お寺のあたたかい活用
7月の日曜仏教会は「禅の寺カフェ」と銘打って開催しました。
夏の寺カフェ、その内容は瞑想体験とスイーツを味わう茶話会。
大賀蓮
毎月熱心にお寺に通われている方より、禅の体験がしたいとお声をかけていただき、
普段の写経も禅なんだけどな、と思いながらも、求めていることがわかりましたので、
今回は数息観という瞑想を実施しました。
お寺は涼しいですねと言われますが、いえいえ、近年はこの時期どこに居ても暑いです。
そのなかでもここは涼しい、と体感できる場所がありますので、そこを道場としました。
(脱線→実はこのお寺にはもっと涼しい処があります。すでに他界された総代様が、
以前、「副住職!ここでサロンやろうよ!」とおっしゃったことがあります。
そこは物置として使用している場所なので、「いまは・・・」利用できませんが。)
さて、みなさん、瞑想の体験によって気分がすっきりしたそうです。
あたりまえの感想のようで、実はこの実感こそ重要な点です。
しだいに体も変わり、見るもの聞くものが変わり、香るもの味わうものが変わり、
思考さえも変わります。そのすべては、心から始まっています。
瞑想のあとは和室に移りゆったりと茶話会。
昨年の7月に点描曼荼羅WSの指導をしてくださった藤森真弓さんお手製の
スイーツをいただきました。
・梅酒のサイダーかん 青じそ入り
・米粉とアーモンドミルクのマンゴーババロア
・米粉と豆乳の春菊のシフォン オイルなし
・ブルーベリーあんの紫陽花
・ハリハリ漬け
どちらも絶品でした。
皆さんを思う気持ちが繊細に注がれていることが伝わってきて、
さらに藤森さんのお人柄まで感じる、心あたたまるお料理でした。
本当にありがとうございました。
瞑想体験と美味しいスイーツ、異なるものをひとつとして味わい、
身も心もほぐれ、幸福を感じ得るよいひとときであったと思います。
お寺で行えることへ皆さんの希望があれば、出来るかぎりこの環境を活かして
応えたいとは思いますが、何分私が凡才でありまして、もし期待をされても
至らないことばかりなのです。
ですから、これからも皆さんの助けを借りることが多々あると思いますので、
ご理解をいただけると嬉しいです。
お寺には、お檀家様に限らず通っていただけるようになりました。
お寺の長所も、そして短所さえも活かし、お寺「らしさ」を発揮させていく
ためには、この点はよいことです。
開かれたお寺という表現。この定義するところはいまだわかりませんが、
少なくとも、先に述べたことは含まれるであろうと思っております。
お寺を重要な役割である先祖供養、ご葬儀や法事全般の角度から考えてみると、
お檀家様とは菩提寺という視点があり、長い時間を紡いだ深い関係性がございます。
お寺の存続のためにはもっとも優先度高く、重要不可欠な部分です。
では、いまを生きる人にとってのお寺の存在を見るとどうでしょうか。
たとえば、楽しみ、癒しや励みなど、心のよりどころとして見るとどうでしょう。
それはお檀家様はもちろんのこと、そして檀家ではない人にとってみても、
「心の選択は自由」であって、またひとつに限らなくてもよいものなのです。
どういうことかと言いますと、ご自分の安心や喜びにつながると思えるならば、
心が求めるところには、いくつだろうと足を運んでみてほしいのです。
多くのお寺様がいま、この考えを共通してお持ちで事業設計をしています。
それが、お寺の潜在価値を機能させるうえで大切だと感じているからです。
開かれたお寺づくり、という言葉を聞くようになって、もう何年が経つでしょう。
同時にお寺離れ、檀家離れ、という言葉もどれほど聞いたでしょう。
これから、寺院運営は一層厳しさを増します。
凡才な自分は、みなさんの声に耳を傾け、視野も広めないといけませんね。
敷居の向こうにはいのりがあり、笑顔とまなびがあり、そして怒りも涙も許される。
敷居から出るときには、よろこびを胸に持ち帰る。
それがお寺なら、どこへでも行きたい。
今年もお寺の蓮が見事に咲いてくれました。
合掌
小舞妃