。

チャイ

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キャパオーバー・・・。

すべては自己責任なのでしょうか。

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賑わう街にも静かな村にも牛は随所に見られ、聖なる動物として大切にされています。

気を抜いて歩くと糞を踏みます・・・。

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バスの横を通る像!!

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広大な土地で作られた野菜や果物が街の至る所に並ぶ

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旅の始まりとなったバラナシの朝

信号はなく、クラクションが絶え間なく鳴り響く街の喧騒

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ストゥーパでの発掘調査

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すべてのことは留まることなく移りゆき 過ぎ去っていく

  弟子たちよ 自身で行く道を照らし 心に私の教えを照らし

      怠ることなく過ごしなさい 

 これがお釈迦さま最期の言葉として伝えられております。

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インドの街、現地の人々の生活を見て、考えさせられることが多々ありました。

独特の匂い、濁った水と空気、乏しい明かり、日本とはかけ離れた生活の姿。

欲にひたすら素直であり、日本人の建前といったものはないように感じます。

広大な国のなかに生と死、激しさと祈りがリアルに在り、

それでいて懐深く、とてもゆっくりと時間の流れがあるようなのです。

 

お釈迦さまの聖地を訪れて風光に触れ、さらにインド人の生活の一部を知り、

とても有意義な体験を得る旅となったことに感謝します。

                           合掌

布教

本堂での御諏訪太鼓と声明のコラボコンサートが企画されております。

諏訪大社太々神楽を伝承する御諏訪太鼓の伝統は、

諏訪の人々にとってひとつのブランドといってもよいでしょう。

私たち僧侶も、仏教音楽である美しい智山声明をお唱えして、

皆様の心に響き悦んでもらえるような荘厳な舞台を目指します。

 

平成の時代は生活様式が大きく変化し、新しい価値が次々と生まれてきました。

多様化する社会環境のなかで仏教寺院、僧侶の在り方には問題提起がなされ、

少なからず危機感をもつようになりました。

古より大切に受け継がれてきた仏教は、幕開ける新時代のなかで

どのように展開し存在を示していくのか。

そもそも必要とされているのだろうか。

 

この企画は大切な「布教」の機会とも考えております。

先の時代を担う青年僧として布教活動は欠かせぬものとなり、

やりがいを持つべき責務として素直に捉えております。

散華にはすべて手書きの布教メッセージを添えます。

自分なりに出来ることをひとつずつ、一歩一歩。

                        合掌

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コンサートは4月14日(日)。

詳しくはこちらをご覧ください。

勇猛精進

今月の言葉の力を「勇猛精進」としました。

新年の始まり、また新しい時代へ移りゆく年でもあり、

一年の安寧を願うばかりでなく、自らの志を一層堅固なものとして

日々を重ねたいという思いから、精進という言葉が相応しいと考えます。

目標、目的を確かなものとして、自分を見失わずに一日を大切に重ねてゆく

姿勢が求められます。

 

さて、亥年といえば猪に因んで「猪突猛進」という言葉が浮かびます。

その突進する姿から、目的に向かって迷わず事を前進させる印象がある反面、

愚直にまっすぐ突き進むという少々危ういイメージから、

冷静な間(ま)を心がけよ、とも教えられています。

 

この機会に『変化』を求めている人も多いでしょう。

変化とは、「浄化」の後にやってくるもののようです。

浄化作業とは人により様々でありますが、

そのひとつとして、今までのすべてを抱え込むことなく無駄を捨てる作業があります。

生まれたスペースに新しい考えや習慣を招き入れることで変化が起きるのです。

 

さあ、何を招き入れるのか。

 

お寺の将来にも、癒しと両輪となって気づきの作業が得られるような

取り組みや居場所が求められている気がしております。

 

自らの行動を「考動」とする意識を働かせながら、

精進を重ねていける年にしたいと考えます。

                      合掌

迎春 己亥

明けましておめでとうございます。

2019年新春を迎えました。

平成時代は四月末をもって三十年間の歴史に幕を閉じ、

五月から新しい時代を迎えます。

日本は来年の東京オリンピック開催を控え、新時代の幕開け早々真価と力量が問われ、

都心に限らず各地が期待に応えるべくおもてなしの価値を高め、

今年はその発信力と国内ムードが相高まり、印象に残る一年となりそうです。

迎春 

さて、今年は亥年。守り本尊は当山の御本尊である阿弥陀如来です。

阿弥陀如来の位は「不退転の位」と言われています。

不退転の決意という言葉の如く、新時代の始めに改めて確かな目標と

希望を抱いて猛進してみたいものです。

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たくさんの笑い、出逢い、まなび、感謝、

皆様にとって悦び多き年となりますこと心中よりご祈念します。

 

檀信徒皆様、つながりをいただいている関係皆様

ならびに当山ホームページをご覧下さっている皆様、

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

                     合掌

 

大晦日 二年参りの様子

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新たな年に向かう人達の希望が鐘の音となり響きました

お寺にサンタクロースがやってきた

クリスマスイブの日、自転車に乗ったサンタクロースがお寺にやってきました。

お寺の境内でクリスマスとは違和感がありますけども。

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2009年から8年間かけて自転車に乗り世界一周を果たした

小口良平さん(諏訪圏出身)を中心とした12人のサンタクロース達です。

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この様子はLCV-NEWS+アイ にて

(17:00 18:00 19:00 23:00 25:00)

 

妻の実家である大阪のご両親からのプレゼントを届けて下さり、

こども達は大喜びで興奮してました。

 

このまちに育つこども達の喜ぶ顔が見たくて、夢を届けたくて、

地道に心通わす活動をしてくださっている方々がいることを嬉しく思います。

そして純粋なこども達の心が健やかに成長し、夢が膨らむことを願います。

小口さんはじめとするサンタ役皆様、温かいお気持ちをありがとうございました。

 

さて、クリスマスが終わると年末年始はお寺や神社にお参り。

拠り所とする対象がコロコロ変わる日本人って不思議。

でも、それによって人の心が健康に養われ、生きる力が得られるのなら、

その不思議さや曖昧さもまたいいと思うのです。

 

少々早い挨拶となりますが、

檀信徒皆様、つながりを頂いている関係皆様、

ホームページをご覧下さっている皆様、

本年も有難うございました。

良い年をお迎えください。

 

大晦日は二年まいりにお寺で会いましょう。

                  合掌

大晦日二年参り お待ちしております

今年も残すところ十日ほどとなり、年越しの準備に入っていきます。

年賀状はできるだけ早めに済ませます。

これから大掃除ですが、毎年入念に取り組みます。

 

年末大掃除は、自分の過ごした場所に居られる神々や仏様への

一年無事の御礼でもあります。

今年も大掃除に取り組める満足な体があることをまず実感するのです。

そして、大掃除をすることで一年間の心の垢も落ちていくことでしょう。

 

大掃除、年越しの準備が済むと大晦日には二年参りですね。

「去る年に感謝と反省 来る年に希望と発心」

 

お寺では美味しい厄除け汁、甘酒、お酒、縁起物をご用意しております。

本堂御本尊へのお参りにお体が冷えませんよう暖めてお迎えいたします。

除夜の鐘は人数制限がありませんのでお誘い合わせて、

道中気をつけてお越し下さい。

 

古札、お墓の傷んだ塔婆、縁起物等のお焚き上げもしておりますので

お持ち寄り下さい。

23時からは本堂におきまして年最後の先祖供養を行います。

お経本をお渡ししますので一緒にお経をあげましょう。

 

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大晦日の除夜の鐘によって皆さんの心が清まり、

志一層堅固なものとして新年の幕が明けますよう祈念しております。

                                合掌

防災 ~灯明の心得~

「真福寺方面で何やら音がして、オレンジ色の光が見えた。」

先日の夜、消防への通報があったという。

「真福寺のあたりで何かあった?」

知人から私の携帯電話にも連絡が入る。

 

直ちに確認し、しばらく周囲の見回りをしましたが異常は見当たらず、

しかし消防車両とパトカーが何台も近所を走り、物騒な様子が続きました。

実際はお寺からだいぶ離れた場所での車両火災だったそうです。

 

さて、時は師走。

火の扱いには気をつけ大事を起こしてはなりません。

お寺はもちろんのこと、ご家庭の台所やストーブなど火の元もそうですが、

お仏壇のろうそくも十分に気をつけるべき点です。

 

『危ないから、ろうそくの火はつけなくてもいいよね。』

 

生活の安全第一を基準とすれば、その通りだと思います。

仏さま、ご先祖さまも家が火事になってはお悲しみになるに違いない。

 

それでも、あえて私からはお灯明について、

ろうそくに火を灯す行為の大切さをお伝えさせて下さい。

ご家庭でも毎日お仏壇のろうそくをつける方はいらっしゃると思います。

お寺では毎朝のお勤めにろうそくを灯します。

 

灯明とは、「お供えの要」のひとつであります。

神仏やご先祖さまへのお供え。

同時にご自身へのお供えとも考えて下さい。

 

帰宅し、生活空間の暗がりに明かりをつけた時の安心感は

誰でも経験あることでしょう。

静寂のなかに灯されるろうそくの火には、

心に沁みるような温もりを感じることができますね。

これらは智慧の光が射し込む功徳です。

 

智慧とは、不安や迷いを除く光明です。

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ろうそくの火を灯すのは、神仏、ご先祖さま、あるいは亡き人に対する

敬意を込めた心づくしなのです。

さらに自らの心の働きに灯される智慧の明かりでもあり、

この明かりが起点となり、行動を起こす「導き」をいただくこともあるのです。

 

危ないからろうそくの火はつけない、とお考えの方も

お大切な日には、手を合わせるひとときだけ灯明を供えてみてはいかがでしょうか。

たわいもない習慣ですが、灯される導きの明かりには、

ふと何かに気づかされることもあるのですよ。

 

そして、

『ろうそくはしっかり消して安心できるところまでが作法であることをお忘れなく!!』

この一連の作法に心を込めて、決して火事は起こさぬよう気をつけましょう。

師走につきお供えの機会も多く、防災また防犯にもご用心下さい。

                                 合掌

お芝居

おかや演劇祭に行き、演劇観賞をしました。

稽古場も時々見学させていただくことがあり、妥協のない姿勢に見入っておりました。

 

初日公演、わくわく、ドキドキした気持ちで開演を待ちました。

定刻、会場内が暗くなり、映画鑑賞とは異なる緊張感。

 

―――――――――――――――

終始、前のめりになって観賞しました。

躍動する役者の魂こもった演技。迫力。

心の揺れ、気持ちの高揚がひしひしと伝わり、とても感動。

 

場内に満ちる拍手喝采。

 

演出者からの前説で、

一緒になって舞台を創り上げるような気持ちで観てほしい、

という言葉をいただき、そのとおり、まさに感情移入し満足できました。

 

本気になって仲間と何かを創りあげることって素晴らしいですね。

25日(日)、岡谷カノラホールで最終公演があります。

是非もう一度観賞したいと思っております。

 

山間の小さな町。

6月の祭りの時期に現れた不思議な少年は、

雨と、切ない思い出と、小さな奇跡を運んできた・・・。

 

「ごめんね、雨ふらせちゃって。」

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心が洗われるような素敵なストーリー、渾身のお芝居を楽しめたこと、

切ない気持ちと感動を持ち帰ることができ、とても嬉しく思います。

 

今日は他の演劇も楽しんでみようと思います。

                               合掌

元気の源

生きていくうえで「口による行い」は重要です。

一つには呼吸 

二つには言葉 

三つには食事 

 

『口は災いのもと』

自分の「発言」に気をつけなさい、とのことだが、

実際には口により招かれる災いはこれに限らない。

たしかに上記のどれを粗末にしても悪因となります。

 

しかし、いずれ悪果を招くからいまの行いを正すという考え方は、

単に未来への恐れであり、ある意味で執着とも言えるでしょう。

 

純粋にいまを楽しみ、いまを良いものにしようという考えのもと、

「いまを生きる力」として行いを捉えることができるはずです。

『口は元気の源』

このくらいの解釈がちょうど良いですね。

 

ー言葉の力ー

言葉には力が宿っています。

言葉は届いた心に響きます。

ひと言が人を勇気づけ救い ひと言が人を傷つけ迷わす。

自分の感情を離れ 相手を思いやる言葉であれば

きっと人を磨くことができます。

 

言葉は人を創ります。

不満の言葉で満たすなら 物事を咀嚼して価値を見出し

前向きで喜びのある言葉を生む方が良い。

多くのお陰に気づくことが きっと人を豊かにします。

 

いつでも心に蘇るあの人の言葉。

言葉には生きる力が宿っています。

 

あらためて・・・

一つには呼吸 ・・・焦らず深呼吸 毎日一度は外の空気を

二つには言葉 ・・・言葉は生きもの 言葉がカタチを生む

三つには食事 ・・・いただくという心 かたよらない心

 

口による行いから元気の源!

               合掌

心の姿

植木職人さんが庭木の剪定をしてくださっています。

毎年、秋の剪定作業を終える頃より一気に冷え込み冬に向かいます。

 

今は境内の木々がもっとも葉を落とす時期。

  

  春に桜を見て、美しいと思った。

   夏の青葉を見て、たくましいと思った。

    秋になり、紅葉の彩りを求めた。

 

しかし、やがて葉が枯れ落ちる頃になると、

掃き掃除をしながら、その葉の多さに億劫になる。

 

綺麗に掃き終えたあとに風が吹き、再び葉が落ちて広がると、

つい溜息が出そうになる。

溜息もその風に吹き消されるのだが。

 

「心はどこへいった?」

 

人間の心とは弱く、その姿は移り変わり易いものだ。

自分に都合よく流れてしまう。

 

ありのままを受け入れることが心の強さであるならば、

私は毎年この時期になり、己の弱さを感じる。

 

おそらくこの心は冬になると、毎朝積雪を恐れ目を覚ますのだろう。

 

『人のこころは勝手に動いてしまう。 

   こころを整える行いをしなさい。』

身近にあるお釈迦さまの言葉が身に染みる。

                                             合掌

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紅葉の様子(11月5日)

日常にある 笑いと焦り

娘に続き、息子も来年は小学生となります。

お世話になっている保育園でも、小学校入学に向けた保護者面談が行われ、

息子の「現在地」について先生とお話する機会がもてました。

常日頃より先生方には感謝。

 

さて、この年頃の子は色々覚えていくようでも、まだ知らないことの方が圧倒的に多く、

会話のなかに生まれる「勘違い」や「知らないこと」が、

家庭の日常に『笑い』をもたらすことがあります。

こどもは笑われたと思い悔しがることもありますが、

大人からしたらなんとも微笑ましいわけでありまして・・・。

 

◇先日、夜の会話 (part1)◇

食後、自身腹痛が生じており

 

私 『イタタ、痛いなー。 タコがあたったかなー・・・。』

息子 『どこに?』

私 『ん? ド、コ、ニ?。』

息子 『誰かが、タコ丸めて投げてきたの?』

 

 

◇先日、夜の会話 (part2)◇

運転中、対向車線にパトカー接近(赤色灯が夜道に光る)

すれ違いの際に

 

私 『ちゃんと座ってなよ~。』

息子 『あー、救急車に捕まらなくてよかったー。』

私 『え?!救急車は人を捕まえるんじゃなくて、助けてくれる車でしょ。』

息子 『あー、そうだった、霊柩車だった。』

私 『いまのパトカーっ!!

(とっさに霊柩車が言葉に出てくるあたり、お寺に育つこどもらしい・・・。)

 

 

 

◇先日、夜の会話 (part3)◇

あっという間に年末が迫るねーって話の流れで

 

私 『今年はサンタさんに何お願いしたいの?』

息子 『ん~・・・、免許証!!』

私 『メ、メンキョショウ!? なんで免許証?』

息子 『だって大人になってから教習所行かなくていいでしょ。』 

私 『・・・・。 (なぜ?)』

※なぜ息子がそんな発想になるのか、思いあたるふしを妻に尋ねてみた。

 

(息子が好きで観てるテレビアニメ 『スポンジ・ボブ』)

妻 『スポンジボブが通っている自動車教習所の先生が厳しくて、

   ボブは運転免許がもらえないらしいよ。』

 

(合点・・・、今年はお寺にサンタさん来ません・・・。)

 

このとおり親子とも未熟であります。

これからも大人とこどもが互いに成長していけるよう努めます。

                                合掌

 

 

幸福について問われ

ベトナム人留学生(21)によって寄稿された

過去の新聞記事を紹介します。

 

私は日本に来るまで、日本は立派で偉大な国だと思っていた。

来日当初も、街の発展ぶりや人々の生活の豊かさを見て、

私の国のベトナムとの差は大きいと感じた。

きっと日本人は自分の国に誇りを持ち、幸せだと感じているのだろうと思っていた。

しかし、来日から10ヵ月が過ぎた今、実はそうではないように感じる。

日本は、世界でも自殺率が高い国のひとつだという。

電車の中では、睡眠不足で疲れた顔をよく見る。

日本人はあまり笑っていないし、いつも何か心配事があるような顔をしている。

日本人は勤勉で、一生懸命働いて今の日本を建設した。

でも、会社や組織への貢献ばかり考え、

自分の成果を自分が享受することを忘れていると思う。

ベトナムはまだ貧乏な国だが、困難でも楽観的に暮らし、めったに自殺を考えない。

経済的豊かさは幸福につながるとは限らない。

日本人は何のために頑張っているのか。

幸福とは何なのか。

日本人自身で答えを探した方がいいと思う。

                       以上 (記事引用

 

異なる文化や価値感を有している一学生による捉え方でありますが、

正直で的を得た思いがここに綴られています。

 

 

幸せですか?と聞かれれば、

私は迷うことなく幸せですと答えます。

紐解けばこの幸せは、私の知らない遠くの他人と身近な家族によってもたらされました。

勤勉で一生懸命働き、朝は睡眠不足、へとへとに疲れて一日を終える、

そんな多くの人々のお陰によって創造された豊かな暮らしのなかにいます。

 

しかし、心穏やかですか?と聞かれると、

少々考えてしまいます。

 

社会はSNSの恩恵を授かり、

日常の生活と職務の遂行両方に欠かせないものとなっています。

ところが私生活に拡がるSNSの内容に関しては時々疑問を感じます。

投稿される写真などには、際立つ華やかさ、豊かさ、話題性、

その特別感ゆえ価値が盛られた内容が膨大に配信されています。

 

幸せであることを確かめるかのように。

他人と自分を比較するその先に幸せの価値判断があるかのように。

 

それは、幸せの在りかに気づけないほどに分厚い雲が覆っているような感覚。

 

 

このたび留学生の記事を読ませていただき、

2,500年も昔の暮らしのなかでお釈迦さまが説いた、

『足るを知る』という言葉が響くのです。

 

『知足の者は(心)富めり 

  少欲を行ずる者は常に足らざること(執着が生む迷い)なし』

                           (『仏遺教経』)

 

・人を信じ、人に頼ってもよいのだという価値。

・人が支え合う「結心(ゆいごころ)」の価値。

・自分を生き、他人を真似る必要はないという価値。

 

そんな価値をいまいちど築きながら、穏やかに暮らせるいま、未来でありたいです。

                                    合掌

 

 

 

 

 

和に還る

境内にはキンモクセイの甘い香りが広がっています。

このたびお寺で観月会が行われました。

秋の七草、月見団子とお抹茶、秋の恵みがお供えされ、

見上げれば月もはっきりと観ることのできた十五夜の空。

観月会

 

客殿の和室では香が焚かれ、琴が響くなか、

お抹茶と美味しい茶菓子をいただきながらくつろぎました。

満月の明かりを静かに眺めながら心安らぐひとときとなりました。

お寺にこのような素敵な設えをしてくださり、美しい琴の音をもてなし、

そして茶道に親しまれ、お心のこもった茶の接待をしてくださった皆様、

誠にありがとうございました。

 

 

日本人にとって「和」に通ずる風習、創作や思考は特別。

多様化した日本の生活は和の環境から遠ざかっている面が大いにありますが、

それでも時折和を求め、和に還り、和の価値に触れ喜ぶことがあるように思います。

日常に「刺激」が必要なように、同じ分だけ「静寂」を求めることがあります。

 

人は潜在的に「洗心」を求めているのではないでしょうか。

雲に隠れる満月のように。

 

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畳を素足に感じる感触、畳に腰を下ろす感触、色や匂い、

そこからもたらされる緊張と安心感の双方を私は大切に感じています。

一方で、お年寄りが増えていくなか利便性、快適性が必須であることも承知しています。

誰も丈夫で居続けられるわけはなく、いずれは人に頼る身体になるのですから。

 

現在は多くが椅子席に様変わりし、若者にも当然のように椅子が整い、

畳の良さに触れる機会から遠ざかっていくことは少々寂しくもあります。

 

お寺では、求める人が還れる、そんな場所を残しておきたいと思います。

                                  合掌

運心

信州人にとって秋の過ごしやすい時期は短い。

 

もうすぐ彼岸を迎えます。

お墓を参り、夏を越したご先祖さまのお墓をいまいちど綺麗に整える方。

遠隔地から亡き人を偲ぶ方。

仕事や休暇の予定に過ごされる方。

色々と都合あろうかと思います。

 

秋分の日、春分の日を彼岸の中日とし、その前後三日間を含め彼岸の期間。

 

そもそも供養とは―。

大切な人を亡くし、悲しみに耐え葬送告別した時の供養と、

その後に向き合う供養はまた違うものです。

後に続く供養とは追善供養。

 

その字にあるように、善行をもって『養う』という意味が強く加わります。

亡き人を偲び、御霊の一層清く安らかなることを願い、

香花供物を供え、気持ちを差し向けることで、

自らをも養う。

家族、こどもをも養う。

ご縁の方々をも養う。

 

これらはすべて功徳であり、功徳を積んでまた明日から人と接する。

これは徳が回り向かうという回向のカタチ。

毎朝お仏壇で手を合わせ、今日も一日宜しくと心に念じて

その日の生活が始まるのも同じです。

 

亡き人の御霊に供養の心を差し向けることは善行です。

同じく、いまを生きる人達を大切にすることも当然善行であります。

どちらも大切、どちらも功徳あることと思います。

 

いまを健やかに生きるには、仕事に励むことや楽しみ過ごすことも必要であり、

刺激やある程度の緊張もあった方がいい。

一方で、時々は心の垢を落として心を休めるのも良い。

 

そのひとつに、ご先祖さまのお墓やお仏壇を綺麗にしてみるのはとても良いことです。

それは同時に心も整理して、空気の入れ替えをしてくれます。

目に見えないものからいただく洗心の功徳とも言えます。

そうやって折にふれてつながりを感じさせてもらうことが大切です。

 

自らの安心とご先祖さまの安心は一緒です。

 

あっというまに過ぎ去る信州の秋ですが、

お彼岸には歩みを緩め、心を休めてみてはいかがでしょうか。

それは、ほんのひととき自分の居場所で、

ほんの一呼吸だけ手を合わせてみるだけでもいいと思うのです。

 

このことを『運心(うんじん)』といいます。

                             合掌

 

秋彼岸中日の翌日、9月24日(月)には18時よりお寺の客殿にて

「観月会」を行います。

琴の演奏、お抹茶のご接待があります。おくつろぎにお越し下さい。

言葉の力~百聞は一見に如かず~

お釈迦さまがお生まれになり、やがて修行を重ねた後に仏法を広め、

その生涯の最期を迎えたインドの国。

仏教発祥、お釈迦さまの聖地を未だ見ていない僧侶は多くいます。

私もその一人。

お檀家さまには、ご法事や寺の行事などいただいた機会において、

お釈迦さまが伝えたことやその生涯について触れます。

寺子屋にこどもが集えば、お釈迦さまの教えを頼りとした徳育環境を志し、

今後に大切と思えることを伝えます。

 

『如是我聞~私はこのように聞きました~』と。

 

しかしながら、自身、お釈迦さまの居られたインドの地を訪れたことがありません。

仏弟子ですから、その聖地を旅して信仰の時をこの目で観て、

実際にその国の風光に触れて感じ得たことのひとつやふたつがあってもいい。

 

すべては周りの人の実体験を教えていただいたり、

聞いた話を頼りにしているのが現状です。

 

百聞は一見に及ばないといいます。

一度でもいいので、若いうちに行っておきたい国です。

 

『百聞は一見に如かず』という先人からの言葉には、

その後に創られた続きがあるようですね。

 

百聞は一見に如かず

百見は一考に如かず

百考は一行に如かず

百行は一果に如かず

百果は一幸に如かず

百幸は一皇に如かず

 

聞くだけでなく、実際にみてないとわからない

見るだけでなく、考えないと意味をなさない

考えるだけでなく、行動しないと価値をなさない

行動するだけでなく、成果を生まないと評価できない

成果を上げるだけでなく、それが喜びや幸せに繋がってほしい

自分だけではなく、周囲の幸せを考えることが大切

 

ふと、これは身近にある仏教の教えに含まれるものだと気づきました。

この言葉たちは、最後に百幸は一皇に如かずと、

人様のために努めなさいと伝え締めくくります。

仏教が説く『抜苦与楽』の姿です。

 

そのスケールの大小は問わず計らず、

まずはどなたも興味や志に逆らわず、実際に見ることから始めてみたいものです。

                              合掌

お盆を終え

7月から、暑い暑い、格別に暑い、雨もまったく降らん、

今年はどうしたことだと言い続けた諏訪の夏。

お盆を終える頃にやっと雨が降り、その雨は秋の気配をもたらしました。

朝晩、急に肌寒さを感じるようになりました。

 

夏の風物詩とされる諏訪湖の花火大会、岡谷の灯篭流し。

雨模様ではありましたが、例年のごとく行われました。

家の前では先祖の送り火を焚く人の姿を見かけました。

お墓に行けば塔婆をもってお参りするご家族を見かけました。

お盆が過ぎ、ひと夏の終わりを迎えます。

 

この夏がご新盆であった方々と多くお会いしました。

ご新盆といっても、その様子はさまざまであります。

故人の生前のそれぞれ、

迎えた最期のそれぞれ、

葬送の在り方、

周囲の模様、

時間の経過のもたらす変化、

供養の心、気持ちのそれぞれ。

 

葬儀ひとつ、ご法事ひとつ、新盆の御霊の供養ひとつ、

どれもそれぞれであり、同じものはひとつとしてないと感じます。

 

命のカタチとは、喜びに始まり悲しみに終わる、そんなシンプルなものではないことは、

多くの人が感じていることでしょう。

縁を知り、日常には楽しみを求め、一方に苦しみや痛みがあり、

憎しみや怒りもあり、また心を動かされて流す涙があり、

そのような感情の数々に触れて命のカタチがはっきりしてくるのだと思います。

ご縁深き方は亡き人の命のカタチを知っているからこそ、供養の姿は様々になるのです。

 

何処からやってきた命なのか、生老病死の先にどこに行く命なのか。

これからどなたも体験することです。

この世に人として生を受けるは尊いこと。

命が結んだこの世の縁も尊いこと。

ご縁の方によるご供養はとても有り難く大切なことと感じております。

 

私たちの盂蘭盆の営みには、自分の知る人の御霊の他に、

会ったこともない供養のなされていない無縁の御霊にも

供養を差し向けよという教えがあります。

それが功徳として有縁無縁の御霊、さらにはこれからを生きる者にも広がるということ。

 

このことは、愛別離苦の悲しみを体験し知る人だからこそ成せると思うのです。

悲しみに時間が重なり、いつか慈悲の心をもたらしてくれる。

供養をするとはそういうものであると信じています。

 

8月18日(土)19時より、お寺の本堂では恒例の夕涼みコンサートが行われ、

懐かしの曲の数々を聴きながら癒しのひとときを過ごしました。

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耳を澄ませば虫たちの鳴き声が聞こえ、辺りはこれから秋に移り変わります。

                             合掌

ご用心下さい。

今年の諏訪の夏は雨がほとんど降らず、毎日暑い日照り続き。

外での仕事がはかどるのは、まだ幾分か涼しい早朝の短い時間。

 

朝、墓地に出掛けると、石塔の掃除、周囲の草取りをしている檀家様をお見かけします。

先祖を祀る場を綺麗に整え、いよいよお盆を迎える支度ですね。

お檀家様の供養のお心が表れる姿に、こちらも和まされます。

 

 

お寺の境内は、7月の下旬から早くも百日紅が開花。

季節の花の便りと思い、写真に収めております。

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さて、境内の季節の便りと思い、美しいものに目を向けておりましたが、

周囲を見渡せば良い知らせばかりではありません。

先日、施餓鬼法要があった日の午後、供養塔婆を受け取りに来られた檀家様が、

この境内で蜂に顔を刺されたと聞きました。

 

住職、総代様がさっそく辺りを調べても蜂の巣はなかったそうです。

 

 

ある朝、鐘を撞いていると山門付近に蜂が飛ぶ姿を見かけました。

蜂の巣があるのかと近寄ってみましたが、蜂とともに見当たりません。

次の日、同じく朝鐘を撞いていると、やはり蜂が山門の屋根あたりで飛んでいます。

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もしかして山門の屋根の中に巣があるのではと思い、近くで観察することにしました。

 

しばらくすると、どこからか飛来した蜂が屋根の中に入っていったのです。

そのまま様子を見ていると、今度は蜂がこの中から飛び去っていく姿を捉え、

ここにスズメバチの巣ができているだろうことを知りました。

 

この山門を多くの方が通ります。

安全管理の点からして、蜂に刺されてしまったお檀家様には申し訳なく思います。

これから駆除作業が行われます。

周囲を飛ぶ蜂にご用心下さい。

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もう一点。

墓地の石塔ですが、この時期、線香を供えるところに蜂が巣を作ります。

この場所は蜂にとって好都合なのでしょう。

石塔の線香入れは目線よりも低い位置に作られています。

手を入れた時にチクッと痛み、そこに巣があることを知るケースは少なくありません。

お墓の掃除、お参りの際には気にしておいて下さい。

 

お盆がやってまいります。

と、同時に・・・みなさまご用心下さい。

                  合掌

ご家内でのお盆の支度と夏の寺行事

お盆に向けての支度と心得

ご家庭にてお盆の準備がすすめらていると思います。

盆前にあわてることなく、今から少しずつ家内、お墓などを清め整えていただき、

安心してご先祖さまをお迎え下さい。

盆の準備にお迷いの方は次を参考までにご覧ください。

 

ご自宅での迎え盆とご供養

◆精霊棚
 お盆の飾り付けには精霊棚と盆提灯などがあります。

 ※丁寧にはお仏壇から位牌を取り出し、お仏壇前に改めて精霊棚を設けて飾りつけ、

  そこに位牌をおいて供養する形、地域によりしきたりがあります。

  しかし「絶対のカタチ」ではございません。 多少負担ともなりますので、

  常日頃の通りにお仏壇にて礼拝し供養差し上げることでも充分なのです。

 

◆盆供
 お盆のお供え物、供物のことを「盆供」と言います。

 お盆に行う供養のことも同じく盆供と呼びます。

 

◆迎え火と送り火
 お盆の入り(8月13日 ※異なる地域有り)には、

「ご先祖様が迷わずに帰って来られるように」という気持ちをもって、

玄関前を照らすよう迎え火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでおいでなしておいでなして♪

 

 お盆明け(8月16日 ※異なる地域有り)には、

ご先祖様を丁寧に送り出すために玄関前で送り火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでお帰りなしてお帰りなして♪

 

(諏訪地方は白樺の皮を焚いているご家庭が多いです。)

 

◆飾りつけとお供えもの

◎精霊棚

 お盆に用いられる祭壇 

(前述のとおり、お仏壇を丁寧に整えていただければ充分ですよ。)

 

◎盆花

●精霊棚の網に逆さに吊るす花  代表的なもの:ほおずき

(花瓶で綺麗な仏花を供えることで充分ですよ) 

 

●禊萩(みそはぎ)の葉を束ねてお供えする 代表的な盆花のひとつです。

  盆供、飾りの清めに使われていたことから、ミソギハギとも呼ばれていた。

  実際に萩に綺麗な水をつけて祭壇、仏壇、盆供のお清めに使っております。

  ※丁寧には、蓮の葉に水を注ぎ、ナスやキュウリを細かく刻んだもの

   (精霊および餓鬼への施食)を添え、そこに禊萩を供えます。

   (綺麗な器にお水を注ぎ、そこに萩を供えていただくことでも充分ですよ)

 

◎馬と牛

 お位牌の前に供えます。

 馬はきゅうりで作ります。早くお家に帰ってきて下さいとの気持ちをもって供えます。

 牛はナスで作ります。ゆっくり過ごして下さいとの気持ちをもって供えます。

 (それぞれの足は割り箸を用いていただけたら充分ですよ)

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◎盆提灯

 お盆のみに飾られます。※新盆は白提灯が主です。

 ご先祖様を迷わす迎えるための灯りです。

 

毎日暑いなかですので、みなさんがお体を悪くせず元気であることにより、

ご先祖さまに安心していただくことが第一です。

体調、健康に気をつけてお過ごし下さい。

ご心配なことなどお有りでしたら、遠慮なくお寺にご相談下さい。

                                 合掌

 

夏の寺行事について

8月5日(日)

午前10時より本堂にて施餓鬼法要が厳修され、諏訪支所内13ケ寺の住職様方、

大勢の御参列の皆様とともに諸精霊のご供養をいたします。

当日、ご参列されない皆様におかれましては、ご供養しました施餓鬼塔婆を

客殿にご用意させていただきますので、10日までに受け取りにお越し下さい。

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施餓鬼法

施餓鬼供養の様子

 

8月6日(月)  8時15分

8月9日(木)  11時 

8月15日(水)12時

平和の鐘を鳴らします。

 

8月9日(土)9時 

毎月の朝まいり会がございます。

 

8月18日(土)19時

本堂にて『夕涼みコンサート』を開催します。(19時開演)

自由席です。お早めにご来場下さい。

 

8月22日(水) 9時

毎月の寺カフェを行います。

残暑厳しい時期ですので、お寺に涼みにお越し下さい。

暑中お見舞い申し上げます

とても暑い日が続いてます。

これだけ暑い諏訪の夏は、近年記憶にありません。

 

東京、七月盆のお参りに行ってまいりましたが、

お参りさせていただく家を確かめるため自転車を止めて地図を広げていると、

力が抜け頭がぼーっとして思考が働かない瞬間があり、

今年の夏の暑さが格別であることを実感しました。

 

西日本豪雨災害に多くの尊い命が失われ、

さらにこれほどの家屋の倒壊、甚大な被害状況に

ご家族、ご縁の皆様の深い悲しみ、ご心痛は計り知れません。

心、体に痛みを抱えたまま連日行われる酷暑のなかの復旧作業、

どれほど耐えがたく、苦痛を強いられていることでしょう。

 

平成の時代は自然災害が多く、その規模にもまったく驚かされるばかり。

気候変化は気温上昇、断続的雨量増、局地的雨量増、降雪量増、台風が際立ち、

さらに大地震が頻発し、総じて自然変動の影響が生活にダメージを及ぼしています。

 

自然のみせる強大な力、反面、人の脆さも認識されることとなり、

今後の自助に位置づける、ご家内の物心両面の備え、

その一方で、個人、ご家族で必要以上に負担、無理をしないこと、

地域内における助け合いのカタチ、共助の見直しが大切なのだと感じます。

 

さて、お寺の境内では桔梗が背を伸ばし、元気に花を咲かせております。

暑さにくじけることなく咲き誇っております。

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茅野市の長円寺様からいただいた水連も花を咲かせました。

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蓮は泥のなかに育ち、その栄養をたよりに美しい花を咲かせます。

仏教のシンボルであり、仏さまのお姿を表す花です。

 

それは人が有する本来の姿であると仏教では伝えています。

人は苦難のなかにも花が育ち、時が来て、凛と咲く姿をきっと見せてくれるのだ。

みんなでそう祈りましょう。

               合掌

わけるのにふえるもの

こどもと病院に行った際に見つけた絵本。

待ち時間に絵本を手にするのは、いつものこと。

 

絵本に登場するママはパン作りが得意。

出来上がった美味しいパンを、こどものふうくんに、

「これを持って出かけて、みんなにわけておいで」

と、3つわたす。

 

ふうくんは、自分が食べたいのにわけたら減ってしまうと言う。

 

そんなふうくんにママは優しく問いかける。

『わけるのにふえるものなーんだ?』

 

あとでわかるよと、なぞなぞのように言葉をかけられて、

ふうくんはパンを持ち、ひとり出かけることになる。

 

絵本を読む自分のこどもにも考えさせる。

そして自分も一緒に考える。

 

さて、ふうくんはママの言うことをきいて、外で出会う友達にひとつずつわけていく。

やはり減っていくばかりじゃないか、と感じている様子。

 

残りは一個。

最後に出会ったのは大勢。

足りないと感じたふうくんは、家に招いてママの手作りパンをみんなで食べることに。

 

この日ふうくんに出会って、美味しいパンをわけてもらえたお友達、

みんな笑顔になって喜んだ。

ありがとう。

 

それから時が過ぎ、クリスマスがやってきた。

多くの友達がふうくんの家を訪れ、ふうくんにプレゼントを渡した。

 

さて、考えてみよう。わけるとふえるもの。

プレゼント?

