過渡期~感謝・発心~
6月1日を境として、各地で社会活動が徐々に再開し始めました。
地元小学校もいよいよ通常登校。
いままでと同じように、行ってきます、行ってらっしゃいと声を交わすのですが、
家を出るこどもの背中を見送り安心した一方で、
長いことすまなかった、とも思えました。
この期間をこども達がどのように記憶し、将来思い出す時がくるのか。
この日の晩、全国で160の花火業者により一斉に花火が打ち上げられました。
これは新型コロナウィルスの早期終息を願うとともに、人命を預かる現場の最前線で戦う
多くの医療従事者への「感謝と励まし」の気持ちを贈るものでもありました。
なんて素晴らしいことだろうと心から思いました。
花火の歴史を遡れば、亡き人の鎮魂の他、疫病により国難に陥った時の祈願として、
生きる人たちへの力強いエールでもあったのです。
『過去にあったものは その先にもある
過去になされたものは その先にもなされる
日の下に新しいものはない』
時代は繰り返されているのだとも感じました。
これから徐々に活動のアクセルは強く踏み込まれて行きますが、
すべてが元どおりになるのではなく、大きく変化が伴っている、
いまが「過渡期」であることを強く思います。
自信が過信になっていたことはなかったか。
必要以上に望むことはなかったか。
移り変わりに目を逸らしていることはなかったか。
いまやってはいけないことの多くは、
本来やってもよかったことばかり。
いままでそうやって社会が保たれ人々の営みがありました。
どうして、いま考え直しをせまられているのでしょう。
再構築の着地点はどこにあるのでしょう。
お釈迦様の言葉にある
『足るを知る』
このことが失われていたのだと感じています。
そして、人はひとりでは生きられないという実感にも欠けていました。
これからも苦境に立ち日々戦う人達、その技術や知識にも
心から敬意を表し感謝しなくてはならないと感じます。
お寺の月行事もついたち参りのみなさんとともに再開しました。
発心。自分ができることを日々成していこう。
一隅を照らす!!
合掌