お釈迦さまの灯り
2月15日はお釈迦さまのご命日であります。
入滅後2,500年という長い時が過ぎた私たちの日常では、お釈迦さまの過去の存在に実感が薄く空想的なものとなっているようにも思えます。しかし、確かに実在した人物の伝えたことが、今も消滅することなく仏教として根付いているのです。
お釈迦さまは何を伝えてくれたのか。
それは、「人はどのように生きるべきか」ではないでしょうか。
ある葬儀で、お孫さんが亡き祖父へお別れの言葉をこのように述べたことがありました。
「おじいちゃんは生きることは簡単ではないことを教えてくれた」と。
遥か昔、お釈迦さまは永久に生きづらい世であることを悟り、誤ることのない生き方、拠り所を示してくれたのだと思います。
ところが私たちが生活を営む現代社会は価値観が多様、情報過多で混鈍としております。人とのつながり、自分の存在価値さえも見誤り、心の傷が癒えにくい時代とも感じます。それはお釈迦さまの灯りが分厚い雲に覆われて広がりにくい環境と思えます。
お釈迦さまは膨大な時の中で人の営みの形が変われども、世の本質はけして変わらないことを確信し、弟子に「正しい心」で生きよと伝えました。
正しい心とは「慈悲」という不変の物差し。
それは癒しとなり、勇気となり、また道標にもなる、変わらずお釈迦さまの灯りが照らし続けていることを実感するための要です。
お釈迦さまが死期迫り最後に説いた教えが『遺教経』として大切に読誦されています。
その中の2つの言葉を紹介します。
『此の五根は心を其の主と為す。是の故に汝等当に好く心を制すべし。心の畏る可きこと、毒蛇・悪獣・怨賊よりも甚し。』
五根とは眼・耳・鼻・舌・身。
これらが働き感受する物事(結果)を良く保つには、心(原因)が健康でなくてはならない。
体が悪しき行い善き行いをするのではなく、人の働きは心がそうさせています。
乱れた心は恐ろしいものです。
自分の心を制することが大切です。
『蜂の花を採るに、但だ其の味を取って色香を損ぜざるが如し。』
ハチが花から蜜を集める時には、無心に蜜だけを採取して、その花の色や香りを損なうことがない。
私たち人間も多くを望みすぎて自他の善を損ない、自他を害してはなりません。
※総本山智積院では、2月14日お逮夜に堂内に釈迦涅槃図を掛け、僧侶総出仕にて遺教経を読み遺徳を偲びます。
誰しも欲望は前進の原動力。
それは生きるに欠かせないものですが、時には自分が足りていることに気付き、
おかげに甘えて心を休めましょう。
それが安心満足につながる薬です。(足るを知る)
合掌
真福寺涅槃図 (全体像-ホームページ内「真福寺の寺宝」)