クローバー
辺りではたくさんの花が彩鮮やかにして咲き誇り、木々の若葉が青々と茂り、
自然の息吹を力強く感じる季節を迎えております。
先日、こどもに四葉のクローバーを探してほしいと頼まれ、
境内のたくさん生えている場所に向かい一緒になって探しました。
しばらく探してみましたが、なかなか見つからないものですね。
父の力、まったく及ばず、早々にあきらめました・・・。
しかしこどもは翌日もあきらめることなく探し、やっと見つけて喜んでいました。
こどもの純粋な探求心は根気につながり、あきらめない心を養ってもくれている。
そんなことを大人目線で思ったりもしましたが、一方で境内のその場所に何気なく
再度足を運び感じたことがあります。
『四葉のクローバーを探すために多くの三つ葉が踏まれている』
話が逸れますが、5月30日、当山で宗派の布教師による講演会が開かれます。
講師は青少年育成を理念として長きにわたり尽力する数々の活動が評価され、
正力松太郎賞を受賞されております。
その先生の言葉に、はっとさせられるものがございます。
学校では、「人に迷惑をかけてはいけない」と道徳で教えてくれる。
仏教では、「自分が迷惑をかけて生きていることを自覚しなさい」と教わる。
やはり仏教は寛容であり、自分は如何にして生きているのかを突き詰めて
いくものなのだなと、この言葉に感じるのです。
人が社会を生きるには、人に迷惑をかけないようにと心掛けなくてなならない。
その前に、人は多くの人に世話になり、姿かたちに表れないものも含めて
多くの迷惑をかけないと生きていけないという事実があります。
人の生老病死はそれを避けて通れないのです。
日頃お檀家さまとお唱えするお経『智山勤行式』も、経本をめくり最初に読むのは
『懺悔の文(さんげのもん)』です。
私が行ってきた数々の悪業は
すべて 人のもつ三毒(貪瞋痴)による身体・言葉・心より生じています
一切をいま反省いたします
このように自己の反省を行った後から仏さまの教えを読み進めていくのです。
人が操作して創った価値に魅せられたり、あるいはそれに惑わされたりすることで、
本来の価値が粗末に扱われてしまうこと、それは私たちの日常に多々あることです。
こども達は純粋に価値を探し求め、その行動だけで心も体も成長していく。
大人はそんなこどもの傍で何かに気づかされ、わが身を振り返る脚下照顧の機会となる。
これから先も、「喜びと反省」は葉の表裏のように有り続けていくのだと知るのです。
合掌
5月30日(木) 記念講演会についてはこちら
http://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20190430post-292.html
5月18日、境内はクマガイソウ、つつじが綺麗に咲いています