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本山の昼寝

総本山智積院に奉職の頃、先生方に古くから本山に伝わる金言を教わりました。

 

「本山の昼寝」

 

智積院では寝ているだけでも勉強になるということの例えだそうです。

 

その理由はいくつもあるのでしょう。

日常に法を見聞きでき、唯一の大法にも触れられる。

身近に常に先生方が居られ、教えを請うことができる。

各地からいろんな人がつどうので、多くご縁に恵まれる。

などでしょうか。

 

 

このたび、長女と長男が、京都本山で開催された、真言宗智山派寺院の

子弟がつどう、「寺院子弟講習会」に初めて参加しました。

 

きっと、こどもにもこの金言は通じるはずだと。

 

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二泊三日の講習会でご本山にお世話になりました。

 

全国からつどうお寺の子たちと出会い、先生方からお経、作法、文化などを学びました。

 

起床から就寝まで規律正しい団体生活、二人は大丈夫だったのだろうか。

多少心配しておりましたが、迎えにいった最終日、その心配は喜びに変わりました。

 

閉講式のあと、こども同士がまた来年ね、と声を掛け合っているんです。

新しい仲間にめぐり会えて、とにかく楽しかったようです。

 

なにより、明らかな変化を感じたのは、

こどもが数珠やお経の読み方、私の着る法衣にも興味を持ち始めていたこと。

息子とは、毎週日曜日に一緒にお経を唱える時間をもつようにしているのですが、

突然、自分が経頭役をやりたいと言ってきたこと。

 

そして、もっとも感心したことは、過ごしてきた本山の生活を誇らしげに

話していたことです。親として、これが一番嬉しく思いました。

 

 

お寺のこどもは、いつしか、自分は他の家庭とは生活環境が違うんだと、

多少なりとも思い始めてしまうことがあります。

気持ちを共感しあえる友達もいないので、心のどこかに差別が生じてしまうのです。

 

今回の本山生活で、自分たちにはこんなにたくさんの仲間がいると知れたことが、

自己肯定に大きく影響したのだと思います。

思いを分かり合える仲間が出来た喜びは格別だったのかもしれません。

 

学生時の私はこの講習会に参加したことがないのですが、

本山での僧堂生活を送った経験から、そのこどもの気持ちを想像することができます。

 

このたび、多くのこどもに寄り添い、丁寧にご指導くださった先生方には

心より感謝申し上げます。

 

 

さて、この講習会の参加資格は小学4年生から中学3年生。

長女はあと2回、長男は3回参加できます。

もし、来年も参加を選択するのであれば、次は積極的に視野を広め、

仲間と切磋琢磨し、よいコミュニケーションを図ってきてほしいと期待します。

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こどもは親の知らない道で、悩み、考え、出会い、成長しています。

こどもには旅をさせよ、という言葉には納得させられますし、

本山の昼寝という金言にも、きっとそうなんだと思っています。

                              合掌

ほとけさまのこえ

梅雨時期から境内の草の伸びは一段と増し、毎日の作務でも

草取りが追いつきません。

お寺の裏側、人目につかない所などは後手後手に。

 

皆さんが立ち寄られる場所は、大きくなる前には取ってしまうことを心がけています。

 

しかし、一度綺麗にしても、この時期はまたすぐに伸びます。

抜かれても抜かれても、踏まれても踏まれても。

平成時代の野球選手に、その不屈の精神力と体躯の強さから、

その人を表す雑草魂という言葉がありましたね。

 

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お寺での日々には、よい気づきや学びがあります。

広い境内の草取りを日課とする生活を続けていて、とめどなく生えてくる草を、

強い意志を持つ者に重ねて見ることはありません。

 

私にとって、それは紛れもなく「煩悩」です。

 

取っても取っても、均しても均しても、けして無くなることはない。

いくらでも生えてくる草、これはまさに煩悩をもつ私の内側の姿ですね。

 

煩悩が無くならないとわかっていても、これを放っておいてはいけない。

だから、よくよく向き合いながら、摘み取っていく作業が人には必要なのです。

やがて庭が綺麗になれば心は晴れる。

煩悩即菩提、という言葉にもなるほどなと思います。

その繰り返しです。ここに人生の縮図があると気づかされます。

 

 

境内の草取りに学んでいると、あちこちから蓮の開花の知らせが届きます。

お寺から「はすの輪」を広げてくれた皆様方からの嬉しいメッセージです。

送って下さる写真を見て、私も嬉しくなります。

皆さんの育てている蓮は葉も色濃く立派に成長し、美しい花を咲かせています。

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迷い苦しみ、煩悩のなかに在りながら、それに染まることなく水面から姿を現し、

それらを大切な栄養として浄化させて花開く。

蓮の花は、仏教の花。悟りの象徴ですね。

 

 

雑草に学び、

高貴な蓮に学び、

人に学び、山に学び、見上げた空にも学ぶ。

神や仏を様々に感じとることができます。

 

 

ほとけさまの声が聞こえない。

それはきっと、その姿かたちを想像しているからです。

例えば、仏像のお姿であるとか。

 

神仏は、かたちのないものではないでしょうか。

鬼も然り。

かたちないものが、様々なかたちや事象となって私たちの前に現れる。

そしてかたちあるものたちが、かたちないものに還っていく。

それは、計り知れず大きなエネルギーであり、またとても微細な存在でもある。

 

私たちは人智及ばないことのなかに今日も生活を営んでいます。

ただ、確かなことは、「五大に響き」あり。

仏の説法はありとあらゆるところに遍満しています。

 

