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言葉の力~いただきます~

京都本山での修行時代、日々食前に作法としてお唱えした偈文。

『五観の偈』

一には  功の多少を計り 彼の来処を量るべし

二つには 己が徳行の全か欠か 多か減かを忖れ

三つには 心を防ぎ過を表すは 三毒には過ぎず

四つには 正しく良薬を事とし 形苦を救わんことを取れ

五つには 道業を成ぜんが為なり 世報は意に非ず

 

今月のホームページ「言葉の力」では、その一(はじめ)に唱える偈文を

お伝えしています。

 

『功の多少を計り 彼の来処を量るべし』

日々の食事は、それを美味しく作ってくれる人がいる。

材料ひとつにまで思いを馳せば、まず私たちを生かしてくれる自然の恵みが有り、

それらがどれほど多くの人の手にかかってここに食事として届いたのか、

想像を巡らせることができます。

 

「いただきます」という言葉には、二つの気持ちの柱があります。

ひとつは私たちが食事としていただく尊い「生命」に対するもの。

もうひとつは食事を作る人、食材を作る人、運びつなぐ人など、

それぞれに込められた「想い」に対するもの。

ここに寄せる気持ちがいただきますという言葉、合掌の姿勢に通じます。

 

気持ちが先か、姿勢が先か、というとその答えはわかりませんが、

私は姿勢をつくることから教わりました。

まずは姿勢をつくることから、想像力や思いやる心を養っていくものと

いまは考えています。

食事を正しくいただくことは、「心の栄養」ともなっていくのでしょう。

 

先日、新潟佐渡まで過疎課題に向き合う研修機会として行ってきました。

道を歩いていると、自転車ですれ違う地元の小学生から、

大きな声で、「こんにちはー!」と挨拶をいただきました。

船に乗ると、居合わしたこども達から同じように挨拶されました。

それは自発的なものであり、こども達に自然と身についている姿勢と感じたのです。

とても嬉しかったし、正直、驚きました。

地元の大人が、関心をもってこども達に接する様子が目に浮かびます。

 

こどもに挨拶の大切さを伝えたければ、挨拶を日常的に実践している

大人の存在が必要です。

合掌の姿勢を伝えたければ、同じく手を合わせることが身についている

大人の存在が必要です。

大人の姿を見て、こども達は良きも悪しきも吸収していきます。

 

先に健やかな気持ちをつくること、育てることは難しいですが、

健やかな姿勢が身についていくことで、その先に徐々に心が潤っていくものと思います。

家庭では、日頃から『いただきます』の声の響きを大切にしたいものです。

                              合掌

 

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『五観の偈』 意味

一には  功の多少を計り 彼の来処を量るべし

 食事に含まれた恵み、多くの想いと労が加わり届いていることを思いましょう。

二つには 己が徳行の全か欠か 多か減かを忖れ

 食事をいただく前に、自分の行いを振り返り反省するゆとりを持ちましょう。

三つには 心を防ぎ過を表すは 三毒には過ぎず

 食事は心を整えて、好き嫌いや不満を離れる努力をしましょう。

四つには 正しく良薬を事とし 形苦を救わんことを取れ

 食事は命の糧。 自身の健やかな体と心を保つものと考えましょう。

五つには 道業を成ぜんが為なり 世報は意に非ず

 食事で得た力で仏道を歩み、よく働き、自他の身心向上に生かしましょう。

2019年6月の「言葉の力」

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この食事のひとつひとつは
ここに至るまでにどれほどの
人の手にかけられてきたか

ーいただきますの一声をー

この先に

今年度一回目となる寺の所有地一斉草刈りの日、現地視察に行くと、

なんと、一帯の草すべてが刈り終えていました。

毎度人手と時間を要するその作業を、いつ、どなたがして下さったのか?

 

周辺でお尋ねしたところ、すぐにお答えをいただけました。

近所にお住まいの方が、なんとお一人で連日朝早くに刈って下さっていたようです。

このことには大変驚き、恐縮いたしております。

本当にありがとうございました。

 

毎年、夏秋3回、総代様、有志のお檀家さまのお力添えのもと一斉作業を行います。

広い複数の管理地での作業は重労働ながら生産性はなく、

みなさんに重なる苦労を感じております。

それにもかかわらず、毎回総代みなさんがまとまり時間を割いて下さり、

渾身的なご奉仕をいただけていることは誠に有り難いことです。

 

一方で、この先の不安も感じております。

以前はこれらの土地を借り、田畑として耕作をしてくださった方々がいました。

地域内の高齢化が進むなかで、そのような方は居られなくなり、

利用のない土地を多く抱えているのが現状です。

そこはしばらく有効な活用がなく草だけが延々伸び続け、荒地にならないよう

定期的に人の手によって整備、浄化作業のみを続けているのです。

 

地域全体としても同じことがいえます。

高齢化、人口減、若年層の流出が顕著に進み、空き家、空き地が増えていく状況。

こどもが通う校舎は生徒が減り、空き教室が多く存在したまま老朽が進んでいく。

地方寺院に関していうなら「墓じまい」や「お墓のおはか」という話題にわかるように、

檀家が家墓の継承を断ち、石塔の処理による聖地返還の事例が少しずつ増えはじめ、

ここにも空き地化が進んでいくのです。

 

これからもなお進むであろう地域の人口減は様々なところに空虚を生み、

そのうえで労力と負担は増していくため、この先々はより支え合い、

「つくしあいの心」が必要になるのではないでしょうか。

 

仏教の説く諸行無常。

ものごとに実体はなく、すべてのものごとは移り変わってゆくという教え。

唯一変わらないのは、仏法という『本質』だとしています。

本質を観る鍵なるものは、「人の心」だそうです。

 

「すべてのことは心から始まる」

自身、ものごとの上っ面ばかりを見ているような気がしています。

未熟なリにもまわりの人達からの大切なご意見、助言をいただきながら、

お寺を柔軟に活かして開けるような努めをしたいと考えています。

                                  合掌

月別一覧

今月の「言葉の力」

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この食事のひとつひとつは
ここに至るまでにどれほどの
人の手にかけられてきたか

ーいただきますの一声をー

言葉の力一覧

聖観音縁日護摩修行
ととのう写経体験
癒しのおてらヨガ

法事・年忌法要早見表

亡くなった年 本年回忌
令和5年 2023年 一周忌
令和4年 2022年 三回忌
平成30年 2018年 七回忌
平成24年 2012年 十三回忌
平成20年 2008年 十七回忌
平成14年 2002年 二十三回忌
平成10年 1998年 二十七回忌
平成4年 1992年 三十三回忌

真福寺の法事について

厄年早見表

大厄(男性)

  • 24
    平成13年生
    (前厄)
  • 25
    平成12年生
    (本厄)
  • 26
    平成11年生
    (後厄)
  • 41
    昭和59年生
    (前厄)
  • 42
    昭和58年生
    (本厄)
  • 43
    昭和57年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

大厄(女性)

  • 18
    平成19年生
    (前厄)
  • 19
    平成18年生
    (本厄)
  • 20
    平成17年生
    (後厄)
  • 32
    平成 5年生
    (前厄)
  • 33
    平成 4年生
    (本厄)
  • 34
    平成 3年生
    (後厄)
  • 36
    平成元年生
    (前厄)
  • 37
    昭和63年生
    (本厄)
  • 38
    昭和62年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

真福寺の厄除けについて

厄年は「数え年」を基準としています。

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