ご本尊のお力~私の知るリーダー~
京都の本山で僧堂生活をしていた頃の我々の寮長(同期修行僧の長)は、
とても立派な方で、今でもお世話になる機会があります。
まだ入寮したての頃、長時間の正座ができない仲間が何人も居て悩みのひとつでした。
その寮長が克服の糸口に施してくれたのが、「正座の会」というものでした。
毎晩、正座を苦にする人たちが畳教場の本尊前に集い、10分程度の正座をする。
ただ、それだけのことです。
毎日、寮長も仲間と一緒に「座る時間」を共有しているようでした。
一時間以上の正座を強いられる本山のお勤めに対して、その程度のことを続けた
ところで正座に慣れるものかと、その様子を見た当時の私には半信半疑でした。
結論から言うと、その仲間は早くに正座を克服していったのです。
互いに信頼を築き、ともに耐える気持ちを養ったのかもしれません。
私たちの不動のリーダーであった寮長は元々お医者さまでした。
何か根拠があったのかもしれない。
根拠はさておき、私にはそれが人をまとめる指導力と厳しさ、
そして何よりも利他の精神に満ちた人の優しさに映ったのです。
まもなく卒業から20年になる今も、それを鮮明に覚えています。
話は変わり、先日小学2年生の息子が悪さをして、叱ることがありました。
この件を息子にどう叱ったら伝わるのか、反省できるのかわからなくなりました。
どうしたかというと、その場で理解させることをあきらめて本堂へ行き、
ただ一緒に静かに正座することに決めたのです。
その理由や根拠など持ち合わせていません。
ただ二人で座ろうと思ったのです。あの頃の寮長の姿が心にありました。
息子には大変厳しいことだとは思いましたが、姿勢を正して動くことなく、
30分間座るぞと告げて始まった、ご本尊前での二人きりの正座。
今の時代、これは体罰ともとれるのでしょう。
答えをもたない微力な親の、根拠のない表現の仕方。
私にとっては親としても反省をする時間でした。
実は、息子と正座した静寂の30分間がなんとも心地よかったのです。
小学2年の息子はどうだったのでしょう。
それを聞くことはあえてしませんでしたが、すっきりとした表情をしていたと思います。
そして、30分間よく動くことなく正座を続けたなと、私は正直驚きました。
「自覚を促す」
これが、ご本尊のお力です。
いまは十分な反省ができなくても、時間をかけて自分のしたことを理解して、
今後同じ過ちのないようにしてほしいと思います。
おそらく私自身、親としての反省の機会も続くでしょう。
いくつになっても、我が子と根拠もなくご本尊の前で座ろうと思います。
私の修行時代には、一緒に悩み、反省し、喜んでくれるリーダーがいました。
そのリーダーはきっと、ご本尊のお力があることを知っていたのだと思います。
合掌