では、ない。

 

この絵本では明確に答えは示されず、読み手の考えに託されます。

おそらく「喜び」でしょう。

もっと言うなら、『幸せ』であると考えます。

 

遥か昔、お釈迦さまは言いました。

「人は誰でも自分が一番愛おしい。」

ですから、ママの作った美味しいパンを自分が食べたいのは、あたりまえのこと。

ふうくんの最初の感情は間違ってはいません。

 

しかし、お釈迦さまはこうも言うのです。

「他の者も、同様に自分が一番愛おしいのだ。

だから、わが身に引き比べて他の人も思いやらねばならない。」

この言葉に照らしてみるならば、パンをわけることも大切になります。

 

悟りを得たお釈迦さまにとってのあたりまえとは、後の方なのです。

あたりまえの尺度が違う。

ほとけのものさし。

 

幸せを一人占めしようとすると、どこかで不満や争いが生じる。

喜びをみんなにわけると、幸せが巡り、広がる。

この世には「縁の力」が働いています。

周囲が幸せにならないと、自分の幸せは成就しないのではないでしょうか。

 

絵本で伝えようとするこの「あたりまえ」の価値は、

こどもに是非とも伝えたいことですが、

なにしろ、大人の自分がわかっていない。

わかっていないというより、きっとそのことは大切だと思ってはいるのだけど、

実践できていない、ということです。

 

実はこのあたりまえのことは、大人にも難しい、一生難しい。

きっと、多くのこども達が実践するのは難しいことでしょう。

人には「煩悩というあたりまえ」が存在するからです。

それでも、お釈迦さまの教えのとおり、幸せに生きるためのヒントは、

ここの捉え方にあるのです。

 

自分の利益ばかりを求めること、それは「欲」であり、いつかは心苦しくなります。

自分も努力し、喜びを分かち合える幸せを求めるならば、それは「志」と言えます。

 

煩悩の裏側には志があるのかな・・・。

ふとそう思い、こども達が親しむ身近な絵本から教わった気がしました。

                                 合掌

やしょうまづくりの体験

今年の寺子屋ではやしょうまづくりに挑戦します。

本来、冬の寒い時期に作られるものですが、夏休みに集ったこどもたちに

古くからの信州郷土料理を知ってもらおうと企画しました。

 

このたび、妻と二人、長和町でやしょうまづくりの長い経験をもつお寺様まで

その作り方を教わりに行ってまいりました。

私と妻、やしょうまづくりは初めて。

もちろん、実際に見ることもいただくことも初めて。

工程は大変に体力がいる作業、それでいて繊細。

楽しみながら、信州の先人達の心を感じる体験をいたしました。

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模様は、スイカとぶどうの二種類に挑戦。

初めてにしては上出来と褒めていただけました。

今後も寺子屋までに何度か実践して上達を目指すつもりです。

寺子屋当日、こどもたちとの共同作業の仕上がりは、はたしてどうなるか・・・。

 

心を添えて手作りしたものを仏さまにお供えすること、

仏さまと一緒のものを自分たちも食事としていただくこと。

そして、信州の昔を知ること。

この体験より、こどもたちとともに学びが得られればと期待しています。

 

今年の寺子屋は5回目の開催。

定員30名の募集が始まりました。詳しくはこちらをご覧ください。

第5回真福寺こども寺子屋

密厳浄土

梅雨入り宣言がありました。

いよいよ本格的な夏を迎えます。

夏場でも朝方の涼しさと澄み切った空気は信州の魅力。

 

早朝。

まだ人の一日の営みが始まっていない、辺りが静かな頃、

境内にいると、鳥たちの声、水の流れ、草木が揺れる音が聞こえてきます。

日常では、意識をしないと耳に届いてこない音。

動きを感じない時間にこそ、自然の生きものたちの営みが繰り返されていることを

知ることができます。

人間が傲慢であってはならないと戒めることのできる時間でもあります。

 

太陽が昇り、やがて沈むといった毎日の等しく与えられた時間のなかにある

多くの命たちの『共存・共生』。

 

弘法大師空海は、「五大に響きあり」と仰られました。

自然の命、営みには仏さまの法の息吹があるということ。

そして、「仏法遥かにあらず 心中にして即ち近し」と、

私たちのなかに仏性が在ることも説かれました。

 

私たちは仏さまの命のなかに生かされている。

仏法の響きのなかで生活している。

 

仏さまとは大日如来。

大日如来の浄土を『密厳浄土』と呼びます。

真言宗中興の祖、興教大師覚鑁は、

「惜しい哉、古賢難易を西土に諍うこと。 悦ばしい哉、今愚往生を当処に得ること。」

と、西方浄土への往生ではなく、この世に成仏することを強い意志で説かれております。

「一切如来は悉く是れ大日なり」

阿弥陀如来と大日如来は同体、極楽と密厳は名異にして一処と説き、

娑婆即ち浄土であるのだといいます。

 

遥か遠くに浄土を求めるのではなく、人の心中にある仏性を自覚し、

慈悲をもって生活することの意味がここに含まれるものと思っております。

人の喜び、痛みを考えること、思いやりの精神、

「共感」が人としての価値であること。

 

痛ましい事件、事故が絶えません。

この世に仏法の響きがあるからこそ、人が鬼になり、世は地獄にもなりうる。

この世に仏法の響きがあるからこそ、人は手を合わせ、

仏とともに生き、世は浄土にもなりうる。

 

「人身受け難し いま既に受く、 仏法聞き難し いま既に聞く」

 

6月15日は弘法大師お誕生の日。

6月17日は興教大師お誕生の日。

南無大師遍照金剛

南無興教大師

        合掌

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植木寄贈の御礼

このたび、篤信のお檀家様より寄贈いただいた百日紅、カイドウ、サツキを

境内に植樹いたしました。

客殿広間前の庭に百日紅、参道下にはカイドウ、そして枝垂れ桜のもとにはサツキを。

日頃より菩提寺に対する理解とご支援ならびに厚い信仰を賜り、

そして、このたびの寄贈に対し、心より御礼申し上げます。

お檀家さまの有り難いお気持ちによって、境内に新しい息吹が加わり、

やがて花が咲き境内が彩られ、訪れる人の心を和ませてくれることでしょう。

                              感謝

 

カイドウ

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トウカエデ

日の出が早くなり、朝の勤行を終えて外に出る頃には

太陽の光が境内に満ちています。

山門の向こうにある、朝日を浴びた参道のトウカエデが目に飛び込みます。

爽やかな黄緑色の葉を豊かに茂らせるそれは、まるで山門を額にして入る絵画のよう。

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この樹を遠くから見かけた人は、この葉が花を咲かせているように見えるようで、

近くまでお寺を訪ねて来られ、それがすべて葉であったことに驚きます。

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秋、紅葉の時期になると、この樹はいくつもの色に葉を染めます。

虹色に染まる姿からでしょうか、メープルレインボーとも呼ばれているようです。

秋の変化にもご期待下さいませ。

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ただいま、境内はつつじやクマガイソウなどが咲き、自然の色たちに溢れております。

(鶴嶺公園のつつじは、例年より満開が早く、いまGW見頃のようですね。)

初夏、よい季節風景をお楽しみ下さい。

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山の緑

桜散り、陽気は徐々に暑くなっていきます。

いまがもっとも体を動かしやすい季節、周囲では田畑作業が始まっている様子です。

ポジティブに活動。何かを始めるならいまでしょう。

 

4月終わりの早朝、真福寺発祥、高尾山麓寺平にある興教大師像に

総代様とお参りに行きました。

お勤めをすませ、山中その場にて腰を下ろして朝食のおにぎりをいただきました。

総代様からもすすんでお参りに同行して下さり、この機会は誠に有り難いことです。

 

これから新緑が美しい季節を迎えます。

緑は人間がもっとも見やすい色。いつまでも見ていられます。

遠くの山の緑を眺めていると気持ちが和みます。

いざ、その山の緑のなかに足を踏み入れると、癒されると同時に力が沸いてきます。

大いなるものに包まれる安心感と幸福感。

大いなるものとは、大自然であり、神仏の息吹だと考えております。

日常ではなかなか気づきにくい、「生かされている命」の実感。

生きる力を感じとれるのが山の魅力。

 

その山中に興教大師像があります。

登山口より20分ほどでこの場所につきます。

早朝の山の空気はとても新鮮で美味しく、普段は無意識にある空気を

意識することができ、きっと身体には良い影響をいただけているのでしょう。

年二回、春秋にお檀家様をお誘いして、ともにこの山中を歩いてみたいと考えてます。

そして、寺発祥の地におられる興教大師への供養をいたしたいです。

                                   合掌

枝垂れ桜 満開間近

境内の枝垂れ桜が見頃を迎えております。

当山の桜(ベニシダレ)は、辺りの桜が散り、見納めとなった頃がやっと開花時期です。

これから楽しめる桜としてご存知の方も多く、遠近よりお越しいただいております。

例年は4月下旬が見頃となりますが、今年は満開時期が十日近く早いようです。

桜の様子は全国的に一緒のようですね。

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お気軽にお越しいただき、花見をお楽しみ下さい。

生きる力

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4月―。境内の枝垂れ梅の花が綺麗に咲いています。

お釈迦さまのご生誕を祝う仏教行事、花まつりが各地で行われております。

いまは花咲き香る季節。

真福寺境内の枝垂れ桜の開花は今月20日頃と思われます。

楽しみにお待ちください。

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こちらは、真言宗智山派が掲げる「教化目標」の啓発ポスターです。

作画されたのは、千葉県に在る本宗寺院の僧侶です。

とても素敵な、仏さまとともに生きる心の温かみが伝わる描写であると感じ、

ここに解説文を抜粋して紹介させていただきます。

 

今年度のポスターは、菩提寺で行われる年中行事をちりばめた絵で表現しました。

このポスターを見て、先ず目に飛び込んでくるのが法輪です。

これは年中行事をとおして四方八方のあらゆる方々に仏の教えが行き渡るようにという

意味をこめています。とくにお釈迦さまの教えを表す法輪は、「花まつり」「成道会」も

表します。法輪が雲に乗っているのは、合掌された所(合掌された手が描かれて

おります)に雲に乗ってすぐにどこにでも飛んでいくよというイメージです。

そして川の両岸は此岸と彼岸で「彼岸会」を、蓮は「盂蘭盆会」を連想させます。

空には北斗七星をはじめ星々が輝き「星まつり」を表します。

彼岸(向かって左の岸)にいらっしゃるお大師さまは「青葉まつり」。

此岸(向かって右の岸)のお堂では「大般若会」や「施餓鬼会」が行われ、

鐘楼堂では「除夜の鐘」が撞かれます。

太陽にはバン字、月にはア字が描かれ、金胎の大日如来を表します。

さまざまな生き物が太陽や月で表された大日如来に祈っています。

親子のカメが表す「親子愛」。無事「帰る」、幸運が「返る」、さらにカエルは

子孫繁栄も表します(水面におたまじゃくしが見えます)。

鶴と亀で「長寿」。

では芋虫はなにを表しているのでしょうか。

太陽に描かれたバン字金剛界大日如来と対峙し、蓮と共にバン字

(よく見るとバン字に見えます)となり、即身成仏を表しています。

他にも太陽(仏)・法輪(法)・蓮(僧)で三宝を表したり、お釈迦さまの舎利を

祀るストゥーパや五大を表す五重塔など、仏の教えを色々なかたちで

表現しています。

このポスターを見て、年中行事が描かれているとは一見わからないかも

しれませんが、この解説をもとに檀信徒の方々と語り合っていただくよい機会に

していただきたいと思っています。

そして檀信徒の方々がお寺の行事に参加され、手を合わせ、仏さまに祈り、

仏さまと出会い、生きる力を感得していただきたいと思っています。

        以上、本宗『教化目標啓発ポスターの解説』より抜粋

 

さて、真言宗智山派は教化目標(わたしたちの目標)として、

『生きる力ー仏さまに祈り、仏さまと出会う』を掲げております。

 

生きる力とは何でしょうか。

人によってこの捉え方、解釈は異なるかもしれませんね。

日々を生きるエネルギーとなっているものも、

おそらく人によりけりでしょう。

 

お釈迦さまは人の本質に仏性が備わることを知り、

その時代を生きた人々に対し、

仏性に気づき、触れ、目覚める生き方を説き広めました。

仏さまとともに生きる命、仏さまに出会える生き方。

自らを拠り所とし(自灯明)、教えを拠り所とする(法灯明)。

そこに「生きる力」があるのだと伝えてくれています。

生きる智恵という解釈もできるのかもしれません。

 

このポスターの絵にあるように、仏さまとその教えは世に遍満し、

身近なところに感じ、祈り、感謝し、

その出会いは悦びとなり生きる力ともなるのだと思います。

それが仏教であり、日常に寄り添える2500年以上絶えることのない教えです。

 

私たちの日常、時々訪れるお寺の行事、そのなかで、

ふと仏さまを感じることのできるような瞬間があれば幸せですね。

4月8日は、お釈迦さまご生誕の日です。

                      合掌

 

※ポスターは真福寺客殿に掲示しております。

春到来~月行事について~

心地よく暖かな季節を迎えました。

辺りに春の息吹きを感じ、春の命を探し出会うことの出来る、

出かけが楽しくなる、もっとも愛される季節ではないでしょうか。

 

長い冬を越し、お寺では月行事が始まります。

どなたも安心してご参加いただける行事です。

冬の始め11月まで毎月行われますので、ご都合に合わせて

お気軽にお越し下さい。

 

月1回

◇朝まいり会 9:00より

◇寺カフェ  10:00より

◇写経の会  9:00より

◇念珠の会 10:00より

 

月2回

◇御詠歌の会 13:30より (変更月有り)

 

日程はホームページ上、毎月の予定をご覧ください。

ご不明な点は、遠慮なくお寺まで問い合わせ下さい。

雪に覆われた春彼岸

暑さ寒さも彼岸まで。

その言葉通り、彼岸入りを迎える頃には暖かな陽気が続き、

すっかり気分は春、生活も徐々に切り替わっていました。

ところが春分の日でもあった彼岸のお中日、

一転して冬の寒さが戻り、朝から雪降りとなりました。

雪は一日絶えず降り続け、お墓参り、お寺参りを予定されていた方には、

お出掛けを断念された方もいたことでしょう。

思うようにはいかないものですね。

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お寺では午前中に区内の彼岸慰霊法要が営まれ、

午後には寺の彼岸行事「春彼岸のつどい」が行われました。

しんしんと雪が降り、大変足元が不安な中をお寺までお越し下さった皆様には、

誠にご苦労、ご心労なことであり、感謝御礼申し上げます。

 

お彼岸での先祖供養。

故人を「偲ぶ」ことは、天候具合ひとつや年々身心の衰えを感じる方にとっては、

あるいは諸々事情において、それは耐え「忍ぶ」ものであるのかもしれません。

しかし、どれほど便利さや合理性の価値を求める時代であっても、

時に忍ぶ姿、支え合いの姿を見て、次世代にたすきが渡っていくのだと思います。

 

祖先(みおや)をまつり身を修め  菩提の種を培いて

浄土の光り現実(うつしよ) に  いただく今日の尊さよ

                         『彼岸会和讃』

 

先祖供養というテーマのもとにつどい、顔をあわせ言葉を交わしながら、

生きる人にとっても癒し、励み、そして供養となればと考えております。

                               合掌

広島に学ぶ

諏訪圏の各宗派寺院青年僧がつどい、広島の平和記念公園を訪れました。

この地において戦争の犠牲になった尊い命。

その多くの御霊が眠る場所であります。

国民は過去の戦争を振り返り、戒め、平和を祈り誓います。

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しかしながら、多くの青年達はこの時代に起きた戦争を知らずに過ごしております。

現在は観光地となっている広大な公園を時間をかけてゆっくりと歩きながら、

地元の方の丁寧な説明をいただき、資料館では多くの資料に目を通しました。

 

自身、40歳にして初めて訪れた平和記念公園と平和記念資料舘にて、

70年以上前に起きた耐えがたい悲しみと苦しみの事実を知り、

その重大さに触れて学ぶ機会を得ました。

 

戦後の復興と平和の実現に力の限りを尽くされた先人達のおかげで、

国の成長といまの豊かな暮らしがあります。

過去からの心の叫びにも近い「渾身の祈り」がここにあることを感じます。

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もうすぐ春の彼岸がやってまいります。

懐かしむも供養

足を運ぶも供養

偲ぶは私たちの生きる力ともなります。

                             合掌

真福寺 彼岸行事 『春彼岸のつどい』

3月21日(水・春分の日) 14時より

http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20171231post-231.html

どなたもお気軽にお越し下さい。

先達

暖かい日が続き、辺りの雪解けがすすんでおります。

季節は雨水が過ぎたことを実感でき、春の気配を感じ始めます。

 

2月15日は、三仏忌のひとつ、お釈迦さまのご命日であり、

多くの仏教寺院で涅槃会、報恩謝徳の法要が営まれ、

ご法事でもお釈迦さまについて触れさせていただいております。

 

先日、お檀家様の年回忌法事の際のこと。

御家の90歳近いおじいさんが色々なお話を聴かせて下さいました。

その歳には見えず、よく話され、とてもお元気な方です。

このくらいお歳を召されている方とお話をすると、結構な頻度でこう仰います。

ご家族みんなの前で、私にこう言うのです。

『わしゃ、もういつ迎えに来てもらってもいい。そしたら頼むでな。』

 

いやいや失礼ですが、お体も達者、おしゃべりも達者です。

ご家族みなさまも笑っているではないですか。

この様子に、お幸せな方だなあと感じます。

 

これまでに多くの苦労があったことをお話して下さいました。

10数年前、就寝中に土砂災害に遭い、家が全壊したこと。

災害時、ベットで寝ていたことが功を奏し、命が助かったこと。

災害後は、十年以上奥様を介護し、ともに過ごしたこと。

 

他にもたくさん語られました。

若い頃より苦労するなかでも、大切にしてきた仕事のこと、仲間のこと。

おじいさんは若い時分の性分、尖っていたところがあったようですが、

多くの人と付き合い揉まれたおかげで、角が取れ丸くなれたと言います。

 

災害で家は全壊するも、早急に多くの仲間が集い、厚く支援して下さり、

生活の危機を救ってもらい、日常を取り戻したのだそうです。

多くの人とお付き合いしてみること、人生には仲間が大切であることを

経験をもって話して下さいました。

 

自分がどう生きてきたかは、窮地に立たされた時に試されるのでしょうね。

 

『わしゃ、もういつ迎えに来てもらってもいい。』

 

命は天寿です。

その名のとおり、授かりものです。

お釈迦さまは「人生不如意」を説き、命はどう尽きるかはわからないといいます。

おじいさんほどのお気持ちになれる方というのは、

「生きることの難しさ」や「命の尊さ」を感じざるを得ないほどの

苦労を十分に体験され、身心には深い感謝の念が刻まれており、

おそらく今の平穏に満ちているのだと思います。

 

こういう方を「先達」というのですね。

 

そして、多くの苦労を体験し、縁や命の尊さに気づき、感謝に溢れ、

すでに捉われはなく、他愛に溢れ、

動揺することもなく心穏やかであることを、

「涅槃」ともいうのでしょう。

 

次の機会におじいさんにお会いした際も、

また元気なお姿で、そしていろんなお話が聴かせてもらえると幸いです。

                             合掌

長野灯明まつり

冬の長野灯明まつり、善光寺伽藍のライトアップを観に行きました。

長野冬季五輪開催を記念して始まった灯明まつりは、

平昌五輪の今年、15回目の開催となるそうです。

表参道石畳には、灯り絵展として応募されたたくさんの切り絵が燈篭に灯されて並び、

境内は大伽藍が五色に変じ、音楽コンサートが行われ、幻想的な聖域となっております。

 

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『歴史的威風×未来的創出』

まちの高揚に触れるとともに、善光寺が長野の象徴でもあることを感じます。

                             合掌

人生の算数

2月を迎える時期、各地寺院で除災招福諸祈願の節分会が行われており、

先日、ある同宗派寺院の節分会に助法出仕させていただきました。

法要後、寺院の住職様が参詣者にされた法話が印象に残りました。

 

『人生における算数』

「足し算」

人生において加えられていくもの 身につくもの

「引き算」

人生において失っていくもの 減っていくもの

「掛け算」

人生において工夫して増していくもの

「割り算」

人生において分けられるもの

 

住職様は、それぞれを人生経験などから具体的に示されました。

 

私も自身の経験に照らしながら法話を拝聴させていただき、

なるほど人生とはそういうものかもしれないと、改めて整理して考えました。

 

生きていく時間の経過には足し算と引き算が必ずある。

足されるもの、引かれるもの、それは目に見えるもの見えないもの双方を含め、

おそらくどなたにおいても、いくつも思い浮かぶものがあろうかと思います。

 

さて、人生の掛け算、割り算はどうか。

これは人の気持ちの持ちようで生まれるもの。

 

例えば、掛け算。

自分の発心によって良い行いを実践し、また周囲にも浸透していく工夫を施し、

その波及がやがて大きな成果につながった経験。

苦手とする相手を理解して受け入れ、知恵や力を合わせた結果、

新しい発見、成長飛躍につながった経験。

逆に、自分ひとりくらいと粗雑な気持ちでしてしまう悪い行い。

いつしか悪業の芽は広く人に伝わり、環境自体を劣悪化させてしまった経験。

弘法大師曰く、「物の興廃は人による。人の昇沈は道にあり。」

人生の掛け算のごとく、人の善意、悪意は広がり増していくものです。

 

そして割り算。

喜びや利益となることを独り占めすることなく、

与え、分け合って、徳を広げてみよう。

「与えることの価値」がここにあります。

反面、悲しみや苦労は、分かち合うことで個々の負担を軽減する。

割り算は共感。

お釈迦さまの説かれた「抜苦与楽」の精神ではないでしょうか。

 

人生の足し算、引き算には、カタチ有れば無形もある。

不変も有れば無常もある。

もともと不如意である一生涯。

それを日頃の心得や精進によって掛け算と割り算がなされることで、

より豊かなものにできないでしょうか。

 

小学校で習った算数。

人生に置き換えて、そこに悦びのヒントがある気がする。

                           合掌

大寒波

陽気が暖かで穏やかであった諏訪地方の正月が終わり、

有難みを感じております。

1月も下旬を迎え、これほど辺りに残る雪の少ない冬もめずらしい。

 

しかし、ここ信州で冬を越すことが容易くないことは覚悟している。

 

強烈な寒波が迫っています。

天気予報では5年に一度の大寒波とも予測され、

とにかく大雪に気をつけよ、という各局の報道に対し、

厳しい冬がいよいよやってきたかという思いです。

 

大雪、凍結による交通、物流の機能が低下することが考えられるため、

妻は早めの買い物に出ました。

不必要な大量買い、買い溜めはやめてほしいとだけお願いしました。

報道に振り回されず、わが身に必要なものの必要量が把握できていればよい。

丈夫な家に、「機能しない余分」が多く生じていてはいけない。

地域の高齢者や身動きの不十分な方に意識を向けておかなくては。

 

お寺の境内、伽藍も雪に覆われるでしょう。

コツコツと皆様のお足元、ご本尊様の住まいを整えておきたいと思います。

 

生活地域の各世帯、各業者様のお心づかいやお知恵があって、

この冬、自然が運び起こす困難を皆が健康に乗り越えられますように。

事故、大事なきよう念じております。

                                合掌

 

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冬の夜を灯す、参道に飾られたアイスキャンドル

迎春 戊戌年

あけましておめでとうございます。

2018年新春を迎えました。

平成の時代になり30年目、大きな節目の年です。

今年は一時代を顧みる年となりそうですね。

迎春

 

しかし、時は待ってはくれず、私たちは振り返ることで留まることなく、

そこから未来を拓き歩まなくてはなりません。

この先に信頼と希望をもって臨みたいものです。

 

人の善い志、取り組みの積み重ねがあるならば、

その行いと成果が大きかれ小さかれ、世を照らす「一灯」となります。

灯火の大きさを比較し、奢ることも卑下することもない。

自他ともにそれを信じ認めてこそ、「希望の源」となると思います。

時代の節目に、改めて勇気のもてる一年でありたいです。

 

お釈迦さまの言葉がこのようにあります。

『善を軽んずるなかれ 水の一滴でもやがて水瓶を満たす

  悪を軽んずるなかれ 小さな悪とて 一滴一滴が水瓶を満たす』

 

今年は戌年。戌年の守り本尊は阿弥陀如来です。

真福寺のご本尊の仏さまでもあります。

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お寺にお越しの際は阿弥陀さまにお参りし、心静かに手を合わせてみて下さい。

仏さまとのご縁を授かっていただきたいと思います。

 

仏さまに見守られながら、自分の志を大切に、人から授かった気持ちを大切に、

多くの人が力強く、また心穏やかに歩むことが出来ればと願います。

平成30年に安寧と希望、安心と成果がありますことをご祈念申し上げます。

                                  合掌

大晦日 二年参りのご案内

大晦日のお参り、除夜の鐘には、ご家族、ご友人お誘いあわせて

お越し下さい。

来たる平成30年、節目ともなる年を迎えるにあたり、

去る年への安心と感謝のお参り、希望の年明けをしていただきたいと思っております。

古札、お塔婆、縁起物等のお焚き上げ供養も致しますので、

当日お持ち寄り下さい。

 

戌年の守り本尊は阿弥陀如来です。

真福寺のご本尊阿弥陀如来にお参りいただき、

是非とも来たる年の吉縁を結んで下さい。

  

      二年参り

12月31日

 ■22:50 境内 点火

 ■23:00 お焚き上げ供養    境内

 ■23:20 今年最後のおつとめ  本堂

 ■23:40 除夜の鐘        鐘楼

            (打鐘に人数の制限はございません)

 

温かくて美味しい厄除け汁、甘酒、般若湯を用意してお待ちいたしております。

みなさま顔を合わせ、お焚き上げの火にあたりながら体を温めて下さいませ。

新年の縁起物は本堂内にて販売を致します。お参りの際にお求め下さい。

尚、古札等のお焚き上げ受付は今月前もって致しておりますので、

お寺までお持ち寄り下さいますようお願い申し上げます。

(お焚き上げ供養料:無料)

如実知自心

身を犠牲にした長年の苦行にも世の真理に到達することのなかったお釈迦さまは、

その末に苦行を離れ、

『解脱を得るまでは、決してこの座を離れることはない』

と、強い覚悟と穏やかな心をもって禅定に入ります。

インド、ガヤーの菩提樹の下での長い長い瞑想でありました。

 

長い禅定の末、明星輝く頃、真理を悟ったと伝えられております。

お釈迦さま35歳、日本では12月8日であったとされています。

仏教会ではこの日に「成道会」を営み大切にいたしております。

 

お釈迦さまは煩悩が生み出す迷いを払い、仏性に目覚めました。

仏性は誰しも有するとされていますが、それが見えぬ感じぬように

私たち人は執着し迷い、多くの煩悩に「支配」されています。

仏性を満月に例え、それを覆い隠す雲を煩悩に例えることもあります。

 

お釈迦さまは仏性が開花しましたが、それは煩悩を消滅したのでしょうか。

それとも、煩悩の働きをよく理解して受け入れた末に仏となったのでしょうか。

 

『如実知自心』という言葉があります。

自分の心を正しく知ることです。

心の働きをよく理解することです。

本当の自分に出会うことです。

揺るぎない本質の「自覚」と「覚悟」であります。

 

私は、お釈迦さまはまずここに達した人なのだと感じています。

そしてそこから限りなく展開していかれ、やがて真理を悟られたのだと。

その後の生涯をブッダ(悟りを開いた人)として精進し、慈悲深く接して過ごされました。

 

日頃の私たちにとって、常に移り変わる「心」は、もっとも近くに在りながら

遠く離れた「不如意」なものになっています。

故に心体一致して整え、よく保たれた生活は遠く及ばない。

 

12月を迎えました。

今年一年を省みるひと月であります。

お釈迦さまの教えをもとに一年を振り返るのは、とても良いことだと思います。

「清濁」を受け入れ、反省、感謝すべきことがたくさんあることにも

きっと気づけるはずです。

平成29年、感謝の完走成就を。

                                                   合掌

 

お釈迦さまの教え 

  「とらわれない心」

諸行無常・・・すべては移り変わる

諸法無我・・・すべての物事に実体はなく、

                 「心の在り方」と「因縁」によって生じ、そして移り変わる。

お釈迦さまの苦行のお姿

呼吸

大相撲九州場所の最中、角界が力士の暴行を発端とした一事件に騒いでいます。

厳格な世界において、横綱力士が格下力士に対し怒りを露わにしたことの顛末。

 

この件が報道される少し前に、現在、園児と小学生の子育てをする父親である

友人がこんな話をしてくれました。

「自分に生じた『怒る』という感情について、どう対処しているか」

 

こどもの行動に対して、どうしても怒りたくなった場合、怒らねばならないと感じた際、

まずは「深呼吸という間をおく」ことを心掛けている。

そこで気持ちが落ち着いた際は、怒らないことを選択し、

別の伝え方で解ってもらえるよう努めると。

結果、大概怒ることはないそうだ。

もちろん、しっかり怒って聞かせることもあるそうだが。

 

確かにその通りと感じます。

人に対して怒り、相手にひとつのことを伝えねばならないと強く感じたとき、

自分に沸き起こった怒りの感情に乗り、そのことを伝えることがもっとも単純であり、

精神的に「自分としては明確」なのです。

しかし、そのひとつのこととは、ひと間をおいて怒りの感情を離れ、

別の方法で同じことを伝えることが必ずできるのです。

相手の精神に対して明確なのは、実はそちらの選択だったりすることが多い。

 

多くの後悔や事件とは、自分が怒りの感情に乗ってしまったがゆえに起きている。

怒りを種として悪業を積んでしまっている。

 

昔、よく学校の先生が、頭を冷やしてきなさい!と叱ってました。

人は間があるから人間なのだ、と教えてくださった方もいました。

つまり、人は「間」が大事だと。

 

私の友人が話してくれた深呼吸という間。

日常の呼吸は無意識に体がしてくれている。

乱れたときは、意識的に整えることが必要なのでしょう。

深呼吸とは、「心呼吸」いう表現もできると思います。

心呼吸の「心」とは仏心のこと。

呼吸のなかに、誰しも宿る仏性が働くのです。

 

仏教の教えにある十善戒。

その中の『不瞋恚』という戒め。

「怒りに心と行いを乱さないこと」という教えです。

 

人間は自分の心をコントロールすることが難しい。

一生、不如意であります。

人は間があるから人間。

「深呼吸=心呼吸」を心掛けたいと思います。

 

諸々の悪業は、皆、「貪・瞋・痴」による身語意より生ずるなり

                     合掌

四季を観る

秋深し。

朝晩冷え込むようになりました。

境内の枝垂れ桜、参道と本堂横のもみじは、葉のほとんどを落し寒々しい様子。

毎年、このくらいの時期から冬の到来を間近に感じます。

いよいよ冬支度、年末の心構えです。

早いものです。

 

今年の秋は、境内の落ち葉を履き片付けることでなんとなく安心してしまい、

上を見上げ、周囲を観ることを怠っていると感じます。

秋を迎え、辺りの木々はどんな具合に色づいていったのか。

この季節の醍醐味、紅葉の移ろいを見落としていました。

 

『草木国土悉皆成仏』

経典に説かれる、自然の草木にも仏性が宿るという言葉です。

 

落ちた葉を片付けるばかりで、自然が命を輝かせ美しさを増す季節を

楽しむことを逃してしまい、少し反省です。

 

辺りの様子に目を向けて、自分の感度を保ち、

四季折々を観察して楽しむことはとても大切。

日常において、見落とし、無関心が増えれば増えるほど、

後になって今年もあっという間だったと「錯覚」してしまうような気がします。

さあ、深まった秋を楽しんでから冬を迎えよう。

                     合掌

教会

長崎佐世保の御寺院様の結婚披露宴にお招きいただき、

空いた時間に観光をするなか佐世保にある教会に行ってまいりました。

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キリスト教における礼拝、布教がなされている聖域です。

礼拝堂は特別な敷居を感じることはなく、神秘的空間の静寂に時を忘れ、

穏やかに佇むことができました。

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ご信徒やここを訪れる人々にとっての「心の拠り所」なのでしょう。

 

教会にイエス様がおられるように、お寺の本堂にはご本尊様がおられます。

ご本尊である仏さまには「誓願」があります。

 

人々の日常に寄り添い、

      ・ご本尊の誓願が説かれているか。

   ・仏さまおよび宗祖の教えが説かれているか。

   ・心の拠り所となっているか。

 

教会を訪れて感じたことは、仏と対話し寄り添える空間の大切さです。

仏さまとの対話とは、自身との対話になると思うからです。

お寺が人々の日常に寄り添い門戸を開くことで、

ご本尊のもとへも導線が引かれてなくてはならないと感じます。

                           合掌

愛語力

10月を迎えました。今年もあと三月。

お寺では四本のキンモクセイの花が咲き、境内は甘い香りが漂っています。

キンモクセイきんもくせい

 

さて、今月のHP言葉の力を『愛語力』としました。

菩薩が説く、仏道に導くための四つの行い、四摂法(布施、愛語、利行、同事)。

「愛語」とは、心のこもった慈愛の言葉です。

愛語について、道元禅師は『愛語よく廻天の力あり』と仰っております。

 

言葉は力を有し、意味や背景、浅深、表裏があり、

人から発せられた言葉には価値が生じます。

善意ある一言や褒め言葉を直接いただいた人は嬉しいものです。

人を介してその言葉を伝え聞いたときはなおさらです。

逆に、悪意ある言葉を聞いたときは辛いものでしょう。

 

一言が人を救い、勇気づける。

一言で人は悲しみ、傷つく。

思いやりをもって言葉を交わしたいものです。

 

愛語には生きる力、生かす力があります。

愛語は仏道、どなたにおいても欠かせぬものです。

訪れる季節に無心に咲く辺りの花達も愛語力に満ちています。

                          合掌

発心

お寺の山門より一直線の参道が伸び、その前を通る旧道には、

出勤の社会人、学生、散歩やジョギングをする人、様々な人が行き交います。

ある日、この旧道を通るひとりの人が参道前に立ち止まり、山門、その先の

本堂に向けて手を合わせ一礼してから通り過ぎて行く姿を見ました。

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以前、京都の本山智積院で過ごした頃、寺の境内を通り抜けて通学する大学生が、

金堂の前に立ち止まり、手を合わせていく姿を多々見かけました。

 

洗心の想いでした。

 

本山で生活した私たちは、お堂の前では必ず立ち止まり一礼するよう、

修行僧のころより指導を受けていたため、僧侶にとってはひとつの「カタチ」、

所作になっておりました。

 

一般の方にとってこの日頃の姿勢は、おそらく誰に指導されたわけでも、

勧められたわけでもなく、自発された行為であると思います。

ここにひとつの「ココロ」をみることができます。

 

さて、この心はどこに向いているのでしょうか。

神仏、寺のご本尊さま、あるいはご先祖さま。

 

目には見えない多くの「お陰」が働き生かされている命。

人はけして傲慢に生きるべきではないということ。

謙虚な心が、「大いなる存在」に向けて礼拝をしております。

大いなる存在とは「他力」という表現もできます。

言葉にある他力本願の他力です。

慌ただしい日常では、その他力に向けて一瞬でも身と心をあずけて、

静かに穏やかに己を整えることも必要なのです。

 

礼拝とは、自分の内側を観て自覚を得る行為ともなります。

 

秋のお彼岸がやってまいりました。

様々な理由でご先祖さまへのお参りができない方もあろうかと思います。

そちらに向けてほんのひととき、手を合わせて目を閉じてみてはいかがでしょうか。

「ココロ」が戻ってまいります。

 

安らかな心とともに生きる力を。

             合掌

亡き人のもとに感じたこと

「こども達今年は静かにしてたね。」

「○○はどうしてるの。去年は来てたよね。」

「はじめまして。」

妻側親族の三回忌供養に出席した際の、会話のほんの一部。

 

同じ時期、お寺でもお檀家さまのご法事がありました。

「いくつになった。」

「仕事はどうだ。」

「体は大丈夫なのか。」

 

よくお見かけする法事の様子です。

 

亡き人の命日を迎え集い、亡き人を偲ぶひとときの営み。

同時に、縁あって集った人達にとっては、

『生』を想う時間なのだと感じます。

 

日頃は仕事、学校、地域活動、あるいは子育て等々で

亡き人への意識は薄れているもの。忘れていることさえも、

それが日常に追われるという「普通のこと」だと思います。

 

ご法事を迎え、親族、縁者が顔を合わせるひとときに、

身なりを整え、あらためて亡き人の『命』を想い、向き合う。

一方で、その営みによって、今有る自分達の『生』を実感していることにも

ふと気づかされる。

そして、「慈しみ」や「感謝」の気持ちが心に蘇る、

人として生きる者にとって大切な時間と成る。

 

生と死がつながっていること。

生きる者と亡き人の魂がつながること。

そして生きる者をつないでいただけること。

法事の温かみは、確かに存在しています。

 

 

『元気そうで。』

『まだまだ、なんとか体動かせてるわ。』

『赤ちゃん何カ月。』

 

亡き人は、ご先祖さまとともに、

お姿見えぬ『根』となって、私たちの「命の樹」を支えてくださっております。

 

法事は、亡き人のもとに「つながり」を感じとり、穏やかな気持ちを心に戻し、

我々の生きる力となるものではないでしょうか。

                             合掌

夕涼みコンサート

この夏のお盆が過ぎ、早くも秋の気配を感じるようになりました。

お寺では19日の晩、安曇野出身、県内で活躍中のフォークソングシンガー

『B・Free』をお招きして、ご本堂にて夕涼みコンサートが開催されました。

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いちご白書をもう一度。 神田川。 なごり雪。 精霊流し。 愛燦燦。

懐かしの名曲たちに、オリジナルの曲を交えて、あっという間の90分。

 

お堂の外では虫の鳴き声が心地よく・・・と想像していましたが、

これが開演前より強烈な雨となり、雨音が堂内まで響くなかの演奏となりました。

しかし、素晴らしい曲目と美しい歌声に心打たれながら、気持ちを揺さぶられながら、

この雨さえも演出かと思えるほどにマッチングしてしまう素敵な演奏でありました。

 

不思議とアンコールを迎える頃に強かった雨が静まり、

演奏終了とともに雨がピタリとやみました。

まるで、お客様の帰り道のご無事を、コンサートを見守られたご本尊さまが

導いてくださっているかのようでした。

 

B・Freeの皆さんは、今月27日から県内ツアーが始まるようです。

直近では諏訪市内のライブハウス「1977」でのコンサートが予定されております。

夏の終わり、素敵な一夜をありがとうございました。

                        合掌

百日紅

お檀家様よりご寄贈されました百日紅を春に本堂前に植樹しました。

8月に入り、初めての花がつき、ただいま綺麗に咲いております。

お盆のお寺参りにお越しいただいた際にご覧ください。

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(境内の桔梗も元気に咲いておりますよ。)

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8月 寺行事とご家庭でのお盆の準備

8月5日(土)

午前10時より、本堂にて施餓鬼法要が厳修され、13ケ寺の住職様方、

大勢の御参列の皆様とともに諸精霊のご供養をいたします。

当日、ご参列されない皆様におかれましては、ご供養しました施餓鬼塔婆を

客殿にご用意させていただきますので、10日までに受け取りにお越し下さい。

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施餓鬼法

施餓鬼供養の様子

 

8月6日(日)  8時15分

8月9日(水)  11時 

8月15日(火)12時

平和の鐘を鳴らします。

8月19日(土)

19時より本堂にて『夕涼みコンサート』を開催します。

出演者は、フォークソングシンガー 『B・Free』です。

8月21日(月) 

9時30分から毎月の寺カフェを行います。

残暑厳しい時期ですので、お寺に涼みにお越し下さい。

 

【盆にむけての準備】

ご家庭にてお盆の準備がすすめらていると思います。

盆前にあわてることなく、今から少しずつ家内、お墓などを清め整えていただき、

安心してご先祖さまをお迎え下さい。

盆の準備にお迷いの方は次を参考までにご覧ください。

 

ご自宅に準備をしましょう

◆精霊棚
 お盆の飾り付けには精霊棚と盆提灯などがあります。

 ※丁寧にはお仏壇から位牌を取り出し、お仏壇前に改めて精霊棚を設けて飾りつけ、そこに位牌をおいて供養する形、地域によりしきたりがあります。

  しかし「絶対」ではございません。これは負担ともなりますので、常日頃の通りにお仏壇を礼して供養差し上げることで充分なのです。

◆盆供
 お盆のお供え物、供物のことを「盆供」と言います。お盆に行う供養のことも同じく盆供と呼びます。

◆迎え火と送り火
 お盆の入り(8月13日 ※異なる地域有り)には、「ご先祖様が迷わずに帰って来られるように」という気持ちをもって、玄関前を照らすよう迎え火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでおいでなしておいでなして♪

 お盆明け(8月16日 ※異なる地域有り)には、ご先祖様を丁寧に送り出すために玄関前で送り火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでお帰りなしてお帰りなして♪

(諏訪地方は白樺の皮を焚いているご家庭が多いです。)

◆飾りつけとお供えもの

◎精霊棚

 お盆に用いられる祭壇 

(前述のとおり、お仏壇を丁寧に整えていただければ充分ですよ。)

◎盆花

●精霊棚の網に逆さに吊るす花  代表的なもの:ほおずき

(花瓶で綺麗な仏花を供えることで充分ですよ) 

●禊萩(みそはぎ)の葉を束ねてお供えする 代表的な盆花のひとつです。

  盆供、飾りの清めに使われていたことから、ミソギハギとも呼ばれていた。

  実際に萩に綺麗な水をつけて祭壇、仏壇、盆供のお清めに使っております。

  ※丁寧には、蓮の葉に水を注ぎ、ナスやキュウリを細かく刻んだもの(精霊への施食)を添え、そこに禊萩を供えます。

 (綺麗な器にお水を注ぎ、そこに萩を供えていただくことでも充分ですよ)

◎馬と牛

 お位牌の前に供えます。

 馬はきゅうりで作ります。早くお家に帰ってきて下さいとの気持ちをもって供えます。

 牛はナスで作ります。ゆっくり過ごして下さいとの気持ちをもって供えます。

 (それぞれの足は割り箸を用いていただけたら充分ですよ)

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◎盆提灯

 お盆のみに飾られます。※新盆は白提灯が主です。

 ご先祖様を迷わす迎えるための灯りです。

毎日暑いなかですので、みなさんがお体を悪くせず元気であることにより、

ご先祖さまに安心していただくことが第一です。

体調、健康に気をつけてお過ごし下さい。

ご心配なことなどお有りでしたら、遠慮なくお寺にご相談下さい。

                                 合掌

納涼盆踊り大会

もうすぐ8月。

お盆がやってまいります。

今年はこの地域のみなさんによる夏の終わりのイベントとして、

三沢区公民館の主催による納涼盆踊り大会が開催されるようです。

昔にさかのぼれば、地域住民が集い盆踊りが行われていたこの地域ですが、

いつからかその営みが途絶えてしまったようです。

今年から再び盆踊りを行い、こどもからお年寄りまでもが集い楽しむ盆の一夜として、

あらためてこの地域に定着させていきたいとのお話をお聞きしました。

 

その昔、念仏の功徳を広めるため、口からは念仏、体には動きをつけ加えたそうです。

体の動きとは、念仏にあわせた「踊り」であり、『念仏踊り』といわれるものでした。

お念仏の信仰の広がりとともに、念仏踊りが人に親しまれていった歴史があります。

歴史を紐解けば、送り盆の夜に明かりを灯し、人が集い踊ることは、

亡き人への供養の心がもとにあるようです。

いつしか地域の人々が多く集い、こどもからお年寄りまでもが顔を合わせて、

踊りを楽しむ「夏の風物詩」となっていったのです。

 

夏の終わりを思う頃、そこに住む縁あるみなさんが夜の明かりに集い、

老若男女が語り、踊り、もてなし、一夜を楽しむ。

そして自分の故郷に流れる送り盆の空気に触れ、愛おしむこと、

それが先祖供養と生きる力になるような気がしております。

 

■日時 8月16日(水) 17時30分より

    (雨天順延:19日(土)17:30三沢コミュニティ)

■場所 真福寺駐車場

■企画 くじ引き、かき氷、ポップコーン、ジュース などたくさん

盆踊り練習日 8月10日(木)、11日(金)、12日(土)

練習場所 三沢コミュニティー施設

■主催 三沢区公民館

寺子屋参加者およびサポーターの募集

今年も小学生を対象とした夏休みこども寺子屋を開催します。(詳細:新着情報)

募集開始より、すでに多くの申し込みをいただいております。

定員30名とありますが、私たち寺族にとっても「挑戦」の意味を込め、

今年は少々人数を越えてもお受入させていただきます。

初めてのこども達も思い切って、またご安心のうえお申し込み下さい。

お申し込みは、新着情報に添付されている申し込み用紙に記入してお送り下さい。

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また、去年から募集を始めました「寺子屋サポーター

私たち寺族と協力しあい、寺子屋に参加する小学生をサポートして、

進行のお手伝いをしていただける中学生を5名程求めております。

当日は小学生よりも早くにお寺に集合していただき、打ち合わせと受け入れ準備、

そして参加者の受付から、進行中における指導サポートの協力をお願いします。

中学生には、小学生への指導や進行サポートという視点を持ちながら過ごすことで、

自分の言葉遣いや振る舞いも意識しつつ、視野を養っていただきたいと考えています。

そして、それをもって中学の夏休みの良い寺子屋体験としていただきたいのです。

 

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申し込みお待ちしております!!

