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徳のある人

印象的な出来事があったので、ここに記しておきたいと思います。

 

寝ている間の「夢」というのは、実に様々なものを見ます。

翌朝記憶にすら残らないものもあれば、あまりに印象深く記憶するものもあります。

 

私のお世話になった方が亡くなられた。

その突然の訃報が届いた夢を見ました。

まさか、という思いを巡らした夢のなか、この一報を伝えてくれたのが誰だったかは

はっきりとしないのですが、たしか女性の声だったかと。

 

そして、たぶんこの翌日のことなのだと思います。

携帯に着信があり、それを受けると、今日義母が亡くなったという訃報でした。

亡くなられたのは夢のなかと同じ方。

電話を下さった方は、亡くなられた方の長女の旦那様。

 

私の感覚では、一度記憶している訃報。

大変失礼ですが、亡くなられたのは今日ですか?と聞き返してしまいました。

 

前の日は買い物に出かけていたと聞きました。

お元気だったようですが、ご自宅でひとり急にお倒れになったのだそうです。

 

私はこの会話も前日の夢のなかで、どなたかと一度済ませているのです。

実に驚きました。というより少し困惑していたと思います。

 

虫の知らせがあるって、こういうことなのかな。

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長女さんが小学校の同級生ということもあってか、京都から岡谷に帰ってきてからも

お世話になった方でした。

最近も幾度とお会いしていたし、ご自宅を訪ねてはお話する機会もありました。

 

ご本人とお話するなかで、ここのところ調子を崩していたようで、

多少弱気になっていることは感じておりました。

お寺での会議に来られたあと、自宅までお送りしたのがお会いした最後でした。

 

 

 

近親者のみのご葬儀でしたが、弔問にはお若い方からお年を召した方まで

大変多くの方が見えていました。

この方は「書家」であります。この道の第一人者として多くの指導に携わり、

また書を通じて大変広いご縁を築かれていた方でした。

 

開式前、ご遺骨と遺影の近くで挨拶がしたいと本堂まで上がって来られる方も多く、 

そのお悲しみに声に出して泣いておいででした。

 

「こんなにいい方はいない。」

そう言っておられました。

 

きっと人を大切にした方なのでしょうね。

書の道においては思いやりのあるご指導をされた方なのでしょう。

そして、多くの人からも大切に思われていた方だったのですね。

 

 

ここからは先生と書かせていただきます。

実はおととし、一年間私と息子も先生から習字を習いました。

私は本山での修行時以外、習字を習ったことがなく先生を訪ねました。

 

「なんで私があんたに教えなきゃいけないのよう。ちゃんと書けているじゃない。」

 

「いえ、僕はごまかして書いていますので、基本から教えてください。」

 

こんなふうにして始まりました。

 

始まってみると、毎回私には厳しかったです。

しかし、息子には叱ることはせず、毎回なにかしらよいところを見つけて、

たとえ小さなことでも褒めてくれていたりしました。

 

「あんまり、こどものこと怒ったらいけんに。あのまんまでいいのよ。」

私が先生から言われた言葉です。

 

 

先生は、娘さんが小学校の頃、早くにご主人様に先立たれています。

一人で娘二人をお育てになり、一方で永きにわたって書道を極めていかれた方です。

当時大変な苦労がお有りだったのでしょう。

私と話すときは、どうしても昔のことが多かったからそう思います。

 

苦労があっても人にはできるだけ明るく接するって、すごく徳のあることです。

 

長女さんが言っていました。

「父が亡くなったあと、お母さんは毎日のように泣いていた。

どうしたのと聞くと、〇〇と〇〇がお母さんのお手伝いをしてくれる。

これがとても嬉しいから泣いてるの。」

 

「小学校のころの私たちに、お母さんは悲しいから泣いているとは言わなかった。

いつも嬉しいから泣いていると答えていたんだよ。」

 

 

