教会
長崎佐世保の御寺院様の結婚披露宴にお招きいただき、
空いた時間に観光をするなか佐世保にある教会に行ってまいりました。
キリスト教における礼拝、布教がなされている聖域です。
礼拝堂は特別な敷居を感じることはなく、神秘的空間の静寂に時を忘れ、
穏やかに佇むことができました。
ご信徒やここを訪れる人々にとっての「心の拠り所」なのでしょう。
教会にイエス様がおられるように、お寺の本堂にはご本尊様がおられます。
ご本尊である仏さまには「誓願」があります。
人々の日常に寄り添い、
・ご本尊の誓願が説かれているか。
・仏さまおよび宗祖の教えが説かれているか。
・心の拠り所となっているか。
教会を訪れて感じたことは、仏と対話し寄り添える空間の大切さです。
仏さまとの対話とは、自身との対話になると思うからです。
お寺が人々の日常に寄り添い門戸を開くことで、
ご本尊のもとへも導線が引かれてなくてはならないと感じます。
合掌
愛語力
10月を迎えました。今年もあと三月。
お寺では四本のキンモクセイの花が咲き、境内は甘い香りが漂っています。
さて、今月のHP言葉の力を『愛語力』としました。
菩薩が説く、仏道に導くための四つの行い、四摂法(布施、愛語、利行、同事)。
「愛語」とは、心のこもった慈愛の言葉です。
愛語について、道元禅師は『愛語よく廻天の力あり』と仰っております。
言葉は力を有し、意味や背景、浅深、表裏があり、
人から発せられた言葉には価値が生じます。
善意ある一言や褒め言葉を直接いただいた人は嬉しいものです。
人を介してその言葉を伝え聞いたときはなおさらです。
逆に、悪意ある言葉を聞いたときは辛いものでしょう。
一言が人を救い、勇気づける。
一言で人は悲しみ、傷つく。
思いやりをもって言葉を交わしたいものです。
愛語には生きる力、生かす力があります。
愛語は仏道、どなたにおいても欠かせぬものです。
訪れる季節に無心に咲く辺りの花達も愛語力に満ちています。
合掌