言葉の力~百聞は一見に如かず~
お釈迦さまがお生まれになり、やがて修行を重ねた後に仏法を広め、
その生涯の最期を迎えたインドの国。
仏教発祥、お釈迦さまの聖地を未だ見ていない僧侶は多くいます。
私もその一人。
お檀家さまには、ご法事や寺の行事などいただいた機会において、
お釈迦さまが伝えたことやその生涯について触れます。
寺子屋にこどもが集えば、お釈迦さまの教えを頼りとした徳育環境を志し、
今後に大切と思えることを伝えます。
『如是我聞~私はこのように聞きました~』と。
しかしながら、自身、お釈迦さまの居られたインドの地を訪れたことがありません。
仏弟子ですから、その聖地を旅して信仰の時をこの目で観て、
実際にその国の風光に触れて感じ得たことのひとつやふたつがあってもいい。
すべては周りの人の実体験を教えていただいたり、
聞いた話を頼りにしているのが現状です。
百聞は一見に及ばないといいます。
一度でもいいので、若いうちに行っておきたい国です。
『百聞は一見に如かず』という先人からの言葉には、
その後に創られた続きがあるようですね。
百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一果に如かず
百果は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず
聞くだけでなく、実際にみてないとわからない
見るだけでなく、考えないと意味をなさない
考えるだけでなく、行動しないと価値をなさない
行動するだけでなく、成果を生まないと評価できない
成果を上げるだけでなく、それが喜びや幸せに繋がってほしい
自分だけではなく、周囲の幸せを考えることが大切
ふと、これは身近にある仏教の教えに含まれるものだと気づきました。
この言葉たちは、最後に百幸は一皇に如かずと、
人様のために努めなさいと伝え締めくくります。
仏教が説く『抜苦与楽』の姿です。
そのスケールの大小は問わず計らず、
まずはどなたも興味や志に逆らわず、実際に見ることから始めてみたいものです。
合掌