私がしっかりしないと。

この子たちに余計な心配はかけない。

これが先生の根本、心の強さであり、同時に弱さでもあったのかな。

と私は思います。

 

 

習字をならっていたある日、私が塔婆に(勝手に)先立たれたご主人様の

戒名を筆で書いて、供養塔婆としてお渡ししたことがあります。

するとご主人様のことを振り返り話してくれました。

自分のしてきた苦労の思いを亡きご主人様にぶつけるような、

そんな気持ちが言葉に含まれていたことが印象に残ります。

 

先生、お疲れ様でした。

ご主人様には会えましたでしょうか。

きっと37年分の労いと感謝の言葉をたくさんかけてもらっているに違いない。

 

 

岡谷の豊島屋さんが醸す「豊香」「冥利」という日本酒があります。

このお酒のラベルの題字をお書きになったのは先生です。

諏訪を代表するとても美味しいお酒で、全国にこちらのファンが多いはず。

私が日本酒好きなので、それはわかるんですよ。

 

儀式のお斎食に私も呼んでいただき、ご家族の思い出を聞かせてくださいました。

妻にすぐ「豊香」を買ってくるよう頼み、この場でいつもより深くこのお酒を味わい、

そしてお孫さんにまでお酌することもできて、少し供養ができた気がしました。

最後にご自宅にお送りした日の車のなか、今年は一緒にお酒を飲みましょう、

と話したばかりだったので。

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通夜読経のあと、お世話になった息子を連れて棺にお花を供えに行った時、

お顔の表情が笑っていたのがとても嬉しく、忘れられない瞬間となりました。

 

私はよく先生に叱られました。いま先生が目の前にいたらこう言ってしまいそう。

「先生って、とても徳のある人なんだね。」って。(どういう意味!ってまた叱られる)

先生ありがとうございました。そしてごめんなさい。

                        合掌

6月日曜仏教会のご案内-終了しました

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八王子から福傳寺御住職の原祥壽さんがお越し下さいました。

実体験から発信された大切なメッセージが参加者の胸を打ちました。

 

いま、過去のあたりまえだったことを見直す時が来ている。

手間やムダをもう一度大切にしてみませんか。

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一夜明け、霊園の草刈りをしていると、参加された方がおまいりに来られました。

原祥壽さんのお話を聴き感動し、お墓に行こうと思い立ったそうです。

 

いきいきとしてお墓の草取りをしていました。

法話会がよきご縁を結び、大変有難く思います。

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第5回青葉法話の会~若者のメッセージ~

 

6月8日(日)午後2時~3時 本堂にて

参加申込不要・無料

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法話

「泥中のみほとけたち」

      副住職 小林照宏

 

「こころの帰る場所

~❝ムダと手間❞ってやたらに切っちまっていいもんじゃない~」

   八王子市 真言宗智山派福傳寺御住職 

   全国智山青年連合会会長

              原 祥壽氏

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どなたもお越しいただけますので、お誘い合わせてお越しください。

若者の言葉にひととき関心をもっていただけると幸いです。

 

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鐘の音

真福寺の鐘楼の大きさは県内屈指と聞かされています。

この鐘を毎朝5時30分少し前から、ゆっくりと6つ突いています。

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まだ京都に住んでいる頃、たまにこちらに帰ると朝はわたしが鐘をつきました。

すると、その日に出会う方からこう言われるのです。

 

「今朝打ったのは若だろ。音でわかる。」

 

違いはいたってシンプル。

住職は「とにかく強く突け、遠くまで聞こえるように。」と言う。

わたしはそうはしなかった。ただゆっくりと突く。

 

早朝の鐘の音は、実は近所の人の耳にも届かない。

いや、届かないのではなく、入らない。

かと思えば、遠くの人が聞いていたりもするのです。

 

ごく日常の空気に溶けてしまう鐘の音は、意識しないと届かないのです。

 

 

