お寺でヨガ?
何をするにも相応しい場所というのがあると思います。
真福寺でコロナ禍に始まった夜のヨガは、今年の夏5年目を迎えます。
「お寺でヨガ?」
意外だという反応をされる方もいらっしゃるのですが、
まさにお寺はヨガをするに相応しい環境といえます。
日本寺院で「寺ヨガ」が普及しているのも事実です。
では、仏さまをお祀りするお堂のなかで、汗を流すようなヨガがよいのかといえば、
そうではないんですね。
ここに求めているのは、無意識な箇所に意識を働かせることで、
体をほぐし、「心も」ほぐれること。
体は温かく満たされ、心は軽やかに満たされること。
癒しのヨガを、インストラクターさんとともにこの寺で展開したいと思うのです。
心身ともに「喜び」を感じることは、人が健康を保つうえで必要なことです。
日常における体の動きや呼吸というのは、無意識な働きが大半を占めています。
人がよい気づきや安らぎを得るには、この無意識の部分が重要なのです。
無意識の部分に意識を向ける動作や時間は、日常ではなかなか得難く、
非日常の寺の境内に足を踏み入れた自分が、歴史、建造物、仏像、荘厳、
そして香りや空気、総じて「場の力」のなかに身を投じていくことで、
そのスイッチをONにしてくれるのです。
同時に、いま不必要なものをOFFにしてくれます。
この「場の力」とヨガの要素が相まって、内観を働かせてくれます。
自分の内側と向き合える静かな時間のなかでは、
ゆっくりと呼吸を繰り返して体に空気を満たすことが心地よく、
体を伸ばして姿勢に意識が向かい、体が気持ちとともに整っていく、
その感覚も心地よいものです。
これらは、時々、自分にプレゼントしてあげてほしい癒しの時間と考えています。
心と体が癒され、整い、満ちて日常に還っていくことはとても大切なことです。
このプレゼント(自愛)という想いが、真福寺のヨガを続ける理由なのだと思います。
いま一度、なぜお寺でヨガ?
先に述べたことを含め、いくつか思うことはありますが、一言でいうと、
体の栄養は日常にもわかりやすい。
さて、目に見えない心の栄養はどのようにして得るか。
それは「喜び」です。
この喜びのなかにも、自分の内側から温まっていくような喜びがあります。
ささやかですが、実にお寺のヨガとはそういうものに通じていて、
その喜びが、皆さんの「安心」につながると思うがゆえに、
お寺はヨガをするに相応しい環境といえるのです。
健全な精神は、健康な身体に宿る。
健康な身体は、常に安心に寄り添う。
合掌
〈真福寺てらよるヨガ〉
毎月25日 夜7時~8時 本堂にて
癒しのおてらヨガ - 真言宗智山派青龍山真福寺 (okaya-shinpukuji.jp)
お問い合わせはお寺まで。