蓮の知らせを届けて下さる皆さま、ありがとうございます。

                           合掌

 

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真福寺境内の蓮(7/18 艶陽天と白蓮)

利他の精神

6月、まだ朝の早い時間に寺平周辺の様子を見ると、かなり草が伸びていたため、

そろそろ綺麗にしなくてはと思ったその日は、普段と違い周辺に変に気配があり、

それは野生動物によるものと感じて警戒心を高めました。

 

翌日、小熊が発見されたと放送が流れ、そこからそう遠くはない場所と知りました。

あくまで偶然なのですが、この辺りは無防備に近づいてはいけないと感じたことは

事実でありまして、しばらく寺平へのおまいりは遠慮していました。

 

ただ、周辺の草が伸び荒れてしまうことは気がかりでおりました。

 

 

7月上旬、梅雨はまだ明けず連日30度を超える暑さが続きます。

檀徒のおひとりが寺平の草刈りを一緒にして下さることになったのです。

このご厚意に甘えさせていただき、久しぶりに寺平に入りました。

 

当初、登り口周辺の作業のみと考えていたのですが、山道も刈ろうと言って下さり、

祖師覚鑁上人像までの道をすべて整備して下さいました。

足場も悪く、なかなかの重労働であったと思いますが、快くかつ軽快に作業をすすめる

お姿に驚かされてしまいました。

 

休憩をとりながらお話を聞かせてもらうと、お年は70半ばですが、

体力はいまも十分あるとおっしゃいます。

とにかく健康、丈夫な体であることが有難いと感じているそうです。

食事は三食しっかりと摂る、早寝早起きを心がけ、十分な睡眠も摂る。

時間を作っては、自らすすんでいくつもの場所に足を運んでは作業し、

安全や景観の維持に取り組んで下さっている。

早起きして仕事をするので、食事もしっかり摂れるそうです。

 

そのあとに続いたお言葉に、私は胸を打たれました。

 

「大切にしていることは一日一善」

 

一日一善。

昔、学校でもどこでもよく聞かされた言葉です。

ですが、最近は聞かなくなったし、口にする人もいなくなったように思います。

これも時代の変化なのでしょうか。

 

お檀家様がごく自然と口にされた言葉には、説得力はもちろんですが、

その言葉の力強さというよりは、そこに厚い「人情」を感じました。

そして、私が胸打たれたのは、おそらくそのスピリッツ。

 

利他の精神。

 

 

丈夫な体に生んでもらえたから、人のためにもお手伝いしたい。

それに作業した足跡を振り返ってみれば、気持ちいいじゃないか、と

笑顔で話される。

徳の高い方だと感じます。

 

寺平の空の下、大変清々しい気持ちになりました。

 

 

昔々、お釈迦さまはこうおっしゃられたそうです。

 

「善を成すのを急ぎなさい。善を成すのにのろのろしていたら、

心は悪を楽しむようになります。」

 

人は善よりも、意識した悪意に加えて「無意識の悪行」をいくつも重ねています。

だから、日々お経のお勤めは「懴悔の文」から始まります。

 

逆に、無意識の善は難しい。

やはり、善は意識しないと成せるものではないと思うし、

身についていかないとも思います。

 

私なんか、善がすぐに身から離れてしまう。

 

 

しかしながら、善行を喜ぶ心は、まことに自然なこと。

それは人の深いところには仏性があるからだと考えています。

 

お檀家様のように、心身が両輪の如くしてお健やかであることは、

大事とわかっていても、なかなか得難いのです。

 

なぜか。これも昔にはよく聞いた言葉だ。

 

「修行が足りん!」

 

そんな私が、聖地寺平が綺麗になりひと安心。

あらためておまいりをさせてもらおうと思います。

鈴に代えて、錫杖の音を山に響かせながら。

                   合掌

2024年7月の「言葉の力」

向日葵~わかちあう~

争うことをしない
ならんで東の空を向く
夏のひまわりのように

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今月の「言葉の力」

向日葵~わかちあう~

争うことをしない
ならんで東の空を向く
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言葉の力一覧

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癒しのおてらヨガ

法事・年忌法要早見表

亡くなった年 本年回忌
令和6年 2024年 一周忌
令和5年 2023年 三回忌
令和元年 2019年 七回忌
平成25年 2013年 十三回忌
平成21年 2009年 十七回忌
平成15年 2003年 二十三回忌
平成11年 1999年 二十七回忌
平成5年 1993年 三十三回忌

真福寺の法事について

厄年早見表

大厄(男性)

  • 24
    平成14年生
    (前厄)
  • 25
    平成13年生
    (本厄)
  • 26
    平成12年生
    (後厄)
  • 41
    昭和60年生
    (前厄)
  • 42
    昭和59年生
    (本厄)
  • 43
    昭和58年生
    (後厄)
  • 60
    昭和41年生
    (前厄)
  • 61
    昭和40年生
    (本厄)
  • 62
    昭和39年生
    (後厄)

大厄(女性)

  • 18
    平成20年生
    (前厄)
  • 19
    平成19年生
    (本厄)
  • 20
    平成18年生
    (後厄)
  • 32
    平成 6年生
    (前厄)
  • 33
    平成 5年生
    (本厄)
  • 34
    平成 4年生
    (後厄)
  • 36
    平成 2年生
    (前厄)
  • 37
    平成元年生
    (本厄)
  • 38
    昭和63年生
    (後厄)
  • 60
    昭和41年生
    (前厄)
  • 61
    昭和40年生
    (本厄)
  • 62
    昭和39年生
    (後厄)

真福寺の厄除けについて

厄年は「数え年」を基準としています。

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