では、この鐘は何のために突いているのでしょうか。

 

昔からあるのは、時刻を知らせる「役割」としての鐘。

また鐘の音には供養と祈りの「功徳」があるとされています。

いまの時代、時報としての価値は薄く、もっとも大切なのは役割としてではなく、

仏の「声」としてあるべき鐘の音。

 

仏の声というのは、諸行無常の声。

鐘の音は、やがて薄まり消えてゆく「無常」を示すものであるとともに、

それを聞いた人も、今日一日の始まりや終わりといった無常観を感じ取るわけです。

 

 

20年も前は、住職から口癖のように聞かされていました。

この鐘楼の大きさは県内一だと。

 

申し訳ないけれど、その言葉はわたしの胸には響かなかったのです。

なぜ、そのサイズが必要であったのか。

将来、維持管理の高いハードルを抱えていくだけではないか。

 

わたしは遠くまで響かせようと強く大きくは打たない。

まずは毎日もっとも近くで音を聞く自分が心地よいものでありたいから。

 

 

そして、この音を毎朝聞いている人が必ずいます。

たまに聞こえてきたと気付く人もいることでしょう。

 

寺の鐘本来の美しさは、「人の心に訴えかけるもの」であるということです。

毎日鐘の音を聞く人たちも、いつも同じ心をしてこれを聞けるわけではありません。

それは鐘を突くわたし自身もそうであるのだから。

やはり、無常なのです。

 

 

この鐘の音を聞いた人の心に響くものがなんであるか。

いつもじゃなくてもいい。すべての人じゃなくてもいい。

いつか誰かが聞いた鐘の音が、その人の心のなかで響き、抜苦与楽の力となれば有難い。

 

今日も観音経を唱えながら諸行無常の鐘を鳴らします。

                            合掌

 

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真福寺の鐘は日中どなたも突けます。願いを込めて音を響かせて下さい。

2025年5月の「言葉の力」

花を見るのが人の眼 根を見るのが仏の根

見えるところばかりに
囚われてしまうわたし
大事なところは姿が見えない

月別一覧

今月の「言葉の力」

花を見るのが人の眼 根を見るのが仏の根

見えるところばかりに
囚われてしまうわたし
大事なところは姿が見えない

言葉の力一覧

聖観音縁日護摩修行
ととのう写経体験
癒しのおてらヨガ

法事・年忌法要早見表

亡くなった年 本年回忌
令和6年 2024年 一周忌
令和5年 2023年 三回忌
令和元年 2019年 七回忌
平成25年 2013年 十三回忌
平成21年 2009年 十七回忌
平成15年 2003年 二十三回忌
平成11年 1999年 二十七回忌
平成5年 1993年 三十三回忌

真福寺の法事について

厄年早見表

大厄(男性)

  • 24
    平成14年生
    (前厄)
  • 25
    平成13年生
    (本厄)
  • 26
    平成12年生
    (後厄)
  • 41
    昭和60年生
    (前厄)
  • 42
    昭和59年生
    (本厄)
  • 43
    昭和58年生
    (後厄)
  • 60
    昭和41年生
    (前厄)
  • 61
    昭和40年生
    (本厄)
  • 62
    昭和39年生
    (後厄)

大厄(女性)

  • 18
    平成20年生
    (前厄)
  • 19
    平成19年生
    (本厄)
  • 20
    平成18年生
    (後厄)
  • 32
    平成 6年生
    (前厄)
  • 33
    平成 5年生
    (本厄)
  • 34
    平成 4年生
    (後厄)
  • 36
    平成 2年生
    (前厄)
  • 37
    平成元年生
    (本厄)
  • 38
    昭和63年生
    (後厄)
  • 60
    昭和41年生
    (前厄)
  • 61
    昭和40年生
    (本厄)
  • 62
    昭和39年生
    (後厄)

真福寺の厄除けについて

厄年は「数え年」を基準としています。

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