迎春 乙巳
大晦日に多くの方が除夜の鐘をつき、おまいりをされました。
去りし日を振り返り、成長を喜び、無事に感謝し、行いを反省する。
除夜に災いを払い身を清め、気持ちを新たにお目覚めのことと思います。
今年は巳年。
私は蛇の姿が大の苦手。
映像、本の写真などで見ても恐怖感は一緒です。
22年前の春、ひとり四国の歩き遍路をした際、蛇に9度も遭遇しました。
道の狭い山中、目の前に蛇がいてじっと動かず、それを避けて通る時の恐怖。
広い車道を大きな蛇が横切った瞬間や石像のもとに巻いた蛇を見た時の絶望感。
これだけ遭遇しても慣れることはなく、気配に怯えた道がいくつあったことか。
「お金が貯まるように」と、
スマホの画面が巻いた蛇の写真になっている人に会った時は、
その人に一時心のバリアーが作動しました。
こどもと寺平をおまいりの際に蛇の皮を見つけ、娘がお金が貯まると持ち帰り、
机に蛇の皮を飾る小学生なんて、いかがなものでしょう。
蛇の皮は多少平気なんです。実体はそこにないので・・・。
蛇は生きているうちに何度も脱皮を繰り返すそうです。
新陳代謝。人間でいうと「体の垢」を落とすようなものだとか。
話を人間に移します。
私たちは風呂に入り、体の表面の垢を落としますよね。
また、内に溜まる垢を「心の垢」といい、どうやら簡単に落とせないようです。
まずはそれを自覚しているかどうか。
目に見えないのですから、意識しないと気づくこともないわけですね。
洗心という言葉のとおり、日本人の多くは心がもともと綺麗なことを知っていて、
手が届かなくとも、時に心の垢を落とすことを求めるわけです。
心が汚れ乱れるのは、本来苦しいことだからです。
一時の満足が苦しみの感覚を麻痺させることはあっても。
『近くして見難きは我が心なり』
弘法大師のお言葉です。
大切なところは目に見えない、といいますが、
心とは特に難しいものと感じます。
人は表向きの部分のみでなく、内側の心も含めて「自分」です。
この自分自身のことがわかっていない。
誰でも自分を自分ひとりで支えきれないことがあるものです。
だから、時にまわりの人に頼り、時に自然のなかに身をおいたり、
神仏に手を合わし、自分と向き合っていくわけです。
心身とも健康であり続けることは、とても得難いことなのですね。
完璧に清く正しく生きることなどなかなかできません。
それをよく自覚して、何度も何度も垢や煤を落とすのです。
それが人間の謙虚さなのかな、と思います。
そうしていつか、脱皮した新しい自分も知るのかな。
今年は戦後から80年を数える年。
この先に戦争を起こしてはなりません。
争いの皮は、もう脱ぎ捨てたはずです。
多くの笑い、出逢い、まなび、
皆さまにとって悦び多き年となりますことをご祈念申し上げます。
合掌