※中学生サポーター:参加費無料、昼食はお寺でご用意いたします。

※募集人数:5名程

※サポーター申し込み:小学生と同様の申し込み方法でお願いします。

 

 

青葉まつり

真言宗の宗祖弘法大師、中興の祖興教大師、両祖大師のお誕生を

お祝いする、総本山智積院の青葉まつりに行ってまいりました。

本山を退職以来、5年ぶりの青葉まつりへの参拝です。

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(智積院金堂)

この日は晴天に恵まれ、大変多くの参拝者によって境内は賑わいをみせておりました。

まずは、講堂に入りお抹茶の接待をいただき、ゆっくりと名勝庭園を拝観しました。

その後は、とても人気が高いとされる諸堂スタンプラリーを初体験。

本尊大日如来が祀られる金堂(智積院本堂)、不動明王が祀られる明王殿(護摩堂)、

阿弥陀如来を祀る講堂、弘法大師を祀る大師堂、興教大師を祀る密厳堂、

5つのお堂を巡るスタンプラリーを楽しみました。

 

昼前からは、柴燈護摩道場に於いて諸願成就祈願柴燈大護摩供が厳修され、

修験道の聖地とされる奈良の大峰山に入峯修行して身心を清めてこられた

僧侶、信者の方々が山伏の装束を身に纏い、厳かに法要が執り行われました。

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(柴燈大護摩供)

 

信州から集って京都を訪ねる機会は、なかなか頻繁には設けることができませんが、

将来は真福寺のお檀家様と京都観光を兼ねて、総本山参拝そして青葉まつりへの参拝を

楽しむことを計画、実現できたら良いと思います。

                         合掌

無道人之短 無説己之長

弘法大師空海真筆の書にある、中国後漢の人の言葉だそうです。

HPでは、今月の言葉の力として掲載しました。

 

『無道人之短』

人の短所や失敗を話題に楽しんだ経験って、誰にでもあるのではないでしょうか。

人の短所、それを責めるかのような話題には人が集まりやすいものです。

しかしながら、人の短所を悪く言い合うという場には、決して建設的なものはなく、

良いエネルギーは流れていません。

 

仏教では『不悪口』を説きます。

人の短所を言うならば、それを悪口として扱わない心掛けが必要です。

その人の為を思い短所を指摘するならば、それはきっと「助言」となります。

短所は誰にでもあるという自覚が必要です。

 

『無説己之長』

自分の長所や善い行いを誇らしげにしていてはいけません。

仏教では『自利利他』を説きます。

自分に自信がついたなら、それは人の為につながる道です。

自分に満足し、自信が「過信」にならない心掛けが必要です。

 

興教大師覚鑁上人は、

『善根を作せば有相に住し、還って輪廻生死の因と成る』

と、善い行いをしても見返りを求めるから、迷いや不満の因が生ずることを、

『密厳院發露懺悔文』にて自らの懺悔の言葉として残しています。

 

誰にでも、必ず長短があります。

生きていくうえでは、自分の長短を自覚し、認めることも必要です。

社会では、自分の長所をきちんと説明し発揮できることが欠かせない能力です。

他人の長短を知ることも、やはり同じように必要です。

しかし、人の短所や失敗は、他人が責め、楽しむためにあるのではありません。

 

互いの長短を知りながら、共に善き道へ前進しようとする努力とその懐が、

慈悲ある生きる力となっていくように思います。

 

『無道人之短 無説己之長』

弘法大師ご自身が大切に受けとめられていた言葉ではないでしょうか。

 

6月15日は弘法大師御生誕の日です。

6月17日は興教大師御生誕の日です。

南無大師遍照金剛 南無興教大師

                      合掌

京都 真言宗智山派総本山智積院

両祖大師御生誕慶祝青葉まつり

同期会

このたび、総本山での修行時代の仲間と集いました。

楽しみにしている年1回の同期会です。

今年は、川崎に集いました。

同期の一人が修行後から奉職している大本山川崎大師平間寺を参詣し、

御護摩修行に参列させていただきました。

 

平成13年度智山専修学院同期会として迎え入れていただき、

川崎大師職員様には、とても丁寧に、そして過分におもてなしを頂戴しました。

これも同期仲間との縁有ってこその事であり、誠に有り難いことです。

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御護摩修行では内陣のもっとも近いところからお参りさせていただき、

それぞれの心願成就祈願に姿勢を正し、心を込めました。

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夜は川崎の街で懇親会を行い旧交を温めました。

大変にお世話になった副生徒監督も遠く愛知県から駆けつけて下さり、

懐かしい話、それぞれの近況など話は尽きませんでした。

 

一年間の僧堂生活で寝食、苦楽を共にした、

いわゆる『同じ釜の飯を食った』者同士。

卒業してから15年経った今も、特別な存在です。

そして、一年に一度集うことで、確かにここに僧侶としての原点があることも感じ、

素直に感謝できるのです。

               合掌

風薫る

若葉の香り漂う、爽快な季節を迎えようとしています。

境内では枝垂れ桜が散り、柔らかな春は終わりを告げようとしております。

5月は中旬となり、寺の参道から境内のつつじや芝桜が綺麗に咲き、

本堂と観音堂の間にある坪庭ではクマガイソウが見頃となっております。

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陽を浴びて成長する草木の息吹きをもっとも感じるこの頃、

日中の田畑では農作業に精を出す人達、ひときわ空気が澄む早朝には、

散歩やジョギングをされる人が多く見られるようになりました。

この田舎の「いつもの光景」であり、みなさまが健やかにお過ごしであることを

感じとれるこの頃であります。

 

薫風に誘われて体を動かし、色んなことに取り組んでみようと思える

もっとも良好な季節ではないでしょうか。

                   合掌

賑わう善光寺

GW、快晴が続きます。

5日、長野善光寺に行ってまいりました。

訪れている観光客の多いこと。

お寺は花まつりをしており、大変な賑わいをみせておりました。

自身、一昨年の御本尊ご開帳以来の参詣です。

 

このたびの目的は、「善光寺よさこい」に参加すること。

9月17日(日)に地元諏訪地域において開催される

『第5回諏訪湖よさこい』のPRのためです。

※諏訪湖よさこい:http://suwakoi.com/

実行委員会メンバーが有志で集い、善光寺よさこい会場にて

各地よさこい開催のPRタイムをいただき、各地オリジナルの総踊りを演舞しました。

チーム出場して活躍する諏訪地域の踊り連のみなさん、安曇野、駒ケ根など近隣地域の

踊り連のみなさんのお力を存分に借りて、一緒に演舞しました。

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昨年の諏訪湖よさこいは雨天中止となり、全国からエントリーされた踊り連のみなさん、

そして地元で準備を整えていた実行委員会のメンバーにとって残念な結果となりました。

 

今年は秋のリベンジに向けて発動しております。

 

GWの善光寺、長野駅周辺に開催される行事、各種イベントの盛り上がり。

行き交う人達、ご家族のみなさまが良い休日を満喫されているようでした。

境内 枝垂れ桜が見頃です

4月26日。境内の枝垂れ桜がもうすぐ満開を迎えます。

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本日の天気は雨予報とのことで残念ですが、

今後、4月いっぱいはもっとも見頃となり、花見をお楽しみいただけます。

お出掛けの際は、春色に染まった寺の境内にふらりとお立ち寄り下さい。

                                      合掌

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花まつりのお知らせ

毎年の恒例となりました、岡谷市仏教会主催による、

お釈迦さまの御生誕をお祝いする花まつり

今年は37回目を迎え、照光寺様を会場として行われます。

ご家族、ご友人お誘いあわせて、今からご予定下さい。

 

◇とき  平成29年5月21日(日) 午後2時~4時

◇ところ 照光寺光明閣 (岡谷市本町2丁目6-43)

 

◇プログラム

第1部 花まつり慶讃法要 

      内容:お稚児さんによる献灯・献花・献香

          潅仏

          出仕寺院および関係皆様による御法楽(市内14ヶ寺)

                      

第2部 記念講演

      内容:花まつり特別コンサート(カノラ少年少女合唱団)

 

◇お稚児さん募集

衣装を纏い、法要に参列する4歳~10歳のお子様を募集しております。

定員がございますので、早めにお問い合わせ下さい。

(お問い合わせ窓口:照光寺0266-22-2314)

桜の様子

4月17日。

真福寺境内、枝垂れ桜のつぼみの様子です。

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14日、伊那市の春日公園の桜を観に行きましたが、

まだまだ一部咲きでした。

今年は一週間から十日ほど開花の具合が遅れているとのこと。

 

当山境内の枝垂れ桜は例年、4月20日過ぎに見頃を迎えてますが、

おそらく今年は、満開の見頃が月末近くなるのではと予想しております。

月末からの連休、お出掛けの際は境内にお立ち寄りいただき、花見をお楽しみ下さい。

 

3月には開かなかった境内の梅の花。

4月10日頃、気温の上昇とともに開き始め、今がやっと見頃です。

県下各地の桜開花宣言と同じ時期に梅の開花。

気候が安定せず、その影響を受けているようであります。

4月

春、4月を迎えました。

今年は3月になっても寒い日が続き、ついに境内の梅の花が開きませんでした。

無心に咲く花も、今は耐え忍んでいるかのようであります。

柔らかな春の陽を浴びて精一杯咲くその日を待つことにしましょう。

 

3月末日からは春の雪が降り、4月1日の朝は一面雪景色となっております。

本日を節目として新たな出発を迎える新入学生、社会人の皆様には、

この景色のように、気持ちを真白にしてスタートしてほしいと思います。

 

お寺は夏時間となり、御詠歌の会、写経の会、念珠の会、寺カフェが

それぞれ始まります。

朝の打鐘時間は5時30分に早まります。

寺行事にはどなたもお気軽にご参加下さい。

御心配な点は遠慮なくお問合せ下さい。

 

これからは遅咲きとなった梅の開花、そして例年、下旬には枝垂れ桜が満開となります。

境内の春の色、香りを楽しみにぜひお立ち寄り下さい。

                       合掌

彼岸供養

今年の春彼岸は、お中日の寺行事「春彼岸のつどい」に参加された皆様と

腕輪念珠づくりを楽しみました。

腕輪念珠づくりの醍醐味は、シンプルな手作り感を味わう楽しみと、

楽しいひとときのなかにある、ほどよい緊張と『専心』だと思います。

そしてオリジナルの念珠の出来上がりは嬉しいものです。

 

自身、過去にひとつの腕輪念珠(頂きもの)を大切に

何年も身につけておりましたが、とある宿泊先で失くしてしまったことがあります。

残念であり、以来、腕輪念珠はつけておりません。

最近では、老若男女多くの方が腕輪念珠をつけているのを見かけます。

なかには大切に肌身離さず、という方もいるのでしょう。

 

腕輪念珠づくりは自分の為のものでなくてもいいのです。

あの人のために、ご家族のために、そして大切な亡き人のために。

心込めて作ったものを亡き人のもとにそっとお供えしておくことも良いことです。

 

穏やかに進める手作りのなかに、誰かを想う。想像する。

その「想う」という行為こそが供養になると思います。

手にしたものがお念珠であれば、きっと安心と功徳もあることでしょう。

                             合掌

お別れの季節に

卒業式を迎える時期となりました。

良き友や恋する人との別れ、先輩後輩との別れ、師との別れ。

愛別離苦と感じる人もいれば、その逆も然り。

 

教員や保育士の人事異動を新聞掲載に知り、我が子がお世話になった先生方との

親としての別れもここにあります。

それが仕事だから、と言われればそれまででしょうが、

こどもを親とは違う視点で観察しながら、見守ってくださっていた先生方には、

感謝を伝えてお別れしたいものです。

 

「仰げば尊し」という曲。

今では卒業式に歌う学校は少ないようですね。

先生から成長させてもらったのは、ともに過ごしたこどもだけではなく、

親としてもいくつも「気づき」をいただきました。

日々かけていただいた言葉や文章によるメッセージなど。

去られる先生方には、まだ幼いこどもに代わって親が感謝申し上げなくては。

                                 合掌

お墓100年プロジェクト

このたび埋葬の歴史を学ぶ機会があり、先人に本能的に備わっていた先祖観が

現代にあらゆる形で継承されていることを知り、一方では失われていく現実があることも

改めて考えさせられました。

 

さて、ご講義のなかで、少しですが触れていただいたお話があります。

『お墓100年プロジェクト』という取り組み。

その一環として「お墓参りフォトコンテスト」が行われているということ。

 

お墓参りの様子の写真をいくつか紹介してもらい、

そのうちの一枚の写真に目が留まりました。

小さな女の子が手桶と柄杓を持って墓地を歩いている後ろ姿。

http://ohaka100nen.jp/syuuryou-2012.html

(プロジェクト事務局の許可のもとリンク掲載しております。)

ご講義くださった先生が仰っていましたが、お墓参りなどの供養の在り方は、

教わるのではなく、親、家族の姿から真似て覚える。

次世代に伝わっていくものであるということ。

 

これは、家のお仏壇でも一緒ではないでしょうか。

おまいりの姿が家族の日常にあって、小さなこども達がその姿を観ることで、

次世代への継承の種が付く。

難しいことを教えるのはもっと先のことでよく、

カタチから入ることも大事という一例だと思います。

お墓やお仏壇。いつか種が根付き、慈悲の心が芽生え、

そこが「生きる力」をいただく場所ともなります。

                   合掌

やしょうま

2月15日はお釈迦さまのご命日とされています。

多くの寺院にて涅槃会あるいは常楽会が営まれます。

以前、長野県内の僧侶と涅槃会の話題で話をした際に、

「やしょうま」というものが話にあがりました。

私はなんのことだかわからなかったので教わると、お釈迦さまのご命日に

お作りするお菓子だそうです。

 

長野県は広く、同じ仏教界でも習慣が違うのだなと感じました。

長野県の北信地方では、お釈迦様の命日にちなんで「やしょうま」を作るそうです。

やしょうまは、米粉、片栗粉、砂糖、塩に湯を加えて練ったものを蒸して、

食紅で様々な絵柄をつけ形を整えたお菓子のようです。

ネットで調べてみると、彩られたたくさんのお菓子の写真が出てきました。

とても美しい手作り和菓子であり、心こもる仏さまへのお供えものです。

口にするとモチモチとした食感にほんのり甘味があるそうで、その味も含め絵柄の出来も

毎年手作りする楽しみのひとつだそうです。

お供えしてからお下げしたやしょうまを大人こどもで美味しくいただき、

無病息災の御利益もあるのだとか。

同じ県民による涅槃会の習慣、郷土料理でありますので、

興味をよせて近々作り方を教わりたいと思っております。

埋葬を学ぶ機会

通夜葬儀を勤め、あるいは回忌供養のご法事などを勤めていて思うこと。

葬送などの営みの在り方は昔と変化したことは周知の事実です。

昔の尺度はさておいて。

その営みそのものに人の手が加わり、画期的な演出、創造が

施されていることを知る昨今。

今後も供養のこころ、姿、カタチは変化していくのでしょうか。

 

創造の陰に失われていくものも多いのです。

直葬、墓終いという言葉をあたりまえのように聞くようになりました。

すべては、その時代における人々の「背景」があってのことだと思います。

どの時代の変化も、「背景」を紐解くことで、納得せざるを得ない

気づきがあるのかもしれません。

 

2月に長野南部真言宗智山派青年会の青年僧侶は、

山梨県の他宗派御寺院住職であられる考古学の先生を訪ね、

過去の埋葬のカタチから紐解かれた、先人の意思やこころを学びます。

遥か昔、人間の本能はどのようにして先祖への想いや供養の心を

カタチとして創造し、継承していったのでしょうか。

埋葬の歴史を学んでみようと思います。

                          合掌

念珠づくり

家族で腕輪念珠づくりをしました。

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色々な玉をみて、自分の好みに合わせてオリジナルを作成します。

作り方はというと、これが単純作業のようで、なかなか難儀なところもあります。

初めての体験では、作業方法の伝え手と受け手の間で理解の壁が出来てしまう。

作業時間は個人差もありますが、慣れてしまえば15分程度です。

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お寺の行事、3月の「春彼岸のつどい」にて、老若男女が楽しめる腕輪念珠づくりを

みんなで挑戦してみようと思います。

恒例の春彼岸のつどいについては、改めてHP、回覧板などでご案内いたします。

お楽しみに。

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迎春 丁酉年

あけましておめでとうございます。

2017年 丁酉の年を迎えました。

迎春

みなさん、今年はどのような志をお持ちでしょうか。

酉年の生きものは鶏があてられていますが、字は鳥や鶏ではなく、

「酉」の字を用います。

酉は作物が成熟し、実った状態を意味しているようで、

マーケットでは、未辛抱 申酉騒ぐという格言があるようです。

ポジティブに商売繁盛の年と明るく捉えることができますね。

 

また、この年の守り本尊は不動明王です。

不動。何が動かないのか。

「心」です。

 

不動心という言葉があります。

不動明王は、迷いある者をすべて救済するという確固たるお姿。

祈る者を助け、智恵を与えて救おうとする、「その心が」揺らぐことがない。

「智積院 不動明...」の画像検索結果

(京都 総本山智積院 不動明王像)

2017年。

年明けの節目に抱いた「志」を、動かぬ心で貫く。そこに明るい光が射し込む。

どなたにとっても、きっとそんな年になるのではないでしょか。

 

みなさんが穏やかに年をおくられますことを。

志ある人に実りがありますことを。

明るい一年となりますことを。

本年も宜しくお願いいたします。

               合掌

 

1月4日(水)10時より、観音堂にて新春厄除観音初護摩法要がございます。

どなたもご参拝できますので。

お誘いあわせてお参り下さい。

変化

2016年、残すところわずかとなりました。

年末を賑わす紅白歌合戦の話題の中心には、国民的アイドルの存在がありました。

デビューより25年もの長きにわたり活躍し、常にトップで業界を牽引し続けてきた

5人の超人気グループです。

話題の中心とは、このグループの「解散」にありました。

 

別れ。

仏教に照らしてみるならば、これも「諸行無常」の教えそのものです。

形あるすべてのものは常に変わりゆく。いつか必ず変わりゆく。

人であればその心も同じく。

 

ひとりの人でさえ、時とともに心の内は変化し、生き方の価値や優先順位は変わり、

歩みの歩幅や行き先、求めるものは移り変わっていきます。

立ち止まる時も有れば、大きく背伸びすることもあり。

5人そろえば、なおさらその形を留めておくことは難しいのだと思います。

周囲の望む形に長く応え続けることも、おそらく大変なことなのでしょう。

もともとは特別なオンリー・ワン。

 

逆に言うと、グループがこれだけ長いあいだ同じ形、同じベクトルで成長し続け、

最高のパフォーマンスを保ち、国民に愛され続けたというのはすごいことだと思います。

まさに一時代の大功労者というべき存在ではないでしょうか。

 

今後、5人は新たな縁によって、その生きる姿はさらに変化をしていき、

いつかまた交わる瞬間があるのだと思います。

この先に流れる時の量、豊富なご縁、そして心の変化とともに。

 

2016年、みなさんの変化はどうでしたか。

「無事」や「健康」が保たれたのであれば、有り難いことですね。

どなたも大晦日はお参りのなかで心を和ませ、力強く新しい年を迎えて下さい。

                               

                                感謝 合掌

興教大師

12月12日は興教大師覚鑁上人のご命日です。

私たちの宗派では弘法大師とともに両祖大師として拝しております。

覚鑁上人は若くして高野山に登り、弘法大師の開かれた真言教学の再興に邁進されます。

高野山座主職もお務めになられ、その後に高野山を下り、真言教学の再興を

紀州根来の地(和歌山県根来市)に求めます。

総本山根来寺(新義真言宗)を開創され、根来山には多くの塔頭寺院、

450もの坊舎(一説には2000)があったとされております。

私たち宗派の総本山智積院ですが、もともとは根来山の塔頭寺院としてありました。

根来山は真言教学を学び実践する道場として大いに隆盛し、やがて政治力、

経済力、さらには僧兵としての力も蓄えていったそうです。

しかし後の天正13年に豊臣秀吉による紀州征伐があり、根来攻めの難を京都に逃れた

智積院住職の玄宥僧正が、徳川家康公から京都の寺領を授かり智積院が再興されます。

総本山智積院は、明治の時代には新義真言宗智山派を名乗っていましたが、

昭和26年に公称を真言宗智山派と改め現在に至ります。

正式名称は五百仏山根来寺智積院(いおぶさん ねごろじ ちしゃくいん)といいます。

私たちの宗派は、興教大師覚鑁上人を真言宗中興の祖として祀り、

『南無大師遍照金剛』 『南無興教大師』と両祖大師を拝します。

 

覚鑁上人は49歳の若さでお亡くなりになっていますが、

その一生のほとんどを、内観をはじめとする「行法」に勤めたと伝えられています。

次は覚鑁上人が仰った言葉として伝えられるものですが、

自らの行に対する信念と、揺るぎない大日如来への帰依の心が感じられます。

 

『もし鑁が虚言ならば、これを修して自ら知れ。

  ただ願わくは一生を空しく過ごさしむるなかれ。』

 

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真福寺発祥の地、高尾山麓寺平には覚鑁上人がおられます。

雪が降る前に、また山を登りお会いしに行きたいと思います。

                               合掌

大事なものは目に見えない

いよいよ今年も12月となりました。

さて、毎週日曜日の早朝に「テレビ寺子屋」という番組が放送されています。

以前の放送で『感謝日記』というものを毎日つけている方のお話がありました。

 

その日を振り返り、感謝の気持ちを綴る。

始めの頃は、その日にあった有り難かった出来事を振り返っていたそうです。

しかし、そのうちにこれといって明確に思い浮かばない日も増えてくるのだとか。

うん、わかる気がします・・・。

それでも続けているうちに、不思議と周囲への関心が変化し、

日頃のあたりまえのことに意識が向くようになってきたそうです。

『いつもの電車が、時間も車両もピッタリと停まる』

『社員がそろって朝礼ができる』

『家族と一緒に食事ができる』

総じて、健やかでいれることへの感謝でしょうか。

 

さらに続けていると、不快な対象にも意識が及ぶそうです。

自分を叱った相手。

文句を言っている相手。

迷惑だと感じた相手。

苦手な人、嫌な相手にも興味が及び、これも感謝につながるのではと

心が働くそうです。

 

つまりは、徐々に感謝のレベルが変わるとのこと。

この能動的な姿勢こそ、「幸福学のテクニック」であるということなのです。

手洗い水

 

『有り難きことの多くは 目には映らない』

日頃のあたりまえのこと。

意識すらしなかったこと。

無縁とさえ感じていたこと。

しかし、心で観て捉えると、見え方が変わり目に届く。

実はそれが有り難いことだったりするのです。

 

真実は、きっと目には見えないことが多いのでしょう。

大事なものは目に見えない。

              合掌

秋 初雪

京都の紅葉の名所は今が見頃であり、多くの観光客で賑わっているそうです。

ふるさと諏訪のみなさんは地元で紅葉を楽しめたでしょうか。

お寺は10月の終わりから一カ月間は木々の葉が落ち、掃き掃除の毎日でしたが、

最近になって落葉も片付き、ほっとしておりました。

 

それもつかの間、本日朝起きると外は雪景色。

これから冬支度をしようとした矢先、まさか、秋深まった11月の積雪です。

心の準備もないまま、早朝から雪掻きに追われました。

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参道の小僧さん、寒そうだな~。

 

こども達が起きてきて、外の雪を見て大変喜びました。

どうしてこどもは雪を見て喜ぶのでしょう・・・?

『あ~こどもの頃に帰りたい』

『スキーもスノボもしないし、冬は辛いことばかりだもの~』

こどもが雪に触れ、はしゃいで喜ぶ姿が冬場の救いであります。

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諏訪地方で冬を越すことは、厳しき寒さのうえに除雪、凍結、歩行難、交通難、

どなたにとっても様々な苦労となります。

お年寄りも多くおられますので、皆が無事に冬の生活をおくれるように

隣近所助け合いたいものです。

若手、または自分を若いと思う人は先頭にたって頑張って下さい。

さあ冬支度。

            合掌

成田山御柱祭

岡谷市の成田山蓮華不動院の御柱祭に参加しました。

当日は秋晴れに恵まれ、寺族はじめ成田山奉賛会みなさま、

地域のみなさま、そしてお子様連れの多くのご家族によって、

8本の柱の曳行が進められました。

こども木遣りが響くなか、みなさんのとても和気あいあいとした、

顔を合わせて楽しむ姿が印象的でした。

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境内に立派な鳥居が建ち、その奥には伊勢神宮と山の神が祀られております。

境内まで曳かれた柱は冠落しの後に無事に社に建てられ、みんなで声高らかに

喜びの万歳を致しました。

その後は、宝投げや太鼓の奉納を楽しみ、直会の席にて御馳走をいただきました。

 

こちらのお寺は不動明王を御本尊とする成田山の名刹。

地域がひとつとなり、そこに根付く「信仰」と「親しみ」の姿がここにもありました。

境内の葉が紅く色づく、有り難い秋の一日です。

                                  合掌

永代供養墓

各家のお墓の世話や継続が、核家族化などをはじめとするいくつかの原因により

困難となっていることは、すでに周知の事実であります。

現在もこの問題は加速し、近頃は墓終いという言葉も聞かれるようになりました。

これに対する光明と言うべきか、永代供養という形に添い永代供養墓が建立され、

時代の流れとともに、合葬も新たに求められる納骨供養の姿となりました。

将来を見据えて、生前からここを訪れてくる人も少なくありません。

 

当山も例外ではなく、永代供養墓への関心は年々高まっております。

実際に多くの御霊がここに眠り、ご供養をいたしております。

当山にとって有り難いことは、その供養のすべてをお寺に任せるだけではなく、

遠近に関わらず、たびたびここを供養に訪れる方がいることです。

また、永代供養墓が当山檀徒方の聖地内に位置していることから、

お墓参りのお檀家様より、有縁無縁のへだてなく香華を添えていただくこともあります。

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このたび、複数の方より花をお供えいただくことができるよう献花台が増設されました。

訪れた方のお気持ちが伝えられる永代供養墓であり、大変有り難く思います。

                                    合掌

清浄

今月中、紅葉が見頃になると聞き、宝剣岳に登りました。

(もちろんロープウェイを利用・・・)

軽装でしたので、山の上はとても寒かったです。

さて紅葉はというと、それほどすすんではいませんでした。

見頃は月末でしょうか。

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山上は空気がとてもきれいで、深呼吸することで体が清まります。

すれ違う登山客と気持ちよく挨拶を交わします。

つい余計なことを考えました。

どうしてみんな山に登るんだろう・・・。

もちろん、その目的、あるいは意味や価値など人それぞれだと思いますが。

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山上から観る大自然、そこには清々しく美味しい空気が遍満しています。

日常生活、あたりまえにしている呼吸、寝ていても勝手にしてくれている呼吸、

目に見えない空気、それを発する大自然に有り難さを覚えました。

大自然そのものが神仏の息吹であり、身を委ねるように拝します。

私はそれで十分です。

『山川草木悉皆成仏』

               合掌

熊野神社御柱祭

寺のお隣、熊野神社の御柱祭が盛り上がっております。

9月18日の山出しは荒天により延期され、25日(日)に行われました。

里を離れた深い山より出された四本の御神木が二つの木落とし坂や各難所を下り、

力を合わせて三沢の里まで曳き出されました。

 

このたび10月9日(日)には、里曳きが地域総出の力で盛大に行われ、

四本の御柱が無事に熊野神社まで到達しました。

区民、地域の皆様が大勢見守り、大人こどもの木遣り、よいさーっの声が響き渡るなか、

一ノ柱が見事に建てられ、祝いの宝投げが行われました。

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最終日10日(月)は建御柱が行われ、二、三、四ノ柱、全ての御柱が境内に建ち、

熊野神社の御柱祭は協力一致のもと安全無事に終了を迎えました。

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地域の皆様が大きな声を合わせ、心をひとつにして取り組む豪快なお祭り、

区民による崇高な神事です。

ここに宿る山の神々を拝し、地域の日常、人々をお守りいただきます。

次の御柱祭は6年後。

御嶽山噴火災害犠牲者追悼

2年前の9月27日、午前11時52分に発生した御嶽山の噴火。

多くの登山者が犠牲となり、日本において、その噴火山災害の規模は

戦後最大と言われております。

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三回忌を迎えるにあたり、26日午前、真言宗智山派長野南北教区青年会の僧侶が、

御嶽山7合目、田の原天然公園内の献花所に集い、追悼法要を執り行いました。

ここにはご遺族をはじめとして、犠牲者を偲ぶ多くの方が立ち寄り花や香を供え、

犠牲者に思いを馳せ、静かに手を合わせております。

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58名の死者、そしていまだ行方不明の5名の犠牲者。

深い悲しみのなか、その歩みにも2年の月日が流れようとしております。

ご遺族はもちろんのこと、生存者や救助隊員のなかにも癒えぬ心の痛みを

お持ちの方々がおられることを察します。

安堵の日が訪れることを願います。

 

御岳の御霊、心静かに安らかにお眠り下さい。

                          合掌

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物故者三回忌追悼文

生憎

9月18日(日)。

深夜から明け方にかけて強く雨が降り続き、

その強い雨音は閉じた瞼の奥に思考を働かせ、浅い眠りのまま朝を迎えました。

雨は、まもなく正午を迎えようとする今も弱まることなく降り続いています。

 

この日は隣の熊野神社の御柱の山出しが行われる予定でした。

朝6時頃、「延期」との連絡が流れました。

 

同じ頃に、もうひとつの連絡をいただきました。

第4回諏訪湖よさこいの「中止」について。

こちらも、前日までに万全の準備が整い、

あとは当日によさこいを演舞される踊り子のみなさま、ご来場のお客様を迎え、

おもてなしに尽し楽しもうという心意気であったはずです。

生憎の絶望的な雨に屈し、まさかの中止。

目前にカタチとなっていただけに残念です。

諏訪湖よさこいとは

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悟りを得たお釈迦さまは、

この世は「不如意」だと仰ったそうです。

この世の「諸行は無常」だと仰ったそうです。

すべてのことは思い通りにならない。

すべてのことは常なく移り変わる。

それは頭では解っているつもりですが、心のなかはそうもいかず。

生憎、自分の心も思い通りにならない、できないのです。 

                         合掌

(追記)

午前、御柱役員の方が正装(祭装)を纏い、雨に身を濡らしながら、

山出しの休憩に振る舞う予定であった果物を届けて下さいました。

この悪天候に朝から一件一件お宅を回って下さる苦労を察し、

恐縮し、御礼申し上げます。

青年僧の宗派交流

真言宗智山派長野南部教区青年会は、高野山真言宗長野支所青年教師会と

交流し懇親を深める為、松本市野球場にて親睦野球試合を行いました。

会員の御子息である高校生も参加し、ともに汗を流しました。

7イニングを行い、結果は8対8の同点でした。

ここでプレーするのは高校野球依頼。懐かしくも感じながら。

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この日の松本は一日雨予報でありました。

前日から雨天中止による予定変更を想定し準備していました。

雨が降らないことを心に願い・・・。

 

ふと思いました。

残暑厳しい時期、どこかで他の誰かは、きっと雨乞いをしてるだろうなと。

どこかで雨降らぬことを祈る者あれば、どこかでは雨を求める者が居て。

そう考えると、自分達のことだけ祈るのもつまらぬ事と思いやめました。

 

当日は予報と異なり晴天。

午後からの試合が終わり、グラウンド整備終了と同時に雨が降り出しました。

とても有り難く、また不思議に思いました。

お陰様。

その後は食事の席を設け、会話もはずみ良い宗派交流となりました。

                                合掌

御嶽山噴火災害犠牲者追悼

このたび、御嶽山七合目地点、田の原天然公園にある御嶽山噴火犠牲者の

供養献花所に参り、この場所にて昨年の一周忌以来に手を合わせ、

心経を唱えさせていただきました。

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9月27日には、犠牲になられた多くの方々の三回忌を迎えます。

膨大な人数による連日懸命の捜索活動にも、ついに発見されることのなかった

犠牲者もおられます。

真言宗智山派長野南部教区智山青年会僧侶は、9月26日(月)午前11時、

この献花所に一堂に会し、三回忌追悼法要を執り行います。

送り盆

諏訪湖の湖上を一千を超える灯篭が連なり、

ゆらゆらと流れます。

岡谷市の風物詩である送り盆行事、諏訪湖畔灯ろう流し。

市民が集い手を合わせ、多くの御霊をお送りします。

静寂のなかに湖上の灯ろうを見つめ、手を合わせる人の想いは様々。

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辺りでは屋台に人が賑わい、夜空には花火があがります。

みな所々に腰を下ろしてそれを眺めます。

けして豪快なものではなく、これも亡き大切な人への供養であると感じる、

優しい余韻を心に残してくれる花火であります。

 

灯ろうと花火、その美しさは夏の終わりも感じさせ、どこか切なくもなります。

切なさのなかにも、人のぬくもりを感じとれる素晴らしい行事です。

 

岡谷を代表するこの送り盆行事は今年66回目を数えます。

素晴らしいものは続くのだと思います。

                      合掌

8月~夏の行事・仏事~

梅雨明け宣言とともに急激に暑い日が続くようになりました。

8月5日午前、本堂にて施餓鬼法要が厳修され、13ケ寺の住職様方、

大勢の御参列者とともに諸精霊のご供養をいたしました。

当日、ご参列されなかった皆様におかれましては、ご供養しました施餓鬼塔婆が

客殿にご用意できておりますので、盆前お早めにお越し下さい。

 

6日朝8時15分、住職、総代様方が平和の鐘を響かせ、

恒久平和を祈願しました。

9日の11時、15日の12時にも平和の鐘を鳴らします。

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毎年の8月17日、送り盆行事として本堂にて行っておりました

「ご先祖さまをお送りする小さなコンサート」ですが、

昨年の第25回目を一区切りとしまして、

今年からは「夕涼みコンサート」と改め、19日(金)19時より本堂にて開催します。

 

23日10時からは毎月の寺カフェを行います。

残暑厳しい時期、お寺にゆっくりと涼みにお出掛け下さい。

 

さて、ご家庭にてお盆の準備がすすめらていると思います。

盆前にあわてることなく、今から少しずつ家内、お墓などを清め整えていただき、

安心してご先祖さまをお迎え下さい。

<盆の準備>

盆の準備にお迷いの方は次を参考までにご覧ください。

 

ご自宅に準備をしましょう

◆精霊棚
 お盆の飾り付けには精霊棚と盆提灯などがあります。

 ※丁寧にはお仏壇から位牌を取り出し、お仏壇前に改めて精霊棚を設けて飾りつけ、そこに位牌をおいて供養する形、地域によりしきたりがあります。

  しかし「絶対」ではございません。これは負担ともなりますので、常日頃の通りにお仏壇を礼して供養差し上げることで充分なのです。

 

◆盆供
 お盆のお供え物、供物のことを「盆供」と言います。お盆に行う供養のことも同じく盆供と呼びます。

 

◆迎え火と送り火
 お盆の入り(8月13日 ※異なる地域有り)には、「ご先祖様が迷わずに帰って来られるように」という気持ちをもって、玄関前を照らすよう迎え火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでおいでなしておいでなして♪

 お盆明け(8月16日 ※異なる地域有り)には、ご先祖様を丁寧に送り出すために玄関前で送り火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでお帰りなしてお帰りなして♪

(諏訪地方は白樺の皮を焚いているご家庭が多いです。)

 

◆飾りつけとお供えもの

◎精霊棚

 お盆に用いられる祭壇 

(前述のとおり、お仏壇を丁寧に整えていただければ充分ですよ。)

◎盆花

●精霊棚の網に逆さに吊るす花  代表的なもの:ほおずき

(花瓶で綺麗な仏花を供えることで充分ですよ) 

●禊萩(みそはぎ)の葉を束ねてお供えする 代表的な盆花のひとつです。

  盆供、飾りの清めに使われていたことから、ミソギハギとも呼ばれていた。

  実際に萩に綺麗な水をつけて祭壇、仏壇、盆供のお清めに使っております。

  ※丁寧には、蓮の葉に水を注ぎ、ナスやキュウリを細かく刻んだもの(精霊への施食)を添え、そこに禊萩を供えます。

 (綺麗な器にお水を注ぎ、そこに萩を供えていただくことでも充分ですよ)

◎馬と牛

 お位牌の前に供えます。

 馬はきゅうりで作ります。早くお家に帰ってきて下さいとの気持ちをもって供えます。

 牛はナスで作ります。ゆっくり過ごして下さいとの気持ちをもって供えます。

 (それぞれの足は割り箸を用いていただけたら充分ですよ)

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◎盆提灯

 お盆のみに飾られます。※新盆は白提灯が主です。

 ご先祖様を迷わす迎えるための灯りです。

 

毎日暑いなかですので、みなさんがお体を悪くせず元気であることにより、

ご先祖さまに安心していただくことが第一です。

体調、健康に気をつけてお過ごし下さい。

ご心配なことなどお有りでしたら、遠慮なくお寺にご相談下さい。

                                 合掌

流行

日頃お見かけしない若い参拝者が、お寺の山門で写真を撮っています。

(写真を撮っているように見えます。)

少し不思議に感じていたので、妻に聞いてみると意外な答えが・・・。

 

「ポケモンGO」というスマートフォン専用のアプリゲームが配信され、各地各所に

指定される場所に行くと、何かしらゲーム上のアイテムを取得できるのだとか。

 

では、その指定先の画像を見させてもらうと、

近くで鶴嶺公園内「初代片倉兼太郎像」。

お隣の熊野神社拝殿。

そして、真福寺の山門!? 

