心の杖
4月、寺門興隆のために尽くしてくださった元役員様が他界され、
通夜葬儀が営まれました。
20年ほど前に檀徒会の皆さんと四国をお遍路し、長い旅のなかで懇親を深められ、
大切な思い出として、またお守りとして保管されていた遍路杖が棺に納められました。
一人きりの旅立ちを支えてくれる杖として。
ご葬儀では地元のご友人が弔辞を読まれました。
中学校当時まで遡り、社会に出てからのことまで思い出を時系列で、
そしてあまりに鮮明に、その記憶を語られたのです。
特筆すべきは、その時間が30分を超えたこと。
コロナ禍がご葬儀に与えた影響は大きい。
弔辞を読まれる方がほとんど見られなくなってしまったのです。
以前は3人4人が話すケースも珍しくなく、トータルで30分近くなることはありました。
しかし、お一人で30分以上話された方には過去一度も出会ったことがありません。
正直、お話の終わりが見えず、どうなってしまうんだろうと困惑してしまいました。
でも葬儀を終えて思ったのが、友についてこれだけ語り尽くせることってないよな、
ってことです。そして、自分の死をこれだけ嘆き悲しみ、ともに過ごした時間を
まるで宝物のように語ってくれる長年の友人がいるってすごいなとも。
「僕もそのうち行くよ。」
弔辞の最後の方でこんなニュアンスの言葉を残されたことを覚えています。
それから二か月。この方が旅立たれました。
享年89歳。
最愛の友のあとを追うように。
棺のなかには、同じく遍路杖が納められていました。
実は20年前のお遍路でお二人は祈りの旅をともにしていたのです。
友って素晴らしいですね。
あの日の弔辞は、思い残すことのない友へのリスペクトだったのだといま思います。
このたびのご葬儀、どこかで弔辞のお返しがありそうな、そんな気さえしました。
お互いに親しき友の存在が、いつしか心の杖となっていたのかもしれません。
お二人の再会を。南無大師遍照金剛。
合掌