弘法大師の言葉より
当山は真言宗のお寺であり、真言宗の開祖として仰ぐは弘法大師空海であります。
正しくは真言宗智山派という宗派に属しており、弘法大師入滅後に真言宗の新義教学の礎を築かれた真言宗中興の祖、興教大師覚鑁も仰いでおります。
この両祖大師のご生誕が6月であります。(15日:弘法大師 17日:興教大師)
京都本山智積院では毎年6月15日に両祖大師のご生誕を慶祝する大法要ならびに柴燈大護摩供が厳修されます。その他さまざまな催しが行われ多くの参詣者を迎えております。
それを総称して青葉まつりと呼んでいます。
さて、今月のHP内「言葉の力」には弘法大師の残されたお言葉を紹介しております。
重々帝網なるを即身と名づく
重々帝網(じゅうじゅうたいもう) 即身(そくしん)
これは、弘法大師のお書きになられた『即身成仏義』内の偈文の一節。
重々帝網とは、帝釈天の宮殿を飾る輝く網のことであり、網の結び目の一点一点は宝珠になっているそうです。そして、その宝珠は互いを照らし映し合い、全体が鏡映しており、これこそが私たちの世界の実の姿なのだというわけです。
網の結び目にいるのは、実は私たちであり、縁なくして存在するものは無く、縁を生じないまま消滅するものも無い。すべてが有形無形のつながりの内にある世界。可能性が回りまわって、その数多の思いや恵みに支えられているのでしょう。
“生かされている”って、誰もが一度は聞いたことのある表現ですよね。
結び目の宝珠は照らし映し合い、全体は鏡映する。
それが私たちであるならば、密教でいう曼荼羅世界で大日如来の法が響き合い一尊一尊が供養し合うように、慈しみの心でつながっていたい、できる限り傷つけ合いの連鎖は避けたいと感じるのです。
禅にも同じく解釈したくなるお言葉があります。
「一即一切一切即一」
合掌
弘法大師空海 (真福寺本堂)
興教大師覚鑁 (真福寺本堂)
智積院青葉まつりー両祖大師ご生誕慶祝法要 導師上堂の様子ー
智積院青葉まつりー柴燈大護摩供の様子ー