物語に学んだこと
「死骸から、蛾や蝶が生まれるなんて、きっとネズミさんは、
生きていた時によいことをしたに違いない。」
水上勉さん原作『ブンナよ、木からおりてこい』に描かれた生きとし生けるものの本能。
食物連鎖によってつながる命。
相反する執着と慈悲、生きることの難しさや尊さを、
朗読と演劇から学びました。
冒頭は主役、カエルのブンナが語ったラストシーンです。
このたび、12月の日曜仏教会では、
岡谷の劇団ゆーれー@サーカスさんによる朗読劇
『ブンナよ、木からおりてこい』の上演がありました。
弱肉強食の世界にいる生き物たちは、みな自分だけは生き延びようと必死になります。
時に相手を見殺しにすることも。
これは人も同じ、本能の姿です。
「人はだれも、もっとも自分が愛おしい。痛みに怯え、死を怖れる。
わが身に引き比べて、殺してはならない、殺さしめてはならない。」
「善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、
心は悪を楽しむようになる。」
どちらも、本能に対して理性を説く、お釈迦さまのお言葉です。
お釈迦さまはこの世は苦であるとおっしゃいました。
「一切皆苦」
生きることは本来苦しみであるのに、もしそう思わないとすれば、
苦を打ち消すご縁が働いているからではないでしょうか。
たとえば、愛おしい人たちの存在。
だから、そういう大切な人を失った時、どうしようもなく苦しい。
三度の食事がある。
あたりまえと思っている食事が食べられなくなれば、やはり苦しい。
この苦しみを生み出す正体を「煩悩」というそうです。
私たち人間のとても深いところに根付き、離れることのないものです。
お釈迦さまが悟ってくださった、苦しみの原因です。
お悟りには、まだその先があります。
「一切衆生 悉有仏性」
苦しみの根が張る我々ですが、そのだれもが仏となる種をもっているそうです。
慈しみの心を生まれながらにして宿しているのです。
今日も自分中心に何事も求め、食事して、楽しみ、
時に人と競い、時に避け、あたりまえの顔をして生きている。
その一方で、人のためになろうと思う命の使い方があり、
人を喜ばせたいという心の働きが確かにある。
「ありがとう」という言葉にふれ、生きる力が沸く。
それはなぜか。
煩悩ある私たちは、本能に翻弄され、心を閉ざして生きることは苦しいのです。
喜び、感動、感謝をおぼえ、心が潤うものなのです。
それを感受してくれているのが、私たちの仏性です。
物語の最後、ブンナは自然と悟ったのでしょう。
「ネズミさんは、きっとよいことをしたんだ。」
(こちらはおかや演劇祭での上演の写真です)
生きるとは、清いことばかりではなく、とても難しいことですよね。
しかし多くのおかげで生きていると知れば、喜びもたくさん見つかるのでしょう。
そういった喜びを小さくても集めていけることを幸せと呼ぶのかもしれません。
皆さん、今年を振り返ってみていかがでしたでしょうか。
完走成就まで、残すは7日。
少々早いご挨拶ですが、一年間ありがとうございました。
合掌
寺での朗読劇を終え、ご来場の皆さんへの出演者紹介
【大晦日二年まいりのご案内】
◇22:50 古札お焚きあげ点火
◇23:20 先祖供養 (本堂にて今年最後のおつとめを皆さん一緒に)
◇23:40 除夜の鐘 (人数制限はございません)
◇新年0時 初祈願 (観音堂)
縁起物は本堂内でお求めください。
古札などお焚き上げしますのでお持ち寄り下さい。
からだのあたたまる厄除汁をご用意してお待ち申し上げます。