遍路
今年はお四国札所の遍路が注目されているとの話題がありました。
うるう年に四国八十八ヶ所の結願札所寺院より1番札所寺院に向けて「逆打ち」を
していくとご利益がとてもあるのだとか。
しかも今年は60年に一度巡ってくる丙申の年。これはお遍路さんが逆打ちに挑み、
弘法大師に出会えたという話がある年だそうだ。
遍路と聞いて少し懐かしくなりました。
自身、12年ほど前に四国八十八ヶ所霊場を歩き遍路したことがあります。
人生最大の贅沢な体験だったと記憶しています。
それは今も変わりません。
朝から一日中歩いて、札所寺院ではお経をあげ御朱印をいただき、
境内に佇み、一ケ寺ごとにお参り記録のようなものを日記風に書き残して巡りました。
初めて四国霊場をお参りしたのは、京都の本山にて修行僧として過ごした冬の12月。
バスで八十八寺院に番外札所も含め、2週間で巡らせていただきました。
その際に車窓から見る、寺と寺とを結ぶ道中の景色が特別なものに思え、
車で走り過ぎてしまう四国の風景を、とても惜しく思えたのです。
車中で決意しました。
「次は歩いて巡ろう」
動機は浅いものであったと思います。
その1年3カ月後の暖かな春、桜の季節。
4月8日、お釈迦さまご生誕の日に、徳島の第1番札所より歩き遍路を始めました。
この日はお花まつり、境内に花御堂が設けられていたり、甘茶が振る舞われていました。
第88番の結願札所、香川県の大窪寺を目指し、一人で黙々と歩き、
結願を迎えた時には43日間が過ぎていました。
そこから山を下っていくと徳島県の10番札所にたどり着きます。
今度は一番札所までを逆に進み、出発の一番札所寺院にて御礼をしました。
四国を離れると、最後に弘法大師のおられるに高野山奥の院をお参りしました。
毎日毎日歩いていると、様々な人に出会いました。
様々な出来事がありました。
そして、気づきがありました。
私の歩き遍路は、動機こそ浅いものでしたが、
いざとなれば、現地での自然の美しさとの出会い、人との出会い、
また、地元の方から宿と食事の施しをいただいたり、山中では難所への挑戦、
一人歩む遍路道は、忍耐にもまして喜びと感動に溢れておりました。
心満たして日常に帰れたと思います。
二十代の若き頃に体験できた最高の贅沢と功徳であります。
また、いつか。
お大師さんのお言葉。
『虚しく往きて 実ちて帰る』
合掌