5月日曜仏教会のご案内
春季密厳講~春の寺平を歩く~
真福寺発祥の地、寺平。
ここに祀られる、祖師興教大師覚鑁上人をおまいりします。
5月11日(日)14時
14時 川岸「東雲閣」を出発
14時45分 興教大師像参拝
15時30分頃 東雲閣で解散
緑の濃くなる清々しい季節を迎えます。
気持ちを解放して山歩きを楽しむおまいりです。
参加希望の方はお申し込みください。(参加無料)
070-4195-8939
お寺からの送迎も希望お受けします。
実ちて帰る
もう20年近く前のことです。
本山に奉職しているころ、当時ご指導くださった先生から言われました。
「君たちの行はつまらない。『全力』という言葉を辞書で引いたことがあるか。」
私には忘れることのできない言葉となりました。
岡谷に帰ってきて12年。
慣れというものは、良い面と悪い面を併せ持っています。
余計な緊張を解き、余裕をもたらし視野を広めてくれることの反面、
事にあたって気持ちが欠けてしまう事実があるように感じています。
いまの自分に一生懸命という実感はあるのか。
このたび、花まつりコラボコンサートを開催しました。
真言声明、高野山真言宗の僧侶「六大」と真言宗智山派の僧侶「谷響」による共演。
そして御諏訪太鼓の伝承者、山本麻琴さんとの三者共演でした。
山本さんとの共演はこれが初めてではなく、過去に何度かご一緒させて
いただきましたが、そのなかでもった印象があります。
「山本さんは本番まで本当の姿を見せない」
本番になってギアが何段階も上がるのです。
私にとって、山本さんの魅力はここにありました。
練習のなかである程度共演のかたちが見え多少安心をしていても、
本番ギリギリまで「怖さと期待」が同居しているのです。
敵わないだろうという怖さと、山本さんの技術はもとより、その精神性、発せられる
「氣」のようなものに自分たちの精神、表現力が高められるという期待。
真福寺で行ってきたいくつかのコラボコンサート。
共演で求めているのは、混ざるのではなく互いの素材を生かし高めあうことです。
共演者にはいつもそれをお伝えしていました。
今回演奏された鼓曲「阿修羅」。
すぐ傍で見たその姿。山本さんのいままで見たことのない表情を見た気がしました。
来場者のなかには、山本さんに何か降りてきたようだった、とおっしゃる方も。
そして、阿修羅に「妙法蓮華経如来寿量品」を重ねた我々も間違いなくそれに
高められ、日常に忘れていたであろう「全力」を引き出してもらえたのです。
本山の時は、根来の地で全力を認めてもらえずに何度も大日経というお経を
唱え続けました。自分が全力と思っていたものはそうではないと気付かされ、
とにかく必死で唱えた先に、多くの僧侶が涙しました。
今回は涙が出るということはありませんでしたが、山本麻琴さんと互いを高め合い、
恒久平和を祈り、少しですが徳を積んだような気持ちになれました。
虚しく往きて実ちて帰る。清々しい気持ちが蘇り、感謝でいっぱいです。
共演いただいた皆様、素晴らしい体験をありがとうございました。
六大さん、さらに面白いことを想像していますよ。またいつか。
合掌
阿修羅×如来寿量品
お檀家様が撮影編集してくださった、山本さんのお姿を間近に見れる貴重な映像です。
ぜひご覧ください。
私のなかの六道
朝、川岸の高尾霊園をおまいりした際、まさにいま登ってくる日が
六地蔵を照らし、地蔵尊のお顔が温かみを帯びていました。
抜苦与楽。六道にいる者の苦しみを除いてくださるお地蔵様たち。
そのお優しいご尊顔を拝した瞬間でした。
今年は戦後から80年目を数える年。
戦争の苦しみ、悲しみ、叫びを身をもって体験した方の多くはすでに鬼籍に
入っておられ、いまなお自らの声で語り継がれる方は希少です。
「戦後」という言葉の重みを理解できていない私がここに生きています。
言葉の意味を考えることなく日を送っているのですから、先立たれた人たちが
生きたかったはずの平和のなかにいるのでしょう。
さて、私たちが無始より生き死にを繰り返し行き着いているとされる六道。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の「六道」はどこにあるのでしょう。
私が生まれる前のことも死んだ後のことも、いまは「知ることのできない」領域です。
しかしそれは、遥か遠く別世界のことのみを示しているものでしょうか。
実は私たちにごく近いところに存在しているのではないですか。
戦争を体験された方の目に焼き付き、語られた世界とはまさにこのことだと思うのです。
六道は、私たちの内側にこそ存在し、その実世界は私たち自身が創り出している。
世の平和は外側に求めるばかりではなく、一人ひとりがその「種」であり、
芽を出すに至る「縁」でもあるという自覚が大切なのでしょう。
4月8日はお釈迦さまがご生誕になられた日です。
お釈迦さまは命の尊さを生涯説き続けました。
「人身受け難し」という、人として生まれたことの尊さを表す言葉がございます。
なぜ尊いのか。ほとけの声を聞ける命であり、ほとけに成れる命でもあるからです。
「平和な世は人が築く、と同時に、それを破壊するのもまた人である」ことを
憂いておられたからこそ、出会う人には苦しみを抜き、よく生きる力を与え、
抜苦与楽布教の旅のなかで、命の尊さを説き続けて下さったのですね。
今月20日(日)にお釈迦さまを讃える花まつりコンサートを開催します。
高野山真言宗と真言宗智山派の青年僧による仏教音楽声明と、
御諏訪太鼓伝承者である山本麻琴氏による共演です。
日頃、仕事上で山本氏とご一緒することはもちろんございませんが、
仏教界においても同じ真言宗でも、高野山と智山ではともに勤める機会は
ほとんどないのです。なので、とても稀有な機会と捉えて下さると嬉しいです。
高野山真言宗有志の声明グループ六大(ろくだい)。
同じく真言宗智山派から谷響(こっきょう)。
山本麻琴さんとともに三度目の三者共演となりますが、コンサートプログラムを組み、
大体的に皆さんをお迎えするのは、今回が初めてのこととなります。
「六大の響き~恒久平和の祈り~」
私たちの残せるメッセージを、無二の表現をもって精一杯に演出します。
どうぞお誘いあわせてご来場いただき、お釈迦さまには甘茶をかけて
家族の健康を祈りつつ穏やかにおまいりなさって下さい。
開場17時、開演17時30分。
入場は投げ銭でお気持ちをお願い申し上げます。
19時終了後はライトアップされた夜桜をお楽しみ下さい。
この会場に集まった人がともに情熱と感動を共感し心潤わせ、
平和の芽が出るご縁のひとときにしたいと考えています。
では、当山の本堂でお会いしましょう。
合掌
2025年4月の「言葉の力」
泣けない世の中になった
顔で笑い心は泣いている
涙は人間の持つ宝なのに