鬼について
節分-鬼について-
季節の節目とされる節分。細かくは立春、立夏、立秋、立冬の前日であります。その中で春の始まりである立春が、昔は新たな一年の始まりとして位置付けられていたことから、2月の節分はとりわけ重要視されてきました。
遠い昔から、季節の節目には厄難、邪気、鬼がやってくると伝えられてきており、厄祓い、邪気祓い、鬼祓いをしてきました。
「鬼は外!」
豆まきは、病気や厄難を鬼の仕業とも考えていた人たちが、新しい年を迎える前に鬼退治をして、迷いなく安心の中でスタートを切ろうとしたおまじない、大げさに言えば一作法でもあったわけです。
さて、真福寺の寺宝には「鬼のミイラ」があることをご存知でしょうか。ホームページ内―真福寺の寺宝―でも紹介されていますが、私自身はこのお寺に生まれてから拝見したことが一度しかありません。再び拝見することができる日も不明であります。
だいぶ前のことですが、週刊誌に寺宝鬼のミイラが特集記事として掲載されたことがありました。古い週刊誌ですがお寺に保管されておりましたので、記事内容を紹介します。
寺宝展に現れた「鬼のミイラ」が主張する存在証明
ガラスのケースに納まった奇っ怪なミイラを前に、子供たちは、
「ウワァ、怪獣のミイラだ!」
老人たちは、手を合わせて、
「有難や、有難や」
実はこのミイラ、ホンモノの鬼のなれの果てなのだという。鬼が死んだらミイラになるのかどうか、の詮索はさておき、体長約40センチ、三本の爪の指、大きな口をカッと開いて鋭い歯をのぞかせ、後頭部には二本の角と、なかなかの迫力だ。
長野県岡谷市の真言宗・真福寺の寺宝展で一般公開された秘蔵のミイラである。同寺に、明治時代に檀家から寄贈されたものだというが、それ以前の伝来は全く不明。
戦前から昭和23年ごろまでは、檀家の人たちに貸し出し、ツツジの名所、岡谷市鶴峰公園で見せ物になったこともある。が、その後、先代住職が、「これも仏様の一種、見せ物にするのは忍びない」と、公開することを禁じ、今回の一般公開は30年ぶりだという。
今年が弘法大師入滅1150年に当たることから、その記念行事の一つとして寺宝展が開かれたわけだが、同寺の小林照文住職は、
「やはり仏の一つと考えておりますので、今後も見せ物のように公開するつもりはありません。まあ、私が死ぬまでに、一回ぐらいは公開する機会があるかも知れませんが。」
という。
三日間で寺宝展にやって来た人は約250人。滅多にない目の保養をしたことになるが、さて、信仰心薄き俗人が気になるのは、やはりその正体。猿? 犬? あるいは雪男? 現実的な想像やら空想やらが、こもごもわいてきて、何が何だかわからない。
恐る恐る小林住職におうかがいを立てると、
「参拝して心の中に棲む鬼を捨て去っていただく、と解釈しております。この際、正体など問題ではありません。」
とピシャリ。
それにしても見れば見るほど…。やはりホンモノの鬼かな?それと気になるのはミイラの股間。鬼も哺乳動物なのかしら。
昭和59年6月21日 株式会社サンケイ出版発行『週刊サンケイ』 掲載記事全文
住職の言うことを要約すると、
「誰もが鬼となり仏となる。心変われば人変わる。」ということでしょうか。
人の心に潜む鬼はもっとも怖い。怖いが、しかし鬼も闇を除けば仏となる。
合掌