先達
暖かい日が続き、辺りの雪解けがすすんでおります。
季節は雨水が過ぎたことを実感でき、春の気配を感じ始めます。
2月15日は、三仏忌のひとつ、お釈迦さまのご命日であり、
多くの仏教寺院で涅槃会、報恩謝徳の法要が営まれ、
ご法事でもお釈迦さまについて触れさせていただいております。
先日、お檀家様の年回忌法事の際のこと。
御家の90歳近いおじいさんが色々なお話を聴かせて下さいました。
その歳には見えず、よく話され、とてもお元気な方です。
このくらいお歳を召されている方とお話をすると、結構な頻度でこう仰います。
ご家族みんなの前で、私にこう言うのです。
『わしゃ、もういつ迎えに来てもらってもいい。そしたら頼むでな。』
いやいや失礼ですが、お体も達者、おしゃべりも達者です。
ご家族みなさまも笑っているではないですか。
この様子に、お幸せな方だなあと感じます。
これまでに多くの苦労があったことをお話して下さいました。
10数年前、就寝中に土砂災害に遭い、家が全壊したこと。
災害時、ベットで寝ていたことが功を奏し、命が助かったこと。
災害後は、十年以上奥様を介護し、ともに過ごしたこと。
他にもたくさん語られました。
若い頃より苦労するなかでも、大切にしてきた仕事のこと、仲間のこと。
おじいさんは若い時分の性分、尖っていたところがあったようですが、
多くの人と付き合い揉まれたおかげで、角が取れ丸くなれたと言います。
災害で家は全壊するも、早急に多くの仲間が集い、厚く支援して下さり、
生活の危機を救ってもらい、日常を取り戻したのだそうです。
多くの人とお付き合いしてみること、人生には仲間が大切であることを
経験をもって話して下さいました。
自分がどう生きてきたかは、窮地に立たされた時に試されるのでしょうね。
『わしゃ、もういつ迎えに来てもらってもいい。』
命は天寿です。
その名のとおり、授かりものです。
お釈迦さまは「人生不如意」を説き、命はどう尽きるかはわからないといいます。
おじいさんほどのお気持ちになれる方というのは、
「生きることの難しさ」や「命の尊さ」を感じざるを得ないほどの
苦労を十分に体験され、身心には深い感謝の念が刻まれており、
おそらく今の平穏に満ちているのだと思います。
こういう方を「先達」というのですね。
そして、多くの苦労を体験し、縁や命の尊さに気づき、感謝に溢れ、
すでに捉われはなく、他愛に溢れ、
動揺することもなく心穏やかであることを、
「涅槃」ともいうのでしょう。
次の機会におじいさんにお会いした際も、
また元気なお姿で、そしていろんなお話が聴かせてもらえると幸いです。
合掌