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明星院様ご来山

10月29日、

宇都宮市より真言宗智山派龍池山明星院の御一行がおまいり下さいました。

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初日は山梨の寺院、二日目に諏訪岡谷の寺院、神社を巡り、

諏訪の温泉宿でご宿泊されました。

 

僧侶の先輩であるご住職には、京都本山時代にとてもお世話になり、

一年ほど前、お檀家様と諏訪に行きたいと考えを聞かせてもらった時から、

心待ちにしておりました。

 

昼食を近くの松川さんでお取りになられたあとご来山され、

さっそくに本堂でご法楽をあげて下さいました。

私からお寺の紹介を少しばかり。本堂、観音堂それぞれお話し、

みなさんには内陣仏様のお近くまでおまいりをしていただきました。

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おまいりのあとは限られた時間でしたが喉潤し体を休めていただき、

お寺をあとにされました。

一時間ほど過ごしていただきましたが、あっという間だったように思います。

お檀家様をお連れし、遠くから訪ねていただけることは大変に嬉しく、

また皆さまのご様子から関心ごとを感じ取れるよい機会にもなります。

隣の熊野神社境内の御柱を眺めてもいましたね。

 

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ありがたいことに、夜、お宿でのお食事の席にも呼んでいただき、

あらためてご住職、お檀家様方とゆっくりお話するひとときが叶いました。

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ご住職はそのお人柄から人望厚く、絆やご縁というものを大切にしておられ、

毎年のようにお檀家様をつどい、全国各地の法縁を訪ねておいでです。

 

 

お檀家様が聞かせてくださったお話のなかの一言が印象に残ります。

 

「住職がいろんなところに連れてってくれる。」

 

自ら歩み寄り、リーダーシップを発揮する住職。

寺離れの加速などと言われているこの時代に求められる、

ひとつの理想の姿だと思います。

 

 

前の日は山梨のお宿で、深夜にお檀家様が具合を悪くし、

救急搬送先の病院にご入院されたそうです。

お供したご住職はほとんど睡眠をとれていなかったはずですが、

この日、お疲れの様子など微塵もなく。

そういえば、京都時代にも疲れている顔をほとんど見たことがない・・・。

 

みなさんとともにあり、頼れるご住職は、私と同じ歳、年男。

そして4男1女の父でもある。

 

 

最終の三日目は安曇野、松代へと向かわれました。

ご一行の道中の安全と入院中の檀家様の回復を祈念し、

このたびのご来山の御礼を申し上げます。

 

京都時代共通の思い出の「真澄」を、諏訪で酌み交わせたことにもありがとう。

                                 合掌

 

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11月日曜仏教会のご案内-終了しました

ヴィジャイさんご一家を囲み、ご夫婦のもてなしてくださった

南インドの過程料理をいただきました。

仕込みが始まると、客殿はスパイスのよい香りが広がり、

参加者はワクワクしてその時を待ちました。

お料理はとても美味しくて、皆さん大喜びでした。

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ヴィジャイさんからは、南インドでの生活や日本に来てからのことなど、

貴重なお話をお聴きし、参加者より関心ごとをお伺いもしました。

穏やかなご家族と温かい交流のひとときを大変嬉しく思いました。

誠にありがとうございました。

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インドの生活文化にふれる

11月17日(日)15時より

 

15:00 おつとめ・法話  本堂

15:20 インド生活文化にふれる 客殿

 

川岸在住のヴィジャイさんご家族をお招きします。

南インドから日本に移住して1年。

インドの文化、生活や職場環境、教育。

なぜ日本に学ぶことになったのか。

いま日本にの暮らしに思うこと。

言葉を上手に話されるヴィジャイさんからお聞きします。

 

そのあと、奥様がインドの家庭料理を振舞ってくださいます。

ご家族を囲み大変貴重な機会かと思います。お楽しみください。

 

申込み 11月13日(水)まで ※お食事:定員20名

       070-4195‐8939

参加費 500円

 

遠慮なくお問い合わせください。

 

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お檀家様からいただいたツワブキ。丈夫な花。

寒くなり、辺りは花々の姿がみられなくなった頃、温かな色で咲いてくれます。

仲間

随分と久しぶりに息子のサッカーの試合を観戦しました。

様子を見て、小さかった体が逞しい体つきに成長していることに気づきました。

もう6年生。

1年の終わりから辞めずに通い続け、息子は何を得たのかな、

などと考えておりました。

 

試合のない時間に仲間と楽しそうにしている姿が真っ先に目に留まり、

この仲間が親しく付き合ってくれたおかげでここまで来れたのだと感じ、

得たこととしてまず先に浮かぶのは、チームの仲間だろうと思いました。

 

 