 

なるほど、妙に合点がいきました。(笑)

 

妻:『うちの山門が指定ポイントだから、いつでもボールがゲットできるよー❢』

私:『そ、そうなのー・・・。(妻もやってたこのゲーム・・・。)』

 

流行がメディアにより急加速し、それにより人やモノの流れが変化する。

本物か虚像かは別として。

このたび、その事象の「ごく一部」を目の当たりにしました。

 

今後の建設的、健康的な発想と展開を期待します。

表と裏、明と暗が想像つくだけに、そう願います。

                         合掌

寺子屋

3回目となる夏休みこども寺子屋が30日(土)に開催されます。

1回目より、「夏休み半日寺修行」としてご案内を致しております。

これまでは筆を使った写仏、また描かれた仏様への色付けなど、

心静かに手先に集中して取り組むことをしてまいりました。

今年からは、体を大きく動かしてもらおうと、みんなで大掃除に取り組みます。

モップなどの道具は使わず、腰を落とし目線を床まで下げて、雑巾のみを使って

広いお寺の掃除をします。

お寺の隅々足元の汚れに気づき、なかまと協力して綺麗にすること、

そして体を動かしたことで達成感や喜びにつながってほしいと思っています。

こどもにとって自利利他の体験となるよう、私自身一緒に取り組むことが楽しみです。

 

その他、毎回の座禅や作法への取り組み、今回は遊びや発想の要素を取り入れてみようと

野菜を使って手ぬぐいデザインをしてみます。

毎年のテーマで、協調して頑張ることと「顔晴ること」(楽しく修行)を伝えています。

お寺でなかまと過ごす時間が、有意義なものとして自宅に持ち帰ることのできるよう、

また思い出深い夏休みの一頁となるよう、準備を整えてお待ち致しております。

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なお、参加申し込みはまだ受け付けておりますので、遠慮なく問い合わせ下さい。

東京のお盆

明日からは東京大田区のお寺の棚経を助法します。

こちらのお寺にお世話になって6年目となります。

東京は7月がお盆ですので、この時期に皆さんがお墓参りをしてお寺を訪れます。

大田区はお寺が多く、棚経で自転車を走らせていると、何処となくお線香の香りがして、

東京の下町に漂うお香の匂いに、私はお盆の心温かい営みを想像します。

 

私どもの田舎のお盆は一般的な8月盆です。

田舎は若者離れ、墓離れがささやかれており、今後墓の後継がいないことが

不安視され、しまいには墓終いなんていう言葉も作られてしまいました。

 

このまちから盆踊りがあまり見られなくなったのはいつ頃からでしょうか。

これも若者がまちを離れ、行事営みの後継がいないことが一因でしょうか。

 

お墓の視点からお盆を考えますと、家のお墓を世話する人がいなくなるという事実から

お盆の習慣が薄れていくのはなにか寂しく思います。

盆前にお墓を綺麗にするのも、地域の皆様の顔合わせの機会とすればいいと思うのです。

これがすでに地域間におけるお盆らしい営みのひとつではないでしょうか。

有縁無縁のへだてなく。

お墓を「守る」という、個に責任を感じさせるような固い言葉は使わければいいのです。

綺麗にしようと隣近所と顔合わせ助け合うのが、そもそも田舎の良いところですから。

 

これも無理をせず、無理をさせず、頑張るではなく、『顔晴る』という

心晴れやかな精進の習慣として残るといいなと思います。

 

今年の東京盆は雨予報です。東京の皆様の盆の習慣や空気を肌で感じながら、

一軒一軒、顔晴ってお勤めいたします。

                       合掌

再び覚鑁上人のもとへ

今日から7月です。

お寺では施餓鬼法要、盆の準備がすすんでいきます。

同時にお檀家様にも、お盆が近づくことをお伝えをしていきます。

 

さて、先月訪ねた真福寺発祥の地、高尾山麓寺平。

そこには興教大師覚鑁上人の石像が静かに残されておりました。

初めて、こちらの覚鑁上人をお詣りし安心をいただくことができてから半月が経ち、

再度一人の総代様にお願い申し上げ、寺平に同行していただきました。

 

朝6時出発。

このたびの目的は、山中、覚鑁上人のおられる場所までの目印をつけることでした。

また、道づくりをしながら進み、今後迷うことなくここを訪れることができるように。

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6時25分到着。

今回は順調にここまでを進むことができました。総代様ありがとうございます。

総代様と一緒に線香を供え般若心経をお唱えし、ひと安心です。

 

今後は自分も迷わずにここをお詣りできます。

また、皆様の案内もなんとかできると思います。

寺平を訪ねたいと思われる方はお寺にご連絡下さい。一緒にお詣りしましょう。

 

高尾山麓の深い山中に入り、ここを歩いて目指すのは、

真福寺発祥の寺平を伝えるため、覚鑁上人をお詣りするため

だけではありません。

・自然の息吹に触れる為

・幸福であることに気づく為

健康の為❢

 

多くの人が歩くほど、繰り返し歩くほど、そこには良き道ができます。

                                 合掌

徳育

徳育。

この言葉を耳にして、その意味を知ったのは最近のことです。

先日見学したこども空手道場に「徳育の時間」というのがありました。

徳育、近頃なんとなく気にするようになった言葉です。

そして、6月に諏訪大社下社、上社にて行われた、諏訪圏青年会議所主催

わんぱく相撲諏訪圏大会においても徳育を基本理念としておりました。

 

徳育とは道徳心を育むことのようですが、それをスポーツ、相撲の真剣勝負の場から

学び身につけようと取り組みました。

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人間社会を人の道を外すことなく心豊かに生きるために、思いやりの心を育て、

それが挨拶や礼儀、立ち居振る舞いに表れるようにすることは、未来あるこどもの為の

教育だと感じます。

大人になったからこそ、それがわかります。

何事にも無垢に一生懸命に取り組むこども、喜びや悔しい想いを体験しながら、

自分と他者に向く感性が備わっていく成長の様子は、いかにその時間が大切なのかが

大人からみてわかるのです。

 

大人になるために「こどもである時間」が大切であり、

その「スポンジのような心は宝物」です。

こどもの徳育、我々大人も一緒に学ばせてもらった、わんぱく相撲大会でした。

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将来のこども達が遍く照らされ、明るい豊かな未来がありますように。

真福寺発祥の地へ

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6月12日、お檀家様の有り難いご支援をいただき、真福寺発祥の地、高尾山麓寺平を

訪ねることができました。

この場所には興教大師覚鑁上人の石像が安置されており、かねてよりここを訪ね

お詣りしたいと思っておりました。

この日、有志で集い、先導してくださったのは3名のお檀家様。

山中の進路どころか入口さえもわからない私は、家族を連れてその後を追いました。

 

朝7時。お寺から車を10分ほど走らせ、高尾山の麓まで行きます。

車を停めて、手に鎌を持ち、いよいよ山中に入ります。

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寺平に続く山道の入り口。

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林道となっていることがわかります。

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途中からは道なき道となり、鎌で進路を塞ぐ枝木を落としながら進みます。

このような山中では、自分一人ではどうすることもできません。

その場所を知るお檀家様の記憶のみが頼りです。

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多少迷い、30分ほど進んだ頃に、「あった❢」という声が聞こえました。

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ここが真福寺発祥の地、寺平です。

高尾山城の鬼門除けとして、もともと堂宇があったとされるところです。

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ついに、興教大師覚鑁上人像にたどり着くことが出来ました。

人の立ち寄らない山中に一人鎮座していた覚鑁上人。

周辺の草、枝木を鎌で刈り、辺りを整えた後、お花と線香が供えられます。

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訪ねることができたことを安心し、香華を供え法螺を吹き、般若心経をお唱えしました。

真福寺発祥の地は、おそらく今では人の近づくことのない山中です。

そしてきっと、今後この場所を知る人はいなくなっていきます。

また改めてここをお詣りさせていただこうと思っております。

 

『南無興教大師』

覚鑁上人がそこにおられることを今後に伝えていけるように。

興教大師覚鑁について

 

このたび同行して下さった有志のお檀家様には心より御礼申し上げます。

とても嬉しく思います。ありがとうございました。

                                  合掌

 

追記)

時は戦国時代、戦乱の世の影響を受け、真福寺はその堂宇を高尾山麓より

現在の川岸三沢の集落に移します。そこは堂窪と呼ばれる場所です。

やがて火災にあい、難を逃れたご本尊阿弥陀如来とともに、集落の中心である

熊野神社の隣に法域をかまえることとなります。

もとの堂窪も境内跡地として、今では年間3回の一斉草刈りにより整備されております。

現在の場所に真福寺が建立されたのは、今から約300年も昔のことです。

交通安全

5月中、家族内に車同士の接触事故が続きました。

家族、お相手の身体に影響はありませんでしたが、車の方は・・・。

前兆というものがあって、違反切符、接触、たとえ身体が無事でも、

それは、これから大きな事故の当事者となる前触れなのかもしれない。

そういう前兆らしいものに気づかせていただけるのは、まだ運があるのです。

運転は、過信なく気をつけましょう。

 

さて、妻から保育園内の交通安全強化に向けて、安全標語ポスターの

作成をしてほしいと頼まれ、描いてみました。

指定されている今月の標語をイメージしたポスターにしてほしい、とのことで、

楽しみ半分に描いているうちに、夢中になってしまいました。

内心では、普段、これを守れていない自分を恥ずかしみながら、

まるで戒めのごとく・・・。

           合掌

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33年に一度の御開帳

長野県下随一の祈願霊場、名刹金峯山牛伏寺の御本尊、

秘仏十一面観世音菩薩は、33年に一度しかご開帳されることのない仏さまです。

昭和59年を最後に御開帳されておりません。

来年の春、いよいよ33年ぶりにその御尊像がお姿を現します。

 

御開帳期間は4月23日(日)から5月28日(日)までの36日間を予定して

いるとのことです。

宗派内、長野南部教区智山青年会の僧侶が期間の法要に出仕させていただくこととなり、

このたび、その打合せを牛伏寺様にて致しました。

京都から岡谷に帰ってきた4年前、平成29年は随分と先のことに感じておりましたが、

もう来春に迫っているんですね。

 

人の一生って、およそどのくらいかをふと考えてみまして、

33年に一度しか拝見することのできない観音様の有り難いお姿に触れ、

また、その「歴史」に青年僧侶として関わらせていただけることを嬉しく思います。

                                   合掌

 

金峯山牛伏寺

今年度第1回一斉草刈り

暑くなってまいりました。

今年一回目の寺の所有地一斉草刈り作業。

陽当たり良好な場所の草たちは、腰ほどまで伸びておりました。

 

総代様が早朝6時より集い、また、ご近所のお檀家様、

お寺に懇意にしてくださっている方が有志で駆けつけて下さり、

貴重なお力をお貸し下さいました。

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辺りはビーバー音だけが延々と鳴り響き・・・。

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おかげで8時には、無事、綺麗に作業を終えました。

早朝からの大変な作業に団結される総代皆様、有志の方々のお姿は有り難いものです。

若造の私のビーバー草刈りは、ブンまわしてるだけで下手くそです。

注がれる皆様のお力とお心に感謝いたします。

 

次回は盆前の暑さ厳しき7月です。

草たちはどれほどに伸びていますでしょうか。

                      合掌

煩悩?

皐月―。外に出て陽を浴びるのがとても気持ち良い。

 

境内の木々は青葉が茂り、柔和な桜の季節が過ぎ力強い初夏の足音を想わせ、

つつじはそれぞれに彩り花を咲かせ始めています。

風景の鮮やかな色付きが楽しめる、とても心地よい季節です。

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一方では、視線を落とすと草も生え広がり、日に日に背丈を伸ばしています。

草取りが日課になる季節ともなりました。

腰を下ろして周辺の目につく草をとっていきます。

また違った方向を見れば、そこに目につく草があり、その草をとりに腰をあげます。

そうこうしていると、留まることなく、あっちこっちに移動していきます。

 

いくらか作業した後で、とりあえずこんなものかと腰を上げ片付けようと歩くと、

元々いた場所に、目につく草が残っています。

「さっきこんなの生えてたっけ?」

なんて思いながら腰を下ろすと、

あれあれ? 近くに他の草も残っていました。

 

そこに居た時には気づかなかった草。

歩く帰り道に、忘れ物のように目に入った草。

視線が変わって初めて目に映る草。

 

どこか、日常を生きることと似ている。

 

京都智積院で修行僧として過ごした頃、

境内掃除の時間、生徒監督にこんなことを尋ねた仲間がいた。

 

『草は煩悩ですか?』

ありそうでなかった場

呼吸する寺。

大阪の天王寺に浄土宗の「應典院」というお寺があります。

このたび、そのお寺を参拝そして見学してまいりました。

もともと外観もそうなんですが、一歩中に入るとそこは、

私たちの知るお寺の様子とはまったくかけ離れたものでした。

まるで、大学内の学生情報コミュニティーフロア。

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そこは、お寺とNPO活動メンバーの協働拠点であったのです。

法事や葬儀は行われていません。

お寺がまちの人々を巻き込み、人々が価値観をもち交わり、互いを活かし合い、

まちの住民に向けて開かれる生産的な場。

その名を『應典院寺町倶楽部』

 

この寺での催しは、学びの場、演劇、映画、ワークショップ、ケア、総じてまちづくり。

とにかく多数多彩の個性が創出され展開していきます。

その全ては應典院寺町倶楽部の企画によるもの、だけではない。

それが素敵。

お寺が前向きにまちに開放され、活用されているのです。

 

建物自体もそうですが、その活動は宗教からかけ離れている

もちろん「否」

「否」と知りながら、お話をさせてもらった僧侶(31歳)に質問させてもらいました。

 

『すべて宗教体験と円のなかでつながっている。そして仏教につながっていくんです。』

このような素敵なお返事が返ってきました。(若いのに素晴らしい!)

 

 

日常における企画や活動、人のつながりや体験から仏の教えに気づく。

仏の教えは帝釈天の網のようにすべてにつながる偉大なものと知る。

そこはまるで、お寺の現代型、未来型のようで、

実はお寺の原点、本質であるようにも思う。

ありそうでなかった場です。

                      合掌

呼吸する寺 應典院のホームページはこちら。

http://www.outenin.com/index.php

境内の桜

境内の枝垂れ桜がまもなく満開を迎えます。

先日、名古屋から若いご夫婦がみえましたが、その時はまだつぼみの状態。

伊那高遠の開花情報にあわせて来られたようで、少々残念がっておりました。

真福寺の枝垂れ桜は遅咲きですので、これからが見頃となります。

境内での花見におくつろぎ下さい。

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遍路

今年はお四国札所の遍路が注目されているとの話題がありました。

うるう年に四国八十八ヶ所の結願札所寺院より1番札所寺院に向けて「逆打ち」を

していくとご利益がとてもあるのだとか。

しかも今年は60年に一度巡ってくる丙申の年。これはお遍路さんが逆打ちに挑み、

弘法大師に出会えたという話がある年だそうだ。

 

遍路と聞いて少し懐かしくなりました。

 

自身、12年ほど前に四国八十八ヶ所霊場を歩き遍路したことがあります。

人生最大の贅沢な体験だったと記憶しています。

それは今も変わりません。

 

朝から一日中歩いて、札所寺院ではお経をあげ御朱印をいただき、

境内に佇み、一ケ寺ごとにお参り記録のようなものを日記風に書き残して巡りました。

 

初めて四国霊場をお参りしたのは、京都の本山にて修行僧として過ごした冬の12月。

バスで八十八寺院に番外札所も含め、2週間で巡らせていただきました。

その際に車窓から見る、寺と寺とを結ぶ道中の景色が特別なものに思え、

車で走り過ぎてしまう四国の風景を、とても惜しく思えたのです。

 

車中で決意しました。

「次は歩いて巡ろう」

動機は浅いものであったと思います。

 

その1年3カ月後の暖かな春、桜の季節。

4月8日、お釈迦さまご生誕の日に、徳島の第1番札所より歩き遍路を始めました。

この日はお花まつり、境内に花御堂が設けられていたり、甘茶が振る舞われていました。

 

第88番の結願札所、香川県の大窪寺を目指し、一人で黙々と歩き、

結願を迎えた時には43日間が過ぎていました。

そこから山を下っていくと徳島県の10番札所にたどり着きます。

今度は一番札所までを逆に進み、出発の一番札所寺院にて御礼をしました。

四国を離れると、最後に弘法大師のおられるに高野山奥の院をお参りしました。

 

毎日毎日歩いていると、様々な人に出会いました。

様々な出来事がありました。

そして、気づきがありました。

 

私の歩き遍路は、動機こそ浅いものでしたが、

いざとなれば、現地での自然の美しさとの出会い、人との出会い、

また、地元の方から宿と食事の施しをいただいたり、山中では難所への挑戦、

一人歩む遍路道は、忍耐にもまして喜びと感動に溢れておりました。

心満たして日常に帰れたと思います。

 

二十代の若き頃に体験できた最高の贅沢と功徳であります。

また、いつか。

 

お大師さんのお言葉。

『虚しく往きて 実ちて帰る』

                      合掌

写経について

このたびお寺の彼岸行事「春彼岸のつどい」が行われました。

そのなかで一時間ほど般若心経の写経をいたしました。

お寺の常の写経会に参加されている方は、数十年間続けておられる方ばかりです。

般若心経の写経に慣れているので、ある程度ご自身のペースを把握されてます。

このたび、初心の方やお若いご夫婦がお越しになり、写経の体験をしました。

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写経の実践で、時間をかけてゆっくりとお経の字をなぞることは身心を整えること、

また癒しにもなると紹介するのですが、初体験の方にとっては達成感こそあるものの、

張り詰めた空気のなかの緊張した筆の扱いに、相当な疲れもあるようです。

大勢で行う場合、どうしても隣の方の筆の進む音、周囲の様子が気になり、

心が落ち着くどころではないようです。筆に不慣れな方であればなおさらでしょう。

 

お写経をやって良かったと思ってもらいたいのですが、まずは筆の進みの速い遅い、

字の上手下手、ましては仕上がりの綺麗、汚いという見方を払拭することだと思います。

 

以前、写経で大切なことは、ただ素直に字をなぞり続けることだと教わりました。

そのことは、自我から離れることとして捉えております。

私はそれに加え、一度書き始めたらなんとしても最後まで書き上げることが、

ひとつ大切なことなのかなとも感じております。

初めて書き上げた方に達成感が得られたのだとしたら、時々はそれを再体験すること、

さらには自身のペースで続けることができればもっとも良いのかもしれません。

継続して写経をされている方には、その場に独自の安定感を確立していると感じます。

当然、その行為が癒しとして働き、精神的な価値が生れていると思うのです。

 

お寺から写経用紙を多めに持ち帰り、自宅でひとりゆっくりとすすめる方もおられます。

素晴らしいことだと思いますし、写経を楽しむとても良い方法であると思います。

半分まではご自宅で書き上げ、残りをお寺の写経会で書きあげる方もおります。

 

写経をすすめる型はひとつではないので、ご自分で継続できるペースが作れるように、

楽しみのひとつとして体験してほしいと思います。

 

お寺にはその環境づくりが求められ、これからも考えていこうと思います。

                                   合掌

 

<真福寺写経の会>

4月~10月、毎月25日午前9時より 客殿にて 

どなたも無料で参加できます。気軽にお越しください。

お彼岸のひととき

暑さ寒さも彼岸まで。

暖かな春がやってまいりました。

春彼岸を迎え、ご家族で出かけお墓参りをされる方も多いかと思います。

寒い冬を越したご先祖様のお墓、その周りを綺麗にして差し上げて下さい。

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雨上がりのお彼岸参りー永代供養塔「やすらぎ観音」

お墓参りとは、私たちの「洗心」の場でもあります。

お石塔を磨き、お花、線香をあげ、静かに手を合せます。

目には見えない何かを想い、心の中で語り手を合わせます。

その時、目には見えぬものと私たちとがひとつになっています。

仏さまの彼岸と私たちの此岸とが結ばれています。

 

目に見えぬ何かに心洗われ、それを節目としてまた今日からを歩みます。

生きる力。ご先祖様のおかげがそこにもあります。

 

慌ただしい日常。

体を休ませ、心静かに過ごすお彼岸のひとときを大切にして下さい。

ご自分を癒すことも、とても良い供養であると思います。

 

さて、21日彼岸の中日、13時30分より客殿にて春彼岸のつどいがございます。

おつとめをして、仏教のお話をさせていただいた後は、お写経と大念珠回しをします。

どなたでも無料でご参加できます。お気軽にお越しください。

 

「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」

お彼岸のひとときをお寺でゆっくりお過ごしいただきたいと思います。

                                合掌

お寺の3月行事にお出かけ下さい

境内では梅の花が開き始め、春の到来を至る所で感じます。

新しい春を探しに、外を出歩いてみたくなるこの頃であります。

この冬は例年になく雪が少なく、毎年大変な境内やお堂の回廊、駐車場の雪掻きは、

数回した程度でした。

お寺に住む私たちとしては、楽をさせてもらえたと思っております。

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さて、毎年2月にお笑い寄席を開催しておりますが、今年は3月に企画しています。

【露の団姫の笑う門には福来る~仏教落語と講演~】

3月27日(日)は、テレビぶっちゃけ寺』の出演者でおなじみ、

露の団姫(つゆのまるこ)さんをお招きします。

落語家として年間250席をこなし、また天台宗の尼僧として毎週テレビ出演するなど、

両面にてご活躍されています。

3月27日(日)、13時30分 開演 

毎年真福寺客殿で行っておりますが、このたびは会場が本堂となります。

すべて無料の自由席ですので、お早めにご来場下さいますようお願いします。

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【春彼岸のつどい】

恒例の彼岸行事です。どなたもお気軽にお越しください。

3月21日(月) 13時30分より 客殿にて

■おつとめ

■仏教のおはなし

■般若心経の写経 (持ち物不要)

十分にお時間ございます。初心の方も安心してお越し下さい。

※ご自分の筆、硯などお使いになる方は当日ご持参下さい。

■大念珠まわし

■茶話会   終了予定 16時

参加費無料です。

お写経で心を落ち着け、お彼岸のひと時をゆっくりお過ごしください。

スポーツ雪合戦―諏訪の魅力ー

2月20日(日)、小学生対象スポーツ雪合戦大会(諏訪圏青年会議所主催)に

参加しました。

霧ヶ峰スキー場での開催が予定されていましたが、なんと諏訪地方が雪不足!!

会場は室内に変更し、諏訪中学校体育館を利用しました。

このたび、諏訪地方の冬の環境を活かして楽しむスポーツが企画され、

家の外に出て仲間と団結して競技に挑み、通じて礼儀、感謝の心、

思いやりなど、こどもにとっての「徳育」の場となることを求めたのです。

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家にこもって一人楽しむゲームは面白い、やみつきになるものばかり!!の時代。

こども達にとっても例外ではありません。

こどもが大自然の環境で心の底から楽しみ、一生懸命に挑戦する姿を見れたなら、

それこそが「諏訪ブランド」であると思うし、またそれに共感し、叶えてあげることが

大人の喜びであるとも感じるのです。

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白熱した試合、力のこもったチームの仲間と大人達の応援。

一時でも童心に返る自分がいました。

                      合掌

善をなすのを急がねば

争いや悪事が生じる原因の奥深くに、飢えや貧困、孤独など、身心ともに

困窮した背景が一因としてあると思います。

しかし近頃のニュースを見て、そうとも限らないなと。

満たされた生活水準にある人が常識という範囲から脱落していく様。

悪行に染まっていく様。

 

世の中で、一日々々を「必死」に、且つ誠実に生きている多くの方が悲しみます。

 

お釈迦さまはこのようにおっしゃったそうです。

『善をなすのを急がねば 心は悪事を楽しむ』

人は善行を心掛けていないと 悪事の誘惑が忍び込む隙ができてしまう

のでしょうか。

 

『少欲・知足』という大切な言葉があります。

「足ることを知らない人は、富んでいても心が貧しい。

 足りていることを感じとれる人は、心が富んでいる。」

自分を見失い、十分であることを自覚せず欲求のままに過ごすその姿は、

見る人によっては、横柄さ、そして隙や弱さを感じるさせるのかもしれません。

 

善をなすのを急がねば 心は悪事を楽しむ

2月15日は、お釈迦さまのご命日です。

多くの寺院で涅槃会、常楽会が盛大且つ厳かに勤修されます。

 

お釈迦さまの言葉を紹介させていただきました。

                          合掌

安楽行

新しい年のひと月が早くも過ぎ去りました。

1月最後の日、先輩からこんな話を聞きました。

1月は睦月(むつき)というが、睦まじき月という意味をもち、

正月に家族が仲睦まじく過ごす風景を表すそうです。

 

その名の意味、言葉の意味を知って、はっと心が動かされることが

人にはあります。

こんな捉え方もできます。

意識的に良き「言葉」を探し求める人は、「心探し」をしているのだと。

自分の「心をつくる」為に言葉を求めているということです。

 

今月のHP内、言葉の力は、

「心次第で物事の見え方は変わる」としました。

心の持ち方を大切にすることで、発する言葉や行いは変わります。

善くも悪くも心の通りに変わります。

 

保たれた心は、やがて自分が見る景色を変えていきます。

どうせなら、心を善く保ち、良い景色を見ていたいものです。

これを「意安楽行」といいます。

 

小さなこどもが自分の背ほど高く積み上げた積木が、激しい音をたてて

崩れ落ちたとします。

それによって親の手元のコーヒーがこぼれました。

親は当然、なにやってんだと苛立ち、同時にこどもは悔しがります。

しかし、次の風景は「心」を縁としてまったく別のものになります。

むっとした心からこどもに向けて放たれた親の言葉と、そこまで高く積み上げたことを

褒め称えた親の言葉は、その後のこどもにまったく別の風景を創造します。

後者を選択すれば、こどもは再チャレンジをし、さらなる発想を生み、

きっと自信にもつながります。

 

この例えはほんのわずかな部分であり、人が生きていくうえでのほとんどは、

おそらくこのようなことばかりだと思います。

仕事、遊び、対人、責任、家族、学校生活、部活動など、すべてにおいて。

人の幸福は心が機縁となるのです。

お釈迦さまは2,000年以上も前にこのことを知り、弟子に説きました。

 

日々の同じ景色も人の心によって彩りが異なることを。

                            合掌

初詣 延期そして中止

年始より続いた穏やかな天候が、1月17日の晩に振った雪で、

一変、辺りは雪景色となりました。

1月18日(月)、降り続く雪の影響をうけ、この日予定されていた

檀信徒による東京高幡不動尊への初詣は延期となりました。

 

そして21日(木)に日を改めましたが、再び20日の積雪により、

バス移動に影響が出ることを危惧して中止と判断されました。

毎年続く、当山の高幡不動尊初詣です。

今年も参加を予定していた皆さまには残念でありました。

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昨年、一昨年もそうでしたが、雪が降ると総代さんが境内の様子を

見に来て下さいます。

そして、雪掻きを一緒にして下さいます。

本日も朝に参道の雪掻きをしていたら、総代さんが立ち寄って下さいました。

お寺のことを考えて下さっていることと、住職との厚い「つながり」を感じます。

有り難いことであります。

 

外を見ると温かな日が射してまいりました。

屋根の雪が溶けて落ちております。

午後には穏やかな陽だまりが各家庭に戻るといいなと思います。

牛伏寺縁日大祭

新しい年が明け、早10日が過ぎました。

10日、11日は牛伏寺の縁日大祭が行われており、10万人を超える

参詣者が予定されております。

(縁日大祭日程:毎年成人の日およびその前日)

本年は年始より降雪がなく陽気も良いため、御参詣者の足元が安全に保たれ、

参道、境内を歩む方々は視線を落とすことなく、足の運びも軽やかです。

有り難いことであります。

本年も毎座の護摩供法要に出仕させていただいております。

法要中の緊張で張り詰めた空気。

参詣者の深い祈りの姿。

そして、法要の全てが終わった後の、参詣者のほっと安堵した表情が、

とても印象的であります。

大丈夫、きっと良い年になるのだと。

 

来年はいよいよ33年の一度の御本尊十一面観世音菩薩の御開帳です。

平成29年4月23日~5月28日の約一カ月間に渡り奉修されるとのこと。

迎春 申年

あけましておめでとうございます。

2016年元旦の朝を迎えました。

深夜に降った雪が、境内を雪景色に変えておりますが、これから暖かな日が射して

まいりそうです。

一年前を振り返りますと、大雪の大晦日から一夜明けても雪は降り続き、

元旦、年賀にお参り下さる方への境内整備のために、早朝から総代様が集まり、

雪かきを助けて下さいました。

とにかく寒さ厳しく、雪降る日の多かった冬でありました。

 

一転してこの冬は暖冬と言われております。

諏訪地方は、師走でも暖かい日が続き、積雪もなく穏やかな冬の始まりでした。

年が明け、これからが諏訪地方、冬の厳しさの本番であります。

この故郷の皆様が、お健やかに災いなく冬を越えられることを祈念致しております。

迎春

さて、私自身、前厄の年を迎えました。

厄年は、身体の面、心の面、そえぞれ重要な転機の年と言われます。

身心両輪の影響は、仕事の面、家庭の面あるいはプライベートの面にも及ぶのだと

思います。

 

ひとつ、どなたにも共通する大切なこと。

「厄年をどのような志で迎えるか」

後ろ向きに捉え歩むならば、予期せぬ災いに触れます。

前向きに捉え謙虚に歩むならば、大きな災いを防ぐことができるはずです。

もっとポジティブに捉えるならば、前向きに明るく歩むことで、一層良き道が開けるのでしょう。

 

人生行路で自分を見つめなおす成熟の時期がやってくるのです。

例えて言うなら、人自体のメンテナンスを施す時期とも言えます。

だからこそ、身体、心、両面の転機が生じ、随所に影響するのだと考えます。

 

志は、人の根幹です。

「身心は両輪のごとくして、私たちを何処へか運んでいきます。」

厄年の皆様、どうせならば厄を謙虚に受け止めて、すべてを受け入れて、

明るく屈しない志で過ごそうではありませんか。

 

本年が、みなさまにとって穏やかな良き年でありますことご祈念申し上げます。

                                    合掌

御礼

今年の師走は、朝の冷え込みがさほど厳しくなく、日中にいたっては

暖かい日が多く、積雪もなく過ごしやすい毎日でした。

本日は大晦日。

今年一年も無事に終わりを迎えようとしております。

お檀家様ならびにご縁をいただけた皆様方に感謝申し上げます。

特には、各行事、お寺の整備等、大なり小なりと気に留めて下さり、

陰に日向にお力を注いでくださった総代様には心より御礼を申し上げます。

ありがとうございました。

みなさん、良いお年をお迎えください。

 

今晩の二年参り、除夜の鐘は、お誘い合わせてぜひお寺にお参りください。

境内を温めてお待ちいたしております。

23時より古札、塔婆、縁起物等のお焚き上げ供養をいたしますので

お持ち寄り下さい。

                                  合掌 

恒例 新春高幡不動尊初詣のご案内

今年も残すところ僅か、皆様、年越しの準備等で慌ただしくされてることと

思います。

さて、新春を迎えるにあたり、恒例となりました東京の高幡不動尊初詣の

ご案内をさせていただきます。

下記詳細をご覧いただき、檀信徒に限らずどなたでも気軽にお申込み下さい。

ご近所お誘いあって懇親を深めましょう。

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              記

参拝寺院  真言宗智山派別格本山 高幡不動尊金剛寺 

                 東京都日野市高幡

        諸祈願の護摩札を申込し、護摩供法要に参列します。

日程   1月18日(月) 午前7時30分 真福寺をバスにて出発

                             真福寺着 午後7時30分頃

参加費  7,500円 (交通費・お食事・飲み物代等含む)

             ※参加費は当日のご用意でも結構です。

昼食   八王子市 料亭なか安

申込み  真福寺までお申し込み下さい。

      0266-23-6156

無意識を見る

12月12日は興教大師覚鑁上人のご命日です。

京都、本山智積院では、毎年厳かに御法事が執り行われます。

覚鑁上人は「内観の聖者」と呼ばれております。

密教瞑想に没頭し極め、それに長けていたのでしょう。

密教瞑想は大変に難しく、それを体得するには高度な精神性と日々の鍛錬が

必要であるそうです。

自分の内側、心の姿を観察して磨き澄ませていくに限らず、身体の微細な

ところにまで意識を運ぶのだそうです。

点を意識するのではなく、心、動作、身機能、それを「結ぶ線」さえも

その対象となるようです。無意識を意識するという表現でしょうか。

なんと高度な域に身を保つのか。

 

男子フィギュアスケート界には、羽生結弦という選手が圧倒的な力を示して

トップに君臨しています。

このフィギュアスケートに要する高難度な技術、世界トップレベルのジャンプなどは、

まさに、心、動作、身機能、そして、それを結ぶ線さえもがひとつとならないと

出来ないそうです。

トップレベルの選手は、この域に意識的に達するための鍛錬を繰り返しています。

 

学生の頃、あこがれていた小山田卓司というダンサーがいます。

現在は、魂宮時という名前で国内外でダンスの魅力を発信し、支持され、

舞台演出、振り付け、あるいは指導者として活躍されています。

 

魂宮時さんのブログにこんな言葉が書かれていて、はっとさせられました。

(以下、一部引用させていただきます。)

あなたはコーヒーを飲むために太ももの上にあった手をカップに伸ばします。

手はカップまでの空間をラインを引くように動いていきますが、あなたの意識は

点から点へ瞬時に移動してしまうのではないでしょうか?

つまり身体の動きにはプロセスがあるわけですが意識はプロセスなく移動してしまう。

意識と身体との間にギャップがあるのです。

このギャップの差が大きい人ほど、体は疲れやすくこころは落ち着かなくなります。

身体や意識が楽になるためにはこのギャップが小さくなる必要があります。

つまり動きに対する意識、プロセスを感覚できる感性が必要である。

                          魂宮時ーブログ「舞樂」より

 

人間本来の安定を体得する方法は、日常の大半を占める無意識の部分を

見ながら己を知ることにあります。

 

覚鑁上人が没頭した密教瞑想とは、己を正しく知るための修行であったのでは

ないでしょうか。

妥協せず何度も何度もこの瞑想に取り組んだのだそうです。

 

「自分を知ること」とは、この瞑想にもいえるように、高度な領域に

位置付けられる、とても難しいことなのです。

「自分がしたこと」「自分がしたいこと」を正しく説明することさえも

本来は難しい。

 

一流と呼ばれる人たちは、このことに気づき日々鍛錬している。

弘法大師月並御影供

岡谷市の真言宗智山派照光寺において、毎月弘法大師の月命日に合わせて

法要を営んでおり、近隣寺院の青年僧も出仕させていただいております。

また、同宗派長野南部教区内の若い寺庭夫人を中心として、月に一度照光寺に

集まり、御詠歌の研修会をしております。

(おかげで在家出身の私の妻も、はじめの一歩となる検定をクリアできました。)

 

さて、先日行われた月並御影供には、日程調整の都合で、法要と寺庭皆様の

御詠歌研修会が同日同時刻開始となりました。

こんなこともあるもんだねと、妻と一緒に照光寺に参ると、意外なことに、

我々僧侶と寺庭夫人御詠歌会との合同法要の設えとなっていたのです。

 

先、御詠歌の奉詠があり、法要の後讃が終えたところで再び御詠歌が奉詠される

という次第となっておりました。

寺庭夫人と一緒に法要を勤める機会はほとんどないもので、すごく新鮮でした。

普段は聞けないお経。普段は聞けない若い寺庭さん方の御詠歌。

両方が調和した、厳粛且つ華やかな営み。

互いに貴重な機会となったことを嬉しく思っております。

                            合掌

お檀家様の慈しみ

数日前、参道のすべてのお地蔵さんの帽子と首掛けが無くなったことに気づき、

どうしたものかなあと。これから冬を迎えるのに寒々しいお姿。

 

それが一転、ほっと安心、喜びの出来事に。

本日、参道掃除をしているとお檀家様がお越しになられ、その手には赤いものが。

なんと、その方がお地蔵様が被る色あせた帽子などを気の毒に思い、

すべて縫い直し新調して下さったのです。

それぞれに大きさをみるために一時持ち帰ったとのこと。

 

安心です。

サイズを気にかけながら新しいお帽子、首掛けを取り付けて下さいました。

なんともありがたいことです。心温まる想いでした。

お檀家様の慈しみに、お地蔵様は微笑み安心です。

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今年も参道のお地蔵と一緒に、健やかに冬を迎えましょう。

                        感謝合掌

美しくあること

境内の木々からの落ち葉、さらには隣の熊野神社の木々から舞い込む葉。

その量がもっとも多い時期、今年も竹ぼうきが短くなってしまいました。

境内で、毎日大量の落ち葉を掃き掃除をしていると嫌になることが多々あります。

しかし境内を見渡したり、離れて寺を観ると、紅葉に色づく風景の美しさに気付きます。

周囲からの目線に気づいた時、それが「美しくあること」の大切さを感じさせられます。

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この地域が紅葉美しい時期は、あと一週間ほどです。

みなさん、休日は外に出かけましょう。

                     合掌

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お蔵裏側での一枚

小松総代寄贈の絵画に感謝ー祈りー

ホームページ内新着情報でもご紹介しておりますが、当山の小松秀徳総代から

絵画を寄贈していただきました。

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寺の行事、11月3日の報恩講の場で皆様に初めてご紹介させていただきましたが、

寄贈の絵画は「祈りの姿」です。

柴燈護摩法要で火渡りをする青年僧の姿。

本堂に向かう通路のつきあたりに飾られております。

お参りの際は是非ご覧ください。

秋恒例のもちつき

秋季行事として恒例となりました、報恩感謝のつどい報恩講。

どなたでもご参加いただけますので、お誘い合わせてお越し下さい。

日時      11月3日(火・祝) 10時半~12時

場所   真福寺境内

参加費  無料

 

ー写仏のつどいー

同日朝9時からは、昨年に引きつづき写仏のつどいを開催します。

今年の守り本尊を描き奉納いたします。

初心の方はもちろん、どなたでも気軽に体験いただきたいと思います。

道具一式はお寺で用意しますので、持ち物不要です。

ご自分の筆などお使いになりたい方は持参下さい。

 

真福寺の報恩講は、京都本山智積院において興教大師への報恩謝徳のため行われる

冬報恩講とは少々違った位置づけで開催しております。

健康感謝、収穫感謝、そして年末にむけての諸祈願などをしていただき、

ついたおもちを丁寧に丸めて餡子などをつけ仏さまに奉納してします。

参加者も美味しくいただき、一層の健康、家内や職場の安全を願います。

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ーもちつきとみんなで協力するおもち作りの様子ー

                                                 

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ー9時からの写仏のつどいの様子ー

この他に10分程の時間で体験できる「20文字写経」もご用意しております。

 

秋の境内の様子もご覧いただきながら、くつろぎの時間をお過ごしください。

お待ちいたしております。

                                           

 

 

 

 

 

 

小松秀徳総代の絵画展

真福寺の檀徒総代であられます小松秀徳さんの絵画展に行ってまいりました。

絵画展のタイトルに、「絵を描き続けて65年の轍」とあるように、

入口には小松さんが小学校5年生当時に描いた作品が展示され、

そこから先はまるで65年の絵画人生が展開していくようでした。

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昨年、真言宗智山派長野南部北部青年会の僧侶が、篠ノ井の長谷寺につどい

被災地復興ならびに諸願成就を祈願すべく厳修した柴燈護摩法要ー火渡りーの

様子も大変大きなキャンパスに、豪快に描かれておりました。

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それぞれの絵に描かれる人物は、顔の表情が力強く描かれているのもあれば、

表情が薄いもの、中には目鼻など顔の中身がまったく描かれないものもありました。

しかし表情なくとも、不思議とその感情がこちらに伝わってくる。

そんな印象を受けました。

 

「五穀豊穣」というタイトルの絵がいくつもありました。

多くは祈りの姿。

小松さんが言っておりました。

『見たままではなく  何を祈っているのか その内面を表現したかった』

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小松さん、これからも素晴らしい絵を描き続けて下さいね。

ありがとうございました。

                       合掌

御嶽山噴火災害物故者供養

10月1日、真言宗智山派長野南部北部青年会僧侶は、御嶽山7合目

(高度2200m)にある献花所にて物故者の一周忌供養法要を厳修しました。

この日は大変に雨風強く、前方の視界は深い霧によって閉ざされ御嶽山頂を

望むことはできませんでした。灯明を灯すことも香を焚くこともできませんでした。

 

供養に必要とされる、心の声(音)を観じようと努める行為、「共感」という行為。

実はそう容易くできることではないと思っています。

ニュースや新聞で、ある出来事を知っても、想像をするに留まってしまう。

 

この場所はとにかく寒かった。

強い風で雨が入りこみ法衣はぐっしょりと濡れ、寒さに震えてお経をあげていると、

この山の頂で犠牲となった方々は、もっともっと寒かったはずだと実感できました。

そればかりではない。ひどく負傷した体で動けず、連絡も途絶え夜となれば、

どれほどの恐怖と苦しみであったんだとろうと考えました。

 

犠牲者の無念の声に、ほんの数センチ歩み寄れた気がしました。

私たち青年僧の行為が、ほんの少しでも供養となってくれれば。

                                  合掌

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御嶽山噴火災害物故者一周忌追悼文(pdf)

