この先に
今年度一回目となる寺の所有地一斉草刈りの日、現地視察に行くと、
なんと、一帯の草すべてが刈り終えていました。
毎度人手と時間を要するその作業を、いつ、どなたがして下さったのか?
周辺でお尋ねしたところ、すぐにお答えをいただけました。
近所にお住まいの方が、なんとお一人で連日朝早くに刈って下さっていたようです。
このことには大変驚き、恐縮いたしております。
本当にありがとうございました。
毎年、夏秋3回、総代様、有志のお檀家さまのお力添えのもと一斉作業を行います。
広い複数の管理地での作業は重労働ながら生産性はなく、
みなさんに重なる苦労を感じております。
それにもかかわらず、毎回総代みなさんがまとまり時間を割いて下さり、
渾身的なご奉仕をいただけていることは誠に有り難いことです。
一方で、この先の不安も感じております。
以前はこれらの土地を借り、田畑として耕作をしてくださった方々がいました。
地域内の高齢化が進むなかで、そのような方は居られなくなり、
利用のない土地を多く抱えているのが現状です。
そこはしばらく有効な活用がなく草だけが延々伸び続け、荒地にならないよう
定期的に人の手によって整備、浄化作業のみを続けているのです。
地域全体としても同じことがいえます。
高齢化、人口減、若年層の流出が顕著に進み、空き家、空き地が増えていく状況。
こどもが通う校舎は生徒が減り、空き教室が多く存在したまま老朽が進んでいく。
地方寺院に関していうなら「墓じまい」や「お墓のおはか」という話題にわかるように、
檀家が家墓の継承を断ち、石塔の処理による聖地返還の事例が少しずつ増えはじめ、
ここにも空き地化が進んでいくのです。
これからもなお進むであろう地域の人口減は様々なところに空虚を生み、
そのうえで労力と負担は増していくため、この先々はより支え合い、
「つくしあいの心」が必要になるのではないでしょうか。
仏教の説く諸行無常。
ものごとに実体はなく、すべてのものごとは移り変わってゆくという教え。
唯一変わらないのは、仏法という『本質』だとしています。
本質を観る鍵なるものは、「人の心」だそうです。
「すべてのことは心から始まる」
自身、ものごとの上っ面ばかりを見ているような気がしています。
未熟なリにもまわりの人達からの大切なご意見、助言をいただきながら、
お寺を柔軟に活かして開けるような努めをしたいと考えています。
合掌