埋葬を学ぶ機会
通夜葬儀を勤め、あるいは回忌供養のご法事などを勤めていて思うこと。
葬送などの営みの在り方は昔と変化したことは周知の事実です。
昔の尺度はさておいて。
その営みそのものに人の手が加わり、画期的な演出、創造が
施されていることを知る昨今。
今後も供養のこころ、姿、カタチは変化していくのでしょうか。
創造の陰に失われていくものも多いのです。
直葬、墓終いという言葉をあたりまえのように聞くようになりました。
すべては、その時代における人々の「背景」があってのことだと思います。
どの時代の変化も、「背景」を紐解くことで、納得せざるを得ない
気づきがあるのかもしれません。
2月に長野南部真言宗智山派青年会の青年僧侶は、
山梨県の他宗派御寺院住職であられる考古学の先生を訪ね、
過去の埋葬のカタチから紐解かれた、先人の意思やこころを学びます。
遥か昔、人間の本能はどのようにして先祖への想いや供養の心を
カタチとして創造し、継承していったのでしょうか。
埋葬の歴史を学んでみようと思います。
合掌