月夜と茶と琴音

9月27日(日)、夜空を見上げると満月が浮かんでます。

お寺で観月会が行われました。

茶道を愛好される方々が集い、お越しになったお客様にお抹茶を振る舞われました。

琴の音色が心地よく響く和室において、茶を味わい心和む一夜となりました。

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茶と琴音に心洗われ夜道を帰る皆さんは、月明かりが愛おしく思えたことでしょう。

お抹茶を接待して下さった皆様、琴を奏でて下さった方、

観月会という素敵な企画をありがとうございました。

                                 合掌

境内の香り

先日、お檀家様からたくさんの枝豆とみょうがを頂戴しました。

「ビールのおつまみにしてちょーだいね。」

嬉しいお差し入れとお気持ちを頂戴しました。

ありがとうございます。

 

その際に、お檀家様は、

キンモクセイのすごくいい香りがしてる。どこにあるの?」

とおっしゃられました。

境内にある4本のキンモクセイ、それぞれを教えてあげました。

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が、しかし・・・。

お檀家様に言われるまで、自分はその香りに気づいていませんでした。

毎日お寺で生活して、目には入っているはずの境内のキンモクセイ。

なのに、私はこれだけ漂う香りに気づいていない。

 

お寺は「五感で観る」といいます。

寺族こそ、それを実践しなくては。

 

お檀家様はとても変化に敏感で、一歩境内に足を踏み入れると、

いろいろなことに気づいて下さいます。

 

今、境内では、キンモクセイの香りがとても心地良いですよ。

                            合掌

お知らせ)

9月27日(日)、18時30分からお寺で観月会を行います。

中秋の月夜に満月を眺め、お抹茶を味わい、琴を聞きながら心を落ち着けてみませんか。

静かに五感で触れる観月会。

どなたでも無料で参加できます。お気軽にお越しください。

バリアフリー

このたび、宿坊の研究・寺社活性化のコンサルティングなど幅広く手掛け活躍されている

堀内克彦さんのお話を聞いてまいりました。

この方は僧侶ではないですが、私なんかよりはるかにお寺・僧侶の実態に詳しく、そして

調査・研究を積まれている方です。

演題には「お寺を盛り上げる・・・・」という始まりで、若手僧侶たちが気にせずには

いられないフレーズです。

お寺を盛り上げる・・・、演題の続きはこうです。

・・・7つのアクション。

 

近年、お寺に関してよく聞く言葉。

寺ばなれ、檀家ばなれ、墓ばなれ、墓じまい、無縁仏、無住寺、直葬、無信心、

寺づくり、寺イベント、寺カフェ、寺コン、寺ライブ、寺修行体験、結縁儀式などなど。

前の行はどちらかというと寺に関係する寂しい印象、つまり陰のイメージ。

それに対して次の行には積極性がうかがえる、陽のイメージ。

しかし陽のイメージとはいってみたが、実は、現実に迫る陰の部分に対してなんとか

しなくては、というイメージチェンジ的な働きかけが占めているようにも感じる。

それが「ポジティブチェンジ」なのかどうかは、実はわからない。

 

今回、『寺を盛り上げる7つのアクション』というお話を拝聴しました。

今の時代背景があってか、そのようななかで若手僧侶たちの生み出す斬新な

取り組みが話題になってか、「寺の活性化」を考えされられる機会がよくあります。

 

同じように「開かれた寺」という言葉をよく耳にします。

開かれた寺=寺の活性化という結びつけで聞く言葉です。

では、開かれた寺って何でしょう。

この捉え方は、僧侶に限ることなくいろんな人に尋ねてみると、

実は必ずしも同一のものではないと思うのです。

なんとなく同じニュアンスだったりもするのですが・・・。

 

堀内さんのお話のなかにその答えがあるような気がしていました。

7つのアクションをここに記述はしませんが、そのなかのひとつに

「バリアフリー」という言葉が出てきました。

私にとっては印象深い言葉でした。

この言葉の持つイメージに高齢者が浮かびますが、それに限ることはなく、

「寺に心理的な壁がなく、立ち寄りやすい空間」という捉え方です。

そして、その空間を実現するためには僧侶も外部に積極的に関わり、

同じく心理的な壁を除いていくということです。

バリアフリーこそが「開かれた寺」の答えの、あくまで一端だと感じます。

そこに「人の流れ」や「コミュニティー」が生まれて、やっと寺は開かれていくのでは

ないでしょうか。

 

根本に寺社が好きだ!寺に対するポジティブ思考をお持ちの堀内先生の話は

とても面白かったです。自らの体験と、調査・研究に基づいた「寺未来」を聞けて、

刺激になり学びや反省の機会になりました。

そしてもっとも感じたことは、

寺未来の話は僧侶だけが集まって聞くのはあまりにもったいないということです。

寺の問題提起も寺づくりの話も、一般の方と僧侶が一緒になって聞いてみたいものです。

                                             合掌

諏訪湖よさこい

9月になりました。

ここのところ、ずーっと雨降りが続いています。

残暑感じることなく、すっかり秋ですね。

 

さて、秋といえば地域のお祭り行事も多々ございます。

ここに、お寺のHPをお借りし、岡谷に生まれて3年目の祭りのPRをさせていただきます。

『第3回諏訪湖よさこい』

日時 9月12日(土) 9:00~20:00 

場所 岡谷市 湖畔広場

よさこいは高知で発祥し、大変歴史の長い踊りの行事であり、よさこい踊りと呼ばれ親しまれています。

それが岡谷で初めて開催されたのは2013年。

諏訪湖よさこい実行委員会が、諏訪圏青年会議所の若人と地元岡谷市民有志の参加により立ち上がりました。

私も実行委員の一員として祭りづくりを楽しんでいます。

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全国各地から老若男女の踊り連が岡谷に結集し、諏訪湖畔の舞台にて

八ヶ岳を背に演舞を披露します。

周辺は地域発信の産業・ご当地グルメ飲食ブース等多数出店し賑わいをみせます。

地元の理解と協力を得ながら年々規模を増し、今年はこども達にも楽しんでもらおうと

キッズロコという遊戯エリアを設けました。自力で自転車こいでポップコーン作り、

ボディペイント、オリジナル鳴子作りなど盛りだくさんの企画を用意しています。

ここでは地元の理科大生達が企画運営に大活躍しています!

親子、お友達と大勢集って安心してお楽しみ下さい。

また、クラフト市も同時開催、岡谷初開催です。

 

美味しいものを楽しく味わって

 鑑賞して楽しんで

  自ら体を動かして楽しんで

   五感すべてで堪能してもらうお祭りです。

 

全41チーム大迫力のよさこい演舞にご期待下さい!

秋空の下、八ヶ岳望む諏訪湖畔で大いに楽しみましょう。

また、遠近各地よりお越し下さる踊り連のみなさまには、諏訪圏域の

魅力を肌で感じてお帰りいただけたらと思います。

 

詳しくはこちら 公式HP

http://suwakoi.com/

夏の終わり

全国的に猛暑が続く夏。

諏訪地方においては朝晩涼しくなり、秋の気配。

 

【8月15日】

<諏訪湖湖上大花火大会>

諏訪湖花火大会に行ってきました。

地元、全国各地からの大勢の客で賑わっておりました。

毎年心配される天気。今年は雨の不安を感じさせぬ好い天気でした。

また、上空にはほどほどに風があり煙が流れ、素晴らしいコンディションで、

諏訪自慢の最高の打ち上げ花火を見ることが出来ました。

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<平和の鐘>

正午には平和の鐘が住職、総代様により打鐘されました。

戦後70年の節目。

争いを始めたのは神でも仏でもなく人。

争いをやめたのも人であります。

和を築き、そして保つことは、人と人が許し合い手をつなぐことでしか出来ません。

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【8月16日】

<灯ろう流し>

岡谷の諏訪湖畔で行われた第65回精霊供養灯ろう流しに行ってまいりました。

岡谷市仏教会寺院出仕により諸精霊の供養をいたしました。

湖上を流れる一千の灯篭のやわらかな灯りに、有縁無縁の隔てなく御霊を偲びました。

灯ろう流し

 

【8月17日】

<ご先祖さまをお送りする小さなコンサート>

19時より本堂でナイトコンサートが開かれました。

毎年夏の送り盆恒例の先祖供養と安らぎの行事です。

今年はフルート(伊東美紀氏)とピアノ(新居美穂氏)の演奏をいただきました。

懐かしくもどこか切ない曲に心洗われる一夜となりました。

お堂で耳を澄ませると外から秋の虫の鳴き声が聞こえてきます。

途中から雨音に変わりましたが・・・。

この頃になると、もう夏も終わりなんだなあと感じます。

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御嶽山

本宗長野南北教区青年会は、10月1日に御嶽山噴火災害犠牲者の一周忌供養を営みます。

8月6日、現地視察を行いました。

最初に立ち寄ったのは大滝村松原スポーツ公園に設けられた献香所。

次に、そこからさらに40分ほど車を走らせ、田の原天然公園に設けられた献香所に向かいました。

田の原天然公園とは、御嶽山7合目(標高2000m)に位置しており、御嶽山の山肌が間近に迫ります。

ここが、我々が実際にご供養をさせていただく予定としている場所であります。

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連日、不明者の捜索にあたる多くの消防隊、自衛隊、県警の姿がありました。

各局の報道陣が捜索隊の帰りを待ちます。

そこには静観せざるをえない無言の緊張が張りつめておりました。

そしてこの日は、災害対策本部より再捜索打ち切りが発表された日となりました。

                                   合掌

お盆~安らかなる心をともに~

お檀家さまへ

とても暑い日が続いております。

夜も寝苦しく・・・。

さて、8月に入り、真福寺は5日の施餓鬼法要に向けて準備におわれます。

みなさんの自宅においても、お盆にご先祖さまをお迎えし供養する設えを始めていただく時期がまいりました。

13日が盆入りですが、早いご家庭ですと7月中よりお仏壇を綺麗にして、玄関から家内の掃除をいつもより丁寧にされることと思います。

あわてることなく少しずつ整え、穏やかな気持ちで盆を迎えましょう。

お仏壇のないご家庭もあろうことかと思いますが、心にご先祖さまをお迎えし、亡き人を想い慈しむ盆期間を大切にお過ごし下さい。

しきたりなど地域によりさまざまです。宗派によっても異なることが現実にあります。それにとらわれ過ぎずご家族の負担にならない程度に整えて、お墓を綺麗にしてお参りし、安らかにご先祖さまをお迎えできると良いと考えております。

盆の準備にお迷いの方は次を参考までにご覧ください。

暑いなかですので、みなさんがお体を悪くせず元気であることにより、ご先祖さまが安心することが第一ですよ。

 

ご自宅に準備をしましょう

◆精霊棚
 お盆の飾り付けには精霊棚と盆提灯などがあります。

 ※丁寧にはお仏壇から位牌を取り出し、お仏壇前に改めて精霊棚を設けて飾りつけ、そこに位牌をおいて供養する形、地域によりしきたりがあります。

  しかし「絶対」ではございません。これは負担ともなりますので、常日頃の通りにお仏壇を礼して供養差し上げることで充分なのです。

 

◆盆供
 お盆のお供え物、供物のことを「盆供」と言います。お盆に行う供養のことも同じく盆供と呼びます。

 

◆迎え火と送り火
 お盆の入り(8月13日 ※異なる地域有り)には、「ご先祖様が迷わずに帰って来られるように」という気持ちをもって、玄関前を照らすよう迎え火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでおいでなしておいでなして♪

 お盆明け(8月16日 ※異なる地域有り)には、ご先祖様を丁寧に送り出すために玄関前で送り火を焚きます。

お盆さまお盆さま この明かりでお帰りなしてお帰りなして♪

(諏訪地方は白樺の皮を焚いているご家庭が多いです。)

 

飾りつけとお供えもの

◎精霊棚

 お盆に用いられる祭壇 

(前述のとおり、お仏壇を丁寧に整えていただければ充分ですよ。)

◎盆花

 

●精霊棚の網に逆さに吊るす花  代表的なもの:ほおずき

(花瓶で綺麗な仏花を供えることで充分ですよ) 

 

●禊萩(みそはぎ)の葉を束ねてお供えする 代表的な盆花のひとつです。

  盆供、飾りの清めに使われていたことから、ミソギハギとも呼ばれていた。

  実際に萩に綺麗な水をつけて祭壇、仏壇、盆供のお清めに使っております。

  ※丁寧には、蓮の葉に水を注ぎ、ナスやキュウリを細かく刻んだもの(精霊への施食)を添え、そこに禊萩を供えます。

 (綺麗な器にお水を注ぎ、そこに萩を供えていただくことでも充分ですよ)

◎馬と牛

 お位牌の前に供えます。

 馬はきゅうりで作ります。早くお家に帰ってきて下さいとの気持ちをもって供えます。

 牛はナスで作ります。ゆっくり過ごして下さいとの気持ちをもって供えます。

 (それぞれの足は割り箸を用いていただけたら充分ですよ)

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◎盆提灯

 お盆のみに飾られます。※新盆は白提灯が主です。

 ご先祖様を迷わす迎えるための灯りです。

 

ご心配なことなどお有りでしたら、遠慮なくお寺にご相談下さい。

仲良くお元気で

お寺に水子供養に訪れたのは、礼服姿の若いご夫婦でした。

かわいらしい器に収められた小さなお骨を包むようにして両手に持ち、二人は静かに本堂に入りました。

私の読経ばかりではなく、三人で唱えようと「智山勤行式」を紹介し、一緒に唱えていただきました。

ご夫婦ともに声を出すことで少しでも安心になればと。

 

ご葬儀、回忌供養、それぞれに悲しみに包まれ営まれる法事が多々ありますが、水子への悲しみを背中に感じての読経というのは、自身何度も経験した事ではありません。

  共にこの世に生きた人との縁が断たれる悲しみ

  共にこの世に生きることの叶わなかった命との離別

どちらにもあらためて、命の大切さを考えさせられます。

若いご夫婦には、まさに体験をもって知り、命を大切にされてお寺まで来てくださったのでしょう。

読経の最中、「計り知れない」お二人の辛さと「命の重さ」が胸に染みてきます。

 

40分ほどのご供養を終えると、お二人は笑顔でお布施を手にしてありがとうございましたと御礼をして下さいます。

お辛いのに爽やかに接して下さり、これもお布施なのかなと恐縮します。

なにかと深く尋ねることはできませんでした。

ご法話や特にお話をすることはできませんでしたが、とにかくこの先二人仲良くいてほしいと思いました。

 

若いご夫婦、とてもお辛い体験、その時間を共有されています。

「今後二人が仲良く過ごすことで、再び力を蓄えて下さい。」

とだけ申し上げました。

命を感じる経験が、二人を一層優しく、そして強くして下さいますよう願います。

 

どうかご夫婦支え合い、仲良くお元気で。

 

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今、境内ではたくさんの桔梗が夏の陽を浴び元気に咲いております。

花言葉は『変わらぬ愛』

 

8月17日には毎年送り盆恒例のお御霊を送るナイトコンサートが本堂であります。

このHPをご覧であれば、また一緒にいらして下さい。

                                合掌

一斉草刈り作業

早朝より、寺の所有地の一斉草刈り作業を檀徒総代様のご尽力をいただき行いました。

春、夏、秋、年三回、住職、総代方一緒に行っております。

この日も、総代様方がお仕事に出られる前、早朝からの貴重な時間を費やし、重労働をつとめて下さいました。

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最初は所有地複数個所に分かれて行いますが、最終的にはもっとも広範囲を有する真福寺跡地の作業に全員で取り組みます。

 

少しこの地について触れますと、写真の場所は堂窪と称し、350年も昔に真福寺の伽藍、境内が在った場所であります。

宝永3年の火災で伽藍を失い、この地が聖地としてあったのは130年ほどだそうです。

真福寺に祀られる本尊阿弥陀如来は、この火災の難から救い出されましたが、近くで拝見すると焼け跡が残っていることがわかります。

 

この地は日当たりが良く、夏場になると草の伸びが早く、腰上まで長さがありコシも強いため、草刈り機での作業とはいえ体力を消耗します。

年間、このような寺の作業にまでも総代様にはお力を注いでいただき、大変な御苦労にも明るく勤めてくださっていることには感謝いたしております。

作業人数が少ないなか、有志で作業を助けて下さる方もおり、誠に有難いばかりです。

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お陰をもって、今回も綺麗に草を刈り終えました。

ありがとうございました。

真福寺はいよいよ夏行事を迎えますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

ところで、みなさん草刈り機を一台持ち寄ってきますが、そのような機材がない時代は、いかにしてこの寺の跡地(空き地)を整備していたのでしょうか。

どのような状態だったのでしょうか。

そして、将来、この地とどう向き合っていけば良いのかも、草刈りをしながら考えることが少なくありません。

                                                        合掌

仏事のなかの「なぜ?」

今朝、出掛け先で知り合いと遭遇して立ち話をしていたところ、

「そういえばさー」

と話が切り替わり、

 

「なんで仏さんのご飯って箸立てんの?」

って聞かれました。

 

うん??

なぜ・・・?

 

僧侶の多くは、仏さまにお膳をお供えする際に、ひと通りの作法を修します。

その一連の作法の意味するところは、本山の先生方から丁寧に教えていただきました。

しかし、丸く盛りつけたご飯に「箸を立てる」という形の意味するところだけすっかり抜けておりました。

 

幼い頃より、寺ではその形は常に見かけたものであり、それを真似して日常の食事で箸を立てると叱られたりもしたので、仏さまのご飯だからこそこのようにするものなんだと、ごくあたりまえのように捉えていたのだと思います。

実際にその行為の意味を深く考えたことがありません。

 

質問してくれた人は、つい最近、保育園に通う娘にどうしてなの?と聞かれたそうです。それで答えてあげたいんだと言ってました。

自分も幼い頃、実は「気になっていたからこそ」食事中に真似をしたのかな・・・。

 

こども目線では、不思議なことはいっぱいあるんだろうと思います。

当然、大人でも仏事には気になってはいるが過ぎていることがきっとあるはずです。

特に、特に仏事には。

 

突然の質問でしたが、わからなかったので、調べてみることにしました。

仏事のなかの「なぜ?」

 

ところが・・・。

調べても、なかなかうんなるほど!と思える答えがみつかりません。

習慣?しきたり?区別?

うん??

 

日本で古くから重んじられてきた仏事、神事には不思議な行いが確かに存在します。

まだまだ調べてみようと思います。

 

次にその人とお会いしたら、

しばらくお待ちを・・・と。

夏休み寺子屋参加募集が始まりました

第2回真福寺こども寺子屋ー夏休み半日寺修行ーの参加募集が始まりました。

早速お申し込み下さった、親子さんありがとうございました。

定員となり締め切らせていただきました。

整列

昨年の様子 最後の献灯式を迎えた20名のこども達

 

小学生にとって夏休みは宝さがしのような時間であります。

その夏休みの一日が、こども達の良きおもいでと、身心成長の機会と成り得ますように、ともにお寺で励み過ごしたいと思います。

また、今年はお手伝いをしてくださる中学生も募集しております!もちろん修行です。

寺子屋詳細および申し込み用紙は、当ホームページの新着情報をご覧ください。

座禅

昨年の様子 座禅に挑戦

 

今年も一緒に頑張りましょう。お待ちしております!

空海の言葉

今月の言葉の力は、弘法大師空海の言葉です。

『近うして見難きは我が心』

 

『近うして見難きは我が心 細にして空に遍ずるは我が仏なり 

 我が仏は思議し難く わが心は広にしてまた大なり』 (秘蔵宝鑰)

 

私はこの言葉の真(まこと)を理解していません。

もっとも近くにある自分の心の姿が、実はもっとも見えにくいのだと解釈しております。

大切に感じている弘法大師の言葉です。

 

そもそもこの「心」とは何を指しているのか。

心はどこにあるのかと聞かれると、ほとんどの人は胸に手をあてる。

本当にそうなのか。

考える頭と心は近くにある気もする。

 

安らいでいる心 楽しんでいる心 迷っている心 

平常心といわれるもの

偽りの心といわれるもの

このように刻々と変化する心の様子

 

弘法大師の言葉でいう心とはこのことを指すのかというと、真は違うと思う。

もっとその奥深く、もっと近くにあるものを心といっているのでは。

その心こそが見難き存在であると。

 

仮にそれを「真の心」とする。

その「真の心」を“まんまるお月さま“に例えるならば、

日々刻々と変化しているの私の心は、分厚い雲であり、

一層、まんまるお月さまを見えなくさせている。

 

真の心。

そういえば真心(まごころ)という言葉がある。

なんとも優しく濁りないイメージの言葉。

 

しかし、まんまるお月さまが見えないからといって、そこに善悪はない。

分厚い雲も受け入れて、やまない雨風も受け入れて、

雲が去り、そこから強く照らしつける陽射しも受け入れて、

逆に不平不満を言ったって、それも自分だ。

ありのままを受け入れる。

 

その素直さはとても大切であり、しかしながら難儀なこと。

そんな不完全な人の心を深くから支え、灯し続けてくれているのは、

実は誰もが内に有する真心(まごころ)じゃないだろうか。

 

それを「仏心」ともいうらしい。

 

どなたの内にもこれがあるそうだ。

だから安易に人を傷つけてはいけない。

自分を粗末にしてもいけない。

 

      想え 心中に月輪あり

 

6月15日は弘法大師空海のご生誕の日です。

わんぱく相撲の稽古ー礼節を学ぶー

わんぱく相撲諏訪圏大会の稽古場所が、5月30日(土)諏訪市体育館にて行われ、応援&サポートに参加しました。

長年続く、諏訪圏わんぱく相撲に稽古場所が設けられるのは初めてだそうです。

長野県出身の現役力士、十両御嶽海の育った木曽青峰高校相撲部の高校選手と、御嶽海を指導された先生がお越しになり、100名ほどの小学生を対象にご指導いただきました。

基本姿勢、技、ルール、心構え、それぞれを丁寧に教えて下さり、相撲部の高校生は小学生を相手に十分に稽古をつけて下さいました。

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試合形式の稽古のなか、取り組みを終えたばかりのこどもに高校生はすぐにアドバイス。それを真剣に聞くこども達。

伸びしろあるこども達にとってはかなりの上達につながり、また相撲を一層好きになるのではと感じました。

 

先生は、大切なことの一つに「挨拶」をあげました。

相撲が楽しめるのは、相手がいるから。

取り組み前、取り組み後の挨拶は、感謝の気持ちを込めて必要なことであると。

 

負けた時、悔しさでうつむいてしまう。

そんな時こそ、悔しい気持ちをこらえて堂々と相手に挨拶し、礼を正す。

もちろん勝者もそうだ。

勝負に一生懸命になれるこども達になら、きっとこれができる。

一生懸命なこども達なら、勝ち負けより尊いものにきっと気付ける。

勝っても負けても、気持ちと姿勢を正し、大きな声で挨拶のできるこども。

そんなこどもがきっと何事にも強くなっていっていく気がする。

そしてやさしくもなっていく気がする。

挨拶が大切。こどもも大人も、この日は相撲を通じて大切な精神を学んだ。

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最後は相撲部の高校生に何度も勝負を挑んだ。

勝てる子は一人もいなかった。

幾度も挑んで負けているうちに、こども達の顔に本当に悔しいという表情が出てきた。

なぜ勝てないのかを考え、まだまだあきらめないという表情。

「負ける練習」が無駄になっていなければ、もっと相撲を好きになる。

一生懸命、楽しく、礼儀正しく。

こども達の心と体を強く育て、同時に礼節や思いやりを身に付ける「わんぱく相撲」。

6月の大会には多くの親子に参加してほしいと思う。

こども達の心と体の成長を大人が喜んでサポートしてあげよう。

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わんぱく相撲諏訪圏大会(下社場所・上社場所)について

詳細はこちら

5月末の日曜日

5月も残り一週間。全国的には真夏を思わせる天気情報が相次いでいます。しかしながら諏訪地方は初夏というには少々早く、この季節朝晩はまだ肌寒くいくらいです。

外仕事をされる方には大変作業がはかどる時期でもあります。

月末の日曜日早朝6時より、諏訪湖周辺の住民、小中学生、各種団体、企業より約4000人が集い、諏訪湖・河川一斉清掃が行われました。

仲間とのんびり話しながら歩き、目線だけは足元に向けていると、あれよあれよというまにゴミ袋は一杯になりました。

小さなお子さんからご年配の方、地域住民の協力作業の風景はなかな清々しいものです。

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日中は、妻、こどもと一緒にお墓の草取りに行きました。

お寺の墓地ではなく、近くにあるうちのご先祖様のお墓です。

春彼岸にお参りした後はご無沙汰しており、そろそろ草も伸びているころだと草刈りカマを持ちお参りしたところ、ひざ丈ほどにまで草が伸び、荒れに荒れておりました。

気を向けられなくなる墓というのは、かわいそうだなあと少々思ったわけであります。

 

突然、娘が「ハチ!ハチ!」とお墓を指差しますが、どこにもいません。

草刈りを続けているとまた、「ハチがいるから見て!」と言ってきます。

しかし、どこにも見当たりません。

くもの巣に何らかの虫がひっかかっています。それをハチと言っているのか・・・。

それとも・・・。

あまり真剣に指を指すので、こどもの低い目線でお墓を見てみることにしました。

なんと!石塔のお線香を入れるところの中にハチが巣を作っていました。

(写真無し)

おおー危ない危ない。

これを見つけていなければ、お線香をあげる際に誰かが痛い思いをしたはずです。

それがこどもだったら、お墓は怖いところとなったでしょう。

娘のお手柄。

こどもの目はあなどれません。

 

お墓も綺麗になりました。

 

故郷の神宿る湖も、先祖宿るお墓も、時々でも気を向けて近くに寄り添うと

何か気づきがあるものです。

善光寺参詣ー長野南北智山青年会ー

5月12日(火)真言宗智山派長野南北青年会合同にて、前立本尊御開帳を迎えた善光寺を参詣してまいりました。

7年に一度、秘仏、一光三尊阿弥陀如来の御身代わり「お前立本尊」を本堂にお迎えし、そのお姿を拝むことができます。

前立本尊の右手中指に結ばれた長い紐が真っ直ぐに本堂を通り抜け、参道の回向柱に固く結ばれております。

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7年を大切な節目とし、ご開帳に何を思うのでしょうか。

お年寄りであれば、今回も足を運べて良かった。次のご開帳までも元気でありたい。

若き人であれば、7年前の自分よりの成長を振り返り、夢を語る。

日々社会の一線で活躍、苦労されている方々は慌ただしい日常を離れ、崇高な仏の存在に触れ、お陰を感じ心に安らぎを覚え、同時にご利益を願う。

あるいは父として母として、家族を思う。

日々の感謝、未来への希望。

皆様々であると思う。

様々の思いで回向柱に触れ、仏さまの声を尋ね、自分の心を伝え、ひとつになります。

 

前回ご開帳は700万人に迫る方々が参詣しこの柱に触れ、今年はそれ以上の数が見込まれています。

本尊ご開帳を多くの人が大切な「節目」として、心の中に位置付けているのです。

 

善光寺周辺の街は多くの人で賑わい、大変な活気があります。

人が仏さまのもとに足を運びエネルギーを頂き、巡り巡って街もそのエネルギーに満ちております。

                                                合掌

 

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岡谷市仏教会花まつりのご案内

35回目を数える岡谷市仏教会まつりのご案内です。

岡谷市内各宗派の御寺院により結成されている岡谷市仏教会(宮坂宥澄会長)が主催する、毎年恒例の仏教行事です。

どなたでもご参加いただけますので、お誘いあわせてお参り下さい。

 

          花まつり

日時  5月17日(日) 午後2時~午後4時

場所  成田山蓮華不動院 (宮坂宥澄住職)

       岡谷市成田町1‐6‐46

       ℡0266‐22‐4170

 

内容  第1部 灌仏会花まつり慶讃法要

           境内彩るお稚児さんも元気に参加します。

   

      第2部 記念講演

                        演題 『蚕糸の歴史に思いを馳せて』

                    講師 岡谷市蚕糸博物館館長

              高林千幸先生

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           花御堂

灌仏:お釈迦さまに甘茶を灌ぐ

2000年以上遠い昔の話、処はルンビニ。

たくさんの花々が美しく咲き誇る花園。

そこにお釈迦さま生まれしとき

歓喜に包まれ空から甘露の雨が降り注いだと伝えられる。

しだれ桜が満開です

境内のしだれ桜が薄紅色を際立たせ満開に咲いております。

人を迎え、私たちを癒してくれるこの桜は、春の寺のシンボルとなっております。

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その花の咲き誇る期間は短く、儚きものです。

  散る桜 残る桜も 散る桜

    見上げる花、足元に舞い落ちる花。そんな桜からの言葉を受け取ってみます。

    いまを無心に精一杯生きる桜の花を、この春も見にいらして下さい。

        今月中が見頃です。

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26日は快晴のもと境内で花見大道芸が行われました。

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春の境内

暖かい日差しを浴びながら、少し薄着でも外を出歩けるようになり、目に映る緑や花々の恵みに心洗われるこの頃です。

もっとも春らしく、そして愛される季節です。

お寺の境内ではしだれ梅が見頃です。

客殿から本堂に向かう廊下の窓から、このしだれ梅をきれいに眺めることができます。

ご法事の際など、窓の前で少し足を止め眺める間をいただいた後に本堂へ入ってもらうとよろしいかと思います。

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さて、しだれ桜の方はというと、まだまだつぼみが膨らみ始めたばかり。

例年、4月下旬に満開を迎えます。

4月26日(日)には毎年恒例、境内でのお花見行事がございます。

今年はお花見大道芸をお楽しみいただきます。

また、今月はお釈迦さまの誕生月。各地寺院で花まつりが行われる季節でもあります。

当日は花御堂を境内にお供えしますので、誕生仏に甘茶をかけてお祝い下さい。

お振る舞いいたしますポップコーンや甘茶を口にしながら、ごゆるりと大道芸を楽しみ、春の寺の境内でおくつろぎ下さい。

満開の桜とともにみなさんをお迎えいたします。

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お寺の近くにいらした際は、気軽に足を運んでしだれ桜の様子をご覧ください。

高野山開創1200年

高野山に行ってまいりました。

高野山は弘法大師空海が開かれた真言密教の根本道場です。

この聖地に開創より1200年の時が過ぎ、今、記念大法会が厳粛に営まれています。

高野山開創1200年記念大法会 (期間は4月2日~5月21日)

このたび4月7日は、真言各派の青年僧による開創1200年記念大法会ー慶讃千僧法会ーが厳修されました。

全国各地より、各派青年僧が高野山に700名近く合い集い、黒衣を纏い、弘法大師開創の聖地における1200年の時の重みを感じながら、ことさら厳粛な法会に臨みました。

 

青年僧は、教団あるいは檀信徒とともに仏教を大切に守り、伝え残し、そのための一層の努力とつながり、そして明るさを求められる者たちです。

師である弘法大師空海より、遥か昔より遍く照らされるみ教えが、今も人によって伝わり灯されているのだと、この地に深く感じ、そしてお大師さまのある言葉が浮かぶのです。

 

物の興廃は 必ず人による

 人の昇沈は 定めて道にあり

 

青年僧としても心に留めておきたいお大師様の言葉です。

 

4月22日は、総本山智積院より、真言宗智山派の管長様をはじめとする高僧方々が高野山に一同に会して慶讃法会を厳修され、また多くの檀信徒の参拝も予定されております。

経験

このホームページでは、トップページに「言葉の力」という企画で先人達、あるいは各分野でご活躍されている方の様々な言葉、時にはお経の一部を紹介し、それを毎月一度だけ更新しています。

4月の言葉の力は、

「努力して結果が出なくても 経験が残る」という言葉。

私が京都でお付き合いのあった目上の方から言われたことで、印象に残った言葉です。

 

「結果が大事」

この言葉の圧力はすごいものがあります。

しかし、これがすべてだと恐れぬことです。

人間ってもっと奥深いものだと思っています。

 

新入学されるみなさん。

就職し、社会人となられるみなさん。

 

私の甘い考えのような気もしますが、

結果だけで人から判断された力量を、自分のすべてと思わないで下さい。

また、自身も結果だけで他人を判断してしまわないで下さい。

人生ってもっと奥深いものだと思っています。

 

結果を求め、具体的な目的をもって、言い訳せずに頑張る。

常に目的に対する工夫をして、考えながら頑張る。

方法はひとつじゃないと知り、悩みながらでも頑張る。

 

では結果は出たか。

いや、そんなに順調じゃない。

求めた結果通りにならないことの方が多い。

ストレスも感じる。

他人を羨む。

自分を責める。

 

結果は出なかった。

じゃあ何も得るものはなかったのか。

そんなことはない。

経験が残る」

これが失敗でさえも人を育ててくれる理由だ。

 

成功、失敗に限らずに、過程での努力や経験というものが人に記憶されること。

これこそが人を育ててくれると思う。

経験がではないことで怖さが減る。

不安でも、頼りになるのは自らの経験だったりする。

 

長い人生航路では、経験が自分を守ってくれる時がきっとあると思う。

他人の気持ちを考えるって、経験が意味を持ったりもする。

だから、色んなことを考え、悩み、頑張って経験を積めばいいのだと思う。

経験は大切な財産

 

そして、結果だけで人を評価する人間にはならないように心がけよう。

他人も自分のこともだ。

人と人って、もっと奥深いのだから。

                      合掌

春彼岸ーお墓参りにてー

春彼岸の永代供養墓参りの際に気付いたこと。

当山の永代供養墓は、寺から車で3分ほど離れたところにございます。お傍には六地蔵様がいらっしゃいます。

永代供養墓に眠る方のご命日などでこちらに来る際にあわせてお参りしているのですが、一番右のお地蔵様の帽子がこの冬の間になくなってしまいました。

風で取れ、長い間雪に埋もれてしまったのか、辺りを探しても見当たらなかったのです。

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ところが本日お参りすると、新しい帽子をかぶっていました。

六体の首掛けもすべて綺麗なものになっておりました。

どなたかが手編みして着けてくださっているのです。

 

私はその方にお会いしたことがありません。実は普段から顔を合わせている方なのか。

 

永代供養墓も時々新しいお花とお線香が供えられています。

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永代供養墓と六地蔵。

家族の方がお参りされているのか、それとも近所の方がお供えしてくださっているのか。

お供えしてくださる方がどなたなのかわかりませんが、とても嬉しく思っております。

感謝、御礼申し上げます。

                               合掌

雪解け

日中暖かく、過ごしやすい日が続きます。

雪解けがすすみ、長かった冬に終わりを告げようとしています。

雪降る日の多かった冬、しょっちゅう寺の雪掻きをしていました。

この冬の諏訪湖は御神渡りができず、諏訪の冷え込みはさほど厳しくなかったとされていますが、実感としては、日中の気温が上がらず寒気厳しき毎日が続いた印象が残ります。

 

やっと春が近づいた感があります。

梅のつぼみが気になるこの頃です。

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一か月先には、冬を忍んだ桜達が花を咲かし始め、明るい話題に期待がもてます。

その頃お寺では桜咲く境内で大道芸を行いますのでお楽しみに。

その前に春彼岸では、先祖供養の写経会を行います。(3月21日 14時)

百文字の写経(般若心経は260字)を行うほか、お念仏を唱えながら念珠まわしをします。

写経後の茶話会ではこちらで用意した仏教クイズにも挑戦していただき、少しほど仏事のことなどにつき考える時間をもちたいと思います。

特に持ち物はなく、気軽にお越しください。

また、例年通り4月からは毎月25日の写経の会、念珠の会も始まります。

月2回の朝まいり会は、4月からは朝6時に早まります。梵鐘の打鐘は5時30分となりますのでお含みおき願います。

 

境内の雪が解けて、すっかり土が顔を出しました。もう草が生えています。

今度は草取りのシーズンですね。

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むしってもむしっても! っていう愚痴のこもった日記が夏前には書かれることでしょう。

 

3月は卒業式、会社などでは職場の異動があったりと、別れの季節でもあります。

ともに過ごした仲間、特に気心知れて仲良くした仲間との別れは寂しいものです。

一方で、やっとこの人と離れられる・・・と思える別れも多くあることでしょう。

うまく付き合えなかった関係は、いつどこにでもあります。

しかし、去り際を大切に、少しほどの心がけを!

先生に対しては、仰げば尊しわが師の恩。感謝の心を。

うまく付き合えなかった相手には、たった一言でも歩み寄って前向きな声掛けを。

 

心を閉じて背中を向けて去ることが、どうか長い人生の後悔にならないよう、

雪解けの心を。

                     合掌

戒名について学ぶ機会

このたび東京にある真言宗智山派の宗務出張所、別院真福寺におきまして、智山青年連合会の主催による勉強会が開かれました。

内容は戒名について。

私は僧侶になり10年以上になりますが、自ら戒名を付け、お授けした経験はありません。

葬儀に向けて戒名を一人静かに考える住職の姿、机に置かれる辞典、幾つもの字があちらこちらに書かれて散らかる紙とペン。たまにはそこに寺庭である母が一緒にいることも。そんな様子は何度も見ております。

導師は葬儀一連の営みが終わると、どっと疲れが出ると聞きます。おそらくご遺族からのお話を伺い戒名を考える頃より、相当な神経を使っているのだと思います。

いざ自分がその役目を担うこととなれば、それは安易に行えるものではなく、正直かなりの不安があるのです。

 

今回の勉強会、青年僧侶が大勢130名も参加しておりました。

勉強会冒頭で、まだ戒名をお付けしたことのない人を先生が確かめられた際、その数半数以上に及びました。

皆、同じような不安があり、また自身、戒名についての知識がないことを自覚し学ぶ機会を求めていたのだろうと思います。

 

戒名とは?

こう尋ねられた時に、明確な自分の答えを持っていなくてはならないと感じます。

これから自分がその勉強をすすめていくために、当勉強会では、戒名起源の諸説から実際の戒名の構成、付け方まで丁寧なご講義が聞け、また貴重な資料も頂戴できました。

ありがとうございます。

 

戒名は、僧侶が考えて字を選び付け、お授けをするものなんですが、それは僧侶と授ける対象となる方との二人の関係だけではなく、その戒名への想いが、ご家族などお近い方々と共有できるものであるべきと考えます。

人の姿あるいは気持ちや思念などといったものが、字に映る、字に蘇る、戒名に現れる、そして、お近い方々にとって愛おしく思えるものでありたいです。

 

しかしながら、今の自分にはとてもそれはできません。

つくづく僧侶は大変な担いがあるとさえ感じます・・・。

 

先生は、自信をもって考えお付けしなさいと仰いました。

それは、堂々と戒名をお付けできるように檀家様と大切に接しなさい、とも私には伝わってきました。

 

私たち青年僧は、課題だらけです。

そう、青年僧とお寺は課題だらけです。

                        合掌

 

今年もYOSAKOIにむけて

今年も秋に行われることとなりました「諏訪湖よさこい」。

諏訪に来い 諏訪に恋する SuwaKoi

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諏訪湖よさこい-SuwaKoi HP

よさこいの発祥は高知県として知られ、現在は全国各地にも波及し、鳴子を手にして踊り舞うステージを中心に、まちが熱く盛り上がるおまつりとなっております。

今年岡谷で行われるよさこいは第3回目。まだこの地に生まれたばかりのおまつりです。

全国から集まる40チームを超える踊り連は、諏訪湖と八ヶ岳の大自然をバックにした最高のロケーションで演舞を繰り広げ、5000人を見込む来場者は各演舞ステージを楽しむ他、諏訪圏の地元グルメや名産品店が出店するロコモールで食事や買い物を満喫します。

このたび、第3回諏訪湖よさこいに向け、第1回実行委員会が岡谷テクノプラザで行われ、メンバーの顔合わせがあり、開催日、会場などが承認され、今年のよさこいをどのような内容にしていくのか最初の話し合いの場がもたれました。

 

第3回諏訪湖よさこいの開催日は9月12日(土)!

