伝わる教化
お寺の蓮は、いよいよ花芽が姿を見せてくれました。
気が付けば何本も水面から伸びています。
先日、お寺で営まれたご葬儀でのことです。
気温30度を超える暑さのなか、外では弔問受付がされています。
客殿の玄関先では、故人のお孫さんがお越しの方々に下足札を手渡しています。
お孫さんは小学生と中学生。
暑いなか立ち続け、やさしい笑顔で参列者をお迎えするこどもたちの姿を、
私は微笑ましく立派だと感じました。
おじいちゃんのことが好きだったとお身内の方より聞き及んでおります。
葬儀社の職員様がお孫さんにその役目を頼んだそうです。
「きっとおじいちゃんの供養になる。」と。
それを聞いて、胸晴れる思いがしました。
ご葬儀の供養は僧侶だけの務めではなく、随所に役目が与えられ、
浄水にたとえるならば、それは一滴一滴すべてが供養へとつながっています。
これを伝えてくれる葬儀社の職員様が居られることをとても心強く思います。
葬儀はご遺族が納得してくれるよう、僧侶、ご遺族、関係業者、皆連携して
そのかたちを成していくものです。
それぞれの定位置にある意義を果たすことが、遺族への最善のサポートです。
あの日あの時、小さな役目を悲しみのなかにもきちんと果たしていたお孫さんが、
おじいちゃんが微笑み安らぐお顔を想い、供養のまごころを「感じ得た」ならば、
これを伝わる教化というのかもしれません。
ある先生のお言葉に、「なにかのきっかけで『信』が芽生える」とありました。
芽生えた「信」が今後よき「風」にあたり、その蕾をふくらませていくのですね。
ご葬儀の大いなる意義がここにあります。
教化活動は、お寺や僧侶だけの務めではないのがわかります。
合掌