「今月18日の観音縁日のお護摩は、時間を変更し、 午後2時からといたします。」 毎月ご縁日の護摩行にお越しになる方々に、 電話...
当山は山号を青龍山、寺号を真福寺と称す。その開基は、諏訪湖の西方に位置する高尾山麓寺平を発祥の地として、諏訪大社大祝金刺隆種氏が正平五年高尾山城築城の時、その鬼門除けとして堂宇が建立された。
天文11年以降当国が武田信玄の麾下に入ると、高尾山城は武田流兵法つなぎ狼火台の一環として軍累上重要な地歩を占め、武田氏は当山へ寺領寺産を寄進した。
天正10年2月、織田信長が当国へ侵入猛攻し高尾山城は累卵の危うきに晒され、当山は寺平にあること二百有余年にして兵難を三沢の里に避け、新たに法域を定めたその地を堂窪と称した。