場所は岡谷市湖畔公園グランドにて。

 

岡谷でこのまつりを企画し立ちあげ、県内外からの来場者に諏訪圏域を広くPRしてまちを盛り上げようと奮い立った、第1回目開催の役員をはじめとする諸先輩方。これに引き続き昨年第2回目には規模を拡大して充実を図り、さらに協心戮力し奮闘した諸先輩方、実行委員会のメンバー。

裏方だった私は、労苦を惜しまずまつりを築いていこうとする表舞台を担う先輩メンバーの姿勢に接して、自分も少しでも力になりたい、そして楽しみたいと純粋に感じその輪に加わりました。

私は普段は寺に従事しておりますが、一方でこのメンバーの一員としての活動に団結して楽しむことも大切にしております。

今年も早くもその準備が始まりました。しかしながら、準備に携わるメンバーの人数が、おまつりの規模からして足らないのだと皆が口をそろえます。

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このHPをご覧になってくださる諏訪圏域の方で、おまつりやイベントの準備運営、まちのPRに興味がお有りの方、お若い方が居られましたら一緒に活動しませんか。

連絡いただけたら有難いご縁です。

 

話が移りますが2月15日はお釈迦さまのご命日であります。

2500年近くも昔のこと。

お釈迦さまは、人として大切なことをいくつもの言葉にして人に語ったそうです。

『法句経』にあるお釈迦さまの言葉。

    無益の句よりなることば千ありとも

     それを聞き 心の安穏をうる意味深きことばこそ

          遥かにもまさる

 

仏教には八万四千の数と表現されるほどの教えがあります。

お釈迦さまが多くの人々と出会うなかで、ある大切なひとつのことをその人に応じて言葉や表現、さらに時、世界観を変えて伝えたそうです。

これを「対機説法」といい、お医者様がその人に合ったお薬を処方するのと似ています。

つまり人の心に留まる言葉とは、誰しもが同じではないのです。

これが多くの言葉が膨大に存在する所以です。

 

お釈迦さまは、人が豊かに生きるために誰しもが気づいておくべきことを、悟りのなかで確信をもたれたのです。

その大切な核なることを、出会う人に応じて、また悩みや願いに応じて語られ、

それがお釈迦さま80年の生涯で膨大な言葉となっているのです。

 

人は迷い悩むなかに、気づきや答えに結び付く閃きがなかなか訪れないことがあります。

平凡ななかに、自分に変化をもたらすような出会いに恵まれないこともあります。

多くの人と多くの言葉に溢れていても、その人の的を得るような、心揺さぶる一期一会はそう多くはありません。

 

歳をとるにつれ、自分を諭してくれる人や叱ってくれる人が減っていくように感じます。

人との出会いのなかから、色々な人の言葉や姿勢に接して学ぶしかありません。

 

お釈迦さま亡き後2500年に迫る月日が流れ、世は変わり、尚も変化し続けています。

はたして「人」は変わっているのでしょうか。

お釈迦さまの伝えた「人の本質」ってゆうのは、不変であるように思います。

そして、その教えは実に的を得ているのだとも感じます。

 

現在に生きる「若人達」が、まちに根付くおまつり作りをしています。

その人達の輪に混ざり、多くの人と接して、色んな人の姿勢からまた何かを感じ取り、

気づきや学び、そしてつながりがきっとあるのだと思います。

 

私にとって諏訪湖よさこいは、諸々のしんどさの中に有る楽しみ探しでもあります。

伊那成田山の節分会にて

2月2日、3日、伊那の成田山恩徳寺で行われる節分会護摩法要に出仕しました。

こちらは信州伊那成田山として信仰を集める名刹寺院であります。

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真言宗智山派総本山智積院の末寺であるとともに、成田山新勝寺の末寺でもあります。

本尊不動明王は成田山新勝寺の不動明王のご分身、御身代わりとして祀られております。

 

   大聖不動明王といっぱ、内に慈悲の誓いを秘め、外に忿怒の形を現ず、

     大日如来の教令輪身、諸魔降伏の忿怒尊なり。

                               (祈願文より)

 

3日の節分会は、早朝から夕方まで続く護摩法要に大変多くのご参詣がありました。

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毎座の護摩修行後には、堂内においてご参詣の皆さまと一緒に『福は内!』と大きな声を合わせ、厄年の方、私たち僧侶が豆まきをしました。

法要と豆まき式を終え、明るい表情でお帰りになるご参詣方々のお顔が印象的です。

 

恩徳寺の節分会護摩法要には、恩徳寺御住職、役員のもとに、特には松本、塩尻より同宗派寺院の住職、副住職、御札浄書役が集い、法要を助けております。

他、総本山智積院の修行僧(智山専修学院生)も京都より3名来山し、実践・研修の場として私たちと同じく法要に出仕し共に過ごしました。

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             京都本山から来られた修行僧

 

2月の節分が過ぎ暦のうえでは春とはいえ、信州はまだまだ冬の厳しさが増し、一層多くの積雪も予想されるこの頃です。

年明けよりひと月があっというまに過ぎ去り新たな月を迎え、いま一度年頭の初心を心に留める時であります。

 

先日テレビをつけると、清掃業に30年勤める職人が、自身が大切にしている流儀についてこのように語りました。

「仕事を怖がれ」

怖がるからいい仕事ができると。

 

強烈なインパクトを覚えました。

仕事を楽しめ、とは何度か言われたこと、聞いたことがあります。

むしろ楽しむ心がけの方が大切だとも思っております。

 

では、怖がれとはどういうことなのか。

少し考えさせられました。

 

自分なりの解釈ではこう考えます。

“初心を失い”仕事をすることを怖がれと。

 

このたび本山の修行僧とともに過ごしたこと、また、ふとつけたテレビで語られた言葉があったことで、なんとなく初心の大切さを考えてみる時間のあった、伊那で過ごした2月のはじめでありました。

                                          合掌

息子のこと

お寺のホームページをお借りして息子のことを少々。

とても小さく生まれた息子がこれまでを無事に元気に過ごしてくれ、今も標準よりずっと小さいままですが、おかげあってもうすぐ2歳の誕生日を迎えます。

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葬儀、法事でお供えとしてあがる白いだんご。

これがとても好きで、時々お下げしただんごを分けていただけることがあります。

そういったご厚意にも甘えさせてもらい、本人は一度に5個、6個と食べてしまいます。

 

朝まいり会があると、おつとめ後にお檀家様のお茶席にご一緒させていただき、皆さまのお菓子、くだものを遠慮もなく頂戴しております。

寺にお越しになるお檀家様に息子は声をかけていただき、みなさまの和顔を多く頂戴し、人が行き交う日常に慣れてまいりました。

 

寺に過ごす寺族ならではの幸福をいただいていると感じます。

ありがとうございます。

 

時々朝のおつとめに連れていくと、真似をして手を合わすようになりました。

誰が教えるでもなく、おつとめというものが寺にあるおかげです。

 

言葉はいまだに少ないですが、

優しい言葉を時々口にすることがあります。

集うお檀家様方の様子、祖父母、そして妻のおかげです。

 

言葉はいまだに少ないですが、

突然、食事中「うめえー!」と言い出しました。

言葉使いの悪い私の影響です。

 

こどもというのは周りの大人をよく見ています。

大人も成長しなくてはなりません。

そして大人も幸せに生きなくてはいけません。

 

親であるということが、こんなに教わり学べることなのかと

こどもには感謝しています。

 

日々のニュースを見て、平和を築くことがいかに困難なことか

そこに平和の光が差し伸べらていることがどれだけ尊いことなのかを考えます。

 

「ありがとう」が広がる世の中を願い、

こどもの成長を願い、

みなさまの陰に支えられて甘え、生きる、

このちっぽけな私は、今日も感謝申し上げます。

                          合掌

後七日御修法参拝

1月14日(水)、平成27年後七日御修法の結願日、京都東寺に行きお参りをしました。

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午前11時になり、境内には結願された大阿闍梨様、真言各派の供僧様のお姿を拝見しようと、多くの一般参拝者、各地からの御寺院方や修行僧が並び、還列のその時を待ちます。

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                      (還列を待つ高野山の修行僧)

 

1月8日の開白より、国家の安泰、天皇の安寧などを祈り、七日間21ヶ座の修法を終えた大阿様と真言各派の供僧様方が潅頂院から出堂して来られます。その還列をされる有難いお姿に手を合わせます。

 

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お加持された天皇の御衣を収めた唐櫃が慎重に運ばれていき、この後京都御所に御衣奉還して御修法は成満します。

 

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茶の如法衣の僧侶:大阿様・供僧様が潅頂院で21ヶ座修法される際にお傍に仕える承仕

大傘を持つ僧侶:大阿様・供僧様が七日間本坊でお過ごしになる際にお傍に仕える随行

 

真言宗最高の秘儀とされる東寺での御修法には連日多くのお見舞い、参拝があります。

特に結願の日は、21ヶ座尽くされた大阿様・供僧様の最後のお姿を拝見するだけでなく、

後拝みといって、最後の修法を終えた後の潅頂院内に一般の方も入りお参りすることが許されますので、とても多くの方が尊いご利益をいただきに訪れます。

 

御修法の風景には、心洗われる崇高な荘厳さと気高き威厳があると、いつ訪れても感じることができます。

                                   合掌

 

 

御修法とは

           【後七日御修法】

 東寺は、弘法大師が真言宗を立教開宗された根本道場であります。この東寺で国家の安泰、世界平和を祈って、真言宗各派総大本山の御山主(管長)と定額僧(じょうがくそう)といわれる真言宗全体から選ばれた高僧方によって、1月8日から14日までの一週間にわたり後七日御修法が執り行われます。この御修法は現在、真言宗の最高の儀式といわれ、千百有余年前には宮中で行われていた行事です。

 御修法はもとは宮中での重要な行事として1月1日から7日まで執り行われていました。現在は七日後の8日から始めますので後七日として、それを「宮中真言院後七日御修法」とも呼び、通称は「みしゅほう‐みしほ」と呼ばれています。
 元々は唐の不空三蔵が皇帝の為に始めた例に習い、わが国でも弘法大師が大阿闍梨となり、承和2年の正月8日から14日までの7日間、宮中において修法されました。これ以降、毎年の恒例行事となっております。
近年では明治4年の廃仏毀釈の影響で一時廃止となった時期もありますが、明治16年正月より、道場を東寺の潅頂院に移して再興されました。
 

 御修法には真言宗各派総大本山の御山主や定額僧の高僧方が出仕され、特別の法具を整えて修法されます。潅頂院内には堂内西側に金剛界曼荼羅、東側に胎蔵曼荼羅を安置し、それを一年交代で本尊として修法します。他、息災護摩壇・増益護摩壇・五大尊壇・十二天壇・聖天壇・神供・観音壇等を設け、各配役を担う高僧方が同時に修法されるのです。

 これが真言密教最高の儀式として尊ばれる由縁であります。

 

 

 

                                                 

 

 

 

慣れの表裏には ー信は荘厳なりー

2015年が明けて一週間が過ぎました。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

諏訪地方は昨年師走の後半から頻繁に雪が降り、毎日のように雪掻き作業が続きました。

大晦日の晩から元旦にかけても雪降りが続き、皆さんあちこちでコンディション整わぬなかのお参りにご精進されたかと思います。

年末から境内、駐車場の除雪を気にかけてくださり、整備を助けて下さった総代様ありがとうございました。

三が日を過ぎるとやっと天候が安定してまいり、安堵して今日を迎えております。

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お寺の本堂では年始にご葬儀がございました。

このたびの葬儀では、ご霊前のお供えがされる机には故人へ感謝状が額に入り、立て掛けて飾られておりました。

 

読経中予期せぬ出来事が・・・。

木魚がぽくぽくと鳴り、少しほど額が動いたのが見えました。

次の瞬間!額がすべり下に落下!

「ガシャンッ!」 参列者が驚きます。

さらに下の机には塗香の入った法具が置かれており、その上に落ちたことで法具までもが落下し塗香が舞い散らかりました。

直ちに額と法具を元のとおりに直します。

そしてしばらく読経、木魚が続き、終盤にさしかかった頃、なんとまたも額がすべるのが見え、あぶないっと思った時には再び落ちてしまいました。

 

なんと申し訳ないことを。

読経中に予期せぬ出来事が・・・。と書きましたが、これが予測出来ぬこと自体、葬儀を執行する僧侶として失格です。

ご遺族はじめ故人と縁あるご参列のみなさんにとって唯一の葬儀。事前に会場内を360度見回し、葬儀中に起こりうることを予測しておくことが僧侶の心得であり仕事です。

開式前に感謝状の額がどのように飾られているかを気にしなかったことは、取り組み意識に欠ける大きな反省でありました。

大切なものをこのように扱ってしまい申し訳ありません。

額が割れなくて良かった・・・。

 

物事の「慣れ」には「良し悪し」が表裏一体としてあります。

その影には事故の因なるものも潜んでいます。

気をつけねば!

 

「徹底した荘厳」は、修行中に先生方から教わったことでした。

『信は荘厳なり』

心引き締められた今日の出来事でした。

                      合掌

迎春 未の年

昨年は2月に二週続けて記録的な大雪に見舞われ、8月には広島で集中豪雨による大規模土砂災害があり、多くの家屋が流され人命を失いました。記憶に新しいところでは、戦後最大の御嶽山噴火により多くの登山者が命を失いました。まさに自然災害に苦しめられた悲痛の一年だったといえます。

今年は未年。ひつじのように丸く穏やかに一年が過ぎてほしい。昨年を振り返ればこそ、そう思うのです。

迎春

大自然に人力が及ばぬことがあると、過去数々の天災により知るところとなりました。

人が成長のなかで誇るべき何かを成し遂げることの素晴らしさ。その一方で、禅の言葉に「無事是吉祥」とあるように、ただ無事であること、心が静寂に保たれていることも素晴らしいことなのです。

このどちらも「陰なるはたらき」が及ばないと成し得ないこと。

それを自覚して、感謝の心や祈りの心を失ってはならないと感じます。

陰なるものとは人であったり、大自然であったり、神仏であったりと。

 

新年を迎え、信じる心と明るい希望が一人でも多くの人の心に宿ってほしいと願います。

 

真福寺の客殿から本堂につながる廊下にこんな言葉が掲示されています。 

定かではありませんが、アメリカの心理学者の言葉とも言われています。

 心が変われば態度が変わる

 態度が変われば行動が変わる

 行動が変われば習慣が変わる

 習慣が変われば人格が変わる

 人格が変われば運命が変わる

 運命が変われば人生が変わる

この言葉は、まず人の心が変わること、気持ちを作ることを第一としています。

 

HP内、「今月の言葉の力」ガンジーの言葉にあるように、人は心や気持ちによって何事も支配されているといえます。

逆に、人が心を支配することは難しい。

自分の心や気持ちの管理は、大切とわかっていても簡単にできることではないのです。

人の脆さともとれる部分です。

それをわかっているからこそ内省し、正直に仏さまに向き合い拝む間(ま)が大切です。

 

元旦には誰もが「善」を志します。一年の内に「悪」が生じてしまいます。

心を保つことがいかに難しいか。

人の力が及ぶところでは、どうか穏やかな一年であってほしいと思います。

丸く穏やかなひつじのように。

 

檀信徒の皆様、当山HPご覧下さっている皆様、本年もよろしくお願いいたします。

                                         合掌

 

1月4日(日)10時より、

観音堂において厄除け、所願成就を祈願する新春護摩法要がございます。

30分ほどの法要です。どなたでも参加できますので是非ご参拝にお越しください。

大晦日二年参りにお出かけ下さい

大晦日23時より

23時          古札お焚き上げ供養点火

23時20分  修正会 (本堂でみなさんとおつとめ)

23時40分  除夜の鐘 (人数、時間に制限はございません。)

各種縁起物・温かい甘酒・厄除け豚汁・般若湯を用意してお待ちしております。

去る年の古札、塔婆、縁起物などを浄焼供養いたしますのでお持ち下さい。

前日までに納める場合は、客殿玄関前に用意する箱に入れて下さい。

 

★天候が良ければ、寺子屋で子ども達が制作した写仏灯篭を参道に灯します★

 

梵鐘

除夜の鐘: 打順1番~50番までは整理券を配布

 

さて今年も残すところわずか。一年を振り返りいかがでしたか。

何かを得た一年。迷い続けた一年。変わり映えのない一年。

年頭の初心に対してはどうでしたでしょうか。

 

自分の振り返りをしながら

とりあえず無事でなにより、と安心がもてるといいですね。

助け合えた部分、迷惑かけ合った部分を見て、そこにおかげが見えてきて、

ありがとうの心をもって年越しをしたいものです。

安心地蔵

 

二年参りは今年一年間の「おかげ」への感謝のお参りです。

お参りでいろいろな人と顔を合わせて帰り、安心して眠りにつけると嬉しいです。

家内に足腰が悪いなどでお出掛けになれない方が居られる場合は、その人の分までお参りしてさしあげて下さい。

新しい年へ希望」を抱いてお祈りしましょう。

 

少し早い挨拶ですが、

檀信徒のみなさま、また当山HPをご覧になってくださっているみなさま、

今年一年間ありがとうございました。

                            感謝

 

密厳院發露懺悔文

毎年12月10日~12日までの三日間、真言宗智山派総本山智積院では、真言宗中興の祖であり、新義真言宗教学の基礎を築かれた興教大師覚鑁上人への報恩謝徳をいたす報恩講を行っています。

真言宗智山派はその法流をたどれば、基礎は新義真言宗‐覚鑁上人のおられた紀州根来寺にあります。

常私たちは、真言宗の宗祖弘法大師とともに南無興教大師とお唱えします。

堂内両脇には両祖大師をお祀りし拝しております。

 

12月12日は覚鑁上人のご命日であります。

49年のご生涯。その大半を高野山で過ごされました。

20歳の時に高野山に入山し、40歳の時には座主の座に就かれております。

ですが、その後高野山を下り根来に移り、そこを新義真言宗教学の拠点とし、後の生涯を根来で過ごされました。

 

高野山での覚鑁上人。

弘法大師の教学を拠り所として重んじ、真言宗を立てなおしました。

高野山には座主の座を下りた後に過ごした住房、密厳院があります。

そこで1000日間とも伝えられる「無言行」を行い、後に『密厳院發露懺悔文』をお書きになられました。

 

私は京都の本山で修行僧として過ごした時期に、この懺悔文の存在を知りました。

毎月根来より来られる先生が講義の前に必ず読んでくださったのです。

詳しく解説していただいたことはありませんが、繰り返し聞いているうちに言わんとしていることが身に染みてきました。

身に染みて読める一文と出会い、毎朝みんなでこれを読み、覚えました。

 

覚鑁上人は高野山で何を見て何を感じ、何を憂い、これを書かれたのでしょうか。

               密厳院發露懺悔文

我等懺悔す 無始よりこのかた 妄想に纏はれて衆罪を造る

 身口意の業 常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す

珍財を慳悋して施を行ぜず 意に任せて放逸にして戒を持せず

 しばしば忿恚を起して忍辱ならず 多く懈怠を生じて精進ならず

心意散乱して坐禅せず 実相に違背して慧を修せず

 恒に是の如くの六度の行を退して 還って流転三途の業を作る

名を比丘に仮って伽藍を穢し 形を沙門に比して信施を受く

 受くる所の戒品は忘れて持せず 學すべき律義は廃して好むこと無し

諸佛の厭悪したもう所を慚じず 菩薩の苦悩する所を畏れず

 遊戯笑語して徒らに年を送り 諂誑詐欺して空しく日を過ぐ

善友に随がはずして癡人に親しみ 善根を勤めずして悪行を営む

 利養を得んと欲して自徳を讃じ 名聞を欲して他愚を誹る

勝徳の者を見ては嫉妬を懐き 卑賤の人を見ては驕慢を生じ 

 富饒の所を聞いては希望を起し 貧乏の類を聞いては常に厭離す

故に殺し誤って殺す有情の命 顕はに取り密かに盗る他人の財

 触れても触れずしても犯す非梵行 口四意三互に相続し

佛を観念する時は攀縁を発し 経を読誦する時は文句を錯る

 若し善根を作せば有相に住し 還って輪廻生死の因と成る

行住坐臥知ると知らざると 犯す所の是の如くの無量の罪 

 今三宝に對して皆発露し奉る

 慈悲哀愍して消除せしめ賜え 乃至法界の諸の衆生 三業所作の此の如くの罪

 我皆 相代って尽く懺悔し奉る 更に亦その報いを受けしめざれ

 

◆我は懺悔する。妄想にとりつかれて、もろもろの罪を犯してきた。

◆身と口と意(こころ)の行いは常に正しくはなく、多くの悪行を誤って犯してきた。

◆財産を惜しんで人に施さず、気の向くまま節度ない生活をし、戒めなど守らなかった。

◆よく腹を立て、我慢ができない。怠けてばかりで少しも努力をしない。

◆心が乱れていて座禅のこころが落ち着かない。

◆真実にはずれているのに、智慧を観ようともしない。

◆六波羅蜜行をしないのは、地獄・餓鬼・畜生への輪廻のもとをつくっている。

◆僧侶の名を借りて寺院を汚し、僧侶の格好をしてお布施をもらっている。

◆授けられた戒律は忘れてしまい、学ぶべき修行は嫌いになっている。

◆諸仏が忌み嫌うことを恥とせず、菩薩たちを悩ませていることを恐れない。

◆遊び楽しんで年をとり、心にもない言葉、嘘や悪口を言っている間にむなしく日は過ぎていく。

◆善き友を避けて愚かな友と親しみ、善いことをしないで悪いことをしてしまう。

◆名誉欲しさに自画自賛をし、徳高い人を見てはねたましく思う。

◆自分より劣った人を見ては高慢になり、裕福な暮らしにあこがれ、貧しき人を見てはおぞましく思う。

◆故意に、あるいは誤って命を奪ってしまい、公然とあるいは密かに他人のものを盗んでしまう。

◆触れても触れなくても、不倫な行為は不倫である。

◆悪い言葉や心の働きが重なり仏を観想しても心が落ち着かず、経を読んでも間違える。

◆善い行いをしてもその見返りを期待するから、かえって迷いの世界に入るもととなる。

◆毎日の暮らしのなかで、知らないうちにたくさんの罪を犯している。

  いま、仏・法・僧の三宝の御前で告白いたします。

  どうか慈悲のお心で御許しください。

  ここに、すべてを懺悔いたします。 

  自らの行い、言葉、心の働きによって生じた罪を、

  私はすべての人に代わって懺悔いたします。

 

覚鑁上人亡き後、850年以上の時が流れた現代においても、間違いなくこの全文は多くの人の心に響きます。

「内観の聖者」と呼ばれる覚鑁上人は、重ね続けた瞑想の中で、自分の内に何を観ていたのでしょうか。

その風景、情景は計り知れません。

現代の世相と自身に照らして、身に染みていただく覚鑁上人のお言葉です。

 

興教大師像

真福寺発祥の地、高尾山麓寺平(岡谷市川岸)に今も静かに安置される興教大師座像

寺庭の学びの場

岡谷は早くも雪が降り積もり、雪掻きに追われる季節を迎えました。

先ほど雪掻きを終えたばかりなのにまたしんしんと降り出しています。

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このたび岡谷市の照光寺にて先生をお招きし、寺庭婦人への出張講座が開かれました。

檀家様とお話することが多い寺庭ですが、いままで仏教に触れてきていない人がほとんどなので質問されても「???」てこともあり、そんなことを少しでも解消しようと、地方でなかなか勉強する機会のもてない寺庭が集い、学びの場をいただきました。

 

本当に初歩的な所作から始まって、身近な仏具の説明など、

見て知っているようで、教わらないと知らないままで過ごしているものです。

 

例えば、

○お数珠の扱い方と玉の名前

○お堂に置くお灯明と華の飾り方

など

 

立ち居振る舞いについては、

○法事などでお寺に行くときは、すぐに客殿などへ向かうのではなくて、

参道を通れば山門をくぐり、本堂の前で手を合わせてから客殿に入りましょう。

○お袈裟をつけたまま手洗いにいかないように。

○正座から立ちあがるときには、まず左膝を立ててから立ちあがる。

また足が痺れてるときは、少しの間つま先を地面に立てて痺れを治して

ゆっくり立ち上がりましょう。

などなど

(痺れすぎて、つま先ですら立たないんですけど~・・・講座中もそうでした。)

 

お聞きして、そこまで?!と抵抗を感じたのが、

○堂内を歩くときは「右進左退」で、前に進むときは右足から、後ろに下がるときは左足から、だそうです。

副住職である夫に聞くと、僧侶になる為の初歩的な所作として指導を受けたので、いざ、衣を着けて堂内に入れば自然とできていると思うと言ってました。

 

身についていると簡単な所作でも、普段からやってないとなかなか行動にでないので、

自然にできるようになりたいものですね。

いざっ!?

所作を頭で考え、ぎこちない自分がリアルに想像できます・・・(笑)

 

あと、嫁として入寺してから、たびたびサンボウというのを耳にします。

初めて意味を知りました。

「三宝」と書き、仏・法・僧なのですね。

法事の際にお供物を乗せる台をサンボウって呼んでますけど、

何かつながりがあるのかしら・・・?

夫に聞いたら、

「ごめん、わからん、調べるわー」って返されました。

 

また、学びの場に寺庭が集えると嬉しいです。

鎌倉にて~和顔施~

鎌倉に行き、高徳院の大仏と坂東観音霊場長谷寺を参拝してきました。

広く知られる国宝の鎌倉大仏(阿弥陀如来座像)を初めて拝見させていただきました。

 

鎌倉は国内外から地名度高い観光大都市ですが、実際はとても小さなまちだと感じます。

このちいさな観光のまちが、昨年は観光入り込み客数2300万人を記録したそうです。

京都が年間5000万人。

その半分にも満たない数字ですが、面積当たりで割り比較すると、なんと京都の5倍以上になるとのこと。辺りは人、人、人。

鎌倉駅と藤沢駅の10㎞間15駅をつなぐ江ノ島電鉄(通称:江ノ電)も、江ノ電散策などと言われるように、人気髙い鎌倉観光魅力のひとつですが、観光客がもっとも多い時期は、乗車に3時間待ちだとか・・・。

 

坂東三十三観音霊場第四番札所の長谷寺をお参りした際、境内で可愛い顔したお地蔵さんに出会いました。

お地蔵さんは愛らしいお顔で親しまれておりますが、そこに居られたお地蔵さんの微笑みの表情は格別!(笑)ひと目見て惹かれ、しばらく足を止めました。

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その名も「和み地蔵」。

このお地蔵さまをつくられた方のお心とお寺さんの心が、多くの参拝者とその周辺の空気を和ませます。

人が健康、長寿を保つ良薬は、自ら笑うこと、他人の笑顔をいただくことだと聞きます。

 

笑顔でもてなす日本伝統の姿。

無財の七施のひとつ「和顔施」。これも大切な布施の形。

あまり愛想の良くない私には、これが難しいんです(笑)

 

仏頂面・・・。

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若き力ー柴燈大護摩供厳修ー

11月16日(日)10時より、篠ノ井の金峯山長谷寺におきまして、長谷寺御山主大祇師のもと真言宗智山派長野南北青年会による柴燈護摩供法要が厳修されました。

柴燈護摩道場

日頃より地元にてこのような大法要、また諸作法をつとめる機会がありませんので、この法要を学び出仕できたことは誠に貴重な経験となりました。

また、高尾山薬王院より修験道に精通した青年僧が遠路お越しくださり、多大なご助力、厚いお支えをいただけたこと、そして各地からの参拝者、諸々関係者の気持ちがこの日のこの一点に結集したことで無事に法要が成し得たと感じます。

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柴燈護摩点火

柴燈護摩

各役者の魂こもった作法、熱い炎のすぐそばで、顔赤らめ大量の汗を流しながら火渡りの道を整えて下さる役者の姿を間近に見て、力強い「祈りの形」と「祈りの心」を持ち帰ることができる体験をさせてもらえたと思っております。

多くの参拝者も、今日は参拝して良かったと、元気漲り喜んでお帰りいただけたのなら、それはとても嬉しいことです。

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5000本もの願い込められた護摩木が炎の中に投じられました。

お不動様、神々そして長谷観音様が有縁無縁の方々の願いにお気づき下さいますよう―。

一人でも多くの人が勇気を持ち前進できますことを、若き力をもってお祈りします。

                                              合掌

 

 

真福寺のお檀家さまも、大勢参拝にお越し下さりました

20141116真福寺 長谷寺火渡り 005文字正

この先にいつ再現、体験できることなのかわかりません。

みんなでともに参加できたこと本当に嬉しく思います。

ありがとうございました。

 

追記:長谷寺境内でお餅つきをしていました。

     振る舞われたお餅がとても美味しかったそうです。食べたかったなあ・・・。

御詠歌支部交流~栃木明王寺様来山~

11月12日午後1時、栃木北部教区明王寺(近藤隆俊住職 ※現、真言宗智山派教化部長・総本山智積院執事)御一行様がお越しになり、密厳流遍照講御詠歌真福寺支部と明王寺支部の交流会を行いました。

双方のお大黒同士、御詠歌を通じての長年のお付き合いがあり、また住職同士も学生時代の同期の間柄ということから、長きにわたり親しくさせていただいております。

そんなこんなでこの交流会は行われることとなり、明王寺様には栃木県の那須塩原より、ご遠路を大型バスにてお越しいただきました。

支部交流

真福寺支部(左)明王寺支部(右) 

 

支部交流おつとめ

本堂にて、みんなそろって智山勤行式をおつとめ。

住職より挨拶があり、明王寺をご引率されてるお大黒さまよりもご挨拶を頂戴し、その後14時半まで交換奉詠を行いました。

 

支部交流茶話会

交換奉詠が終わり、15時頃から茶話会をしました。

 

明王寺様は栃木を早朝に出発してこられ、バスの疲れも癒えぬままに本堂に入り交換奉詠を行ったので、大変にお疲れだったかと思います。

その後は、上諏訪温泉の宿に入られるということでしたので、ゆっくり温泉につかり体を休めていただき、諏訪の一晩を満喫していただきたいと思います。

また明日は諏訪の新鮮な空気を感じリフレッシュしていただきながら、みなさんの親睦が一層深まる楽しい観光道中となることを願います。

 

明王寺のみなさま、ありがとうございました。お大黒さま、ご引率お疲れ様です!

そして、両支部講員のみなさま、お疲れさまでした!

                                         感謝 

仏法紹隆寺の大いちょう

11月8日(土)、諏訪市の仏法紹隆寺本堂にて、下諏訪町出身の岩波理恵さんのナイトコンサートが開かれました。

山門の前に立つと、境内からそこに覆いかぶさるかの如く大きないちょうが立ち、私たちを迎えてくれます。

仏法寺大いちょう山門

山門をくぐり境内に入ると、ライトアップされた大いちょうが全貌を現し、それはそれは美しく見事でした。

仏法寺大いちょう

この大いちょうですが、諏訪大社上社大祝邸のいちょうと夫婦であるという伝えがあり、夫婦いちょう」と言われているそうです。

ぎんなんをいただくことで子授けの御利益があるのだとか。

 

岩波理恵さんのコンサート。

会場となった歴史ある寺の本堂内の荘厳は、さらに変幻自在で幻想的な光の効果を浴び、神秘的な空間が広がっておりました。

その中央に座す本尊薬師如来は、歌う様子を優しく後ろから支え見守るかのようです。

この荘厳な堂内に響く歌声に耳を澄ませ、ほとけさまや人のぬくもりをいつもより身近に感じます。

多くの方もそんな「一体感」を感じながら、この時間を過ごされたと思います。

 

寺は、みなさんがたくさんの発想を持ち寄って集える自由な場であると思います。

客観的に観る、心の静寂を取り戻してくれるのも、また寺であるように思います。

真福寺でも毎年お盆にコンサートをしておりますが、今後もこういった催しを皆で大切に共有していきたいと思います。

韓紙を使って蓮灯篭づくり

10月29日(水)13時半より、客殿において真福寺仏教婦人会が開催されました。

今回は研修と位置付け、「韓紙」という特殊な紙を用いての蓮灯篭づくりに挑戦です。

 

この紙の存在は、今年の夏に智山教化センターにお勤めの先生に教えていただきました。

紙一枚はとても薄くて柔らかく繊細さを感じます。

紙一枚そのままでもとても綺麗な質感がそこに表現され、この紙を豊富に使って行う仏教工作の仕上がりは大変に美しいものだと期待がもてます。

韓紙

このたびの蓮灯篭づくりとは、

1、まずこの韓紙で蓮の花弁を形作ります。

2、つぎに透明なコップに両面テープを花弁の枚数分、均等にバランスを保ちながら付けていき、

3、そこに上段より一枚ずつ花弁を貼っていくのです。コップの下段まで花弁を貼っていくにつれ蓮の形となっていき完成となりますが、

4、自宅に持ち帰り、蓮の花に七色グラデーションライトを入れ、暗所に飾る楽しみも残しております。

 

韓紙はとても薄く柔らかいので扱いづらいこともあり、お年寄りの方にとって、どの工程も大変であったように思います。

蓮作り蓮作り2

全体を通して、まずは花弁となる色選びを楽しみ、一枚ずつ花弁を形作っていき、みなさんの手元に20枚の花弁が並ぶと、それだけでも色鮮やかで喜んで下さりました。

もっとも難儀である花弁を貼る作業は、単純作業とはいえ手先と目を使うことですから、それだけは誰もが疲れたと思います。

みなさん、大差なく無事に完成しました。

個々様々な配色ですので、30個の蓮の花が並ぶととても綺麗で、手作りの喜びを感じていただけたように思います。

また、この蓮の花づくりは女性向きの工作だと感じます。

仏教婦人会のみなさん、楽しんでいただけたでしょうか。お疲れさまでした。

仏教婦人会蓮飾り

蓮は仏教のシンボルとしてあります。

お釈迦さまのおられた頃のインドにはたくさんの蓮池があったそうです。

お釈迦様は蓮の美しさに仏性を感じていたのでしょうか。

蓮の姿に人間の理想的な生き方をみていたのでしょうか。

 

蓮の特徴。

  蓮は花が咲くその時に実が出ます。

 まさに華果同時。

 菩提心をもち仏のごとく咲く、その姿であるように思います。

 

 蓮は 泥に咲きいでて 花は垢に 染されず 

                (『理趣経』百字の偈より)

  蓮は汚れた泥を栄養として 泥水に茎を伸ばし 水面に美しい花を咲かせます

  清濁を差別なく受け入れて素直に強く生きる姿です

  咲く花の美しさはその仏心円満の極地でしょうか

                                合掌

秋の境内と寺の行事

先日、近くのお寺にお邪魔させていただくと、広間、本堂では早くもストーブが出され、暖められておりました。

腰をおろしストーブにあたり、ほっと気持ちが和みます。すでにそんな時季を迎えてるのですね。

もう冬支度。諏訪地方ではけして早すぎることはありません。

 

寒い季節を迎え、寺の行事もお休みとなっていきます。

春から寺カフェと銘打って開催した月一茶話会も今月21日が最終となり、同じく月一回行われていた写経の会、念珠の会も今月が最終ということで27日に合同のお楽しみ会を開催します。

また、今月29日には仏教婦人会の皆さまがお集りいただき、浄蓮花灯篭作りを行います。婦人会も今年最後の催しであります。

なお、月2回の朝まいり会は年間通して行われますので、変わりなく熱心なご参拝をいただき、みなともにお勤めができると有難いです。

これからは寒気厳しきなか、お寺に足を運ぶのも身体に堪えます。充分にお部屋を暖めて皆さんをお迎えしたいと思います。

 

寒さ増すにつれ境内の紅葉、その色づきが訪れた人の目を楽しませてくれる、そんな時季でもあります。

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10月も終わりを迎える頃には、参道、梵鐘周辺のドウダンツツジが真っ赤に染まります。

秋風の香り漂うお寺にも楽しみにいらしてください。

 

                                                                         

寺の境内。

春の彩りで和ませてくれた枝垂れ桜の葉が、参道の木々の葉が、落ちる落ちる・・・。

掃いても掃いても、翌朝には落ちてる落ちてる。

掃いても掃いても、昼前には落ちてる落ちてる。

 

春に美しくみんなを喜ばせてくれたはずの桜の木を、

どんだけあるんだこの葉っぱは!

