慈しみ
秋の風を感じるようになりましたね。
朝、庭にいると鳥に追われる蝉を見かけます。
夏場に懸命に鳴いた蝉たちの最期。
強いものが弱いものを喰らう。
生きる為の世の常、大自然の掟とも言えます。
能力高く、知恵をもつ人間も生きるために毎日のように
多くの命をいただいています。
知恵をもつことで大自然を自分達の都合に合わせて活用し変化させ、
豊かな暮らしを手に入れた人間は、まさに強者の立場にあり、
なお進化を図ろうとしています。
インターネット社会となって久しく、人対人は直接的接点をもつ必要がなくなりました。
コロナ渦にある今、オンライン機能を充実させた新たなビジネススタイルや
コミュニケーションシステムが普及し、令和の世はこのような社会に加速して
向かうのだと疑いありません。
まさに、歴史上災い転じて進化し続けてきた人間の強さと感じております。
しかし一方でコロナ渦に感じたことは、人間の「目に見えぬもの」に対する恐れです。
目に見えぬものによる支配により、人は人を責めるようになり、許さなくもなりました。
目に見えぬ恐怖から生まれた傷つけ合いは「人間の弱さ」です。
インターネットの普及によって人は匿名で言葉を発信することを許されるようになり、
インターネット上は名もなき人の言葉に溢れています。
その膨大な言葉たちは、建設的な議論やポジティブなメッセージもあれば、
一方で大変ネガティブな内容が蓄積されているという事実があります。
そのひとつが、匿名による個にむけた攻撃です。
悪しき言葉がさらに強い攻撃性をもつ言葉を呼び、大きな塊となって個を攻め続け、
とことんまで弱らせていったその先に悲劇があります。
自分を見えぬものとして人に力を加え、結果傷つけることも弱さです。
攻められて苦しむ側にとって、相手が見えないことは恐怖でしかなく、
目に見えぬ恐怖という点では、ウィルスと一緒です。
姿形を変えて拡がり、理なく侵入するウィルスそのものです。
新型コロナウィルスが拡がりをみせ、人の生活を変え始めた頃、
多くの人は口をそろえてこう言いました。
『私たちに気づきをもとめている』
『私たちは試されている』
地球はひとつの生命体です。
大きな生命体に共存する人間は、目に見えぬものに等しく恐怖を覚えました。
人はきっと弱い生き物。誰も一緒だと思います。
恐怖を受ける側の気持ちや痛みを、きっと理解できるはずなのです。
人の言葉は人を通じて生き続けます。
私たち自身が目に見えぬ恐怖の存在になってはいけません。
真言宗は、地球さらには大宇宙という生命体を大日如来と捉えております。
仏法は遥かにあらず、万事には気づきがあるものです。
そして、常に試されていると思って間違いありません。
人の世を豊かにする更なる進化に潜む新たな恐怖や悲しみを生まないこと。
それは私たち一人ひとりの仏性、思いやりの心ひとつです。
次の写真は平成25年4月に篤信のお檀家様より、
先祖代々菩提の為に寄贈いただいた参道の石碑です。
合掌