ペナルティーで試合に出られないことがあります。

今回も彼がベンチにいる姿を見ました。

理由など聞きません。本人がその理由を理解していればよいのですから。

ですが、本人から私に話してくれました。

 

仲間のなくしたサッカー道具を一緒に探してあげていたら、

試合前アップの集合時間に遅れたと。

 

私は思っていることがあります。

団体行動の基本中の基本は時間を守ること。

自分の都合よりも、みんなを優先すべきだということ。

このことに対し、言い訳はしてはならない。

 

もっとも正解に近い行動の判断は、まず時間に向かい、そこで指導者に

自分たちの状況を伝え、指示を仰ぐことと私は考えます。

団体行動ですから、ルールは守るべきもの。

私も大人になったいまなら、このことを理解し、おそらくそう判断できます。

 

ですが、私は嬉しかったのです。

仲間の探しものに付き合ってあげたことが。

仲間ひとりをその場において行かなかった息子の優しさが。

 

人としては、こちらが正解なのかもしれない、とも思うのです。

 

私だったら、仲間をおいて集合場所に向かったかもしれない。

息子は私とは違う。優しく育ってくれていると感じたのです。

やはり、彼にとって、サッカーを続けて得たことは仲間なのでしょう。

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さて、これからは、「世の渡り方」を覚えなくてはなりません。

優しさやいい人ばかりでいてもいけない。

世渡りしていくには、集団には集団の流れがあり、

個の意思を抑えてそれに乗ることも大切。

ケース・バイ・ケース。つまり、今度は探しものをしたい仲間を説得して、

ともに集合場所に向かう行動がとれるようにならなくてはいけません。

 

 

自由時間、入ってはいけない敷地にネットを超えて侵入し注意を受けていました。

これも、仲間が蹴り誤って入れてしまったボールを取りに行ってあげたのです。

 

同じ年頃の自分を振り返ると、私は理由なく遊び心でルールを破るような子でした。

たくさん人に迷惑をかけ、たくさん人に謝りながら体だけ大きくなったような人間です。

 

指導者の方が言っていました。

ふざけて遊んでいるメンバーのなかには、必ず息子がいると。

やはり、迷惑をかけているのかなと思いながら、どこか微笑ましい。

私と違って、彼には優しさを感じるから。

 

体が大きくなっただけじゃなく、仲間思いに成長してくれたのは、

きっと、チームの仲間が親しくしてくれたおかげなのだろうと思います。

低学年の頃のサッカー嫌々時期を超え、なんとかいまに至るのは、

チームが息子を仲間として受け入れてくれたからだと思います。

 

 

願わくば、この先に中学校へと進む過程で、自分に対しても、仲間のなかでも、

厳しさや忍耐、そして礼節も必要であることを知ってほしい。

小学校残りのチーム生活、大切な仲間ととも何事も全力でぶつかり、

たくさんの思い出を残してほしいと思います。

                           合掌

 

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追記

よろしければご笑覧下さい。

 

5年時のサッカー日記(2023)

リスペクト~褒める~ - 真言宗智山派青龍山真福寺 (okaya-shinpukuji.jp)

 

3年時のサッカー日記(2021)

リスペクト - 真言宗智山派青龍山真福寺 (okaya-shinpukuji.jp)

心のゆとり

先月、ある福祉施設にて講話の機会をいただきました。

内容は、感謝についてふれてほしいとのことでした。

 

冒頭、感謝って難しくないですか、という問いかけから始まりました。

なぜ難しいと思うのかというと、

感謝という言葉の意味するところは誰もが理解していると思うのですが、

「感謝する」とは何かと考えてみると、分からないでいる自分がいたからです。

 

寺の仕事に就くと、よく感謝という言葉にふれる。なんら不自然に感じたこともない。

しかし、正直に言うと、私は、感謝しなさいとか、感謝しようと言われると、

それが必要であることを重々承知のうえでも、自分が悩み苦しみある時に

素直にできることではないよなぁ、と考えている人間です。

感謝とは、自然と自分の内側から湧き出るものであってほしいと。

 

 

このたび、感謝とは行為というより「心の習慣」というお話をさせていただきました。 

 

感謝の心は、人の幸福感と結びついています。

ただし、幸せは、成るのではなく「有る」ものであって、

気づくもの、見つけるものと私は考えます。

つまり、心の在り方って、とても大切なのですね。

 

心は、いつか言葉になり、

言葉はいつか行動になり、

行動はいつか習慣となり、

その習慣はやがてその人の人格となり、

運命、人生となる。

 

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10月はじめの今年の彼岸花

 

以前、こんなお話を聞いたことがあります。

朝、起きた時に、

今日もちゃんと目覚めることができた。今日も自分が生きることに感謝だ、と。

素直でない私は、こう反応してしまう。

今日苦しみを抱えている人たちにとって、その幕開けに感謝などできるものか、と。

 

