わけるのにふえるもの
こどもと病院に行った際に見つけた絵本。
待ち時間に絵本を手にするのは、いつものこと。
絵本に登場するママはパン作りが得意。
出来上がった美味しいパンを、こどものふうくんに、
「これを持って出かけて、みんなにわけておいで」
と、3つわたす。
ふうくんは、自分が食べたいのにわけたら減ってしまうと言う。
そんなふうくんにママは優しく問いかける。
『わけるのにふえるものなーんだ?』
あとでわかるよと、なぞなぞのように言葉をかけられて、
ふうくんはパンを持ち、ひとり出かけることになる。
絵本を読む自分のこどもにも考えさせる。
そして自分も一緒に考える。
さて、ふうくんはママの言うことをきいて、外で出会う友達にひとつずつわけていく。
やはり減っていくばかりじゃないか、と感じている様子。
残りは一個。
最後に出会ったのは大勢。
足りないと感じたふうくんは、家に招いてママの手作りパンをみんなで食べることに。
この日ふうくんに出会って、美味しいパンをわけてもらえたお友達、
みんな笑顔になって喜んだ。
ありがとう。
それから時が過ぎ、クリスマスがやってきた。
多くの友達がふうくんの家を訪れ、ふうくんにプレゼントを渡した。
さて、考えてみよう。わけるとふえるもの。
プレゼント?
では、ない。
この絵本では明確に答えは示されず、読み手の考えに託されます。
おそらく「喜び」でしょう。
もっと言うなら、『幸せ』であると考えます。
遥か昔、お釈迦さまは言いました。
「人は誰でも自分が一番愛おしい。」
ですから、ママの作った美味しいパンを自分が食べたいのは、あたりまえのこと。
ふうくんの最初の感情は間違ってはいません。
しかし、お釈迦さまはこうも言うのです。
「他の者も、同様に自分が一番愛おしいのだ。
だから、わが身に引き比べて他の人も思いやらねばならない。」
この言葉に照らしてみるならば、パンをわけることも大切になります。
悟りを得たお釈迦さまにとってのあたりまえとは、後の方なのです。
あたりまえの尺度が違う。
ほとけのものさし。
幸せを一人占めしようとすると、どこかで不満や争いが生じる。
喜びをみんなにわけると、幸せが巡り、広がる。
この世には「縁の力」が働いています。
周囲が幸せにならないと、自分の幸せは成就しないのではないでしょうか。
絵本で伝えようとするこの「あたりまえ」の価値は、
こどもに是非とも伝えたいことですが、
なにしろ、大人の自分がわかっていない。
わかっていないというより、きっとそのことは大切だと思ってはいるのだけど、
実践できていない、ということです。
実はこのあたりまえのことは、大人にも難しい、一生難しい。
きっと、多くのこども達が実践するのは難しいことでしょう。
人には「煩悩というあたりまえ」が存在するからです。
それでも、お釈迦さまの教えのとおり、幸せに生きるためのヒントは、
ここの捉え方にあるのです。
自分の利益ばかりを求めること、それは「欲」であり、いつかは心苦しくなります。
自分も努力し、喜びを分かち合える幸せを求めるならば、それは「志」と言えます。
煩悩の裏側には志があるのかな・・・。
ふとそう思い、こども達が親しむ身近な絵本から教わった気がしました。
合掌