と、まるで別なものを見るかのように見上げる。

去年も、一昨年も自分はそうだった。

そして葉がすべて落ち切ったら、静かに喜んだ。(笑)

やがて冬を越し、春になれば、一転して開花に期待を寄せる。

自分とは、勝手な人間だとつくづく思う。

作務をしながらつくづく思う。

 

今年も(草を)「取る」時季が過ぎ、(葉を)「掃く」時季だ。あっちゅう間に(雪を)「掻く」季節がやってくる。

諏訪地方の寺の季節巡りはそういうものだ。

もう冬支度。

 

木々が葉を落とすその姿は、また新たに花を咲かすための大切な準備。

私たちが葉を拾う行為とは、その生命を感じる行為なのかもしれない。

                                 合掌

 

(追記)

           ー御礼ー

このたび、噴霧型除雪機一台を購入しお寺にお収めいただきました。

雪の多い時期、広い駐車場などの除雪に大変助かります。

誠にありがとうございます。

除雪作業機

この冬から大活躍してくれそうです。

報恩講ー写仏奉納ー

10月11日(土)、お寺で行われた報恩講(10時)にて、ひとあし先に9時より「写仏のつどい」を行いました。

今年の守り本尊勢至菩薩の写仏に取り組み、報恩講ー奉納餅つき大会ーにあわせて仏さまに奉納をいたしました。

1時間かけて書き上げられた仏さまは、手本はひとつでも個々に表情が違う。写仏の面白いところだなあと思います。

奉納

写仏のつどい

真福寺ではみなさんと写仏を行う機会がなく、私自身も不勉強でありますので、いざ写仏をするにあたりお伝えすることがお粗末になってしまったように感じております。

お伝えすることの難しさを実感した、というのが正直な感想でしょうか。

 

私が唯一写仏を教えていただき取り組んだのが、13年前の修行僧の頃でありました。

写仏の授業が月に2回もあったのです。しかも毎回3時間近くの集中講義です。

毎回先生のお話を聞きながら、とても真剣に、そして充実した時間のなかで取り組めたことを今でも鮮明に覚えております。

冬の四国八十八か所巡りまでに、御朱印軸となる修行大師を満足いくまでに描き上げることができました。

 

今、思い返せば、いかに丁寧に指導していただいたことか、その素晴らしかった環境がよくよくわかるのです。

写仏をご指導くださった、毎回根来から来られた先生ですが、すぐに筆をとらずに最初の20分くらいはいつもお話をして下さいました。

面白い話もあれば、冒頭から説教の日もありました。みんなが笑って話を聞いた記憶の方が私には残ります。

 

先生の想いがこちらにむかってきて、それが身にしみてくる。

私はこの先生のお話を聞くことが好きでした。

 

先に述べましたように私は不勉強の身ですが、これからもみなさんと折に触れて写仏を楽しめたらと思います。

勢至菩薩の写仏を奉納してくださった皆さま、ありがとうございました。

                                                   合掌

秋晴れのぶどう狩り

すっかり秋陽気です。

今夏の諏訪地方は、世間ではまだ残暑と呼ばれる時季に雨降りで肌寒い日が続きました。例年に比べ涼しかった夏が足早に過ぎ、残暑を身に感じることもなく秋の冷え込みがやってきました。

 

一転、お彼岸辺りから好天が続くようになり、暖かい日の射す秋晴れに恵まれた9月終盤の一日、昼食時に合わせ家族でぶどう狩りに出掛けました。

妻が、親子サークルのイベントで利用したという箕輪町の「雅秋園」を勧めてくれたので、そちらに車で40分ほど走り向かいました。

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こども達が楽しめる少し懐かしい遊具と、存分に走り回れるほどの安全なスペースがあり、どの家族も安心してくつろげている様子でした。

ぶどうの種類はナイアガラ、デラウエア、コンコードの3種。入園は大人500円、小学生以下無料。ラーメン、軽食、飲物の販売もあり、大変良心的な秋満喫のスポットです。

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暖かな陽気に雄大な自然に囲まれ、遊ぶこどもを眺めながら、のんびりぶどうをいただいているなかで、信州の魅力的一面を実感します。

 

さて、普段はあまりいただくことのないコンコードというぶどう。ワインの原料に使われています。

ワインというと隣県山梨の甲州ワインが広く知られています。

ぶどう栽培が日本で最初に行われたのも山梨だそうです。

 

山梨県に在ります同宗派の古刹、大善寺のご本尊薬師如来座像は、薬壺を持たず、なんと左手にぶどうを持たれています

ご本堂は国宝であり、ご本尊御開帳は5年に1度のようです。

ぶどうに薬効があるというお薬師様の教えを広めたと聞いておりますが、その薬効とは、調べてみるといろいろとあるようです。

食を楽しむ秋と言われますが、体に良いものを多く口にできるといいですね。

 

9月末に行われる密厳流遍照講長野南部教区連合会の御詠歌講習会。今年は、山梨県石和での開催となります。

10月の真福寺は恒例行事「報恩講ー奉納餅つき大会ー」がございます。

みなさんと餅つきに汗を流して、作りたてを味わいたいと思います。

お気軽にお越しください。

高幡不動尊参拝

このたび真言宗智山派長野南部教区青年会の研修で、東京の江東区にある成田山東京院深川不動堂と日野市の真言宗智山派別格本山高幡山金剛寺を参拝しました。

私は葬儀が入り、高幡山金剛寺のみの参拝となりました。この寺院は、高幡不動と呼び親しまれており、関東三大不動がご本尊としておられる祈願所の名刹であります。

自身、5度目の参拝であり、真福寺の住職と大黒、役員、檀家様は、毎年一行にて初詣をしております。

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さて、この寺の御住職は、私たちの宗派では別格本山寺院の御貫主と呼ばれております。

大僧正  川澄祐勝貫主猊下。

2009年に著作『叱られる幸せ』が出版されております。

高幡不動でこの御本を手にして見ることができ、パラパラっとめくってみました。

目に入ったのは、目次にあった「怒らずに叱る」というタイトル。

時間もないので、読むには至りませんでしたが、帰りの電車でふとそのタイトルがよみがえり少し考えてみたのです。

 

怒ると叱るは違う。

しかし、それを自らの意思で機に応じて体現することは容易ではない。

 

怒るとは・・・叱るとは・・・。 私なりに考えてみる。

怒るは短絡的と言える。この行為をするには考えなくてもよい。

その場の感情が、そのまま表現の核となり行為を導いていき、対象に向かう。

言葉の分別を守っていても、冷静な姿勢を失うと、必要以上に対象を傷つける言葉や行為を生み、毒すことにもなる。

 

さて、叱るはどうか。これは考えて行う行為であると思う。

厳しさのなかにも言葉の分別を守り、対象の気持ちを考え、対象のその先を考え、そして同時に自分にも厳しくなくてはいけない。

思いやりが伴っている

 

以前、本山智積院奉職時に修行僧の監督をしていた時に、まさにその経験をした。

現在、子育てをする父として、時々このことについては考えさせられる。

自身、当然反省ばかりである。

都度、こどもは反省を活かすチャンスをくれるが。

 

怒ると叱る、根本的な違いをひとつだけ、自分なりに理解している。

怒るは、突き放す行為。  一瞬でも相手を信じていない自分がいる。

叱るは、寄り添う行為。   相手を信じる自分がいる。

また、どちらも厳しき行為だが、その先の互いに信頼が有るか否かで、因果は異なる。

 

子育てや指導は勉強になる。こちらが教わることの方が明らかに多い。

こどもは大人の失敗を許しチャンスをくれる。

大人はそんなこどもに甘えず、大人こそ自分に厳しく、しっかりと叱る実践をしなくてはならない。

将来、叱られたこと、叱ったことが色あせても、互いに良薬として残るような関係構築が必要だと思う。

 

高幡不動参拝の帰り道、川澄貫主猊下の御本を思い出し、ふと考えたことです。

 

真福寺では、毎年高幡不動の初詣を計画し、30名ほどご参加していただいております。

 

高幡土方像

高幡不動は新撰組副長、土方歳三の菩提所でもあります。

草刈り作業御礼

9月15日(日)早朝、日の出とともに住職、総代による寺の所有地(堂窪地・中山地)一斉草刈り作業を行いました。

今年の第3回目。総代の他に、有志で協力して下さる方もおられ、有難いことです。

今回、夏の日照り、そして雨量が多かったことにより、草やつるがだいぶ成長しており、草刈り機にコシの強い草がからみつき、みなさんお疲れだったと思います。

春夏秋と1回づつ草刈りを行いましたが、朝は早くから、夏は暑いなか、そしてみなさんの休日の時間も割いていただきました。

お陰で今年の一斉草刈り作業も終了であります。

総代のみなさま、お手伝いに参上してくださったお二方、誠にありがとうございました。

奉仕のお気持ちに感謝いたします。

また、ご近所の方には、早朝より騒がしい作業となりご迷惑をおかけしました。

 

草刈り後、みなさん寺に戻り、境内で食事を摂りました。

作業後、秋風に触れながらのおにぎり、味噌汁は美味しかったです。

堂窪

堂窪 

中山

中山

Suwakoi~諏訪に来い、諏訪に恋する~

秋がやってまいりました。

○○の秋・・・いくつか思い浮かぶものがあります。

お祭りの秋!も、そのひとつではないでしょうか。

岡谷では昨年「諏訪湖よさこい」というお祭りが立ちあがりました。

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よさこいとは、鳴子を使った踊りをメインとした大変スケールの大きい、全国的に盛んなイベントです。

昨年の第1回目の諏訪湖よさこいの準備等に声をかけていただき、少しほどお手伝いに加わらせてもらうことができました。

すべてを終えたあとの率直な感想。これだけ大きなスケールのイベントの開催を企画した人たちの熱い想いと実現力がすごい!と思えたことです。

運営の中心に携わった人たちの実行力と、それに引っ張られて有志で多くの人の力がまとまり、さらには地元の理解や御協賛を得て、巨大な祭りが成し得ていった様を見させていただきました。

こうやって岡谷の、諏訪の歴史が作られていくのだと思えたのです。

 

さて、今年は9月14日(日)、岡谷市湖畔公園を中心に第2回諏訪湖よさこい開催されます。

私も実行委員の一人として、微力ながら準備段階よりこの活動に携わらせていただいております。

踊り連は全国から40を超えるチームが集結!ようこそ諏訪へ! 

諏訪湖と八ヶ岳をバックに舞い踊ります!

地元のグルメ・観光・産業が集まり盛り上げるロコモールも大展開しております!

岡谷が元気に!諏訪が元気に!みんなが元気に!

誰でもが集まり、楽しむ、この秋地元第一号の豪快な祭りといたしましょう。

 

どうぞ、お寺のHPをご覧下さっているみなさんも、ご家族、ご友人お誘いあわせて来場いただき、このイベントを盛り上げてくださいね。

会場でお会いしましょう!

(詳しくは諏訪湖よさこいHPをご覧ください。

総踊りをクリックすると、岡谷市のみなさん、市長までもが踊るPR動画がご覧になれますよ。)

修行時代の仲間

8月最後の日、修行時代の仲間との同窓会が東京で開かれました。

私が修行僧として本山である京都智積院に入ったのが平成13年3月。25歳の時。

全国各地から集った30名がその春入山しましたが、

やむなくの下山者もおり全員で卒業することは叶いませんでした。

研鑽、寝食をともにし、無事に春の卒業を迎えた仲間により、同窓会が始まりました。

最初は東京、次は東北… 全国の仲間のもとで毎年行われてきた同窓会ですが、

震災の年以降は数年行われず、久々の集まりを再び東京としたわけです。

発起したのは修行当時18歳だった埼玉錫杖寺の江連君。

 

一年間の僧堂生活であります。

たった一年の中にぎゅっと僧侶を養成する為のカリキュラムが詰め込まれ、

寺に寝泊まりし朝から晩まで修行僧としての生活をおくり、

卒業までに皆それなりの僧侶らしく育てていただき巣立つのです。

年齢は下は18歳、上は60歳を過ぎた方も多くおられます。

わずかですが、尼僧さんも事情を抱えて修行の門をくぐります。

僧侶に成るために本山に修行に入る。そのスタート時点の形は皆同様ですが、

そこに至るまでの過程、事情というのは様々なものがあります。

必然的なもの、前向きな決心もあれば、前向きとはとれない事情、

深い悲しみを背負ったままの決意、そして運命的なもの。

頭を丸めて入山する春を迎えるまでの、その人の歩み、

社会において担った職務や立場、学歴や経験は実に様々。

 

しかしそこは、それまでにどんな経験がありスキルを持とうが、

そして社会での立場があろうが、関係がありませんでした。

それを語ることに意味を持ちませんでした。

同じ修行僧。

僧侶を志し本山に入った30分の1。

そこに本来上下関係や差別はない。

 

実際はというと、高校卒業したばかりの18歳の者にとって、

そこは年上ばかりであり気を使う毎日。

60歳過ぎて、長い会社勤めから退いてこられた方にとっては、

会社の部下よりもはるかに若いような者達に体力がついていかず、

修行僧の中におのずと形成される組織のリードを若者に譲り、

若者に足並みをそろえなくてはならない、その年になっての苦労。

皆、常識が違う。バラバラな者の集団生活。それぞれにストレスが生じておりました。

覚えることが多くあり、その時期を夢中に過ごし、体力がものをいい、

迷惑をかけぬよう必死に足並みをそろえ、やがて慣れるものは慣れ、実るものは実り、

少しずつ自分の居場所やペースというものをつかめていきます。

最後に残るもの。それは人間関係でした。

これはきっと、僧堂生活であろうと、学校であろうと社会であろうと、

どの環境においても同じです。

大切なことは人間関係。人とのつながりを実らせるということです。

 

一年間、修行中は一同がフラットであり、人の過去や経験はあまり見ようとはしません。

興味の対象になるのは、一年と限られた時間の中での、その人のこと。

僧堂生活という、とても狭い社会における姿勢や成果、関わり。

そこに勘違いが生まれ、人を見誤ります。その人の歩んできた道を知らないのですから。

 

だからこそ、卒業して同窓会などで再び集い、話すと常々思うことがあります。

人はどのようにして生きてきたかがとても重要である。過程が大切なのだということ。

改めて、過程において身につけてきた経験が人を支えていることに気付かされます。

実は同じ衣を身に着けていても、その人の人生が活かされた僧侶になっていくのです。

出家して僧侶となることは、過去を捨て去ることではないのです。

 

少なくとも私の修行僧の仲間は、

その僧侶の姿に、過去に重ねた経験が光りはじめています。

そして、これから先に積み重ねてゆくもの、その歩みが将来なにかしらの形になります。

これからも謙虚にそのことを忘れずにいたいと思います。

 

同窓会・・・鍋を囲み楽しくお酒を飲みながら・・・

12年前、修行僧として本山にいた頃の話に花を咲かせます。

当時33歳だった仲間の話だ。

寺の住職が倒れ、まわりから急遽住職となることを急がされ、決意せねばならず、

会社を辞め、妻子を残し、長い髪を剃り落として本山に修行に入った。

3月31日は本山に入山する日。その前日はこどもを連れて、

家族みんなでデイズニーランドに行き、別れの日を楽しく過ごした。

ディズニーランド・・・夢の国・・・夢と魔法の輝きの世界。

素敵なメロディーに包まれて・・・。

 

その24時間後に見たもの。 

シ~ンとした畳敷きの暗い場所。 寒い京都の寺の中・・・。

夜中に起こされ、下駄の音とお経に包まれて・・・。

なに、このギャップ! 信じられなかった・・・。

 

こんな話に大笑いしながら騒げる仲間がいる。

「原点」があることがつくづく幸せであります。

 

来年の同窓会は長野県開催となりました。

幹事としてみなさんを諏訪にお招きします。

                                                                         合掌

夏の終わり

短い夏でした。

今年の諏訪はお盆前より涼しい日が続き、朝晩の空気は冷たく、すぐそこに秋の近づく気配を感じます。

16日の夜には岡谷市の諏訪湖畔にて、送り盆の恒例行事「とうろう流し」が夏の終わりを飾りました。

灯ろう流し

岡谷の夏の風物詩。

湖上を流れる灯ろうを見つめる人の心は先祖を偲び感傷的に満たされ、一方で空にあがる花火を見る人は夏の想い出に満たされ、また一方では肌に触れる冷たい夜風に、過ぎ行こうとする夏を惜しみます。

毎年とうろう流しには岡谷市の寺院が総出仕して先祖供養の法要を勤めます。

読経のなか夜の諏訪湖を1,000個を超す灯ろうが流れ、幾多の亡き人への想いがやわらかな明かりで灯され、そのひとときを共有するのです。

 

 

お盆中は、諏訪市のお寺で棚経のお手伝いをさせていただきました。

普段は車で通り過ぎる小さな橋がありますが、棚経を歩いて回ることで、その川にはたくさんの蓮が咲いていることを知りました。

ゆっくりとした歩きのなかでは、出会いや気付きが多いものですね。

蓮 上諏訪

蓮 雨上がり

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蓮 開花前

蓮の花

 

 

夏の祈り。

終戦の日、15日の正午、住職と総代により平和の鐘が打鐘されました。

平和の鐘

葉月 ある一日

8月に入り、どちらのお寺も慌ただしくなる頃です。

今日は隣の熊野神社で夏休み恒例の天神講相撲大会が行われ、小学生のこども達が勝負をかけておりました。

5日に迫った施餓鬼法要の準備をしていると、こども達の元気な声が聞こえてきました。

毎朝熊野神社に行き、地域の小学生のラジオ体操に参加させてもらっていますが、こども達はまだ眠いのか朝はひたすらにおとなしい顔です。しかしこの相撲大会、お祭り、さらに勝負事においては全身で「楽しい」を表現しています。

親御さん達も一緒に楽しみ盛り上げており、隣で仕事してるとつい参加したくなります。

私が小、中学生だった頃と比べ、こどもの数が減少していることは明らかですが、それを比較してるのは大人達のみであり、実際に力のある声を聞き、こども達が今を元気に一生懸命であることが感じられることは嬉しいことです。

夕方、妻とこどもが熊野神社から帰ってきました。

娘は綿あめを手にしており、口のまわりをたくさん汚しておりました。

娘の一言目が、「お父さん、はっけよーいしよう!」でした。

3歳の娘といざ相撲勝負!  世の中のお父さんの大半が負けを演じることと思いますが、相撲大好きの私は娘を倒してしまいました。恥じています・・・。

(そういえば、先月、諏訪圏わんぱく相撲の横綱になった6年生の男の子と偶然会い、つい勝負を挑みました。自信はあったんですが、小学生に投げられてしまいました。(笑))

やはり両国での全国大会に進むこども達はレベルが違います

 

こども達には、良い想い出のひとつでも残る夏休みを過ごしてほしいと思います。

縁の下の大人の存在もきっと必要ですね。

 

施餓鬼棚

お寺は5日の10時から施餓鬼法要です。総代様方には朝から各担当につき尽力いただきますが、何卒宜しくお願いします。

このたびの法要には、みなさん暑いなかですが、どうぞそろってご供養に出かけ良いお参りとして下さい。

今後のお墓参りなどでお出かけの際もお気を付けいただき、安らかななかにお盆をお過ごし下さいますこと祈念いたします。

                                                                       合掌

長谷観音の懐での護摩修行

7月23日、長野市篠ノ井にある信濃観音霊場の名刹、金峯山長谷寺にて柴燈護摩法要の研修、習しが行われました。来たる11月16日(日)、真言宗智山派長野青年会が主催し、出仕して、東日本大震災からの復興を祈願する柴燈大護摩供-火渡り修行-が奉修されます。その道場となるのが、ここ金峯山長谷寺様であります。

山門を潜ると眼前の石垣上、ひと際高い目線にご本尊様がおられる本堂が立ち、なんとも優しく迎え入れていただけた気がしました。それはふもとの街と遠くにそびえる一重山を一望し見守るように構え、ある種の威厳を放っております。こちらの本堂は、長谷観音と親しまれ厚い信仰をあつめる本尊十一面観音様がおられ、当日の柴燈護摩供はこの本堂を正面にして、前に広がる境内にて厳修されるのです。

このような素晴らしい道場で行われる柴燈護摩法要に出仕できることが、まず有難い。

我々青年僧、精一杯努めねばならないと感じます。

長谷観音

 

この日の研修では東京より大本山高尾山薬王院の方にお越しいただき、それぞれの配役につきご指導いただきました。

諸役一通りの作法の確認を終えたあと、実際に道場に出て当日の動きを想定しながら繰り返し習しを行いました。

各役者、個人が担う部分が大変重要であることが、本番数カ月前の習しのなかでも十分に伝わってきております。しかしながら高尾山職員様の丁寧な指導のおかげで、少しずつですが法要全体の型が見えてきたようにも思えました。

 

11月に入り再びこの道場に会した時には、長野の青年僧が遠く被災地に祈りを込め、心をひとつにした法要が成就できますことを強く願いながら、長谷寺様を後にしました。

当日は大勢の参拝者が長谷寺様を訪れることが予想されます。多くの人の諸祈願が正しく届くよう、長谷観音にお見守りいただきたいと思います。

                                                                             合掌

 

柴燈護摩ポスター護摩木

                                                                                添え護摩木について

東京盆にて

今年も東京大田区にあるお寺のお盆棚経のお手伝いをしてまいりました。

最初お世話になったのが平成15年。8年空き平成24年より再びお世話になっております。

3年続けて棚経に参ると地図が頭に入り、今年はそう迷うこともなくスムーズに進むことができました。

自転車で走りながら目に映るその下町風景も、いつしか馴染みさえ感じております。

棚経チャリ

このお寺さんの檀家さまとは、年に一度、この東京盆でお会いするのみですが、少しずつでもお名前とお顔を覚えてきたように思います。

お檀家さまも「諏訪から来てるんだよね」って覚えて声をかけて下さる方がいます。

一件一件ご自宅にお参りして拝み、たとえ1分でも顔を合わせて言葉を交わす、その積み重ねから生まれる互いの安心ある距離感というのは、棚経を行ってこそ解るものでした。

 

毎年のこととはいえ、いつお坊さんが来るのかはっきりせぬとも家を空けず待っていて下さり、やがてなんの前置きもなくチャイムを鳴らす私どもを快く家にあげて下さります。読経中は私どもの後ろに座り、ともに静かにご供養をされているのが伝わります。読経を終えると暑さを気遣い、前もって冷やしたおしぼりと冷たいお茶を出して下さいます。

 

大変暑く、湿度も高い東京の夏。家にあがり読経を唱えると、どっと汗が流れてきます。するとそれを察したかのようにうしろから心地よい風が背や首にあたります。なんとも癒されるこの風の良い加減なこと。

うしろからうちわで扇いでくださっているんですね。

この風景は、そのお宅では昔からのご先祖さまより見てきたことなのでしょう。そして今また、小さなこどもがその様子を見ているのです。

この背中にあたる風は、このご家族に昔から静かに伝わる優しさ、布施のかたちなのかもしれません。

本当にありがたいことです。

 

家庭のなかの仏事。これが絶えず「継承」されていくこと、これから先大切に考えていかなくてはなりません。

一件一件のご自宅に参る棚経でこそ感じたことです。

                                           合掌

御礼 楽しみ

今年から始まる夏休み寺子屋のご案内を檀徒回覧板と郵送などでいたしたところ、早々に多くのお申し込みをいただいております。

ありがとうございます。

お申し込みのみなさまには、今月の中頃までに「参加要項」を自宅にお送りいたします。

寺族としましては、こども達の安全を第一と考え、さらに「楽しく修行」そしてなにより「仏縁」をご自宅にもって帰れるよう充実をもとめて準備を整えております。

みなさまのご参加を楽しみにしております。親御様、一緒に応援して下さい。

お申し込み受付はこれからも続きますので、遠慮なくお申し込み、ご相談下さい。

          (7月28日開催 詳細はHP新着情報をご覧下さい。)

 

寺の行事につき、もう一点連絡させていただきます。

毎月1度だけ行われる「寺カフェ」に多くの方に足を運んでもらっております。

ありがとうございます。

今月の開始時間は、

  7月17日の9:30からですのでお間違えのないようにお出掛け下さい。

                                                                        合掌

京都智積院の桔梗

本山智積院の寺紋は桔梗

若葉の頃、智積院の境内を歩くとすっと伸びる桔梗が目に映る。その紫の色づきはなんとも気品に溢れている。本山に奉職してた頃、夏の暑さのなか凛と咲く桔梗が好きでした。年に二度花を咲かすとも言われています。

智積院桔梗

智積院の桔梗 花言葉:変わらぬ愛

 

桔梗紋の由来は豊臣秀吉の家臣であった築城の名手として知られる加藤清正の家紋から。

智積院のもとには祥雲禅寺というお寺がありました。豊臣秀吉の子、まだ幼き3歳で他界された「鶴松」の菩提を弔うお寺であったそうです。現在は根来から来られた玄宥僧正を第一世能化とする真言宗智山派の総本山、総菩提所、総祈願所でありますが、その以前はその名のとおり禅寺であり、現在宝物館に管理される、長谷川等伯作国宝障壁画もそこに飾られていたようです。

豊臣秀吉が加藤清正に命じたのが祥雲禅寺の建立でした。やがて立派な寺が建立されたことを喜び、造営奉行を務めた加藤清正の家紋が寺紋とされたようです。

 

さて、10日間ほど智積院に研修に来ております。

桔梗の他に蓮も見られました。蓮は例年と比べ多少開花が遅いそうです。この時期の京都にしてはまだ朝晩が涼しいことが影響しているのだとか。

蓮

汚泥から美しく咲く蓮のそのさまは、ほとけさまの象徴です。ほとけさまが座るところを蓮華座といいます。

蓮つぼみ

蓮のつぼみ  合掌して 咲くそのときをじっと待つ

 

黒衣を纏う僧侶と挨拶を交わします。4月から入山した30名近い修行僧の日常精進の姿、朝のお勤めの姿が素晴らしい。智積院を語るとき必ずその魅力にあがるのが、智積院内の僧侶、宿坊智積院会館にお泊まりのお客さま、その他参拝者が一同に会して行われる朝の勤行であります。

これこそ京都随一の宗教体験です。

私の修行時代の同期の方が栃木から多くのお檀家様とともに宿坊に泊まり、朝勤行の参拝をされました。 毎年この時期になると団参しておられます。

近い将来、真福寺のお檀家様方との本山参拝を企画することを楽しみに思っております。

                                                                   合掌

智積院参道

金堂(本堂)に向かう参道

東日本大震災物故者供養塔

東日本大震災物故者供養塔

寺子屋体験

このたび夏休みの寺子屋開催を企画し、先日、東京にあります総本山の別院真福寺に青少幼年指導者養成講座を受講してまいりました。

~プチ寺子屋体験~

この講座においては、寺子屋企画寺院を対象に、智山派教化センターの先生方より全国の寺子屋の事例紹介から始まり、企画、広報、安全対策など必要とされる要素をすべて含む丁寧な指導をしていただける、とても充実してありがたい内容でありました。

 

なによりも受講者である自分たちがこども役となり、プチ寺子屋を体験できるという企画もあり、実践感覚を養うことができたと思います。

今まで一度もしたことがなかった腕輪念珠づくりが、こんなに楽しいものだったとは。

腕輪念珠

数珠玉

好みの色の珠を自由にとってひもに通していきます。とてもシンプル。

 

久しぶりの写仏。それを灯篭にする工作をしましたが、これも没頭してしまいました。

写仏灯篭

プチ体験ということで時間は十分にはありませんので、どれも急がされ未完成ではありましたが、それでも実際に手作りすることの楽しさを実感できました。

 

今年から当山真福寺でも、夏休み期間に「寺子屋」が開催されます。

★目的は、

寺という非日常空間において、仏さまの姿があるもとでこそ得られるこどもの心身成長。その一助となる時間を提供し、大人である僧侶も共に過ごし学ぶことであります。

写仏や仏教工作を楽しみながら仏さまに近づき、また座禅などの修行にも取り組みたいと企画しています。

詳しくは新着情報-行事告知-をご覧ください。

ご参加お待ちしています。

ヤングコーン

写真のモロコシ。ヤングコーンと呼んだりベビーコーンと呼んだり。サラダに入っているのをいただくことがありますね。

このたびお檀家さまからたくさんのヤングコーンを頂戴しました。

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さっそくこどもにも手伝ってもらいながら、みんな遊び感覚で皮を剥きます。

そして剥くと透明感あるきれいなヒゲがぎっしり!しかもシャキッとして並び、なんともみずみずしい!

このヒゲを食べてみたい。そう思い調べると、いろいろヒゲレシピがあるのですね。

ご立派なヒゲ達の中に包まれていたヤングコーン。もちろん新鮮で立派です。

もろこしはつぶの数だけヒゲがある。ヤングコーンもそれは同じ。大切に包まれているんだなあ、なんて考えながらの楽しい作業でした。

日頃の食事、できあがりの姿から口にするより、このような作業より参加すると美味しさに増し感がでますね。

美味しく頂戴しました。ありがとうございました。

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美しいヒゲたち

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口にするもろこしつぶの数だけあるはずのヒゲたち。揚げてたべると美味しいみたい。

弘法大師の言葉より

当山は真言宗のお寺であり、真言宗の開祖として仰ぐは弘法大師空海であります。

正しくは真言宗智山派という宗派に属しており、弘法大師入滅後に真言宗の新義教学の礎を築かれた真言宗中興の祖、興教大師覚鑁も仰いでおります。

この両祖大師のご生誕が6月であります。(15日:弘法大師 17日:興教大師)

京都本山智積院では毎年6月15日に両祖大師のご生誕を慶祝する大法要ならびに柴燈大護摩供が厳修されます。その他さまざまな催しが行われ多くの参詣者を迎えております。

それを総称して青葉まつり呼んでいます。

 

さて、今月のHP内「言葉の力」には弘法大師の残されたお言葉を紹介しております。

  重々帝網なるを即身と名づく

  重々帝網(じゅうじゅうたいもう) 即身(そくしん)

これは、弘法大師のお書きになられた『即身成仏義』内の偈文の一節。

重々帝網とは、帝釈天の宮殿を飾る輝く網のことであり、網の結び目の一点一点は宝珠になっているそうです。そして、その宝珠は互いを照らし映し合い、全体が鏡映しており、これこそが私たちの世界の実の姿なのだというわけです。

網の結び目にいるのは、実は私たちであり、縁なくして存在するものは無く、縁を生じないまま消滅するものも無い。すべてが有形無形のつながりの内にある世界。可能性が回りまわって、その数多の思いや恵みに支えられているのでしょう。

“生かされている”って、誰もが一度は聞いたことのある表現ですよね。

 

結び目の宝珠は照らし映し合い、全体は鏡映する。

それが私たちであるならば、密教でいう曼荼羅世界で大日如来の法が響き合い一尊一尊が供養し合うように、慈しみの心でつながっていたい、できる限り傷つけ合いの連鎖は避けたいと感じるのです。

禅にも同じく解釈したくなるお言葉があります。

「一即一切一切即一」

                                                        合掌

弘法大師

弘法大師空海 (真福寺本堂)

興教大師

興教大師覚鑁 (真福寺本堂)

管長猊下

智積院青葉まつりー両祖大師ご生誕慶祝法要 導師上堂の様子ー

柴燈護摩

智積院青葉まつりー柴燈大護摩供の様子ー

後悔

真福寺には月二回、日曜日早朝の朝まいり会というものがあります。

毎週ではないために、お檀家さまにとって開催日を間違えやすいのです。寺族さえも前日まで勘違いしていることがありますから。

 

先日の朝、いつものようにお勤めに向かうため客殿玄関を開けようとしたところ、一人のお檀家さまが外の椅子に腰掛けていました。

その日が朝まいり会だと思い、玄関が開くのを待っていたようです。

私ー「朝まいり会は次の週ですよ。」

お檀家さまー「あらそうかい。また間違えちゃったかい。」

私ー「せっかく来ていただいたのに。」

お檀家さまー「最近、間違いが多くてねぇ。」

 

お檀家さまがお帰りになる背中を見ると、私は本堂でお勤めを始めました。

 

読経の途中で気付いたのです

お檀家さまは間違ってなんかないのです

「どうぞせっかく来ていただいたから、あがってお参りして下さい。」

どうしてこの言葉がでなかったのか。

お檀家さまにとって、この日を間違えた朝とするのか、お参りした朝とするのか、それを決めてしまったのは寺族の私であったということ。

後悔しながら一人お経をあげました。

ごめんなさいね。

これは何?

最近、続けてこれは何かしら?と聞かれました。

お寺の駐車場石垣中央に咲く黄色い花。(写真)

見る人は、黄色い藤なんて今まで見たことないしね~って口をそろえてました。

私自身は、白いカラスが存在するくらいだから、黄色い藤くらいどこかにあるでしょ~に~なんていい加減に思いこんでおりましたが。

いやいや、これはお寺に生息しているものでしょ、調べなくては…!

写真を撮り確認してみたところ、

その名を『キングサリ  -金鎖(別名キバナフジ -黄花藤)というそうです。

   フジ:マメ科、フジ属

キングサリ:マメ科、キングサリ属 (開花時期:5~6月)

最近、ガーデニングで注目されているそうですよ。

植物に疎い私が勝手にキフジと名付けてしまうところでした。

キングサリ

やさしい仏教工作

東京にあります京都総本山の別院真福寺において、教化センターの先生よりお寺で行えるワークショップを教わりました。

こどもからお年寄りまで誰でもやさしくできる仏教要素を活かした工作を、お寺に来られるみなさんと一緒に楽しみたいと前々から思っており、特に写仏を用いた工作を重点的に教わりました。

身近な物で工夫することで魅力的な作品を求めることができると知り、お寺に帰ってからさっそく作ってみました。

添付の写真は、写仏は用いないですが蓮をイメージした仏教工作のひとつです。

完成すると嫁さんが綺麗だと喜んでくれたので、今後お寺に来られる方とも一緒に作れるよう、またどこかで工作体験を企画させていただきます。

こどもも大人もワークショップを楽しみながら仏様と向き合う縁ができれば嬉しいです。

蓮

制作時間15分。 

蓮の中をライトで照らすと、とてもきれいです。興味のわいた方はお寺に立ち寄った際にお声掛け下さい。一緒につくりましよう。

第34回岡谷市仏教会花まつり

5月18日(日)14時より岡谷市常福寺(臨済宗妙心寺派)におきまして、第34回岡谷市仏教会花まつりが開催されました。

好天に恵まれたなか、外では甘茶が振る舞われ、堂内には大勢の参拝者がお参りにお越しになられました。

14時からは約40分、常福寺住職御導師のもと花まつり慶讃法要が勤修されました。

岡谷市仏教会会長の式辞では「美しく咲く花を見て素直に美しいと感じる心でありたい」と、慌ただしい日常においても心を整えることの大切さが述べられました。参拝のみなさんは、お釈迦さまのご生誕を祝い、焼香、潅仏を行いました。

15時からは島根県浜田市隆興寺よりお招きした臨済宗妙心寺派布教師会会長 柳楽一学先生の記念講演を拝聴しました。

『踏んだり 蹴ったりという演題のもと、お釈迦さまの教えをとても解りやすく、そしておもしろく交えながら「人生」について説かれ、考える機会をいただきました。

人生踏んだり蹴ったりとは、お釈迦さまのいう人生四苦八苦であります。

「誰でも踏んだり蹴ったり それは縁あってこそ  

 誰でも踏んだり蹴ったり 人は六道を生きている 

 誰でも踏んだり蹴ったり どう捉えるかは 心の持ち方で世界は変わる 

 誰でも踏んだり蹴ったり 良縁を保つには努力が必要」

「誰でも踏んだり蹴ったり それでもお釈迦さまは 

       最後に 『この世は美しい』と言った」 

このような内容であったと思います。

先生は、様々な苦労、踏んだり蹴ったりがあればこそ深い気付き(悟り)がある。美しいと感じれる人生にしましょうと話されました。

参拝のみなさんが先生のありがたく楽しいお話に終始笑顔であったことが印象的でした。

ありがとうございました。

来年は岡谷市成田山蓮華不動院(真言宗智山派)を会場に行われる予定です。

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法要の始めに御導師様にあわせて ご本尊さまとお釈迦さまに向け一同礼拝

岡谷市仏教会花まつりにお越し下さい

【第34回岡谷市仏教会花まつり】

5月18日(日)午後2時より、岡谷市常福寺において岡谷市仏教会主催の花まつりが開催されます。

そろってお参りにおでかけ下さい。

会場 臨済宗妙心寺派常福寺(岡谷市長地)

第1部14:00    岡谷市内各寺院出仕による花まつり慶讃法要

第2部法要終了後  記念講演 法話「踏んだり  蹴ったり」

             講師:臨済宗妙心寺派布教師会

                  会長 柳楽一学師 (島根県浜田市 隆興寺住職)

ツツジが楽しみ

みなさんGWはリフレッシュできましたでしょうか。

私は二日ほど遠方に出向き六甲山に行ってまいりました。高速道路の渋滞も覚悟のうえで車での行程でしたが、大ダメージに至るほどの渋滞にはまることはありませんでした。

六甲山カンツリーハウスはこども連れの家族で大賑わい。妻こどもと芝そり、大道芸観賞など楽しみました。

帰りには名古屋三越にGW混雑も承知のうえで寄ってみました。

これが意外。フロア内にお客の多さを感じさせる熱気や動きにくさがありません。

増税の影響?と考えましたが、これは浅はかというものですね。

 

さて、5月上旬の岡谷は、東日本最大級といわれる鶴峰公園ツツジ開花が楽しみ、話題のひとつです。

真福寺境内のツツジは徐々に花開き始めました。これから色鮮やかな季節を迎えますね。(ひとあし先にミツバツツジは花咲き散っております。)

その他、しゃくなげ、シバザクラが綺麗に花咲いておりますよ。

ツツジ

これから楽しみなツツジ

 

しゃくなげ

しゃくなげ

シバザクラ

シバザクラ

紅白のシバザクラ

シバザクラ(紅白)

寺庭のつどい

去年の4月から毎月1回、岡谷照光寺様で御詠歌を習い始めてちょうど一年になります。
一年前、照光寺のお大黒様が若い寺庭にも御詠歌を楽しく学んでほしいと提案され、初心の私たちにも習得の道を開けていただき、毎月集まる寺庭にお大黒様自ら教えて下さっています。
とはいっても月一回。自分で復習しないといけないのですがなかなかできず、一年経ち、
いまだ不出来な現状にも一人一人丁寧に教えて頂いています。
難しい曲に進むと少しやる気をなくしそうにもなりますが、お稽古の後に一息つきみんなで顔を合わせていただくお茶を、私たちは毎回楽しみにしています。

幼い子の育児をしながらお寺の仕事をされてる寺庭が多いので、なかなか息抜きできない中でこういった時間はとても大切です。
前回のお稽古後はみんなでランチに行きました。私自身、長男を出産してから初めて二人の子どもを預けて外食できたので、とても息抜きになりました。
せっかく始めてくださった寺庭による御詠歌のお稽古会なので、みなさんに頑張ってついていかなくてはと思っています。

                                                  寺庭

御詠歌セット

真福寺でも月2回御詠歌の会が開かれ、母が先導する形で皆さんともに励んでいますよ。

枝垂れ桜満開です

諏訪の春、これから良い時季を迎えます。

真福寺の桜が今年も美しく花咲きました。是非境内散歩にお立ち寄り下さい。

4月27日(日)は、午前11時より恒例の花見イベント~大道芸~が境内にて開催されます。

今年はスマイリーフジさんの大マジックショーです。ご期待ください。

(詳細ー新着情報ー)

なお、オープニングは4月お釈迦様のご生誕をお祝し、青年僧が声明実演を行います。

参道、境内は春色満ちた穏やかな様子です。満開の桜とともにみなさまをお迎えいたします。

お気軽にお越しください。

26桜満開①

客殿前枝垂れ桜

26桜満開②

山門横枝垂れ桜

ミツバツツジ

一足先に花開くミツバツツジ

梅満開

満開の梅

 

キッズコーチング

先日、『キッズコーチング』の講習・事業(講師-橋本拓也氏 主催‐諏訪圏青年会議所)に参加させていただきました。

子育て中の親として学びたいという気持ちで臨みました。

 

『こどもの可能性に蓋をしないための親の向き合い方とは』

 

こどもには「成功脳状態と失敗脳状態」があるのだという。

成功脳状態では熱中、改善、工夫、ポジティブ思考が生まれるのだそうだ。

失敗脳状態とはその逆のもの。

 

『成功脳状態が芽生えるには何が大切か。』

ここが印象深い内容であったので一部紹介させていただきます。

大きなポイントのひとつに、親との良好な人間関係があげられました。

◆それを実現させる為に必要なことは、

「相手は変えられないという前提に立った関わり方」だそうです。

◆人間関係を壊すのはその逆

「相手をコントロールしようという前提に立った関わり方」でありました。

後者の姿勢をとる大人に対してこどもは苦手意識を持ち、その人の言うことが素直に聞けなくなり、良い関係性は高まらないそうです。

なるほどその通りだと感じました。

 

そして良好な関わり、習慣がいくつかあるわけですが、そのひとつにあげられたことが、

「話をよく聴いてあげること」でした。

こどもにとって、親、大人の好ましい聴く姿勢は次のことです。

①アイコンタクト

②うなずく

③リフレインー相手の言ったことを繰り返してあげる

④自分の手作業を止める

⑤笑顔で聞く

 

日常、こどもとのこういった付き合い方は、親の都合で慣れが生じ軽視されがちかもしれません。このことは私の心にすっと落ちました。

大切なポイントは他にいくつもあげられましたが、その中の一部、特に重要と思えた部分を書かせていただきました。

こどもをなるべく成功脳状態にしてあげながら、のびのびと気持ちを高め自立心を育んであげる。親にとってこれは重要な課題であり、必要な努めでもあると認識しております。このたびの講習では本当に良い勉強をさせていただきました。

 

真福寺では近い将来『夏休みこども寺子屋』を開催しようと企画を進めてます。実現した際には、良き可能性に蓋をしないキッズコーチングを是非活かしたいと考えています。お寺でたくさんのこどもと過ごし、こども達から多くを学びたいと強く願っております。

境内の桜状況

四月も中旬になりましたが、諏訪、岡谷の朝晩はまだ冷え込みます。ご家庭のストーブ、炬燵はしばらくはずせないと思います。お寺での法事においてもまだストーブを使い堂内を暖めております。

さて境内の枝垂れ桜はというと、今はつぼみの姿で花開くその時をじっと待っている様子です。先日、下諏訪みずべ公園の桜の様子を観てきたところ、同じくつぼみ姿でしたが、こちらはそろそろといった感じでした。

 

真福寺の桜は、もう少し朝晩の冷え込みが和らいでからでしょうか。

「咲くは散ること」

十分に暖かい陽を浴びて元気に咲き誇ってほしいと思います。

(梅の花は少しですが咲き始めましたよ。ー添付2枚目写真ー)

桜つぼみ

枝垂れ桜の様子 23日(水)、27日(日)の春イベントは満開の桜とともにみなさんをお迎えしたいです。

梅

こちらは梅の様子です。

唯我独尊

4月8日はお釈迦さまのご生誕の日とされております。

天上天下唯我独尊

お釈迦様は右手で天を、左手で地を指し、こうおっしゃったと伝えられています。

この言葉には複数の解釈があるように思います。

◆「すべてにおき私こそが最も尊い」 

◆「すべてにおき私は唯一無二であり尊い」 広く知られているのはこの解釈。

そしてもうひとつ

  「すべてにおき人間にしかできない使命がある。だからこそ私は尊い。」

 

最後の解釈で話をさせてください。

人間は尊い。

命あるすべては尊いのですが、人にしかできない使命、その生涯とは如何に。

~四苦八苦~

人生避けては通れない苦がありますよとお釈迦様は言っております。

ただしこの苦とは、苦しみとは訳さずに、「自分では思い通りにならないこと…不如意」と訳します。

まずもって意のままにならない生老病死の四苦があります。

生まれる時代と環境は不如意。

    時間の経過とともに老いてゆき、

        目に見えぬ病のもとが我が身に入り病気になる。

             いつかもわからず意のままにならない死が訪れる。

もう四苦。

愛別離苦、愛する人との別れ。

   怨憎会苦、嫌いな人と出会う。

      求不得苦、求めるものが得られない。

         五蘊盛苦、体と心が受け取ること、発することは自由にはならない。

すべてのことは思い通りに貫くことができない。

 

誰もが赤ん坊の頃から不快を感じ泣いてきました。親や周囲の人に大切にされ満たされることを覚え、徐々に自分の価値がわかるようになり自分を大切にできるようになります。一方で、自分が一番可愛いと本能に刻まれていくのだと思います。

苦とは、本能にある我が身可愛さと同居するもの。

否定しようのない本能と苦と向き合うことは、静かなの使命のひとつなのでしょう。

~どう向き合うか~

お釈迦様は人々が幸せに暮らすため、本能に対し理性「思いやりの心」を説きました。

『我が身に引き比べて』という言葉を残しております。

お釈迦様は、

『人間は誰でも自分ほど愛しい者はない。しかしそれは他の人にとっても同様である。だからこそ、自分自身を愛しいと知る者は、我が身に引き比べて他の者を害してはなりません。』

