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僧宝~いつかこれを読みかえす時が~

春のお彼岸を迎え、境内は徐々に暖かな色に染まっていきます。

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この寺族日記の投稿数が、気づけば260にもなっていました。

前の投稿で触れましたが、時折、読んでいるよと私にお声掛けして下さる方がいて、

とても嬉しく思っています。

 

誰が読むかもわからない、一方通行のブログ。

自分の知識と経験の少なさ、乏しい語彙力をさらけ出してるようなものでもあり。(笑)

それでもお寺に必要と思えた発信ツールを開始当時と変わらない気持ちで続けています。

好きな子に向けて書いた手紙を翌朝読み返し、どうも恥ずかしくなり消しゴムで消した

学生時代みたいに、いつか日記たちを振り返り消したくなることがあるかもしれません。

 

さて、今日は少し長く書きたいと思います。

先にいつも通りの駄文であることを詫びておきます。

お付き合い下さい。

 

いつか自分がこの寺族日記を読み返す日がくるだろうことを考えて、

「私がお寺で大切にしたいこと」について触れておきます。

これからも変わりたくない自分の一面として、ここに書き残しておこうと思います。

 

 

お寺で伝えたいことは、一言でいうと何ですか?

このように聞かれ、一言でなら、一僧侶として「仏法僧の三宝」とお答えします。

仏宝・・・仏さまと向き合える喜び

法宝・・・よき教えを生きる力に生かせる喜び

僧宝・・・よき教えにともに触れる人たちがいる喜び

三宝の説き方は僧侶によって少しずつ違うでしょうが。

 

日頃より、特に大切に思っているのが、三宝のうちの「僧宝」です。

 

僧宝とは僧侶のみならず

「よき教えにともに触れる人たち」の存在。

 

お寺につどい、または家につどい一緒にお経を唱えてくださる人たち。

ともに祈りを捧げてくださる人たち。

ともに輪(和)を築いてくださる人たち。

 

この人たちがいるから、私は毎朝一人で拝むことができる。

お寺を開いていきたいと思える。

どなたかとその場を共有できた時には、励まされ心から嬉しく思う。

 

「仏」「法」に皆とともに触れることができた時には素直に喜ぶことができ、

お寺の本質はきっとここにあるのだと感じました。

いえ、これはお寺でなくとも、社会の多くに通じることだとも思っています。

ともに守り、ともに歩める「仲間」がいることがいかに大切か。

環境違えども職種が異なろうとも、互いがどんなジャンルであったとしても、

信用のあるつながりはいつか僧宝となる。

仏教はそんな寛容さを秘めているんです。

 

 

 

このブログという発信ツールはSNS全盛の時代には少々古い。

でもこのお寺のホームページにはこれがあってよかったと思っています。

SNSは簡単に多くの人とつながることができ、常に情報を広角に届け、

また自分にとって必要な情報にたどり着くこともできます。

しかし、この溢れるほどの情報のなかに自分を見失い、

また本当の自分を隠そうとしてしまう方がいるのも事実です。

このブログを見る方の中には、この駄文でさえ頼りにして下さる人が少なからずいて、

なんとも「遅い速度」で(笑)つながっていくのです。

ホームページを見てくださっている方は、その時の感情や気分でこれを読んでもらい、

内容のうち捨てるものは捨て、拾うものは拾って下さればいいのです。

これは「僧宝の種(たね)」なんです。

いつか仏法にともに触れることのできるご縁となってもらえると。

 

実は、私もSNS(インスタグラム)を利用し始めてもうすぐ一年になります。

全国各地に素晴らしいお寺さんがあって、多くの素晴らしい青年僧が活動しておられ、

そのつながりに大変刺激を受けました。

そのなかのお一人が、やはり「僧宝」の大切さに触れていました。

SNS上であれば、それはまだ浅いご縁ではありますが、考え方ひとつでは、

同じ僧宝の価値観を有して心に実っていくご縁と思えます。

 

まことに豊かな時代。

必要なものは、求めればその多くは手にすることができる。

そんな現代の生活に、拠りどころとする神仏の存在は薄まっていると思う。

この豊かさに比例して、人の存在自体も豊かになっているかと問えば

決してそうではなく、人の苦しみと喜びの本質は変わっていない。

本当は苦しいのに、これだけ情報もあるし、物資も解決糸口もあるのだから、

甘えてはいかんのだと何かに頼ることなく、「強くあろう」とする。

 

「人はそんなに丈夫で潔白には生きられない。」

 

だからこそ、許される処、振り返る処、立ち上がる処として、

お寺が心の拠り所として開かれていなくてはならない。

たとえば、町に佇む教会のように。

ときには、人をつなぐ旅の宿のように。

 

 

各地からお寺に御朱印を求めてやってきます。

初めてのご縁であり、これが最後となる方も多くいらっしゃいます。

その一人を無下にはできません。

事実、御朱印だけ求めてくる方もいらっしゃいますが、それでも堂内を

お参りしていただき、こちらの仏さまとのご縁を結んでもらえればと願います。

 

お寺に多くの檀家様がいらっしゃって、私はみんなの真福寺と堂々と言えるように

ならなくてはいけないと思っています。

そのみんなの真福寺に初めての誰かがお参りをして、今日はよいお参りができたと

感じてもらえたのなら、それは寺族としても檀信徒としても喜ばしいことなのです。

これも「僧宝の種」。

いつかどこかでまわりまわってくれてたらいいと思います。

 

お寺に属してみて、世間様の無関心というものが一番寂しいと感じます。

私が間違っていると思えば、直接はっきりと指摘して下さる方がいれば嬉しい。

お檀家様にとって、ともに「僧宝」を感じあえるような菩提寺であってほしいし、

そのために寺族として活動を続けたいと思っています。

地域のお寺様とも、そのような絆であったのならと望みます。

 

