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蓮の成長を見守る

境内では蓮が育っています。

葉が大きくなってきましたが、蕾はまだ姿を見せません。

蓮を育て観察することが初めてで、この夏の開花を楽しみに追肥などしながらも、

成長が遅いものにはどう対処したらよいのかわからずに見守っております。

 

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大変有り難いことに、3月に塩尻の郷福寺様にて蓮の苗の植え替えを教えてくださった

小原先生が、時々松本から車を走らせて、当山まで様子を観に来てくださるのです。

 

「大丈夫、これからこれから」

と安心な声をかけて下さいます。

 

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毎朝早くに起きて外に出ると、そこでまず蓮の葉を覗くことが楽しみになっています。

今はまだ梅雨ですが、この先一気に暑くなるなかで成長が加速していくことを

期待しています。

 

 

寺にお越しになる方々が咲いた花の美しさに喜ばれる日が今から待ち遠しいのですが、

私はその前に、高く伸びた茎の先にある蕾、未開敷蓮華ををじっと眺めてみたいのです。

 

「未開敷蓮華」

それはきっと崇高であって、もっともエネルギーを内に蓄えている姿だと思います。

どこか仏教的で、どこか秘めたようなその姿を、一人拝むように眺めてみたいのです。

                                 合掌

別れとはなにか

いくつものお別れの儀式に立ち会ってきましたが、いまだに慣れません。

自分が何をしたらよいのか、という点においては経験にともない慣れたと言えますが、

どうしても慣れていかないのは、自分の気持ちの面です。

慣れないというより、「わからない」という表現が正しいかもしれません。

 

通夜の読経に続き納棺の儀がありますが、その際のご遺族の様子というのは、

終始静寂に満ちていることが大半を占めるなか、激しく泣き悲しむ姿もあれば、

棺に集まり笑顔で明るい声を掛け合う姿もあります。

 

このような場において、人が「泣く」、あるいは「笑う」という姿に、

どこか「健康的な印象」を私は勝手に抱いてしまうのです。

しかも明るく声掛け合うような姿を目の当たりにした時など、

胸中推し量ることを忘れ、勝手に安心してしまうことさえあります。

 

勝手に・・・というところに、自分が僧侶としていかに未熟であるかがわかります。

 

さて、無常の風が止むことはなく、かなわないこととは、

どこで深い悲しみや心の痛みが襲うかわからないという点です。

通夜の際に故人に寄り添い明るく振る舞っていたご家族が、翌朝の出棺時になって

激しく泣き崩れるということがあります。

すべての儀を終え自宅に帰ってから、もっとも深い悲しみが訪れることもあります。

 

私がわからないのは、

いつ、どの場所が別れの時なのか、それは人によって違うということです。

そして、悲しみの深さや質もまた違い、さらには限られた時間のなかで刻々と変化する

心の姿さえも人によって様々なのです。

これは人の本質であって、わからないこともまた真理と言えます。

僧侶の役目はご葬儀のあとにも残されているのかもしれません。

 

あなたにとって、どの瞬間がもっとものお別れの時なのですか。

あなたの悲しみはどの瞬間からやってきて、どうしたら解けていくのですか。

 

正しい答えはみつけようもなく、

これほど悲しい思いから抜けていくにはどうすればよいのか?と尋ねられたら、

それは尽きるまで「悲しむしかない」としか答えられず・・・。

悲しみに効く薬が悲しむことだなんて。

でも、これも本質のように思えるのです。

 

悲しいの語源は、かなわぬ、と聞いたことがあります。

かなわないことは、到底わからないことなのかもしれません。

 

悲しみのなかで目の前の死を凝視することは大変辛いことです。

しかし、通夜では眠る故人様のお身体、お顔をよく見てさしあげてとお伝えします。

この手で働いて、この口で語り食事を楽しみ、この足で旅をして。

その目に笑みのしわを寄せ、また涙を流し。

風呂に浸かれば気持ちいいと声をあげ、怪我に体を痛めたこともあるでしょう。

ご縁のなかで心に刻まれた喜びや悲しみは、不思議とそのお顔に表れている。

その手はこどもを抱いた手、つないだ手、孫の頭を撫でた手。

誰かを背負った背中。

 

『すべては生きた証』

 

故人の生きた証を見てさしあげて、声をかけてあげられるのは、

その場に立ち会う人たちの誠に尊いお役目です。

 

 

火葬からお寺に帰って来た喪主様が、ご遺骨を手にして言いました。

半分泣いて、半分笑って、私にこう言いました。

 

『こんなに小さくなっちゃった。』

 

小さくなった父さんの身体を、今度は残された子が抱いている。

この時の表情は、どなたも不思議と穏やかであることが多い。

別れとはなにか、わからないことだらけだ。

                   合掌

2021年6月の「言葉の力」

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-善行-
どんな小さなことでもいい
継続は生きる力となり
大海へ導かれる

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平成20年 2008年 十七回忌
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平成10年 1998年 二十七回忌
平成4年 1992年 三十三回忌

真福寺の法事について

厄年早見表

大厄(男性)

  • 24
    平成13年生
    (前厄)
  • 25
    平成12年生
    (本厄)
  • 26
    平成11年生
    (後厄)
  • 41
    昭和59年生
    (前厄)
  • 42
    昭和58年生
    (本厄)
  • 43
    昭和57年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

大厄(女性)

  • 18
    平成19年生
    (前厄)
  • 19
    平成18年生
    (本厄)
  • 20
    平成17年生
    (後厄)
  • 32
    平成 5年生
    (前厄)
  • 33
    平成 4年生
    (本厄)
  • 34
    平成 3年生
    (後厄)
  • 36
    平成元年生
    (前厄)
  • 37
    昭和63年生
    (本厄)
  • 38
    昭和62年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

真福寺の厄除けについて

厄年は「数え年」を基準としています。

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