と言われたそうです。

我が身に引き比べ思いやる心が、ありがとう、ごめんなさい、いただきますといった言葉になり、また譲る気持ちや人助けの行いにもなるのではないでしょうか。

これもまた明るい使命でしょう。

そして利他の精神の源であります。

                                                                                                                                                                                      合掌

お釈迦様は誠に徳の高い方であり、世の安寧秩序を成そうとした方なのかなと感じます。

春はお釈迦様のご生誕を祝う花まつりが各地で催されます。

真福寺では4月27日(日)11時からのお花見イベントにあわせ、青年僧数名が桜咲く境内において声明実演を行います。気軽にお越しください。

(当日のお花見イベント詳細は新着情報をご覧ください。)

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移り変わり

32年間続いたお昼の長寿生番組『笑っていいとも』が幕を閉じました。放送回数、実に8054回。幼い頃より平日正午には必ず放送されていた番組であり、テレビをつけると映るタモリさんは、ごく日常的な存在でした。それはあたりまえとさえ思えるほどに自然なことであったのです。

それほどに国民から需要があり定着していたものに関わらず、タモリさんは数カ月前から終わりを宣告していたようです。

多くの人が「えっ!本当に!?」って反応だったのではないでしょうか。終わりがあるの?という不思議な感じから、時間とともに終わりに向かう実感が伴い、確かに終止符を迎えたのです。

体調を整えて毎日司会としてこの場に立てたタモリさんと、お姿は映りませんがその制作スタッフの方の労を想像すると、それは万人からの尊敬に値するのではないでしょうか。

あらためて、どんな物事にもどんな人々にも始まりが有れば終わりがあると感じます。

さあ4月、新年度がスタートしました。笑っていいともの放送枠には迫られるかのごとく「始まり」が生じるのでしょう。

消費税率が8%に引き上げられる生活も始まりました。不慣れなものもやがて日常となるに違いないです。

そしてその日常が原因となり、またいつか移り変わりが生じ、そして新たな結果が次々と生まれるのかなぁなんて考えさせられます。同時に、移り変わりにふわりふわりと流されないよう先々を意識した生活を送れる人間に成りたいとも思います。

始まりが有れば終わりが有ることは全てに通じることですが、時間と質量は異なります。改善を繰り返しながら、自分なりにじっくりと長く続けられる実りをひとつふたつと確立したいものです。

タモリさんが最後の挨拶に、「視聴者の皆様方が色んな価値をつけていただいて32年。」というようなことをおっしゃりました。

感銘です。自分の続けることに価値をつけていただけるよう努めていきたいと思います。

4月とは、多くの人が移り変わりのスタート地点に位置付けることができる、魅力のあるひと月です。

                                                    合掌

春はすぐそこに

お檀家さまよりふきのとうを頂戴しました。

ありがとうございます。ふきのとうは大好きです。立ち寄った居酒屋などのおしながきでふきのとうの天ぷらが目に入ると真っ先に注文します。

お檀家さん曰く、もうあちらこちらに顔を出しているとのこと。

2月に降った大雪のせいで、春が遠く感じ、また最近まで会話の話題には大雪、雪掻きのことがあがっていました。

そのためか意識は冬のまま、春の足音にまったく気付かずにいたわけですね。

春はすぐそこまで来ていたのです。新しいシーズンに気持ちを切り替えなくては。

陽気のいい日は、こどもを連れて春探しに外を歩いてみたいと思います。

 

3月21日は春彼岸の写経体験会があり、参加のみなさんと般若心経の写経に勤めました。

また、この日は弘法大師のご命日にあたり、お大師様の軸を掛けてお勤めをしました。

みなさん、初写経が良い体験になったと言ってくださり、それぞれに実感をもってお帰りいただけたと思います。また、落ち着いてご供養のできた良い一日となりました。

4月を迎えることはひとつの大きな節目。

3月あとわずかですが、やり残しのないように勤めたいと思います。

                                      合掌

3月22日 新着情報-報告- 更新しました。

3月27日 新着情報-行事告知- 更新しました。

 

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                                  ふきのとう

写経体験会

 春彼岸写経体験会 

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おかげ-お彼岸を想うー

一週間ほど暖かい日が続き、境内の雪解けがすすみ土肌が見えてきました。

所々で春が探せそうなこの頃です。

今日は春彼岸の入りの日。

ご先祖さまのおられる彼岸は我々の此岸からは心の眼でしか見ることができません。

心が彼岸に向くことでしかつながることができないのです。

我々のいる此岸は、目で見て肌で触って耳で聞いて、と実感を頼りにした世界。目に映る物事が自分に都合の良いものであれば、おかげを忘れがちになるほど満足に浸り、都合が悪くなれば迷い、一転心苦しくなるものです。

心の中に宿るご先祖さまとも、慌ただしい日常では向き合うこともありません。

お彼岸の際は、一息ついて心を向けてご供養に出かけ、また少しの時間でもご自宅で手を合わせたいものです。

こちらから心を向けて彼岸と此岸をつなぐことで、ご先祖さまからのおかげが残されていることを感じることができるでしょう。

 

「暑さ寒さも彼岸まで」

日本で言われるこの言葉が、私にはとても優しく仏教的なものに感じます。

亡き人から今もそそがれる温かみ、おかげがきっとあるのだと。

 

この時期に咲く彼岸花…花言葉のひとつ

「また会う日を楽しみに」

                            合掌

 

3月21日(春分の日)は、14時より客殿で春彼岸写経体験会があります。法話と瞑想体験、そして般若心経の写経体験をしていただきます。また、弘法大師のご命日でもあります。是非ご供養にお出かけ下さい。

ご希望の方は前日までにご連絡下さい。道具は一式お寺で用意しております。詳しくは新着情報-行事告知-をご覧ください。

 

3月18日 新着情報-お知らせ- 更新しました。

 彼岸花 お彼岸の時期になると、忘れないでとばかりに咲くような…

まとまった力を

東日本大震災から3年が過ぎました。

被災の地において今も悲しみ苦しみ癒えることなく過ごす方々が大勢おられます。

一方、平和な暮らしの営みができている私たちがこの事実を顧みて、被災地に向けてできる支えとは何でしょうか。

3月11日、ご供養と祈りに勤めた朝のお勤めより一日を過ごし、テレビをつけるとわずかですが災害当時の様子が映し出され、主には現況を語る被災地の方々の声が複数の局で放送される中、個々レベルで「支援」について考えてみました。

自分に返った答えは、実りあることが何もできない自分を知ることでした。個々の弱さを感じ、情けなく懺悔の想いですが、これもまた現実です。

やはり実質的な復興の前進を図ろうとするならば、人はまとまり、同じベクトルを差し向けなくてはならないと強く感じます。

 

震災当時、多くのボランティアが被災地に足を運び、僧侶もその活動に加わり、また本来の職である供養と祈りにも勤めました。

まとまった力が多数集結し、その地で一層大きな力となり躍動しました。足を運べない人は、遠くからまとまった力を運ぶ手段を考え実行し、支援活動は重々帝網な姿となり、「絆」という言葉で表現されてきました。

しかし3年経った今、いまだに復興が実らず、1,000年に1度と言われる津波大災害がどれほどのものであったかを痛感させられるとともに、今後行政の力が誤ることなく行使されていくことを願うのです。

 

個人ができること。毎年この日を迎えた時には忘れず静かに考えたい。

被災地の方々が

何に泣き叫んだのか

何に怯え痛み悲しんだのか

何に苦しみ耐え忍んだのか

 

静かに考え、深く想像しなくてはならない。それが事実と異なったとしても。

それが「忘れない」ということに繋がり、再びまとまった力を発して被災地へ差し向けることへの原動力になる。

 

先日、諏訪で社会福祉協議会と諏訪圏青年会議所とが災害協定を締結した。

明日来るかも30年先かもわからない、まったく予測のつかない震災を主とした天災被害に対して円滑で強固な支援体制を実現させるためのもの。

過去に学び未来へ築くまとまった力の第一歩だ。

仕合わせ

先日、ある結婚式に出席しました。新郎友人がお祝いの言葉の中で中島みゆきさんの代表曲『糸』を歌ったのを聴き、それがとても心に染み、改めて良い歌だなと感じたのです。

        

                         

なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない

いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない

どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語

 

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

織りなす布はいつか誰かを 

暖めうるかもしれない

 

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

逢うべき糸に出逢えることを

人は『仕合わせ』と呼びます

 

しあわせには「幸せ」「仕合わせ」の二通りがありますが、この詞では『仕合わせ』としています。偶然性の有難さを表現しているのですね。

糸と糸が交わった事実。綺麗に垂直で交わろうが複雑に交わろうが、これはです。

が広がり深まり、はじめて布となるんだよと歌詞の意味に含まれています。

 

この曲ではとても大切なことを含み歌っております。

それは、縦の糸も横の糸も、もともと様々な縁があってこそ、そこに向いて伸びてこれたということです。 「ふたつの物語」

良い縁、悪い縁、あるいは断たれた縁も含めてそこに伸びてきた糸(わたし)であり、同じく何処かから伸びてきた糸(あなた)と交わった時に、それが将来結ばれる吉縁であったのなら、過去のどんな縁にも感謝できる気がしますね。しあわせです。

世には苦い縁もあります。それをどう受けとめるかが自身にこれから生じる機縁です。

互いにどこを向き歩むのか。その道には新たな縁が芽生えます。明日へ織りなす布のように、これからを大切に生きることが求められているのだと感じます。

 

遥か昔より、終わりなき苦楽の縁あるいは絆というものを深めてこられた先人達の織りなした布の中に自分はいるのです。

縁と絆の字には、やはり「糸」があります。

                                                  合掌

追記

娘が4月末で3歳を迎えることもあり、張り切ってひな壇を飾りました。客殿に一週間程飾ってありますので、お寺にお立ち寄りになった際には、ご覧になってみてください。

                                                               寺庭

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プロフェッショナル

3月1日 14時より、真福寺では新春恒例のお笑いイベントが開催されました。

10年目にあたる今年は「ものまねお笑いステージ」を企画し、東京よりものまね芸人をお招きしました。

雨の降る中でお越し下さった多くの皆さま、ありがとうございました!

ものまね芸人の筍さんと荒井りえさんは朝の9時半にはお寺に到着して、短めのリハーサル以外は大半を控室で過ごされました。

わりとのんびりと静かに過ごしておられ、こちらが時々部屋に伺い話しかけると大変気さくに言葉を返して下さりました。

芸人さんも音響照明スタッフさんも、印象としては「淡々としてる」って言葉が相応く、本番前とは感じさせないくらい時は静かに流れていきます。

 

ところがステージが始まったとたん、その豹変ぶりに驚かされてしまいました!!

うまく言えないですが、大げさにいうとオーラが放たれたって表現でしょうか。

ステージも間のトークは気さくそのものですが、控室のそれとはオーラが違うのですね。

芸人さんですから当然と言えば当然ですが…。

 

芸人さんがステージに懸けてきた想いや苦労というのは、私なんかとはまったく比較になりません。

お二人ともに若く私より年下。筍さんはまだ23歳。本番ステージの表の姿、控室の裏の姿、両面を見させてもらうことで学び得たと思います。

 

学ぶとは真似ること。学ぶと真似るは同じ語源と言われています。

ものまねは他人の型を自分のものとする芸です。日頃から人を良く観察し、学ぶ(真似ぶ)ことを欠かすことのできない芸です。

今日プロの芸人さんから学び得たことは、また明日よりの自分の糧となりそうです。

楽しい中で素敵な歌がたくさん聴けて、贅沢なイベントでありました。来年の企画もお楽しみに!

筍さん、荒井りえさん、今後も一層のご活躍を!!

3月1日 新着情報ー報告ー 更新しました。

コブクロ 

コブクロ?

 

石原裕次郎

石原裕次郎?

 

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中島みゆき 写真では伝えられませんが圧巻の歌声でした! 

真福寺新春イベント間近

いよいよ3月1日(土)に迫りました新春恒例お笑いイベント!

今年は新着情報行事告知の通り『お笑いものまねステージ』です。

会場の設営が整ってまいりました。当日は朝よりスタッフさんがみえて

さらに詳細に準備を進めていきます。

みなさんのご来場をお待ちしております! 入場無料全自由席です。

春弥生を笑いで迎えたいと思っております。

宴会用にものまねのひとつは覚えたいですね。

(駐車場:参道下大駐車場/熊野神社下駐車場/鐘楼堂下駐車場(数台)

当日は本堂(本尊阿弥陀如来)にて自由にお参り、献香ができるようになっております。

ゆっくりとご参拝して心健やかなる一日として下さい。

客席からの視点

満喫

諏訪仏教青年会の研修旅行に参加しました。メインはこのたび20年に一度の式年遷宮がなされた伊勢神宮です。

式年遷宮の準備期間についてお尋ねしたところ、8年以上とのことです。その予算の大半を占めるのが尊いご寄付であります。20年に一度迎える式年遷宮において新調されるのは65棟。その崇高なる儀にむけては、職人師弟間の尊い技術伝達も繰り返されているのだと思います。宮司を中心として多くの方々の厚い信仰心、多くの職人さんが全神経を注ぎ、想像するだけでも大変多くの人々が伊勢神宮の神に仕え繋がっております。

なんとも神々しい空間で、良いお参りをさせていただきました。立ち寄ったおかげ横丁も活気あふれ、色々目移りしながら楽しいひと時でした。

伊勢神宮

 

伊勢神宮参拝後は、青年会員が過去に修行していたという名古屋の禅寺徳源寺を参拝しました。

多くの雲水さんが日々修行を積む屈指の修行道場のようです。

お寺に仕えている僧侶が寺を案内してくださり道場などの様子をお見せしていただくなかで、普段は体感することのできない「禅の気」を味わうことができました。

このお寺には大相撲界九重部屋の稽古部屋がありました。便器も大きい…。

気も張らず楽しく過ごす中で充実した研修旅行になりました!

座禅道場

座禅道場

炊事場

炊事場

涅槃像

釈迦涅槃像

お釈迦さまの灯り

2月15日はお釈迦さまのご命日であります。

入滅後2,500年という長い時が過ぎた私たちの日常では、お釈迦さまの過去の存在に実感が薄く空想的なものとなっているようにも思えます。しかし、確かに実在した人物の伝えたことが、今も消滅することなく仏教として根付いているのです。

 

お釈迦さまは何を伝えてくれたのか。

それは、「人はどのように生きるべきか」ではないでしょうか。

 

ある葬儀で、お孫さんが亡き祖父へお別れの言葉をこのように述べたことがありました。

「おじいちゃんは生きることは簡単ではないことを教えてくれた」と。

 

遥か昔、お釈迦さまは永久に生きづらい世であることを悟り、誤ることのない生き方、拠り所を示してくれたのだと思います。

ところが私たちが生活を営む現代社会は価値観が多様、情報過多で混鈍としております。人とのつながり、自分の存在価値さえも見誤り、心の傷が癒えにくい時代とも感じます。それはお釈迦さまの灯りが分厚い雲に覆われて広がりにくい環境と思えます。

 

お釈迦さまは膨大な時の中で人の営みの形が変われども、世の本質はけして変わらないことを確信し、弟子に「正しい心」で生きよと伝えました。

正しい心とは「慈悲」という不変の物差し。

それは癒しとなり、勇気となり、また道標にもなる、変わらずお釈迦さまの灯りが照らし続けていることを実感するための要です。

 

お釈迦さまが死期迫り最後に説いた教えが『遺教経』として大切に読誦されています。

その中の2つの言葉を紹介します。

 

『此の五根は心を其の主と為す。是の故に汝等当に好く心を制すべし。心の畏る可きこと、毒蛇・悪獣・怨賊よりも甚し。』

五根とは眼・耳・鼻・舌・身。

これらが働き感受する物事(結果)を良く保つには、心(原因)が健康でなくてはならない。

体が悪しき行い善き行いをするのではなく、人の働きは心がそうさせています。

乱れた心は恐ろしいものです。

自分の心を制することが大切です。

 

『蜂の花を採るに、但だ其の味を取って色香を損ぜざるが如し。』

ハチが花から蜜を集める時には、無心に蜜だけを採取して、その花の色や香りを損なうことがない。

私たち人間も多くを望みすぎて自他の善を損ない、自他を害してはなりません。

 

※総本山智積院では、2月14日お逮夜に堂内に釈迦涅槃図を掛け、僧侶総出仕にて遺教経を読み遺徳を偲びます。

 

誰しも欲望は前進の原動力。

それは生きるに欠かせないものですが、時には自分が足りていることに気付き、

おかげに甘えて心を休めましょう。

それが安心満足につながる薬です。(足るを知る)

                       合掌

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真福寺涅槃図 (全体像-ホームページ内「真福寺の寺宝」)

大雪から一夜明けて

雪を掻いても掻いても降雪の量に追いつかない!

2月8日(土)は記録的な大雪となりました。手つかずのところは40センチ近くにも及び、普通列車の運行は大きく乱れ、特急列車は運休。車道も高速道は通行止め、岡谷、諏訪の一般道も劣悪な状況で不安定な交通となっていました。

お寺の境内、駐車場、お堂の回廊はあっというまに雪が降り積もり、導線の整備が不十分なままとなってしまいました。法事の参列者にとっては家を出発してから法事を終え帰宅するまで苦労の連続であったことと察します。

 

一夜明け、早朝より総代様方が境内の雪掻き作業に参上してくださり、おかげで導線が十分に整備されました。感謝申し上げます。

この度の大雪はニュースなどで「20年に一度」の記録的なものと取り上げられています。

 

頭によぎったのは、3.11の震災害が「1000年に一度」の大津波によるものであった事。

本日は好天に恵まれている。暖かな太陽の光が遍満に照らし、雪解けが始まり心の緊張も ほぐれた。そして助けてくださる人の手により寺の日常には安定が保たれた。

愚痴など言っている場合ではない。

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境内にできた「かまくら」。最近見かけなくなりました。

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2月8日の朝。一日陽が射すことはなく、雪は夜まで絶え間なく降り続いた。

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お堂回廊に積もる雪(この除雪が一番難儀…)

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2月9日。早朝より雪掻き、境内整備にお越し下さった総代方。ありがとうございます!

鬼について

節分-鬼について-

季節の節目とされる節分。細かくは立春、立夏、立秋、立冬の前日であります。その中で春の始まりである立春が、昔は新たな一年の始まりとして位置付けられていたことから、2月の節分はとりわけ重要視されてきました。

遠い昔から、季節の節目には厄難、邪気、鬼がやってくると伝えられてきており、厄祓い、邪気祓い、鬼祓いをしてきました。

「鬼は外!」

豆まきは、病気や厄難を鬼の仕業とも考えていた人たちが、新しい年を迎える前に鬼退治をして、迷いなく安心の中でスタートを切ろうとしたおまじない、大げさに言えば一作法でもあったわけです。

 

さて、真福寺の寺宝には「鬼のミイラ」があることをご存知でしょうか。ホームページ内―真福寺の寺宝―でも紹介されていますが、私自身はこのお寺に生まれてから拝見したことが一度しかありません。再び拝見することができる日も不明であります。

 

だいぶ前のことですが、週刊誌に寺宝鬼のミイラが特集記事として掲載されたことがありました。古い週刊誌ですがお寺に保管されておりましたので、記事内容を紹介します。

 

寺宝展に現れた「鬼のミイラ」が主張する存在証明

ガラスのケースに納まった奇っ怪なミイラを前に、子供たちは、

 「ウワァ、怪獣のミイラだ!」

 老人たちは、手を合わせて、

 「有難や、有難や」

 実はこのミイラ、ホンモノの鬼のなれの果てなのだという。鬼が死んだらミイラになるのかどうか、の詮索はさておき、体長約40センチ、三本の爪の指、大きな口をカッと開いて鋭い歯をのぞかせ、後頭部には二本の角と、なかなかの迫力だ。

 長野県岡谷市の真言宗・真福寺の寺宝展で一般公開された秘蔵のミイラである。同寺に、明治時代に檀家から寄贈されたものだというが、それ以前の伝来は全く不明。

  戦前から昭和23年ごろまでは、檀家の人たちに貸し出し、ツツジの名所、岡谷市鶴峰公園で見せ物になったこともある。が、その後、先代住職が、「これも仏様の一種、見せ物にするのは忍びない」と、公開することを禁じ、今回の一般公開は30年ぶりだという。

 今年が弘法大師入滅1150年に当たることから、その記念行事の一つとして寺宝展が開かれたわけだが、同寺の小林照文住職は、

「やはり仏の一つと考えておりますので、今後も見せ物のように公開するつもりはありません。まあ、私が死ぬまでに、一回ぐらいは公開する機会があるかも知れませんが。」

という。

三日間で寺宝展にやって来た人は約250人。滅多にない目の保養をしたことになるが、さて、信仰心薄き俗人が気になるのは、やはりその正体。猿? 犬? あるいは雪男?     現実的な想像やら空想やらが、こもごもわいてきて、何が何だかわからない。

恐る恐る小林住職におうかがいを立てると、

「参拝して心の中に棲む鬼を捨て去っていただく、と解釈しております。この際、正体など問題ではありません。」

とピシャリ。

それにしても見れば見るほど…。やはりホンモノの鬼かな?それと気になるのはミイラの股間。鬼も哺乳動物なのかしら。

              昭和59年6月21日 株式会社サンケイ出版発行『週刊サンケイ』 掲載記事全文

 

 

住職の言うことを要約すると、

「誰もが鬼となり仏となる。心変われば人変わる。」ということでしょうか。

 

人の心に潜む鬼はもっとも怖い。怖いが、しかし鬼も闇を除けば仏となる。

                                                                                        合掌

不動明王 初縁日

今回は不動明王について。

28日はお不動さまのご縁日であります。

不動明王という仏さまは祈願寺院のご本尊としてお祀りされていることが多く、主に成田山新勝寺などの祈願霊場がその代名詞としてあげられます。

不動明王は大日大聖不動明王といいまして、大日如来の化身であります。

大日如来は頭には宝冠をのせ体には煌びやかな装飾、手に印を組み、顔はまこと穏やかな表情をした仏さま。

それがなぜお不動さまのようなお姿に!?燃え上がる炎を背に怖い顔をして、さらには手に持っているのは剣と縄ではありませんか。

 

仏さまには「守るべきもの」が無数にあるのです。守るべきものが大変に多く様々であるからこそ、その手段も様々であり、必要、必然にしてあのようなお姿をされます。

剣は不動剣と呼ばれ、心の中にある弱さ、悪、毒なるものを断ち切ります。

縄は羂索と呼ばれ、迷いが生じること、道誤ることのないよう強く縛り上げ、強い意志で善に導くものであります。

そして炎を背にするお姿ですが、これは火焔の中に自ら身を置く火生三昧の姿であり、煩悩なるものは焼き尽くすという凄まじい決心の表れです。

また、大きく見開いた片目に対しもう片方が半眼でやや下を向いている形相は、衆生界を遍満に見渡しているお姿なのです。

つまり、迷いある者、一心に願う者を必ず救済してみせるという深い「慈悲」のお姿であります。その慈悲の心は頭の頂にある蓮華に表現されています。

 

さて、ここまでは偶像としてのお不動さまのお話でしたが、心で表現するお不動さまや数々の仏さまというのは私たちの身近に存在しています。

守るべき大切なもの、導かなくてはならないものを知った人間の姿というのは、まさに不動明王の心そのものです。例えるならば両親、先生や監督、そして上司や恩師などでしょうか。

それに対して厳しく縛られ導かれようとしている側からすれば、お不動さまのような形相をして目の前に立つ人の頭の頂にある蓮華に気付けるか、慈悲を感じとり信じることができるかまさにこの関係性が人間同士には大切であります。

 

最後に、導く側にとって最も必要であるが、しかし我々人間が弱くなかなか盤石とならないものは何か。

それは「不動心」であります。動かぬ心。自他限らず必ず導く、必ず救うという慈悲に満ちた強い決心が「動くこともなく」「消滅することもない」という姿勢であります。

不動明王にはその不動たる仏心が備わり満ちみちており、強い信仰を集めているのです。

初七日忌の守り本尊、十三仏の最初の仏さまとしても知られています。亡き人の迷いのもとへ、残された遺族の不安や悲しみのもとへ真っ先に駆けつけ救済しようとするお不動さまの姿が浮かびます。

                        南無大日大聖不動明王 合掌

1月28日 新着情報-報告- 更新しました

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真福寺客殿 十三仏軸の不動明王画

  真言宗智山派総本山智積院の不動明王像

大寒を迎えて

一年の間で最も寒いとされる時期を迎えています。初めて過ごす岡谷の冬。大阪出身の私にとってこの寒さは経験にありません。雪の降った日の午前中に車を走らせると、あちこちで雪掻きの様子が目に入り、その音が耳に入ります。

ところで今も溶けずに残るこの雪は、いつの雪!? 

立春の頃には暖かな陽が射す日も訪れるのでしょうか。雪解けを少し期待します!
聞くところによれば今年は(今のところ...)雪が少ないのだとか。昨年など、この寒さに加え降雪量が多いとあっては、どれだけひと冬を越すことが大変だったか想像がつきます。

さて、諏訪地方ではこの寒気を活かして美味しいお漬け物を漬けますね。真福寺のお大黒も毎年野沢菜を漬けていますが、こちらの野沢菜は、関西で市販で購入していたものとはひと味もふた味も違います。
食卓やお茶のおともに振る舞われている諏訪地方の食文化の代表ともいえる野沢菜。それは諏訪地方の方の冬の腕自慢でもあるわけで、私も漬け方を覚えなくてはいけませんね。
夏は快適に過ごしましたが、冬の諏訪、岡谷は慣れて、覚えて、厳しいことがたくさんありますね。頑張ります。
みなさんもご自愛のうえ日々お健やかにお過ごし下さい。

                   副住職寺庭

新着情報ー行事ー 1月20日更新しました

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お大黒自家製の野沢菜 お客様のお茶うけに

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金峯山牛伏寺縁日大祭

年始より牛伏寺様に助法しお世話になりました。

牛伏寺といえば松本の鉢伏山山中に1400年に迫る法灯を継承する、長野県下最大の祈願霊場であります。

聖徳太子自らの彫刻とされる厄除け十一面観世音菩薩は、33年に一度しか御開帳されることのない秘仏でありまして、来たる平成29年春に次の御開帳を迎え、それに向けて数々の事業及び山内整備が着々と進められております。

牛伏寺といえば知らない人はいないであろう厄除け観音縁日大祭。この大祭期間に十万人を超す願主、ご家族のご参詣がございます。

海抜1000メートルの位置にある境内地は相当な冷え込みになりますが、護摩法要の厳修される観音堂内は、毎座ごと隙間ないほどに大勢の参詣者が詰め寄せ、熱気と緊張に包まれます。

 

さて、毎座のご祈祷、御山主を導師として参詣者に向き合う我々僧侶も常に一座入魂であります。ご参詣の方の祈りの心とは本来無形のものでありますが、しかし熱心な信仰と祈りの姿には有形のものとして投げかけられるものを大変に強く感じ、私たちも全身全霊でなくてはそれを受け止め、さらに投げ返すことができないのです。

 

そのような中で座ごとに良かった点、悪かった点、御山主よりご指摘を受けます。厳しい指摘は一度や二度ではありません。

僧侶として10年以上も経つと、良かれ悪かれお経の読み方、諸作法、立ち居振る舞いに自分の型(特徴といった方がいいでしょうか)がついてきます。当然、良いものと意識して継続していたものもあるのですが、牛伏寺での助法ではそれらさえ厳しく注意されることが多々あります。つまり意識をくつがえされるのです。

長いことの積み重ねにより、自分の型になりかけていて麻痺していた部分を刺激され、もう一度考え直す機会をくださるのです。

私たち若い僧侶にとって、牛伏寺での実践は「学び舎」だと感じます。

御山主が縁日最後、参詣者に向け仰られたことは、「寺が大変に長い歴史をもつ中で社会情勢は変化しているが、昔も今も『祈ること』は変わっていない。」ということでした。

私は思います。参詣者の「祈りの姿」をこれからもけして見過ごしてはいけないのだと。僧侶は、有形なる祈りの形に気付けるよう、感知できるよう、参詣者から学ぶことが大切なのであります。

南無厄除十一面観世音菩薩

           合掌

1月20日「新着情報ー行事ー」更新しました。

 

牛伏寺

宮坂宥勝猊下を偲んで

1月11日は、岡谷市の照光寺前住職宮坂宥勝猊下のご命日であります。ご遷化されてより3年が経ちます。

宮坂宥勝猊下は、平成11年より約8年間、京都の総本山智積院に真言宗智山派管長・総本山智積院化主第68世としておられました。

私は平成14年より約10年間総本山智積院ならびに宗派の宗務庁に奉職しましたが、その中で1年3カ月、侍者として猊下のお傍にお仕えさせていただいた時期があります。

猊下が総本山におられた8年間には、何人もの秘書・侍者が尊い使命をいただき、お仕えをしてまいりました。

ご命日の前日には、今は全国各地に離ればなれになっているそのメンバーが諏訪に集まり懇親の会を開き、猊下を偲び、各々が仕えし頃の貴重な想い出が詰まった宝箱を開け、唯一無二の想い出を語り会う夜となりました。

 

浅学であり人間未熟な私が偉大な猊下にお仕えした1年3カ月の間、誠に多くの経験そして貴重なお言葉を頂戴しました。

どんな話の中でか思い出せないのですが、猊下がこのように仰られたことがあります。

 

「焦らなくていいです。『未完』ってのはとてもいいことなんです。可能性があってワクワクしていいんですよ。」

 

強く私の印象に残る猊下の言葉のひとつです。

 

私たちの依止師であり導師であり、そして様々な縁をもった大変に多くの方が「先生」とお慕いしている猊下は、まるで生き仏のような御方でありました。

本日の命日、照光寺にて追悼法要が営まれ、私もご供養に参列させていただくことが叶いました。

法要後の斎食の席では、それぞれのご縁者が代表で想い出等のスピーチをしましたが、どなたがお話することも猊下のお姿を誠に鮮明に思い浮かべることができ、会場のすぐそこに猊下が居られるような不思議な感覚を得ました。

 

照光寺の大大黒様。米寿を迎える猊下の奥様が句集を発刊され、それを手にして拝読させていただくことができました。

なんとも有難い。

 

宮坂宥勝猊下、聞こえておられますか。

今も私たちは猊下から授かったご縁で豊かな時を過ごすことができております。

感謝の念に堪えません。

                               合掌

秘書侍者

京都、名古屋、栃木、県内御代田などからご供養に参列した元秘書と侍者たち

総代・役員の皆様方

1月5日、年始恒例の厄除聖観音護摩供法要が厳修され(詳細ー新着情報)、檀家各家の安寧が祈願されました。法要の際は諸役にご尽力くださりありがとうございました。

また、法要後は総代役員による新年会が行われ、新たなる年の意気込みを語りあうことができました。

本年も役員皆様方のご力添えを充分に賜りながら、ひとつひとつの運営・檀務ならびに各行事等をすすめさせていただきたく存じます。

何とぞ宜しくお願い申し上げます。

また、川岸地区内各班長様におかれましても、ご面倒多々おかけすることとなりますが何とぞご理解下さいますようお願いいたします。

ご不明な点は遠慮なくご連絡下さい。

今年も檀家様にとって安穏ある良い年となることを願い、応じて勤めさせていただきます。

一年間宜しくお願いします。

新春聖観音護摩3

迎春 午の年

あけましておめでとうございます。

大晦日、多くのみなさまのお参りがございました。ゆく年くる年、その節目に心を込めて手を合わせ、除夜の鐘の音が響き続けました。

 年明けの日光を浴び、平常心を保ちつつもやはり「スタート=白紙」という「発心」を迫られている気持ちがございます。

 発心。自分を動かす源。

 

   さて、今年は午の年ですね。

 「午」は、子月から丑月、寅月と続き、一年を十二等分(十二支)にしたときに子月の対極に位置する午月。冬至を含む子月から陽気に転じ、夏至を含む巳月に陽気が最大に達し、つまり午月は一年に例えると、満ちた陽気の中にも、これより陰気に入る分岐点となります。

 一日の中にも切り替えの部分があり、12時を正午としてその前を午前、その後を午後としており、やはり「午」の字で表します。

 太陽や月の廻りなどから、人は切り替え時を設定してきました。一日、ひと月、そして一年。日々心の動きを最小限に保ち、平常心を極めた達観した方であればこの限りではありませんが、大抵の方はこの「節目」を意識せずにはいられません。特に今年は分岐点の「午」の年とあればなおさらでしょう。

とはいえ、あまり切り替えというものを強く意識せず、毎日を丁寧に過ごし、一日を反省し、自らをよく観察しながら時を重ねたいものです。

草食動物の一種である馬は身を守る角や牙がないので、敵を察知する能力が発達しています。両目による視野は350度と大変に広く、さらに夜間も視力で捉えることができるそうです。一方、人から家畜として飼われた馬は、荷物を運ぶなど貴重な労働力となりました。人間の生活に欠かせなかった馬はとても大切にされ愛情を注がれました。そして大切にしてくれた人の顔はけして忘れることはないそうです。

これに習い、自身が「陽あたる時も闇ある時も」浮つかず沈まずよく観察し、よく勤め、落ち着いた一年にしたいと思います。

年始恒例、1月5日(日)10時より観音堂における新春厄除聖観音護摩法要、みなさんのご参拝お待ちいたしております。(詳細-新着情報)

迎春

 

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1月5日の護摩法要では、台所守護の神、三宝荒神を加持祈祷してご用意しております。お求め下さい。

年末大掃除

朝から本堂等の大掃除をしました。この際に普段は手を入れない目のつかない箇所を綺麗にします。雑巾が真っ黒になるような部分があると、それはまさに、しばらくの自分のサボりぶりそのものに見え、苦笑です。

やがて一通りが綺麗になると空気が変わったのがわかります。掃除の良さは、この目に見えぬ空気の変化にあります

清々しさとは、「いつもより綺麗に」をキーワードとして、身のまわりの様々なものから頂戴できます。水回り、床、廊下、家具。車。風呂で自分の体。

いつもより少しだけ張り切って磨き、洗い、気持ちをすっきりして年越しに備え、同時に過ぎし日に感謝できる心の準備を整えるのです。

 

少し早いですが、今年もみなさんありがとうございました。

大晦日、真福寺に二年参り除夜の鐘(詳細ー新着情報)にお越しになられる方、どうぞ気をつけてお越しいただき、良いお参りにして下さい。

 

慈悲に満ちた仏のまなざしが、どうかみなさんのお心に気付き、触れ、お守りくださいますように。

                                    合掌

堂内見下ろし

他宗の法事にて

先日、他宗の七回忌法事に2歳の娘を連れて参列しました。住職さんは丁寧!! 読経と法話を合わせて1時間30分近くなりました。正直には長いな~と感じる中で、お念仏が繰り返されます。

娘が50分近く静かに座っています。長時間「きちんと」していることに驚き、それが期待に変わります。

「最後まで頑張れ」と。

ですが2歳のこどもです。1時間近くなると声を出して喋るは寝転がるは。ついに落ち着くことができなくなりました。

読経中ですので注意しましたが、けしてきつくは言いませんでした。

「私のこどもへの期待からの『法事中はきちんと、こうしてなくてはいけない』」という一方的な思いを捨ててみたんです。

そしたら、こどもの良いところが、頑張った部分が見えてきました。50分も読経中静かにできたこと。きちんと座っていたこと。

私自身が落ち着いて物事を見れたのです。心から褒めてあげることもできました。

こうしなくてはいけないという形にはめた自分の考えを緩めたことで、自身が楽になり余裕が生まれ、その余裕はこどもに伝わり、その後、再びこどもは姿勢を正し、最後まで頑張れたのです。

人を見る、人から見てもらう人生、こうでなくてはならないより、「この程度で良い」という気持ちの持ちようが人間には必要なのかなと思ったのでした。

お念仏が唱え続けられる時間の中で、こどもを通じて教わることができた、ひとつの「気付き」でした。

 

南無阿弥陀仏。合掌

本尊阿弥陀如来

12月はお釈迦さまの悟られた月

12月、仏教界、仏教徒が心にとめておく大切な日があります。

それは12月8日。お釈迦さまがブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開かれた日です。この日仏教界では成道会(じょうどうえ)を営み、お釈迦さまが悟りを開かれたことを称えます。

釈迦三仏忌(4月8日ー誕生「潅仏会花まつり」・12月8日ー悟りを開かれた「成道会」・2月15日ー入滅「涅槃会」)のひとつであります。

お釈迦様の教えは「仏教」という一宗教として2000年以上も大切に受け継がれています。宗教とは、拠り所とする教えのことです。では、拠り所とするお釈迦様の教えとは何か。これは何とも表現できませんが、ひとつご紹介したいと思います。

「無常という真理」

 変化しないものは無い

 そしてこの変化に対し、心の面、体の面、対人の面、あらゆる事象の面、自分が思い通りにできることは何ひとつ無い。ということです。

 だからこそ自分に生じた心、体、縁、事象を静かに観察しなくてはいけないんだという教えです。

 今日何が起きても変ではない。明日何が生じるかなんてわからない。

 今日一日が無事であり、安心が有ったということは、有難いことなんだと思います。

 一年という長い時の積み重ねを無事で終えたならば、それは感謝すべきことなんでしょうね。

 

 先日、ある先輩がこんな言葉を仰りました。

「人々に与えられた平等は、唯一『時間』だけである。

 今日一日をどう過ごすかを考えて生きることの積み重ねは、一生の彩りを考えることにつながる。」

ふとお釈迦さまの教えが浮かびました。昨日と今日は違い、今日と明日も違います。そして一日24時間も常に変化し続けています。思い通りにできたこと、できなかったこと、常に観察しながら受け入れ、日々反省を繰り返したいと思います。

                                     合掌

 

 

 

小僧

春の雪

今年も年越し支度が始まりました。この時期毎年思います。

「あっという間だった。」

そんなはずないのに時のいたずらでしょうか...。

平成25年の始まりを振り返ると、それはそれは寒い冬でした。雪の降る日も多く、みなさん雪掻き大変でしたよね。

先日、近くに住むお檀家さんから写真をいただきました。今年4月21日境内の様子です。そう、桜咲く頃に雪が降り積もったんですよね。

毎年来る冬、でも毎年違う冬。さあ冬本番。

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檀信徒のみなさまへ

みなさまの菩提寺真福寺に念願のホームページが開設いたしました。

柔軟な情報開示を叶える新たな窓口。動きを加えることで繋がりを生み、「みんなの寺」の風通しとコミュニティーが高まることを目指します。

もちろん檀信徒以外の方にも広く活用、問い合わせをしていただけるよう更新してまいりますので、折に触れてご覧下さい。

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今月の「言葉の力」

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優れた医師は
道端に薬草を見つける
本質を悟る人は
経験に無駄は無いと知る

言葉の力一覧

法事・年忌法要早見表

亡くなった年 本年回忌
平成30年 2018年 一周忌
平成29年 2017年 三回忌
平成25年 2013年 七回忌
平成19年 2007年 十三回忌
平成15年 2003年 十七回忌
平成9年 1997年 二十三回忌
平成5年 1993年 二十七回忌
昭和62年 1987年 三十三回忌

真福寺の法事について

厄年早見表

大厄(男性)

  • 24
    平成8年生
    (前厄)
  • 25
    平成7年生
    (本厄)
  • 26
    平成6年生
    (後厄)
  • 41
    昭和54年生
    (前厄)
  • 42
    昭和53年生
    (本厄)
  • 43
    昭和52年生
    (後厄)
  • 60
    昭和35年生
    (前厄)
  • 61
    昭和34年生
    (本厄)
  • 62
    昭和33年生
    (後厄)

大厄(女性)

  • 18
    平成14年生
    (前厄)
  • 19
    平成13年生
    (本厄)
  • 20
    平成12年生
    (後厄)
  • 32
    昭和63年生
    (前厄)
  • 33
    昭和62年生
    (本厄)
  • 34
    昭和61年生
    (後厄)
  • 36
    昭和59年生
    (前厄)
  • 37
    昭和58年生
    (本厄)
  • 38
    昭和57年生
    (後厄)
  • 60
    昭和35年生
    (前厄)
  • 61
    昭和34年生
    (本厄)
  • 62
    昭和33年生
    (後厄)

真福寺の厄除けについて

厄年は「数え年」を基準としています。

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