三宝仏法僧の僧とは、

仏法ある処にともに触れ、ともに築き過ごしてくれる人達のこと。

ともに仏法を守り、お寺を開いて喜んでくれる人達や檀信徒様のこと。

 

「お寺を守り、開く」その意味を、自身この先もずっと考え続けたいし、

「皆とともに」ということを十分重んじて、願わくばそこに頼っていき、

また助けていただきたいとも願っています。

 

何年後かに、きっとこれを読み返す時がくるでしょう。

                            合掌

東日本大震災から10年

2021年3月11日

東日本大震災から10年の節目を数えます。

 

東北被災地の方にとっての10年、そこから遠く離れた信州に住む私の10年、

全く異なるものでしょう。

時間が流れる「感覚」は、幼い頃のもの、社会に出てからのもの、また年老いてから、

みな違うことは誰もが実感していることと思います。

過ぎ去っていく時間の質量感覚は人それぞれにも異なり、特にひとつの実体験による

感情記憶を境として、より大きく変化することがあるそうです。

被災地の方々の「10年間の思い」というものを到底計り知ることなどできません。

 

午前9時から観音堂におきまして、未曾有の大波にさらわれた多くの尊い命の鎮魂と

被災地の未来を守る方々への祈りを込めて、一字三礼の写経をお勤めいたしました。

波、死、苦、生、

経文には震災を連想させる字が続き、聖観音が希望の灯を届けてくださると信じて

五体投地書写を進め、筆を置いたのは午後1時30分。

自分の心に刻み忘れまいと、この先の10年に向けて手を合わせました。

 

このあと、午後2時46分になりましたら鐘楼堂で祈りの鐘を3つ撞きます。

 

ご浄土に御魂安らかであることを。

東北を愛する人たちの幸せ、未来を託されるこども達に健やかな成長がありますよう。

そしてもう一度慈しみの心の絆がつながりますように。

 

回向東日本大震災殉難横死者諸精霊

南無大慈大悲観世音菩薩

                     合掌

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4月日曜仏教会のご案内-終了しました

花まつり開催

4月8日はお釈迦がご生誕なられた日です。

お寺でお祝いの行事を開催し報恩感謝を捧げます。

境内の枝垂れ桜の見頃が迫る時期です。

4月18日(日)14時より

奉納お餅つき・灌仏・祝いの花撒き

参加費500円(小学生以下無料) ※事前申込み下さい

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行動力

3月1日

住職である傍ら、まちづくりにも力を注いでいる青年僧が協力を求めてお寺にみえ、

ひと通りのプレゼンをして下さいました。

 

人は誰でも失敗に対して多少なりとも恐れがあると思いますが、

それにも勝り、心の底から挑戦したいことや望むことというものに

人生でいくつ出会えるでしょうか。

 

今日、それに出会えている人の姿を見た気がしました。

 

自ら行動を起こさずに現状を維持して静かに過ごし、失敗することも悩むこともない、

しかし周りがやることの評価だけはして、高みの見物ともとれる人は存在します。

 

一方で、なんとかしたいと率先して行動に起こし、先頭に立って挑戦し、

常に現場に出て同志を集う人もいます。

 

人は守られていたいのだから、痛みや苦労を覚悟のうえで前例にないことに関わろうと

する時は勇気がいります。

発起人として最後まで責任を貫こうとする人は尚更でしょう。

 

先頭に立つその人には勇気があるし、何より夢を叶えるだけの発想と自信があります。

苦労など吹き飛ばしそうなワクワクしたお顔をしています。

そして良き出会いにも恵まれる人だと感じます。

 

大きく何かが変わろうとする時、

必ずそこには失敗に挫けず邁進する先駆者がいるものです。

大げさにいうならば、歴史がそうでしたから。

 

心の底から叶えたいこと。

人生でいくつ出会えるでしょうか。

               合掌

 

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2021年3月の「言葉の力」

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どんな些細なこと
行ない 言葉 態度
つながりつながって
とおく誰かのもとへ
いつか自分のもとへも

月別一覧

今月の「言葉の力」

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どんな些細なこと
行ない 言葉 態度
つながりつながって
とおく誰かのもとへ
いつか自分のもとへも

言葉の力一覧

聖観音縁日護摩修行
ととのう写経体験
癒しのおてらヨガ

法事・年忌法要早見表

亡くなった年 本年回忌
令和5年 2023年 一周忌
令和4年 2022年 三回忌
平成30年 2018年 七回忌
平成24年 2012年 十三回忌
平成20年 2008年 十七回忌
平成14年 2002年 二十三回忌
平成10年 1998年 二十七回忌
平成4年 1992年 三十三回忌

真福寺の法事について

厄年早見表

大厄(男性)

  • 24
    平成13年生
    (前厄)
  • 25
    平成12年生
    (本厄)
  • 26
    平成11年生
    (後厄)
  • 41
    昭和59年生
    (前厄)
  • 42
    昭和58年生
    (本厄)
  • 43
    昭和57年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

大厄(女性)

  • 18
    平成19年生
    (前厄)
  • 19
    平成18年生
    (本厄)
  • 20
    平成17年生
    (後厄)
  • 32
    平成 5年生
    (前厄)
  • 33
    平成 4年生
    (本厄)
  • 34
    平成 3年生
    (後厄)
  • 36
    平成元年生
    (前厄)
  • 37
    昭和63年生
    (本厄)
  • 38
    昭和62年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

真福寺の厄除けについて

厄年は「数え年」を基準としています。

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