実ちて帰る
もう20年近く前のことです。
本山に奉職しているころ、当時ご指導くださった先生から言われました。
「君たちの行はつまらない。『全力』という言葉を辞書で引いたことがあるか。」
私には忘れることのできない言葉となりました。
岡谷に帰ってきて12年。
慣れというものは、良い面と悪い面を併せ持っています。
余計な緊張を解き、余裕をもたらし視野を広めてくれることの反面、
事にあたって気持ちが欠けてしまう事実があるように感じています。
いまの自分に一生懸命という実感はあるのか。
このたび、花まつりコラボコンサートを開催しました。
真言声明、高野山真言宗の僧侶「六大」と真言宗智山派の僧侶「谷響」による共演。
そして御諏訪太鼓の伝承者、山本麻琴さんとの三者共演でした。
山本さんとの共演はこれが初めてではなく、過去に何度かご一緒させて
いただきましたが、そのなかでもった印象があります。
「山本さんは本番まで本当の姿を見せない」
本番になってギアが何段階も上がるのです。
私にとって、山本さんの魅力はここにありました。
練習のなかである程度共演のかたちが見え多少安心をしていても、
本番ギリギリまで「怖さと期待」が同居しているのです。
敵わないだろうという怖さと、山本さんの技術はもとより、その精神性、発せられる
「氣」のようなものに自分たちの精神、表現力が高められるという期待。
真福寺で行ってきたいくつかのコラボコンサート。
共演で求めているのは、混ざるのではなく互いの素材を生かし高めあうことです。
共演者にはいつもそれをお伝えしていました。
今回演奏された鼓曲「阿修羅」。
すぐ傍で見たその姿。山本さんのいままで見たことのない表情を見た気がしました。
来場者のなかには、山本さんに何か降りてきたようだった、とおっしゃる方も。
そして、阿修羅に「妙法蓮華経如来寿量品」を重ねた我々も間違いなくそれに
高められ、日常に忘れていたであろう「全力」を引き出してもらえたのです。
本山の時は、根来の地で全力を認めてもらえずに何度も大日経というお経を
唱え続けました。自分が全力と思っていたものはそうではないと気付かされ、
とにかく必死で唱えた先に、多くの僧侶が涙しました。
今回は涙が出るということはありませんでしたが、山本麻琴さんと互いを高め合い、
恒久平和を祈り、少しですが徳を積んだような気持ちになれました。
虚しく往きて実ちて帰る。清々しい気持ちが蘇り、感謝でいっぱいです。
共演いただいた皆様、素晴らしい体験をありがとうございました。
六大さん、さらに面白いことを想像していますよ。またいつか。
合掌
阿修羅×如来寿量品
お檀家様が撮影編集してくださった、山本さんのお姿を間近に見れる貴重な映像です。
ぜひご覧ください。