このことを仏教に照らして考えてみたことがありました。

諸行は無常なり。

ものごとは常に移り変わり、形あるものはいつか失われてゆく。

「今日という日、いまという時の流れは二度と戻ることはない。」

そう考えてみたら、心の受け止め方が違ったのです。

 

 

ある成功者が感謝日記というものを付けるようになったそうです。

毎日、就寝前にその日ありがたかったこと、嬉しかったことを一行でも綴っていく。

はじめは成功体験やいただいたご恩へのお礼だったり、家族や自分を中心としたことが

続いたそうだが、次第に「心のアンテナ」は高く立ち上がってゆく。

職場に交わされる気持ちのよい挨拶、周囲の人の笑顔、立ち寄った店の店員の気配り。

さらには、出かける時に雨が止んだこと、出かけ先で見かけた花々、毎日あたりまえに

時間にピタリとホームに停まる列車にまで。

いままで特別記憶に留めなかったことまで心に残るようになる。

 

やがて、そのアンテナは自分のマイナス面も「有難いこととして」キャッチしていく。

苦手としていた方からのきつい指摘。自身の些細なミス。

つまり、以前の価値観で、良い、悪いを区別することがなくなったそうです。

 

何冊にもなった「感謝日記」は、その人の心の栄養となります。

心はいつか言葉になる。

「ありがとう」の言葉の力は、人を磨き、励まし、守ると気づき、欠かせぬものとなり、

日々の生き方が変わっていったのです。

 

 

蓮の「種」は、そのまま土に埋めても水に沈めても芽が出るものではありません。

種に「傷」をつけて、水に沈めて発芽するのです。

傷をつけたことで「目覚め」が生じる。

やがてそのことを傷とは呼ばなくなるでしょう。

 

それを人に重ね、同じことが言える気がしている。

過去の傷、悩み苦しみや失敗が己を育ててくれたことがある。

振り返ってみて、そう思う。

傷を受けた時から、おそらくそれを癒す、目に見えないご縁や力が働いてくれ、

そうやっていまに至るのかなとも。

諸行無常、傷は傷のままではない。いまは、いつか過去のものとなる。

 

遥か昔にお釈迦さまは、この世は美しいと仰られたそうです。

それは、生きていることが素晴らしい、ともとれるお言葉ではないですか。

 

 

今日を生きるということ自体が感謝ではないでしょうか。

二度と戻ることのない今日を生きることはとても尊いことであり、

また、等しく戻らない時のなかにいる周囲の人たちにも、今日を生きてもらうこと。

そんな今日を、人が争っていてはいけませんね。

 

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境内に香る金木犀

 

最後に感謝という言葉の意味についてふれました。

それは、ありがとう、そしてごめんなさいも含まれるものであると。

姿かたちでいうと、私には合掌の姿が思い浮かびます。

 

心は言葉となり、行動となり、習慣となる。

 

二度と戻らない一日の「心の習慣」は、豊かな人生に欠かせぬものでしょう。

心のアンテナ、今日はなにをどうキャッチしていますか。                       

一言でいうと、感謝とは、心のゆとりだと思います。

                        合掌

2024年10月の「言葉の力」

変わることは変えられない

一刻一刻変わり続けている
形あるものは失われてゆく
戻ることのない今を生きる

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今月の「言葉の力」

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言葉の力一覧

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法事・年忌法要早見表

亡くなった年 本年回忌
令和5年 2023年 一周忌
令和4年 2022年 三回忌
平成30年 2018年 七回忌
平成24年 2012年 十三回忌
平成20年 2008年 十七回忌
平成14年 2002年 二十三回忌
平成10年 1998年 二十七回忌
平成4年 1992年 三十三回忌

真福寺の法事について

厄年早見表

大厄(男性)

  • 24
    平成13年生
    (前厄)
  • 25
    平成12年生
    (本厄)
  • 26
    平成11年生
    (後厄)
  • 41
    昭和59年生
    (前厄)
  • 42
    昭和58年生
    (本厄)
  • 43
    昭和57年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

大厄(女性)

  • 18
    平成19年生
    (前厄)
  • 19
    平成18年生
    (本厄)
  • 20
    平成17年生
    (後厄)
  • 32
    平成 5年生
    (前厄)
  • 33
    平成 4年生
    (本厄)
  • 34
    平成 3年生
    (後厄)
  • 36
    平成元年生
    (前厄)
  • 37
    昭和63年生
    (本厄)
  • 38
    昭和62年生
    (後厄)
  • 60
    昭和40年生
    (前厄)
  • 61
    昭和39年生
    (本厄)
  • 62
    昭和38年生
    (後厄)

真福寺の厄除けについて

厄年は「数え年」を基準としています。

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