到彼岸
18年前、四国八十八ヶ所霊場の歩き遍路へ出発の際、
京都本山におられた先輩から頂いた大切なお杖。
出発に向けて頂いたお言葉。
「出来る限り一人で歩いた方がいい。」
四国で過ごしたのは4月の初旬から初夏にかけての44日間。
道中何人もの歩き遍路さんと出会い、一時歩みをともにしても、
またどこかで会いましょう、と伝えて別れました。
二十代の頃に大変貴重な体験をさせていただきました。
一本の杖をみて懐かしい気持ちになります。
さて、この杖、錫杖の先に付いている六つの輪は、
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天上)を表します。
私たち「人道」を含むこの六つは、すべて迷いの世界だそうです。
そのすべての迷いから脱した先を彼岸(仏の世界)と呼び、
そこに渡るための修行を「六波羅蜜行」といいます。
六波羅蜜行(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)
これを勤めるのが、私たちのよく知る日本の文化、「お彼岸」です。
春秋、彼岸の入りから明けまでの期間、お中日ー中道(春分・秋分の日)を挟む
七日間は、自分の心と行いについても学ぶことが多いのです。
私はこのように捉えます。
『この世は迷い苦しみが繰り返されるけれど、有り難く人としてのご縁を生きている。
人に芽生える供養の心や思いやりの心は、「授かった徳」そのもの。
それを「育んでいける」のもまた人。
このことに気づき、日常に感謝、供養を取り入れるのがお彼岸であり、
それが六波羅蜜行にも通じ、また亡き人達にもきっと通じている。』
たとえ、お彼岸中にご法事やお墓参りを営むことができなくても、
朝起きて、心静かに手を合わせる時間をもつ。
これでも十分じゃないでしょうか。
いつどこに居ても、誰と居ても、人は何事も心を主とする。
この心は、誰でも一人で歩き見つめなくてはならない時があるのでしょう。
錫杖を振ると、六道の輪が互いにあたりシャンシャンとよい音を鳴らします。
秋のお彼岸、心地よい音を響かせたいですね。
この時期に咲く彼岸花の花言葉。
「再会を楽しみにしてる」
合掌