ほとけにであう
僧侶になってから聞かれたこと。
「仏に出会うってどんなことでしょう。」
仏さまに出会うということ。
その答えはひとつじゃないですよね。人それぞれかと思っています。
例えば、朝の陽を喜び、ありがたく感じること。
例えば、日暮れどきの空に感謝を想うこと。
日の出に関して言うならば、元日のご来光が特別なことではなくて、
毎日の朝日にそんな気持ちで向き合えるか。
日暮れに関していうならば、今日もベストではなかったけれど、
どんな一日であれ反省があり、ありがとうの気持ちが持てるかどうか。
これはあくまで、私が漠然とそう思っているだけのことです。
さて、どうでしょうか。
こう考えた時、人の心とはなんて身勝手かと思うのです。
自分の都合で手を合わせたり、平気で背を向けたり。
人の「ものさし」こそが神仏に向き合う難しさともいえます。
インド 霊鷲山で観音経を唱える(2019年2月)
でも、誰もいままで一度はあると思うのです。
朝日を見て一日が希望に始まり、沈む夕日を見て一日を感謝に終えたことが。
とてつもなく大きな力に包まれていると、理由もなく深く感じたこと、
それが仏さまに出会うということなのではないでしょうか。
お釈迦さまの掌を飛んでいただけだったという孫悟空の話が好きです。
自分の力など大したことはない。
これまでの何事も、これからの何事も神仏の中のこと。
無常の世がどう変化していこうとも、自分がどう流されていこうとも、
変わらない大きなものがきっとある。
人の心のなかにもきっとある。
誰のなかにもきっとある
そんな宗教性を謙虚に受け入れて生きていけたらいいと思います。
そんな気持ちで仏さまに、そして目の前のコトに手を合わせてみて下さい。
きっと出会えると信じています。
みなさんにとって、ありがとうと思えて終われる日が一日でも増えますように。
合掌
諏訪湖