密厳浄土
梅雨入り宣言がありました。
いよいよ本格的な夏を迎えます。
夏場でも朝方の涼しさと澄み切った空気は信州の魅力。
早朝。
まだ人の一日の営みが始まっていない、辺りが静かな頃、
境内にいると、鳥たちの声、水の流れ、草木が揺れる音が聞こえてきます。
日常では、意識をしないと耳に届いてこない音。
動きを感じない時間にこそ、自然の生きものたちの営みが繰り返されていることを
知ることができます。
人間が傲慢であってはならないと戒めることのできる時間でもあります。
太陽が昇り、やがて沈むといった毎日の等しく与えられた時間のなかにある
多くの命たちの『共存・共生』。
弘法大師空海は、「五大に響きあり」と仰られました。
自然の命、営みには仏さまの法の息吹があるということ。
そして、「仏法遥かにあらず 心中にして即ち近し」と、
私たちのなかに仏性が在ることも説かれました。
私たちは仏さまの命のなかに生かされている。
仏法の響きのなかで生活している。
仏さまとは大日如来。
大日如来の浄土を『密厳浄土』と呼びます。
真言宗中興の祖、興教大師覚鑁は、
「惜しい哉、古賢難易を西土に諍うこと。 悦ばしい哉、今愚往生を当処に得ること。」
と、西方浄土への往生ではなく、この世に成仏することを強い意志で説かれております。
「一切如来は悉く是れ大日なり」
阿弥陀如来と大日如来は同体、極楽と密厳は名異にして一処と説き、
娑婆即ち浄土であるのだといいます。
遥か遠くに浄土を求めるのではなく、人の心中にある仏性を自覚し、
慈悲をもって生活することの意味がここに含まれるものと思っております。
人の喜び、痛みを考えること、思いやりの精神、
「共感」が人としての価値であること。
痛ましい事件、事故が絶えません。
この世に仏法の響きがあるからこそ、人が鬼になり、世は地獄にもなりうる。
この世に仏法の響きがあるからこそ、人は手を合わせ、
仏とともに生き、世は浄土にもなりうる。
「人身受け難し いま既に受く、 仏法聞き難し いま既に聞く」
6月15日は弘法大師お誕生の日。
6月17日は興教大師お誕生の日。
南無大師遍照金剛
南無興教大師
合掌