空海の言葉
今月の言葉の力は、弘法大師空海の言葉です。
『近うして見難きは我が心』
『近うして見難きは我が心 細にして空に遍ずるは我が仏なり
我が仏は思議し難く わが心は広にしてまた大なり』(秘蔵宝鑰)
私はこの言葉の真(まこと)を理解していません。
もっとも近くにある自分の心の姿が、実はもっとも見えにくいのだと解釈しております。
とても大切に感じている弘法大師の言葉です。
そもそもこの心とは何を指しているのか。
心はどこにあるのかと聞かれると、ほとんどの人は胸に手をあてる。
本当にそうなのか。
考える頭と心はとても近くにある気もする
安らいでいる心 楽しんでいる心 迷っている心
平常心といわれるもの
偽りの心といわれるもの
このように刻々と変化する心の様子
このことを指すのかというと、実は違う気がするのです。
もっとその奥深く、もっと近くにあるものを心といっているのでは。
その心こそが見難き存在であると。
仮にそれを「真の心」とする。
その「真の心」を“まんまるお月さま“に例えるならば、
日々刻々と変化しているの私の心は、分厚い雲であり、
一層、まんまるお月さまを見えなくさせている。
真の心。
そういえば真心(まごころ)という言葉がある。
なんとも優しく濁りないイメージの言葉。
しかし、まんまるお月さまが見えないからといって、そこに善悪はない。
分厚い雲も受け入れて、やまない雨風も受け入れて、
雲が去り、そこから強く照らしつける陽射しも受け入れて、
逆に不平不満を言ったって、それも自分だ。
ありのままを受け入れる。
その素直さはとても大切であり、しかしながら難儀なこと。
そんな不完全な人の心を深くから支え、灯し続けてくれているのは、
実は誰もが内に有する真心(まごころ)じゃないだろうか。
それを「仏心」ともいうらしい。
どなたの内にもこれがあるそうだ。
だから安易に人を傷つけてはいけない。
自分を粗末にしてもいけない。
「想え 心中に月輪あり」
6月15日は弘法大師空海のご生誕の日です。