安楽行
新しい年のひと月が早くも過ぎ去りました。
1月最後の日、先輩からこんな話を聞きました。
1月は睦月(むつき)というが、睦まじき月という意味をもち、
正月に家族が仲睦まじく過ごす風景を表すそうです。
その名の意味、言葉の意味を知って、はっと心が動かされることが
人にはあります。
こんな捉え方もできます。
意識的に良き「言葉」を探し求める人は、「心探し」をしているのだと。
自分の「心をつくる」為に言葉を求めているということです。
今月のHP内、言葉の力は、
「心次第で物事の見え方は変わる」としました。
心の持ち方を大切にすることで、発する言葉や行いは変わります。
善くも悪くも心の通りに変わります。
保たれた心は、やがて自分が見る景色を変えていきます。
どうせなら、心を善く保ち、良い景色を見ていたいものです。
これを「意安楽行」といいます。
小さなこどもが自分の背ほど高く積み上げた積木が、激しい音をたてて
崩れ落ちたとします。
それによって親の手元のコーヒーがこぼれました。
親は当然、なにやってんだと苛立ち、同時にこどもは悔しがります。
しかし、次の風景は「心」を縁としてまったく別のものになります。
むっとした心からこどもに向けて放たれた親の言葉と、そこまで高く積み上げたことを
褒め称えた親の言葉は、その後のこどもにまったく別の風景を創造します。
後者を選択すれば、こどもは再チャレンジをし、さらなる発想を生み、
きっと自信にもつながります。
この例えはほんのわずかな部分であり、人が生きていくうえでのほとんどは、
おそらくこのようなことばかりだと思います。
仕事、遊び、対人、責任、家族、学校生活、部活動など、すべてにおいて。
人の幸福は心が機縁となるのです。
お釈迦さまは2,000年以上も前にこのことを知り、弟子に説きました。
日々の同じ景色も人の心によって彩りが異なることを。
合掌