お盆を終え
7月から、暑い暑い、格別に暑い、雨もまったく降らん、
今年はどうしたことだと言い続けた諏訪の夏。
お盆を終える頃にやっと雨が降り、その雨は秋の気配をもたらしました。
朝晩、急に肌寒さを感じるようになりました。
夏の風物詩とされる諏訪湖の花火大会、岡谷の灯篭流し。
雨模様ではありましたが、例年のごとく行われました。
家の前では先祖の送り火を焚く人の姿を見かけました。
お墓に行けば塔婆をもってお参りするご家族を見かけました。
お盆が過ぎ、ひと夏の終わりを迎えます。
この夏がご新盆であった方々と多くお会いしました。
ご新盆といっても、その様子はさまざまであります。
故人の生前のそれぞれ、
迎えた最期のそれぞれ、
葬送の在り方、
周囲の模様、
時間の経過のもたらす変化、
供養の心、気持ちのそれぞれ。
葬儀ひとつ、ご法事ひとつ、新盆の御霊の供養ひとつ、
どれもそれぞれであり、同じものはひとつとしてないと感じます。
命のカタチとは、喜びに始まり悲しみに終わる、そんなシンプルなものではないことは、
多くの人が感じていることでしょう。
縁を知り、日常には楽しみを求め、一方に苦しみや痛みがあり、
憎しみや怒りもあり、また心を動かされて流す涙があり、
そのような感情の数々に触れて命のカタチがはっきりしてくるのだと思います。
ご縁深き方は亡き人の命のカタチを知っているからこそ、供養の姿は様々になるのです。
何処からやってきた命なのか、生老病死の先にどこに行く命なのか。
これからどなたも体験することです。
この世に人として生を受けるは尊いこと。
命が結んだこの世の縁も尊いこと。
ご縁の方によるご供養はとても有り難く大切なことと感じております。
私たちの盂蘭盆の営みには、自分の知る人の御霊の他に、
会ったこともない供養のなされていない無縁の御霊にも
供養を差し向けよという教えがあります。
それが功徳として有縁無縁の御霊、さらにはこれからを生きる者にも広がるということ。
このことは、愛別離苦の悲しみを体験し知る人だからこそ成せると思うのです。
悲しみに時間が重なり、いつか慈悲の心をもたらしてくれる。
供養をするとはそういうものであると信じています。
8月18日(土)19時より、お寺の本堂では恒例の夕涼みコンサートが行われ、
懐かしの曲の数々を聴きながら癒しのひとときを過ごしました。
耳を澄ませば虫たちの鳴き声が聞こえ、辺りはこれから秋に移り変わります。
合掌