インド仏跡巡拝
このたびインドを旅してまいりました。
バラナシから始まり、聖なる川と呼ばれるガンジス川にて沐浴礼拝を体験。
ガンジス川から望む日の出がなんとも美しく、感動。
感謝を込めて手を合わすことができ、良い旅の始まりとなりました。
ーーーーお釈迦さまの聖地ーーーー
【ルンビニ ー御生誕の地】
お釈迦さまがお生まれになった場所にて
※現在のネパール
お釈迦さまがお生まれになった聖地として、
ルンビニー園は1997年に世界遺産に登録される。
『天上天下唯我独尊』
人として生まれた尊い命 たったひとつしかない尊い命
アショーカ王は即位20年の節目にこの地を訪れ、お釈迦さま御生誕の地である
ルンビニー村の税金を8分の1に減税した。
【ブッダガヤ ー成道の地】
お釈迦さまがお悟りになった場所にて
大塔
菩提樹 お釈迦さまが瞑想しお悟りになったとされる場所
金剛宝座
菩提樹を前にして勤行
【サールナート ー初転法輪の地】
お悟りになったお釈迦さまが初めて説法を行った場所にて
僧院跡
ダメークストゥーパ
ストゥーパ:お釈迦さま入滅後、真身舎利が祀られた。
釈迦転法輪像
【ラージギル -説法の地】
お釈迦さまが多くの説法を重ねた場所にて
霊鷲山 お釈迦さまが法華経を説いたとされる山にて勤行
霊鷲山から望む夕日
【バイシャリ】
お釈迦さまが何度も訪れ好んだ場所であり、最後の旅の出発点でもあります。
バイシャリ王宮はリッチャビ族が治めていた初の共和の国ともされる。
アショーカ王柱が綺麗に1本残る。
レリックストゥーパ発掘跡
リッチャビ族が持ち帰ったお釈迦さまの舎利が収められていた
現在は屋根が設けられている
お釈迦さまも最後の旅にこちらを発つ際には名残を惜しんだといいます。
立ち止まり、後ろを振り返りこの街を眺めて言ったそうです。
『バイシャリは美しい。 これが最後の眺めになるだろう。』
この頃には自身の死が近いことを悟っていたようです。
【クシナガラ -涅槃の地】
お釈迦さまが入滅された場所にて
沙羅の樹 お釈迦さまはこの樹の下で涅槃に入られた(80歳)
釈迦涅槃像
大涅槃堂と沙羅双樹
荼毘塚
お釈迦さまを荼毘に付した場所
ーーーー旅の風景ーーーー
ガンジス川沐浴と火葬の風景
3~4時間かけて灰になるまで火葬され、聖なる川とされるガンジス川に流されます。
正覚山
遠くに見えるのが、お釈迦さまが苦行を積んだとされる山
印度山日本寺
現在は真言宗智山派の青年僧(飯田市)が常在して日本寺を守り、
御本尊様に仕え、日々参拝客を迎えております。
この機会に表敬訪問を致し、朝勤行、瞑想に参加させていただきました。
日本寺付属の菩提樹学園に通うこども達には、日本寺僧侶を通じて希望を聞き、
クレヨン105箱と自動鉛筆削り2台をお届けさせていただきました。
こども達がクレヨンで描いた絵
ニームの木
路上では殺菌、薬用効果のあるニームの木が売られています。
インド人はこれを歯ブラシとして使うそうです。
実際に朝のガンジス川では、この木で歯を磨くインド人を見かけました。
噛んでみると、なるほど苦い。
チャイ
本場のチャイはとても美味しい。
ほぼ毎日飲みました。
キャパオーバー・・・。
すべては自己責任なのでしょうか。
賑わう街にも静かな村にも牛は随所に見られ、聖なる動物として大切にされています。
気を抜いて歩くと糞を踏みます・・・。
バスの横を通る像!!
広大な土地で作られた野菜や果物が街の至る所に並ぶ
旅の始まりとなったバラナシの朝
信号はなく、クラクションが絶え間なく鳴り響く街の喧騒
ストゥーパでの発掘調査
すべてのことは留まることなく移りゆき 過ぎ去っていく
弟子たちよ 自身で行く道を照らし 心に私の教えを照らし
怠ることなく過ごしなさい
これがお釈迦さま最期の言葉として伝えられております。
インドの街、現地の人々の生活を見て、考えさせられることが多々ありました。
独特の匂い、濁った水と空気、乏しい明かり、日本とはかけ離れた生活の姿。
欲にひたすら素直であり、日本人の建前といったものはないように感じます。
広大な国のなかに生と死、激しさと祈りがリアルに在り、
それでいて懐深く、とてもゆっくりと時間の流れがあるようなのです。
お釈迦さまの聖地を訪れて風光に触れ、さらにインド人の生活の一部を知り、
とても有意義な体験を得る旅となったことに感謝します。
合掌