おまいりの心
遥か昔の方が、このお寺を心の拠り所としてつどい、
皆で声を合わせてお経を唱えていた当時のことは、
今となっては、その様子を想像することしかできません。
お寺の参道には百万遍念仏供養塔があり、きっとこの地域の方には、
熱心に読経する習慣が根付いていたことは間違いないでしょう。
三沢の高道墓地には「大乗妙典一千部」と刻まれた石塔が建っています。
おそらく、日を定めてつどい観音経を唱え、それが一千回に達した記念のもの。
昔の方は、経本を持たずにお経をすらすら唱えられる方が多かったと聞きます。
それは身近に読経の習慣があったことの証でしょう。
先日の法事のこと。
お家のご高齢のおばあちゃんは認知症がすすみ、法事の間、
ずっと独り言のようなことを声に発していました。
何を伝えようとしゃべっているのか、読経中の私には察する余裕がありませんでしたが、
「早くそっちへ行きたい」
と仰られたことは、はっきりと言葉の意味を捉えることができました。
人生は苦なり。何事も思い通りにならないものだなぁ・・・。
愛別離苦を乗り越えた方が、様々をあきらめながら今を必死に生きておられる。
その心の声。
法事の最後、みんなでお念仏を唱えた時、一際大きな女性の念仏の
声が聞こえてきました。
声の主は、そのおばあちゃんでした。
供養とも祈りともとれる魂のこもった念仏の声。
私はその声を背中に受け、身震いしました。
お経は生きているうちに唱えるもの。
お経は生きているうちに聞くもの。
お経は生きているうちに書くもの。
8月10日。
年に一度巡る、観音菩薩の功徳日。
四万八千日観音という特別な結縁が得られる日。
その功徳は広大で、48,000日おまいりした功徳があるとされています。
人の年に換算すると130年。
その功徳は自分の一生ばかりでなく、先の世代にもつながるものです。
私たちの今の幸せは、過去の人たちのおまいり、祈りによる功徳を
いただいていると考えることができます。
昔の方々は、お石塔を見ればわかるように、必死にお経を唱え、
供養と祈りを重ねられたのですから。
このたび真福寺で行なわれた四万八千日観音は、
午後4時から写仏によって観音菩薩の御手を描き、観音堂に奉納しました。
午後5時から、おまいりの方がつどって読経し、御祈願をいたしました。
この日はお一人おひとりが聖観音菩薩の御手とつながる五色の紐にふれて
ご縁を結び、心新た、日新たにする機会です。
みなさんと一緒に唱えるお経、観音菩薩に手を合わせるお心は、
いまと未来を照らすものであってほしいと願います。
さらには、過去に叶うことなかった祈りにまで届くものであってほしい
とも思います。
ひとりでは続けられないことも、皆と一緒なら続けられる気がします。
昔の方が寺につどい、多くの読経を重ね喜びをともにしてこられたように。
観音菩薩は様々に姿を変えているといいます。
仏さまは生きているうちに出会い、
その喜びは、生きているうちに知るものです。
合掌
毎年8月10日は午後5時から四万八千日観音まいり。
毎月18日は観音菩薩の月並みご縁日。
午前9時より、護摩修行と観音経の読経を奉修しております。
自由におまいりできますので、ぜひ当山の聖観音菩薩に会いにきて下さい。