亡き人のもとに感じたこと
「こども達今年は静かにしてたね。」
「○○はどうしてるの。去年は来てたよね。」
「はじめまして。」
妻側親族の三回忌供養に出席した際の、会話のほんの一部。
同じ時期、お寺でもお檀家さまのご法事がありました。
「いくつになった。」
「仕事はどうだ。」
「体は大丈夫なのか。」
よくお見かけする法事の様子です。
亡き人の命日を迎え集い、亡き人を偲ぶひとときの営み。
同時に、縁あって集った人達にとっては、
『生』を想う時間なのだと感じます。
日頃は仕事、学校、地域活動、あるいは子育て等々で
亡き人への意識は薄れているもの。忘れていることさえも、
それが日常に追われるという「普通のこと」だと思います。
ご法事を迎え、親族、縁者が顔を合わせるひとときに、
身なりを整え、あらためて亡き人の『命』を想い、向き合う。
一方で、その営みによって、今有る自分達の『生』を実感していることにも
ふと気づかされる。
そして、「慈しみ」や「感謝」の気持ちが心に蘇る、
人として生きる者にとって大切な時間と成る。
生と死がつながっていること。
生きる者と亡き人の魂がつながること。
そして生きる者をつないでいただけること。
法事の温かみは、確かに存在しています。
『元気そうで。』
『まだまだ、なんとか体動かせてるわ。』
『赤ちゃん何カ月。』
亡き人は、ご先祖さまとともに、
お姿見えぬ『根』となって、私たちの「命の樹」を支えてくださっております。
法事は、亡き人のもとに「つながり」を感じとり、穏やかな気持ちを心に戻し、
我々の生きる力となるものではないでしょうか。
合掌