迎春 壬寅
令和4年、西暦2022年を迎えました。
昨年は年頭のご挨拶にて二つのことを書かせていただきました。
「一隅を照らす」
置かれているそれぞれの立場において、身の丈で精一杯努めよう。
ひとつひとつの小さな灯りがやがて世を照らす。
「おかげさま」
自分の出来ない多くのことを、何処かで誰かが努めて下さっている。
陰に何かしらの縁が働いていることで自分は生かされている。
振り返ってみて一年間いかがでしたでしょうか。
コロナ禍という言葉が常態化して2年。
日本に感染拡大が起こり始めた頃、多くの人はこんなにも長い間、
ウィルスと戦うことになるとは思っていなかったはずです。
日常生活の在り方や常識がのこれほどに変わってしまうことも。
いままで疑いもなく「あたりまえ」にあったことや考え方が、いくつも遠のいていき、
あたりまえが疑い見直され、人が新しい時代へ向かっていることを随所に
自覚させられました。
withコロナ・・・。
苦しみ多きコロナ禍にも、精一杯に努め力強く生きる方がたくさんおられ、
身を粉にして人命を守ることに尽くされている医療従事者はじめ、
多くの方のおかげがあって日常が保たれることを実感した2021年でした。
新しい生活様式に理解と意識が高まり、感染対策に添う行動が身についていくなか、
昨年ワクチン接種が進んだことにより、一定の安心が得られたことは事実です。
しかしながら、変化した生活のすべてが元に戻ることはもうないのだと思います。
「いま」とは、因果による過去の「変化」が重なって存在しています。
「みらい」は、「いま」がこの先の数多の縁にふれて移りゆくさまです。
私たちは新しい時代を歩み始めました。
皆さん、本年は勇気をもって「動く」年にしてはいかがでしょうか。
恐れることなく、やりたいことに「挑戦」してみてはいかがでしょうか。
自分の気持ちに「正直に」決断してみてはいかがでしょうか。
心得ておかなくてはならないことは、「動く」から「乱れる」へ変わらないこと。
乱れ有るところには必ず「魔」が入り込みます。
心と体のバランスを乱す原因はどこにあるのか。
それは「本能」だそうです。
人は本能を開放して動き続けてしまうと、何かしらダメージを受けるそうです。
今日も何かを本能で求め動く自分の内に、立ち止まる意思、省みる意思も
「併せ持っておく」ことが大切なのですね。
心と体を整えながら動く、励む、そして大いに楽しむ。
まさに生きるための仏教に触れるべく寺が広く開かれることは、
それに相応しいことだと思います。
「勇猛精進」
様々な気づきやご縁をいただける年になりますよう精進致します。
多くの笑い、出逢い、まなび、
皆さまにとって悦び多き年となりますことをご祈念申し上げます。
合掌